単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

箸にも棒にもかからない

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第12日目の記事です。

昨日は、小説や短歌を書くときの洗練の話をしました。いちばん思い入れのある部分を削っても、言いたいことのエッセンスが伝わるし、歌がよりよくなるのは、不思議でとてもおもしろいことだと思います。

今日は、うまくできないことの話をします。「勝てない戦をする」ですからね。

根拠のない自信

私はどうしてか、「やったことないけど、うまくできる気がする」という、根拠のない自信をもっていることがある*1

これには、おおまかに二つのパターンがある。

  1. 自分以外の人間(特に、同性・同世代)がやっているのを見たので、私にもできる気がする
  2. 単に「できる」と思っている

例1:同人誌を作る

私にも、同人誌をまだ作ったことがなかった時代があった。何年のことだったか、2016年か17年頃と思われるが、私は知人のお手伝いで文学フリマ東京に行った。売り子さんとして。
その時に立ち寄った、あるスペースの店主さんが印象的だった。写真の美しい紀行文を、きれいな本ですねと言うと、「これは写真をiPhoneで撮りました。本を作るのは、意外と簡単なんですよ。本を作ろう!」というようなことをおっしゃった。最後のは私の捏造かもしれないが*2

それで、「そうか、本、作れるんだ」と思った。すぐに本を作ろうとはならなかったのだけれど、その方が本当に楽しそうにされているので、とても印象に残ったのだった*3

例2-1:オセロ

この間、知人とオセロをした。なんとなく、私はオセロができるような気がしていたが、惨敗した。

ここに石を置いたらどうなるか、先が全然読めないのだ。頭の中で色を塗り直せないし、塗り直した後の全体像も掴めない。そうか、私はオセロが下手なんだな、と、それで学んだ*4

そういえば私は、トランプの神経衰弱も弱かった。どこにその数字があったのかどころか、その数字はもう出たのかどうかすら覚えていられない。それは、弱いわけだ*5

例2-2:短歌

そして、短歌である。

短歌を作るようになってから*6、いくつか短歌の大会に歌稿を送った。そして、箸にも棒にもかからないのだった。短歌って、なんとなく、詠めると思っていたのだけれど、全然そんなことなかった*7

ただ、「審査がおかしいんじゃないか」とは思わない*8。受賞された作品を見ると、たしかに優れていると思うし、私の歌はそこまでではないなと納得できる。もっとうまくなりたいものだ*9

どうしてかよくなる歌

短歌の会の冊子に投稿し始めて、半年ほど経つ。審査などはなくて、送った歌は全部載せてくれるものだ。

先日、担当の方に歌稿を送ったところ、「とてもいい。これまでとは見違えるようだ」とお褒めの言葉をいただいた*10。私は、褒めていただいて嬉しかったので、「やったー!」と言いながら部屋を走り回った(大のおとなが喜びの感情に浸るのはなかなか難しいので、形から入った。楽しかった)のだが、私としては、変わった自覚はなかったのだ。送った歌を眺めてみても、何がどう変わったのか、よくわからなかった*11

そう、その時はわからなかった。けれど、先日届いた冊子を見て、思うところがあった。2ヶ月くらい前の歌を見ると、たしかに、ちょっと違う気がしたのだ。

違いを充分に理解している自信は、まだない。けれど、強いて言葉にするなら、以前は「私が面白いと思ったことを、私が面白いように詠んでいる」状態で、その後は「私が面白いと思ったものを、そのまま詠んでいる」感じ……だろうか……? ああ、やはり全然言い表せていないような気がする。精進しますわ*12

続けるとうまくなる

最初からうまくできることなんて、ないのだろう。うまくできる方が珍しいから、わざわざ「才能」なんて呼ばれるのだ。

ピアノを習っていたときにも、最初は「押して音が出て嬉しい!」という状態だったのが、徐々に「左手と右手で別の動きをすると、音楽が美しい!」になり、「好きな曲が弾けている!」になっていった*13。知らないことには伸びしろしかないものなのだ。

何かを始めて、うまくできない時に、「次にはどうしたらうまくいくだろうか」と自然と考えられるのは、それはそれで一つの才能かもしれない。趣味という才能*14
私にとっては、同人誌制作とか、キャンプとかがそれにあたる(才能とか言うのは気恥ずかしいが……)。

好きなことを続けて、だんだんうまくなっていけるのは、楽しいことだ。最初はうまくできないことに驚いても(当然だから驚かなくていいのだが)、くさらず面白がって続けられることを、いくらか持っておけるとよいなと思う。

 

ううん、ぬるっとした記事になったな~!
自信ありすぎの話をしたので、どこかで、自信なさすぎの話もできたらいいなと思います。恥ずかしくてできないかもしれないけど。

 

絵文字・メッセージありがとうございます……! 嬉しく拝見しています。お気軽にどうぞ。

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*1:一応、原因の推測はしているのだが、恥ずかしいので書かない。関心がある人は推理してみてください。

*2:捏造かもしれない発言を引いておいて恐縮だけれども、この方。今でも文学フリマにも出店されている。私はこの方のbioにある「書き続けています。」が大好き。

*3:そうしてこういう大人になった:ゆあれ on Twitter: "RT @your_re: 本は作ったらできる!! 本は作ったらできる!!!(発狂した囚人が檻を揺らしまくって叫ぶ感じのツイート)" / Twitter

*4:人にコツを教わったので、次回は勝ちたいと思い、CPU相手に練習している。最初はやはり惨敗して、2回めでちょっと差が縮まり、さっき3回めをやってみたら勝った。しかしやはり、先が読めているわけではないので、強くなっているのかはよくわからない。

https://www.afsgames.com/reversi.htm

*5:キャラクタートランプとかにしたら、札に関心を持って、覚えられるのだろうか?

*6:2022年6月か7月くらいから

*7:57577を作ることはできるが、他の人の作品の中でも良いと思われる作品を作るのは難しい。

*8:大包平か?

*9:先日、初めて棒に引っかかって、とても嬉しかった……のだけれど、該当人数が公表されていなくて、全員に授与されているのではないかと多少疑っている。考えすぎかもしれないが、いずれにせよ、もっとバチコンとした(明確に良い)賞をいただけるよう、精進したいものだ。

*10:一部改変しています。

*11:担当の方は、キャンプがよかったのだろうか、と首をひねっていた。

*12:信頼できる先達が、自分の書いたものを継続して見てくださるというのは、本当にありがたく、嬉しいものだと思う。二次創作小説ではそうはいかないのだ。会に所属している間、しっかり教わって、歌の経験値を積みたいなと思う。文芸の力は、あって損がないと思うから。人生にとって。

*13:なお、刀ミュの曲を練習させてもらっていたので、先生と二人きりの防音室に、崎山つばさ他の声が響き渡る状態になっていた。かなり面白かった。

*14:あるいは、「継続する」という才能。

詩にする

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第11日目の記事です。

 

昨日は友達を作ったり、友達を続けたりする時の話をしました*1

今日はまた短歌の話をします。

ダサさを伐採する

短歌の話をすると言ったばかりですが、小説の話から入る。

小説を書いて、推敲している時に、「ダセえ!」と言いながら削ることがよくある。

これは、

  • 描写ではなくただの説明になっちゃっているところを、削って書き直している*2
  • ストレートに感情を書いているところを削って、客観的な表現に改めている*3

とかそういうことなのかな~と思っている。まだはっきりとはわかっていないです。いずれわかるときが来るのかもしれないし、ずっとわからないのかもしれない*4

ただ、私なりに、「これは(私が書く)小説じゃない」と思う基準がある、ということだと思われる。なんだかわからなくても。

詩として作る

一度、俵万智さんの講演を聞く機会があった。そこで、あの「サラダ記念日」の歌の話を聞いた。有名な話だろうけど、あの歌の元になった出来事は、「カレー味の唐揚げ」で、しかも、6月の話だった。それを短歌という詩にするにあたって、唐揚げはサラダになり、6月は7月になり(「し」と「さ」のs音が揃う)、カレー味は削除された、ということだった。私はその中で、「詩にする」という表現(うろ覚えですが……)が印象に残った。短歌って、詩なんだ……!

また、その講演の中で、「最も思い入れのある部分を削る」とも話されていた。もしかすると、サラダ記念日の歌における「カレー味」も、それだったのかもしれない。もし私が、誰かに自作のカレー味の唐揚げをいいねと言ってもらったら、カレー味のことは絶対歌に入れたくなると思う。でも、その味付けを抜いて作られた歌には、しっかり良さがある。そのエピソードに含まれる良さが、損なわれずに含まれている。

その歌に必要なかったもの

私も例会で、「ここは削ったほうがいい」と指摘されることがある。それは私が「これは削れないな」と勝手に思い込んでいた部分だったりもする。けれど、削ると、本当に歌としては良くなるのだ。ああ、俵万智さんがおっしゃっていたのはこういうことだったのか、と感心する。

それ以来、「これは削れない」と思ったら、疑うようにしている……とか言えたらいいのだけど、まだちゃんとできていない。精進。これ、使いこなせたらもっと楽しくなるだろうなあ*5

歌になる題材のこと

ところで、「これは歌にできる」「これはできない」っていう、題材への直感みたいなものがある。ある時、「これはぜひ歌にしてみたいけれど、歌として成立する題材なんだろうか……」と思いながら詠んでみたのを、やっぱりサマにならないなと思って、出すのをやめた歌があった。

その後、驚いたことに、同じ題材の歌が会誌に載っていた。私がうまくいかないなと思ったものを、その方はちゃんと歌にされていたのだ。すぐには真似できそうにはないのだけれど、今後の励みになった*6

60年先も歌えるか

二世代も上の先輩方が*7、毎月多くの歌を詠まれているのを見て、「そんなに詠んで、詠むことが尽きないのだろうか」と心配になったことがある*8

ところで、私は花に詳しくない。

先輩方の短歌には、知らない花の名前が出てくる。わんさか出てくる。それらを調べると、まったく知らなかったものもあるけれど、「見たことがあったあれは、そういう名前だったのか」とわかることも多い。それは割と、楽しいことだ。

自分が散歩などする中で、きれいな花を見ると、歌にしたいなと思うことがある。けれども名前がわからないから、調べるようになった。スマホアプリを使ったり、検索したり。花の名前を覚えると、その花はよく目に止まるようになって、ちょっと親しい気持ちになったりもする。

そんなふうにして過ごしていて、しみじみと思うのだけれど、一日として同じ日はない。言い古されたことだけれど、本当にそうなのだ。一度として、同じ季節もない。この春は去年の春とは違う春。だから、過ぎてゆくそれらをよく見ていればきっと、歌の種は尽きることがないのだ。たぶん、60年先でも。会に入って短歌をするようになったことで、それを知ることができたのは幸いだったと思う。

 

よし、今日は記事出せた。最初にメモした話題、だいぶ書けてきたみたい。まだ書いてないのは、二次創作の話……と、図書館の話かな。あ、うそついた、業の話も挙げてた。明日は何の話をしようかな*9

 

絵文字・メッセージありがとうございます!

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*1:大人になってから友達を作るのって難しいなと思うのですが、だからといって最初の20年くらいでできた友達で一生やっていくのもなかなかなんだよね。

*2:「説明ではなく描写する」というのはこの本にも書いてあったのだけれど、記録記事では触れていなかった。

*3:この話は、創作鑑定のくだりでよくした。

この記事(水煮さんの創作鑑定レポ──締切が近いのに恋の話が書けなさすぎてヘルプを頼んだ件|u_u_c|note)に書いた通り、私は感情をそのまま書きすぎると、そのくだりを外してしまいがち。

*4:どっちでもいいと思っています。推敲は楽しい。

*5:思い入れの強いパーツを自覚するのは難しいし、それを削るのはもっと難しい。でも、良い歌ができたと思えるときの嬉しい気持ちも好き。

*6:家の中に出没する虫(無駄な弁明をするが、ゴキブリではない)の話だった。その後、同じ題材で何首か作り足してみたけど、やっぱり、かなり自信がない。

*7:「お孫さんが私と同世代」という状態。

*8:むちゃくちゃ勝手な心配だ。

*9:薄々気づいてはいたが、最初に挙げた話題メモをそのまま記事にはせず、それを包含する上位階層の話題を探して記事にしていることが多い気がする。話題メモを建材扱いしている。

友達になること、友達を続けること

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第10日目の記事です。

 

前回ははがきで連絡を取る話をしました。締切からの逆算により、タイムスケジュール能力が上がる気がします。

ここ数日、急激にあなせわしや*1になってしまい、昨日はアドベントカレンダーをお休みいたしました。生活が優先ですからね*2

今日は、友達の話をします。

知己のない町に暮らして*3

今年2月に、知り合いが全くいない土地に越してきた。私に最も話しかけてくれた隣人は、今でも「よその家の庭の犬」さんだ。貴重な存在なので、丁寧に「おはよう」と返している。吠えられるけど*4

ご近所付き合い、というものがない*5。だから、近所の知り合いは自分で作らなければならない*6

私の愉快で聡明な友人の中には、知らない土地に暮らした経験のある人がいる。その人はこういう時、「飲み屋に通って飲み友達を作り、そのネットワークからさらに別の趣味の人を探して友達になる」らしい。すごい。

私はお酒に強くなくて*7その手は使えないのだが、「知人のない土地でも友達を作れるのだなあ」、と心に留めていた。

顔見知りの人

現状、顔見知り、みたいになっているのはこんな感じの人たちである。

  • 短歌の会の人:ただし、例会のときにしか顔を合わせない*8
  • 近所のお花屋さん:3回目くらいで「久しぶりですね」と声をかけてもらった。覚えてもらった……! と嬉しかった。
  • キャンプ場の人:私に例のテントを貸してくださった方が覚えてくれた。
  • カフェの店主さん:1回しか行ってなくて、もう忘れられているかもしれず、「顔見知り」ではないかもしれない。だけど、とても懐っこく話してくださったので、知り合いみたいな気持ちを勝手にずっと維持している。年内にまた行きたいな……。

友達になるには時間がかかる

ついぞ忘れていたのだが、リアルで会う人と知り合ってから友達になるまでには、時間がかかる。何回か顔を合わせる中で、この人は気が合いそうかな、避けた方がいいタイプじゃないかななど、十分に探る時間が必要だ。単純接触効果という面もある。顔を合わせるうちに親しみが増していく、あれだ。

現職に落ち着いてから、外に出て友達を増やす機会が激減していた(特にここ3年は、COVID-19の影響もある)。

SNSを通じて交流を持つようになった人はいるけれども、「テキストから入る」というのはかなり特殊な人付き合いではなかっただろうかと、最近思う*9

誰かと関係を築いて、深めていくには時間がかかるのだ。それまで接点がなくて、本丸で初めて知り合った刀剣男士もきっとそうなんだろう*10。(リアルの話に戻すと)出会った人すべてと仲良くなれるわけではないし、ある集団の中に気が合う人がいるかどうかもわからないものだ。そういう、クラス替えの朝みたいなことを、久しぶりに思った。

友達を維持する

新しい友達を作る話をしてきたが、もともと友達だった人と、友達であり続けるのもまた難しい。一時期仲が良かった人と、「いつでも連絡を取り合える」状態をキープするようなことだ。keep in touch状態とでも言えばいいのだろうか。

連絡を取り合わない状態が長く続くと、「今どうしてるかな」と思っても、連絡しづらくなってしまう。そうすると疎遠になってしまうだろう。用事がなくても連絡する、くらいの付き合いがないと、関係性は消滅してしまうのかもしれない*11*12

そう思うと、年賀状って、なかなかいい機会なのかもしれない。keep in touch的に*13*14

 

今回も短め! でした!

明日も書けるかな……どうかな。明日は明日の風が吹く。本格化してゆく師走、そして寒さ、あなた様もどうぞご自愛ください。

 

なにかあればどうぞ!

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*1:意: とても忙しい。リンク先はM30を見てください。

*2:一度土曜日に書いたので、これで貯金を使ったことになる。

*3:ところで私は「知己」を「知り合い」くらいの意味で使ってしまったが、もっと深い関係にも使う言葉らしい。「知己を得る」どう受け止める? | 毎日ことば

*4:たまにしか通らない散歩ルートにお住まいの犬さんである。一度姿が見えなかった時があって、まさか天に召されてしまったのかと悲しんでいたけれど、次に通ったらまたいらして、しっかり吠えられた。感激した。ちょうど私の実家の犬が死んだ時期だったので、余計に。

*5:自治会に入っていないので、回覧板とかも回ってこないし、掃除当番(?)とかもない。すると、ご近所付き合いを錬成するには、近所の庭先で植木鉢とかをいじっている人に挨拶をし、「きれいなお花ですね」とか言ったらいいのだろうか。ハードルが高すぎる。

*6:こういうとき、こちらで職を見つけていれば、少なくとも職場の知り合いはできる。そう考えると、職を持ったまま移動するというのはいいことばかりでもない。まあ、いいことの方が断然多いと思うけど(新しい人間関係の構築に多大なストレスを感じるし)。

*7:そもそも車移動なので、代行とかを使わないと飲酒ができない。

*8:短歌の大会とかで行きあえば喋ることはある。

*9:平安時代の、和歌から始まるお付き合いに戻っているという向きもあるかもしれないが(筆跡も紙も香りもないにせよ)。

*10:急に神剣回想組の話をしています。

*11:というか、「用事がないと連絡しない」相手とは、用事がないと疎遠になるっていう、当たり前のことのような気もしてきた。

*12:コロナ下で直接会えなくなった折、定期的に連絡をする仕組みを構築できた知人友人たちとは、うまくkeep in touchにできているように思う。「付き合いを定例化する」というソリューション。

*13:と言いつつ、今年は過去一番に少ない枚数しか用意しない予定。

*14:Twitterのタイムラインではよく見かける」人もいる。けれど、だからといって、連絡しやすいかどうかってまた別なのだよな。ツイートは、別に、私に宛てた言葉ではないし。

郵便はがき10枚ください

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第9日目の記事です。

 

アドベントカレンダーは第9日目ですが、12月は12日になりました。アドベント期間が半分終わる……! 今年はなんて穏やかな記事ばかりのアドベントカレンダーなのでしょうか。

前回は、ひとりで同人誌即売会のスペース出店をする話と、たびたび訪れたお気に入りの土地は他人事ではなくなる話をしました。今日はテーマがあまり決まっていないので、筆についていこうと思います*1

郵便はがきをたくさん買っている

九州に引っ越してから、やたらと郵便はがきを買う。(なお、封筒を送る機会も増えたようだ。だから、切手も買う。)

はがきについては、毎月1枚は必ず使うからだろう。だから正確には、「九州に引っ越してから」ではなくて、「短歌の会に所属してから」、と言うのが正しい。

短歌の例会

私が所属している短歌の会では、月に1回、例会がある。参加者は、期日までに、例会の代表者に歌を二首提出する。例会当日は、一枚の紙に、全員の歌が無記名で印刷されたものが配布される。一首ずつに対して、参加者が順に感想や指摘を話し、最後に作者がコメントする。
その、「代表者への歌の提出」が、はがきなのだ*2

はがきか電話しか通信手段がない

私を除いた参加者平均年齢が80代と推察されるので(私が外れ値)、「はがき」で支障がないのであろう*3*4*5。締め切り3日前には詠草を用意して*6投函する、というのがかなり新鮮だ。メールやWebフォームなら、締切1分前に歌が仕上がっても間に合うが、郵便物はそうはいかないのだ*7。私にとっては新しく、一般的には古い文化圏に来たものだ……と思う*8

詠草の他にも、何かと郵便での提出が多いように思う。短歌大会に応募する時とか。
Webフォームを設置している短歌大会は、体感で半分くらいだろうか*9

締切のある創作

毎月、歌の締切がある*10。だから毎月、歌を詠む。詠んだ中で(あるいは、歌の形にまで至っていないものもある*11)、提出できそうなものを選んで、決まった数を外に出している。

締切があると、なんとかして、何かを作る。それは、創作の継続にとって、よいことのように思う。私が二次創作小説を書いたり、本にしたりする時もそうだ。締切があれば、「そのうちまとめたかったあのへんを、一冊の本にするか!」とか、「前から書きたかったあれを無理やり出すか!」と、重い腰が上がったりするのだ。あるいは、切羽詰まって書くことにより、「こんなものが私の中にあったとは知らなかったな」というものが出てくることもある*12。それは追い込まれているときにしかできないタイプの創作ではあるけれど(締切的にでも、精神的にでも)、「今だ」というタイミングでやると楽しい。切羽詰まって、ヒリヒリするけど。たまになら。

 

短く終わった! 明日書けるか微妙なので、今日の分からはみ出した部分を、加工用に取っておきます。でも全然違う話をするかもしれません。そのままなら、花の名前の話をします。

 

絵文字・メッセージ嬉しく拝見しています! ありがとうございます!

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*1:筆についていく:書くと続きがでろでろ出てくる状態に任せる、と言いたいです。

*2:電話で「提出」している参加者もいるらしい。が、しばしば、漢字を意図せぬ表記にされているようだ(それはもう致し方ない)。

*3:私はこの土地で同世代の知人もいたらいいなあと、思ってはいる。が、このあたりでは、同年代の女性はたいがい子育てをしている印象がある。移住DINKS(在宅勤務)の会とか、都合よくあったりしないだろうか。まあ、あったとして、この年代の女性でうまいこと話題が合うかどうか甚だ疑問なので、逆に二周り離れている方が気が楽という面はある。

*4:同じ趣味があれば、その話をしていられるからいいのだが……。

*5:この記事に、"この間、愉快で聡明で信頼できる友人たちと話していて、『女は結婚や出産や親との同居の有無でどんどん分岐してしまう。が、40代後半になると皆様々なことがどうでもよくなり、また喋れるようになるらしい』と聞き、『ならば、おばちゃんという滝壺でまた会おう』ということになった"と書いた。その点、オタクは、人生という川とは別の水源(沼とか言われている)に嵌っているので、話ができるのだろうなあと思う。

*6:「詠草」の使い方が合っているのか自信がない。例会に提出する歌、ということです。

*7:私は代表者の電話番号を知らないのと、仮に知っていたとしても、電話で短歌を提出するのは複数の意味で気が引ける(電話に対する心理的ハードル、表記を誤解なく伝えられるかどうかというハードル)。

*8:はがき文化に緊張して、詠草提出のたびに、「拝啓」から始めて時候の挨拶など添え、「敬具」で締めていた。しかし先日、代表者の方から「詠草」として歌だけ書けばよい、と教えていただいた。は、恥ずかし。

*9:Webフォームの方が管理も楽だと思うのだが、参加者が使いこなせずはがきの方が多くなるならば、管理上もはがき一本にした方が低コストなのかもしれない。

*10:例会もそうだし、冊子にも出している。だいたい毎月10首は、外に出す歌を詠んでいる計算になる。

*11:5757で終わっているやつとか。

*12:ワードパレットを使って創作をする時とか。それはフックで藻を掻き出している感じが近い。その藻は、私の内腔にへばりついていて、私の目では見えない。ただ、長い紐の先に鈎針のついたものを下ろして揺すっていると、かりかりと藻が削れて、でろでろと外に出てくることがある。ごく短い分量の作文や、歌の形で。

魂のセーブポイントと、即売会のひとり店番の話

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第8日目の記事です。

 

昨日は炊きたてご飯とできたておかずがおいしいという発見の話をしました*1
初日から、車・キャンプの話でここまで来ました。インドアを自認しているので、我がアドベントカレンダーながら驚きます。今日は何の話をするか、昼過ぎまでもやもや考えており*2、考えながら篭手切江・豊前江・桑名江・松井江・五月雨江・村雲江の「STARTING NOW」を聞いて、気持ちが盛り上がり*3、「イベントの話をしよう!」となりました。というわけで、今日は8月のインテ大阪の話をします。初めて、まったく一人で店番をしたサークル参加でした。勝てない戦、するぞ。

行くぞインテックス大阪

インテックス大阪。知ってはいるけれど行ったことはなかった、西のビッグサイト*4ビッグサイトが近かったから、わざわざ新幹線や飛行機で大阪まで行く気持ちにならなかったのだ*5

ところが、私はいま九州に住んでいる。そうすると、ビッグサイトに行くのもインテックス大阪に行くのも、大差ない。どちらもベスト移動手段は飛行機なのだ。であれば一度くらい、大阪で出店してみたい*6。それで、8月の閃華に申し込んだ。

やはり友人の都合がつかなかったので、これが初めての、単騎での即売会サークル参加になった。

大阪で石切に行かないことがない

※この節はイベントの話から脱線しています。

さて、大阪は、石切劔箭神社のために*7、片手いっぱい分は訪れている*8。初めて刀のために遠出したのもここだった*9。大阪に用があるときには、なんとかして石切を旅程に入れられないか、一度は検討する。
石切は大阪の東の端にあり、むしろ奈良に近い。大阪の空港や市内からのアクセスには時間がかかるので、旅程に入れられないこともある。インテックス大阪も大阪の西にあり、石切からは遠い。しかし、私はやはり、石切劔箭神社に行きたかった。永永無窮期間、つまり、復元刀石切丸と、本歌石切丸が両方見られる日だったからだ。

www.ishikiri.or.jp

4月の末に一度見ていたとはいえ、じきに死んでも見られなくなってしまう刀だ(本殿内陣に奉納されたら、まず出されない)。目にする機会は逃したくない*10

それで、イベント前日に石切さんに参拝し、そのまま石切に宿泊して、あさイチでインテに移動することにした。石切からインテがまあまあ遠いので、何のために前日入りしているのかわからない旅程だが、私は早朝の上之社が好きなのだ……。あと、4月に使った石切の民泊が気に入ったので、また使いたかったのもある*11*12

魂のセーブポイント

※さらに話が脱線します。

刀剣乱舞の影響で、あちこちに行った。静岡の三島、大阪の石切、岡山の長船、香川の丸亀、福岡の博多*13。中には、繰り返し訪れて、すっかり「ただいま!」気分になった街もある*14。そういう街は、魂のセーブポイントみたいだな、と思う。本丸の飛び地、というか。普段暮らしている場所からは遠く離れているのに、不思議に親しく思えて、安らげる土地。よい思い出が重なると、そうなるのかもしれない。

他人事じゃない

先日熊本城に行った時、あちこちの石垣が、地震の影響で崩れたままであるのを見た。その時私は、「他人事じゃないな……」と思っていた。丸亀城の石垣を思い出していたのだ。
丸亀城の石垣もとても見事なのだけれど、台風で一部が崩れて、今も修復作業が続いている。私は崩れる前の石垣も、崩れた後の石垣も見て、ささやかながら寄付をしたりしていた。それで、熊本城の様子を、他人事ではない、と思ったのだった。
だけど、私は本来、香川県には縁もゆかりもない、関東の人間である。丸亀城の石垣崩落が他人事ではない時点で、ちょっとおかしい。丸亀に入れ込んでいる……そう、熊本で実感することになるとは、面白いことだ*15

ここに喜久福がある

刀は関係ないけれど、私は一時期、よく仙台に行った。それで、仙台も魂のセーブポイントになっている*16のだが、先日、近所のスーパーで、喜久福のクリーム大福を見つけた。喜久福は仙台の喜久水庵が出しているクリーム大福で、駅のお土産屋さんなどで、冷凍で売っている。とてもおいしい。私は非常に驚き、喜んで、一も二もなく買ってきた。まさか九州で喜久福を見るとは!*17

www.kikusuian.com

魂のセーブポイントがあちこちにあると、何かと嬉しいことが増える。(心配事も増えるのだけれど。) 今いるここも、いずれ、魂のセーブポイントになるといいなと思う*18

来たぞインテックス大阪

話を閃華に戻す。

イベント当日の朝は、雨が降っていた。しかも、近隣で大規模な音楽イベントがあり、混雑が予想されていた。私はTwitterで地元の方がおすすめしていたルートで乗り換えをし、混雑に巻き込まれずに会場入りすることができた。

人波に乗って、自スペースへ。このとき、初めて印刷会社から直接会場に新刊を届けてもらったのだが、本はきちんと刷れていて安心した。設営も特にトラブルなく完了(設営はいつも同じかたちだし、本の数も少ない)。初めてのひとり参加、しかも初めてのカプオンリーでかなり緊張していたのだけれど、お隣のスペース主さんがとても気さくな方で、何度も笑わせていただいて、本当に助かりました。ありがとうございました。

ひとり参加の弊害

ひとりで店番をした感想としては、「案外いける」、だった。ただ、以下の点は気になった。

  • トイレに行きたくないので水分摂取を控え、脱水気味になる
  • 買い物が7分くらいしかできなかった*19

よかった点としては、「予備のパイプ椅子に在庫を載せておけて便利」だろうか。そこは、売り子さんがいたとしても、設営を工夫すれば何とでもなりそう(在庫を布の裏に仕込んでおくとか?)。

今後、どうしても仕方ないときにはひとり参戦も厭わないが、できれば誰か売り子さんがいてもらった方がよいと思った。防犯上のこともあるし、ひとりだとなんだかんだ、寂しいし。

 

更新が遅くなってしまった……! でもいろんな話ができて嬉しい。次は何を書こうかな。

 

絵文字・メッセージ嬉しく拝見しています! ありがとうございます!

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*1:ディストピアで銀トレーに固形栄養食品・錠剤・冷えきった缶詰の食事から生還した人みたいだ。右手に三條宗近のナイフを、左手にでかいシェラカップを携えて。いや、これまでの食生活も好きなんだけど。

*2:話したいことはたくさんありますが、これだというものがない。

*3:めちゃめちゃ励まされる良い歌詞ではないですか?

*4:という認識。

*5:遠方だと、売り子さんの約束をするのも難しい。それに、誰もスペースに来てくれなかったらどうしよう……という不安がより強くなる、気がする。

*6:いつか関東に戻ったら、それこそ大阪まで出る理由がまたなくなってしまう。

*7:神社のためなんですよ。ね?

*8:でも大阪城は行ったことがない。

*9:最初に刀を見に行ったのは東京国立博物館三日月宗近で、その次が2015年9月の大阪・石切劔箭神社の石切丸(と小狐丸)だった。その直後には丸亀に行った(ニッカリ青江脇指を見に)。それが私の初四国だった。

*10:なお、永永無窮は2023年5月まで延長された。しかも今回は、復元刀の真打・影打・本歌が一緒に見られるらしい(?)。できればもう一度は大阪に(=石切に)行って、展示を見たいと思っている。今度こそ割符守を忘れずに持っていくんだ……。

*11:あと、石切劔箭神社に着いてから気づいたのだが、その時の私には、お百度参りをする必要性があった。それで、初めて、石切さんでお百度を踏んだ。百周に一時間くらいかかった。途中で水を買ったり、荷物をロッカーに預けたりしつつ(ロッカーは崇敬会館の中にある)。その時に私ができることは何もなかったのだけれど、お百度を踏むと、「やることはやった」という気持ちになった。こんなことを言うのは罰当たりだろうが、「これでだめならもう神様のせい」と思える、というか。これは身体を動かさないと得られない感慨で、かけがえない体験ができたと思う。

*12:前職で、「親が買ってきた」といって、石切さんのお守りをお持ちだった方がいらした。それで、ああ本当に、病気治癒の、腫れ物切りの、祈りをかけられる刀なんだ(その時にはまだ奉納刀の話なんてなかったのだが)、と実感したのだった。それを思い出した。

*13:実はまだ、愛知の徳川美術館には行ったことがない。

*14:石切や丸亀のことです。

*15:な、青江。

*16:あるいは、なっていてもおかしくない、

*17:都内のスーパーで萩の月を見たときも嬉しかったが、それよりか意外な取り合わせな気がする。ちなみに私は萩の月も好きだし、同じお店が出している伊達絵巻がすごく好きだ。ちくわ状の硬いバームクーヘン生地に、あんこかクリームが詰まっているやつ。

*18:暮らしたからといって、魂のセーブポイントになってくれるとは限らないように思うので。よい思い出を重ねていけたらいい。

*19:そもそも買い物はできないくらいの覚悟で行ったのでよかったのだけれど、普通に買い物したい回もあると思う。

野遊び、名刀、おいしいごはん

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第7日目の記事です。

 

昨日は、シェラカップで炊いたご飯がおいしい話をしました。今日はその続きです。

炊き立てご飯はおいしい

いつか屋外で炊飯をするときの練習として、家の台所でシェラカップ炊飯を始めた私。「炊きたてのご飯はおいしい」ということに気付いてからは、ただただ炊きたてご飯を食べるために、シェラカップで炊飯をするようになりました。

炊きたてのご飯はどう食べてもおいしいものです。でも、炊き立てのご飯を、もっとおいしく食べたい……! そう思うと、目が向くのはおかず。

一週間同じものを食べ続ける

私はご飯をまとめて炊いて冷凍し、食べる時にレンジでチンする派閥です。おかずも同様。おかずも週末に作り置きして、冷蔵庫に入れておきます。「一週間同じものを食べ続ける」状態です。
一人暮らしを始めて以来、ずっとそうなのでした。平日、仕事終わりに料理をするのは面倒です。買い物だって、基本的に週末にしかしません。週末に買って、週末に使い切る。もし平日にも料理をしようと思うなら、食材の管理もぐんと大変になります*1

けれども、炊きたてご飯がおいしいことに気づいた私は思いました。できたておかずもおいしいのではないか、ということに。

できたておかずもおいしい

そしてそれは本当だったのです*2。それで最近は、なんとかして平日にも、料理をするようになりました。できたてがおいしいことに気づいたから。

凝ったことはできません。目玉焼きを焼くだけのときもあります。大根の切れ端で味噌汁を作るときも、豚バラ肉を焼いて焼肉のタレで食べるときも、キャベツをレンジで蒸して塩を振るときもあります。とてもいい加減。だけど、作りたてのおかずは、それだけでおいしいし、炊き立てのご飯を引き立ててくれるのです*3

三條小鍛冶宗近の、よく切れる包丁の話

私が積極的におかずを作るようになったのには、もう一つわけがあります。三條小鍛冶宗近のペティナイフです。

三條小鍛冶宗近というのは、奈良にある包丁屋さんです。明治初期まで日本刀を作っていて、廃刀令以後は家庭用包丁を作られるようになりました。

審神者の間で話題のお店で*4、実際に包丁を買った方が、よく切れるとおっしゃるのをTwitterで見かけていました。私も機会があれば使ってみたいものだと何年も前から思っていましたが、包丁を買い替える機会なんてそうそうなく。そこに、野に出るあたり専用のペティナイフが欲しいなと思うようになり、「これは、今では?」となったのです*5

アウトドアでも使えるのかよくわからなかったので、メールで問い合わせをしてみたところ、職人さんと思われる方がたいへん丁寧に回答してくださいました*6。検討中のペティナイフをいくつか挙げてお問い合わせしたところ、錆びにくくてお勧め、と教えていただいた子をお迎えしました。
あと、銘入れが無料なのです。三文字まで。号を入れてもらいました。嬉しい。

包装紙が鍔に鹿柄でかわいい

よく切れる刃物を手にすると、たくさん切りたくなる

これが、本当によく切れるのです。

似たサイズのペティナイフが家にあるのですが、それよりも、刃が重い・刃が厚い・持ち手が重い、ようでした。自重で沈んでくれるので、軽い力で切れます。刃が厚い分、硬い素材でもめりめりと切り開いてくれる感じです。

同様のサイズのペティナイフ(左)と三條小鍛冶宗近のペティナイフ(右)

生のかぼちゃが切れる

よく切れて楽しいので、もっと切りたくなります*7

それで、あえて週末に食材を使い切らずに残しておき、平日におかずを作れている…………とも言えるかも。

野が教えてくれること

炊きたてご飯がおいしいことも、できたておかずがおいしいことも、野に出ようとしてやっと気づいた。ありがとう、キャンプ文化。

他にもデイキャンプの中で、「屋外で火が燃えていて楽しい」「屋外で水を沸かせて楽しい」「雨が降っているのを、布で防御して寝るのが楽しい」などといった、原始的な喜びを感じます。「地面に長い杭を深く打ち込むのが楽しい」とか、そんなことを自分が思うなんてまるで想像していませんでした。身体を動かして知らないことに取り組むのは楽しいです。野に出たい!*8

 

何かあればお気軽に。

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*1:どれを残して何に使うか、その食材は調理せずにどのくらい日持ちするのか、といった検討が。

*2:新刊完売状態

*3:作り置きのおかずがまずいわけではないです、決して……! 煮物とかは時間が経ったほうが味が染みたりしますし。ただ、焼き物・揚げ物系はやはり作りたてがよいですね……。

*4:三日月宗近や小狐丸の"三条宗近"です。たぶん。

*5:アウトドア用のペティナイフだと、オピネルさんとかが有名らしい。折りたためるタイプのナイフ。

*6:それと、ナイフのケースはないでしょうかとも問い合わせたのですが、お店ではお取り扱いがないこと、既存の大手通販サイトにあること、どんな材質・形態のものがよいかなど、懇切丁寧にご教示いただきました。恐れ入る……。

*7:妖刀か?

*8:雨や風を知るためにお天気アプリを新しくダウンロードしました。週末が近くなると何度もチェックしてしまう。雨、降るな……。

炊きたてごはんがおいしくて弥生になる

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第6日目の記事です。

昨日はデイキャンプを始めたきっかけの話をしました。憧れの人のかげを追い、いつしか自分自身の森の奥へと進んでゆくのだ。

今日はごはんの話をしたいと思います、今日こそ*1

でかいシェラカップでどこまでも行く

キャンプで使う食器に、シェラカップ、というものがある。丸い金属の器で、持ち手が付いており、たいがい内側に目盛線がある。火にかけて調理器具として使えるし、そのまま器としても使えるものだ。

camphack.nap-camp.com

たいがいのシェラカップは200~300ml(計量カップか、それより一回り大きな容量)。ただ私は900mlのを買った。大きい。初めてのデイキャンプの直前に、お湯を沸かしてお茶を淹れたいと思い、キャンプ用品店のスタッフさんにその話をした。スタッフさんは、アウトドア用のやかんやクッカー(コンパクトな鍋)を紹介しつつ、最後に、その大きなシェラカップを教えてくれたのだった。「これがあれば、お湯も沸かせるし、ラーメンも作れるし*2、炒めものもできますよ」という太鼓判付きで。私は「ホットケーキも焼けますか?」と聞き、店員さんは「もちろん!」と笑顔で頷いた。それで、これに決めた。屋外でホットケーキが焼きたい*3

これは、シェラカップとしては大きい。しかも、目盛りが付いていない(なんでだろう?)。「でかいシェラカップ」というよりか、「ちっこいフライパン」と呼んだほうがわかりやすいかもしれない。

www.uniflame.co.jp

他の調理器具について

私がデイキャンプに持っていく調理器具は、このでかいシェラカップと、ホットサンドメーカー(もともと家にあった)のみである*4

キャンプの際によく使われる調理器具としては、メスティン、というやつとか、クッカー、というやつがある。メスティンはアルミのお弁当箱のような形で、片手用のハンドルが付いている*5。クッカーは、鍋やフライパンの役割を果たすもの。マトリョーシカのように、いくつかを重ねて収納できるものが多い。

sotorecipe.com

camphack.nap-camp.com

……記事を読んで知ったが、メスティンはクッカーの一種なのか。失礼しました。

いずれも私は持っていない。私はこのでかいシェラカップでどこまでも行く。行けるところまで。

キャンプ炊飯の話

キャンプで炊飯、といえば、メスティン炊飯が主流らしい。私はキャンプの炊飯は飯盒のイメージだったのだが、飯盒だと炊けるご飯の量が多すぎるし、他の調理器具としては使いづらい*6。メスティンなら、0.5合などソロの一食に適した量のご飯が炊ける*7。もちろん、焼く・煮る・揚げる・蒸すなど、他の調理にも使える。

これは他人のツイートですが、本当にきれいな白ごはんが炊ける。

私は当初、屋外で炊飯をするつもりがなかったので、メスティンは買わなかった。けれども、デイキャンプの回数を重ねていくと、「あったかいご飯が食べたいな……」という気持ちになってきた。特に、カレーを食べた回で。

おにぎりとカレー(出典:

初めての雨キャンプ テントを盾にアウトドアでインドアする回|u_u_c|note

見た通り、ご飯はコンビニおにぎりである。カレーはシェラカップのお湯で温めたのだけれど、コンビニの白おにぎりはうまく温められなかった。せっかくカレーを食べるなら、あったかい白米が欲しい……と思ったのである*8

シェラカップで炊飯する

では、シェラカップでご飯を炊くことはできるのだろうか? できるんだな、これが。

camphack.nap-camp.com

検索すると、シェラカップ炊飯の記事は見つかる。ただ、900mlシェラカップを使った例は見つけられなかった。私は不安に駆られたが、やってみるほかない。

900mlのでかいシェラカップで炊飯する

自宅のガスコンロで計10回、屋外でsotoレギュレーターストーブを用いて1回、炊飯をした*9。屋外で炊飯した際には、底を盛大に焦がしてしまった*10。まだ研究が必要である。
さしあたり、自宅におけるでかいシェラカップ炊飯の手順を書いておく。自宅ではまず失敗なく炊けるようになりました。

台所の小さい鍋とかでもできそうな気がするので、興味があればやってみてほしい。炊いたご飯はおいしい。

用意するもの
  • 米 0.5合=90ml
  • 水(吸水用) 110ml
  • シェラカップ
  • シェラカップの蓋(私は雪平鍋の蓋)
  • 箸またはスプーン(米をかき混ぜる)
  • タイマー
  • タオル

手順

  1. シェラカップで米0.5合を研ぎ、水を切る
  2. シェラカップに110mlの水を入れる*11
  3. シェラカップに蓋をし、1~2時間放置する(吸水)*12
  4. シェラカップを強火にかけ、箸で底からかき混ぜる*13
  5. ふつふつしてきたら、最弱火にし、蓋をする
  6. おせんべいが焼けるっぽい香り(ちょっと乾いた香ばしい香り)がしたら、火を止める*14*15
  7. シェラカップを火から下ろし、タオルでくるむ。20分ほどそのままにして蒸らす*16
  8. 完成

吸水し、不透明な白色になって膨れたお米

炊きあがり

炊きたての白米がおいしい

本当に米が炊けるのか半信半疑で始めたのだけれども、ご飯は炊けた。火と水があれば、米は炊けるのだ……。弥生人の感動を追体験する気分である。炊飯器じゃなくてよかったのだな*17*18

シェラカップで炊いた白米は、とても美味しい。炊飯器で炊いたものより、粒がしっかり立っている。もちもちで甘く、時折混じる香ばしい部分がまたおいしい(「お焦げ」の一歩手前みたいなものを作り出すことが多い)。

私は普段、ご飯を食べる時、炊飯器でまとめて炊き、一食分ずつラップにくるんで冷凍して、食べる時にレンジで解凍している。炊きたてのご飯を食べる機会は、週に1回あるかないか。解凍ご飯が当たり前だったので知らなかったのだが、もしかして、炊き立てご飯の方が、ずっとおいしいのではないか……?

 

 

と、この先も少し書いたのですが、きりがいいのでここまでで出します。明日はおかずの話をしたいです。

 

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*1:一つの話題が二日間以上に渡って書かれる感じ、アドベントカレンダーだなあと思う。

*2:チキンラーメンみたいな、乾燥した袋麺がちょうど入る大きさなのだ。

*3:まだシェラカップでホットケーキを焼いたことがない。ホットケーキはホットサンドメーカーで焼いてしまった

*4:強いて言えば、「直火OKなマグカップ」も含まれるかもしれない。最近はそれでお湯を沸かし、そのままティーバッグを入れている。

*5:リロ氏のキャンプ飯で有名かもしれない。

*6:これはキャンプショップの店長に教えてもらった。

*7:あと、「半自動炊飯」という、簡単な炊飯の文化がある。固形燃料(旅館の夕食で一人用鍋の下に置いてあるやつ)を使って加熱し、火が消えたらタオルでくるんで蒸らすと、ご飯が炊きあがるというもの。私は固形燃料を使った炊飯はやったことがない。

*8:サトウのごはん的なものを湯煎する手もあるが、私のシェラカップにはレトルトごはんとレトルトカレーを両方入れるだけのゆとりはない。先に温めた方が冷めてしまいそうだ。

*9:毎回、以下のような作業メモを残していた。米と水の分量、各工程の手順と所要時間、炊きあがりの様子や味、次回の改善点など。それが役に立った。実験ノート文化だ。f:id:hayamo:20221207093913j:image

*10:とはいえ、焦げ付いたのは全体の5%程度で、総じておいしいご飯ではあった。ただ、シェラカップの底に、取れない焦げが付いた(そうなるだろうなと思っていたので、悲しくはない)。

*11:120mlでもおいしく炊くことはできた。

*12:夏場は30分~1時間程度、冬場は1~2時間程度らしい。11月~12月は吸水1時間でも2時間でもおいしく炊けた。

*13:吸水によって水位は下がっているが、そのまま水を足さずに炊飯してOK

*14:私の場合は、弱火にしてから10〜11分くらい。

*15:多くの炊飯記事で「おせんべいが焼けるような香り」と書かれていて、「キャンパーってそんなにおせんべい焼いたことある?」と戸惑った。私にはおせんべいが焼ける香りがわからない。何度か炊飯していると、炊飯中の香りは、「甘くて水っぽいごはんらしい匂い(ぐつぐつ)」→「水分が飛んで乾いた、ちょっと香ばしい匂い(ぱちぱち)」→「焦げた匂い」と変化していくことがわかってきた。この、「ちょっと香ばしい匂い」の段階で止めるのがコツである。焦げ臭は本当にただの焦げ臭なのでわかると思う。でも、最初はどこが火の止め時の匂いなのかわからないと思うので、適当にシェラカップの蓋を開けて、見た感じご飯ぽいかどうかをチェックするのをおすすめする(7分以降くらいだろうか)。途中で蓋を開けても、すぐ閉めてしまえば、ご飯の炊きあがりがまずくなることはない、経験上。屋外炊飯で底を焦げ付かせた時には、蓋を開けた時点で、「底の焦げ地獄が息を吐いているな……」感があった。

焦げている予感しかない様子

やはり焦げていたご飯

*16:これを10分にしたらちょっと硬く、40分にしたら冷めてしまった(それはそう)。

*17:昔住んでいた寮の共同キッチンで、炊飯器を持っていないおねえさんが、毎回土鍋でご飯を炊いていた。それで、ご飯って炊飯器じゃなくても炊けるんだ……という認識はあったのだが、本当に手持ちのシェラカップでうまく炊けるのかは謎だった。でかいし。

*18:写ルンですを楽しむ令和の女子高生ってこういう気持ちなのかもしれない。

憧れを追い、野に至る

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第5日目の記事です。

 

昨日はYoutubeが便利だという話をしました*1。今日は、あったかいごはんの話をしたいと思ったのですが、その前振りの話で力尽きました。今日はキャンプの話です。

文系魔女、野に出る

この秋から、ひとりデイキャンプを始めた*2*3。野に出る(キャンプ遊びをする)ようになったことだけでも、インドア派の私にとっては「勝てない戦をする」感がある*4。せっかくなので、あったかいごはんの話をする前に、野に出るようになった経緯を書いておく*5*6

far from 娯楽

都内に暮らしていた頃は、様々な娯楽が近くにあった。ミュージカルを観に劇場に行くにも、即売会のためにビッグサイトや流通センターに行くにも、日本刀を観るために博物館・美術館に行くにも、駅まで10分くらい歩いて、電車に乗って、ちょっと乗り換えて、それで到着することができた。

けれども、ここに暮らしていると、そうはいかない。ミュージカルを観るにも、即売会に行くにも、飛行機往復+最低一泊の宿泊が前提になる*7

青江単騎は偉大だった

その点、ミュージカル刀剣乱舞にっかり青江単騎出陣*8の、全都道府県を巡る取り組みは、本当に画期的だったなあと思う。山口公演で見た、「地元の人がフラッと来てみました」みたいな感じがとても素敵で、よく覚えている*9
中でも、沖縄公演への感謝のツイートが印象的だったのだけれど*10、その気持ちに共感できるようになったようにも思う。そりゃあ近くまで来てくれたら嬉しいよ……。引っ越したことで思いがけず、(ミュ)江に関するありがたみを実感できるようなったのは嬉しいことだ。

思わず青江単騎の話を長くしてしまった。

話を戻すと、地理的な要因から従来の趣味*11がしづらくなったので、新しい趣味がほしかった。特に、近場で楽しめるやつが。それでデイキャンプを始めたのだけれど、登山でもバドミントンでもなく、デイキャンプに至った話を書いておく*12*13*14

①1回だけ行ったキャンプが楽しかった

昔、1回だけ、友人たちとキャンプに行ったことがあった。最初から立ててあるテントに泊まる、お手軽なやつだ。もちろんバーベキューグリルなんかもセッティングされていて、手ぶらで行ける。
カヌー体験をしたり、釣り堀で釣りをして、釣った魚を焼いて食べたり、温泉施設でお風呂に入ったりと、けっこう動き回った。それが意外と楽しかったのだ。単に友達と遊ぶのが楽しかったのか、キャンプが楽しかったのか、判断が難しいところではあるが、私の中では「キャンプ、割と楽しい」にカウントされた。

②家の外で原稿がしたい

そして、原稿である。

私は在宅勤務をしている。自室の半分を仕事ゾーン、半分をプライベートゾーンにして*15

自分の部屋があるのはありがたい。前居では、衝立を設けたとはいえパブリックスペースの隅で仕事をしており*16、しかも同じ机にプライベートPCを置いていたので、労働をも原稿も同じ環境でしていた。自宅の中に、腰を据えて仕事に取り組めるゾーンがあるのはありがたいことなのだが、その公私混同がけっこうしんどかった。だから、今の家でゾーンを分けられただけでも本当にありがたいのだ。

けれど、やはり、同じ部屋なので、クローゼットで遊んでいても息が詰まることがある。それで、家の外で原稿がしたいなあと思うようになった。幸い、いいカフェが近所に見つかったので、執筆や校正の時に使っている。スープとサンドイッチが美味しいし、Wi-fiも使わせてもらえるし、明るくて静かな雰囲気も好きだ。作業が捗る。

それでも飽き足らなくなって、原稿合宿がしたい、と思うようになってきた。引っ越す前には、原稿のためにホテルに行くことがあった*17。けれども、今は近くにホテルがない。町中に出ればホテルはあるのだが、なんとなく、原稿作業のために、人の多い場所に移動するのは気が引ける*18。だから、ホテル原稿、という私のカードは切れない。

好きな時に原稿合宿がしたい。都合のいい宿が欲しい。

③キャンプ場に事欠かない

そんな折に、ちょうど連休を取れることになった。せっかくだから何か(新しい・大掛かりなことを)しようかな、と思い、近くの宿を調べていた*19。すると、キャンプ場併設の宿があることに気がついた。と、それが直接のきっかけで、初めての「デイキャンプ」をやることになったのだった。
それからのことは、noteに書いている通りである。

 

ここまで書いて、いったん記事作成から離れた。その間に、思い出したことがあった。一回だけ行ったキャンプ場で見た、知らないお兄さんのことを。

①' 憧れ野行お兄さん

友人たちと、キャンプに行った時。

私たちの大きいテントの近くに、小さなソロテントを張った、お兄さんがいた。お兄さんはひとりで、テントの前に出した椅子に座って、ずっと本を読んでいた。

それを見た私は、「え……! あれかっこいい……楽しそう……!」と、思った*20

その憧れの気持ちが、ずっと私の心の底に生きていて、水面の近くに上がってきた……のだろうと、いま思う。

「誰もがうっすら誰かの憧れ同人お姉さん」

誰もが誰かの憧れ同人お姉さん——という言説を、Twitterで見た(言い回しはうろ覚えです)。そうなんだよなあ。憧れを追いかけて、足を踏み出す。そしていつしか、自分の道を進んでゆくのだ。野外読書お兄さんに憧れた私が、野外原稿お姉さんになろうとしているように。

 

 

全然ごはんの話にならなかったよ! 明日まだそういう気分だったら、ごはんの話をします。

 

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*1:そんなことは何年も前から人類の共通認識だったのかもしれないが、私は最近気付きました。

*2:この名称が微妙に長い。検索する時には、さらに「女性」という要素を入れたいときもある。何か適切な名称があってくれたらいいのだが。

*3:人に「デイキャンプを始めた」と言うと、家族と一緒にキャンプをやっていると思われるらしく、後からひとりで活動している旨を付け加えると驚かれる(n=2)。あなたはどうですか?

*4:(これは話のオチだと思っているので、注釈の中とはいえ最初に書くのはどうなのだろうかとは思うものの、アドベントカレンダーの最後まで書きそびれる可能性もあるので、書いてしまう:)結局、私にとって大事なのは「家の中にいること」よりも「(飽きず倦まずに)書き続けること」だったということらしくて、私としてはけっこう面白かった。

*5:これもnoteで書いたのだが、話の流れ上、触れさせていただきたい。恐縮。

*6:ただ、noteより長く書くので、書き下ろしがめっちゃある再録だと思っていただければ……。

*7:夜公演の観劇とかでなければ、時間的には日帰りも可能ではある。が、体力や精神的な余裕の面から、あまりやりたくない。

*8:つい正式名称を書いてしまった。

*9:下関だったので、福岡公演があればすぐ行ける土地のようにも思うのだが。

*10:探してみたが、当時どれを見て印象的だと思ったのかわからなくなってしまった。こちらのふせったーがそうかもしれない。

*11:趣味、というくくりにするのは気恥ずかしいのだが。なんだろう、「よくすること」くらいのこと?

*12:実は、山登りにも昔から関心がある。ただ、山を登っていると、原稿が書けない。あと、膝が弱いので、たぶん登山をすると膝がぶっこわれる。こんぴらさん参詣の石段で疼痛を生じて整形外科を受診したくらいの膝だからな……。

*13:デイキャンプをしていても原稿は書けていないのだが……。

*14:バドミントンは、土地のサークル活動を探しているときに見かけたやつ。知らない少人数の人の中に、しかも運動で入るというのが、私にはハードルが高かった。

*15:プライベートゾーンはクローゼットに作られている。クローゼットの扉を開くと、PCやプリンターや、お手紙道具があり、クローゼット下段に突っ込んでいるソファを引き出して、PCを使ったり、お手紙を書いたりする。

*16:窓際でものすごく寒かった。

*17:基本的にはデイユース。一回だけ、一泊してひとり原稿合宿にしたこともある。

*18:しかも、町中は道が混んでいるし、車線が多いし、空いている駐車場を探して駐車して、お金を払わなければならない。

*19:家の外に泊まって、連句感想アンソロのおまけカードを作ろうとしていた。

*20:確かそのお兄さんは、泊まらずに、デイでお帰りになった……気がする。

さよならVIP

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第4日目の記事です。

前回は、高速道路の運転に慣れる話をしました。トラックの追い越しが楽しい。なんなら乗用車も追い越す*1*2

今日は何の話をしようかな。あんまり決まっていないので、さしあたり、前回に関連して、運転の話題から入ります*3

駐車がVIP

引っ越してすぐの頃、愉快で聡明な友人と通話する中で、「バック駐車が苦手だ」という話をした。

駐車の際にバックで停めれば、出る時にスイッと出られて楽である*4。でも、私はバック駐車が下手すぎて、駐車スペースを示す白線を思い切り跨いでしまったりする。なんならど真ん中に乗ったりもした。2スペース以上使う駐車をVIP駐車と呼ぶらしいのだが*5、間違いなくVIPであった*6

で、友人である。運転ができる友人は、迷いなく『Youtubeだよ』と言った。

Youtubeには叡智がある

『私はYoutubeでバック駐車の動画めっちゃ見たよ。それで練習して、できるようになった』と。

Youtube! 私はYoutubeをあまり見てこなかったので、そういう方法があるのか、とびっくりした。聡明な友人の言うことだし、とにかくYoutubeで駐車のコツを検索してみた*7*8*9。すると、たくさんの駐車のコツ動画が出てきた。再生数百万回のものがざらにある。人々はYoutubeでバック駐車を学んでいたのだ……!

私が特に参考にしたのはこちら。停め方のコツから再生されるようにしてある。

youtu.be

こちらの動画もよかった。「私だ……」と思える一般駐車erの様子を見ることができ、他人事ではない感がある。

www.youtube.com

 

いくつか動画を見ていると、「バック駐車のコツ」にも複数の派閥があることがわかる。それらを体系化するほどには真面目に動画を見ていないのだが、とにかく、上手にバック駐車ができればいいわけなので、自分にあった方法を身につければよいだろう*10

私は動画を見てから、手順が自分の中ではっきりしたので、バック駐車が楽になった。切り返しは4回に1回くらいまだするけど。1回ぶつけたけど(初回の事故の話です)。

Youtubeでキャンプ動画も見る

自分が知らないものを、音声と動画で見ることができて、Youtubeは便利だ。それに大衆の周回遅れで気づくことができた。

最近は、キャンプ動画をよく見ている。キャンプ用品を選んで買う際に、お店で実物を見られたらいいのだが、そうはいかない場合も多い。そういう時、Youtubeのレポ動画があると、とても助かる。人間と一緒に写っていると大きさの見当が付きやすい*11。使い方がわかるし、使い心地の意見も聞ける*12

すごいなと思ったのはこちら*13。ちょうど迷っていた二つのテントが比較されていて、購入の決め手になった。

youtu.be

投稿者さんはテント200張りをお持ちらしいです*14

他にも、動画を見て購入を決めたグッズも多くて*15YoutubeAmazonに助けられて野に出ています。時代ですね。

 

 

明日はごはんの話をしたいです。予定は未定。

 

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*1:ハイウェイ・チャンスを逃さないためーに

*2:最初の長時間高速道路では、他人のTwitterスペース録音をずっと聞いていた(そして抱えきれない気付きを得るなどしていた)のだが、2回めの時にはSpotifyThis is YUIを聞いていた(YUIの曲だけ流れてくるミックスリスト)。人から、長距離運転における集中力の維持には懐メロがよいと聞いたため(この説の裏は取ってない)。

*3:今年は触れたい話題が多い気がするので、サクサク進んだ方がよいのだろうけど、私のアドベントカレンダーエンジンがまだ温まっていない感じがする。初日が木曜だったからなー。オープニング書いて一本目書いて週末、っていうのが、出鼻挫かれ感がある。

*4:駐車スペースに頭から突っ込むと、停める時は楽なのだが(それと、場合によっては頭から入れるしかない場合もあるのだが(道路沿いの商店の前の狭いスペースに停めるときとか))、出る時にバックしないといけなくて、周辺の安全確認が面倒だし緊張する。

*5:これも裏は取っていない。

*6:白線に並行ぎみである点はまだ謙虚かもしれない(白線を完全に無視して直角に停めれば3スペース使えそう、という意味で)。

*7:そういえばそれより前に、別の人が、包丁の研ぎ方をYoutubeで見て学んだと話しているのを聞いたので、Youtubeで何かを学ぶことができるらしいというのは知っていた。が、その時には、自分も研ぎ方を見てみよう、とはならなかったのだった。

*8:腰が重い。

*9:後日、私も包丁の研ぎ方をYoutubeで学んだ。動画はこちら。たぶん研げた。

*10:上手に: ぶつけずに・切り返さずに。

*11:サイズの数字にあんまりピンと来ない。メジャーを出してこないといけないし、メジャーがあっても、あまり大きいものだと立体の形を思い描けない。

*12:私は「生の人間の意見」に優先度を高く置きがちなたちなので、好きな投稿者のレビュー動画でよいとされているものを買いがちになる。

*13:noteでも紹介したので、覚えている人もいるかもしれない。

*14:https://twitter.com/yuichiro4416

*15:そのへんの話はnoteに詳しく書いてきた。

あ、トラックだ

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第3日目の記事です。

昨日は車をぶつけた話をしました。ぼんやりしている時に車に乗るのはやめよう。

今日は土曜日で、アドベントカレンダーは休んでもいい日です(週末は書かなくてもいいというマイルールがあります*1)。が、今週末は、予定していたデイキャンプに行けなくなったので、空いた気力と体力で、短い記事を書こうと思いました。

高速道路が怖かった

昨日は車の話をしたので、その流れで。

ペーパードライバーだった頃は*2、車に乗ること自体が怖かったものですが、とりわけ車線変更が怖かった。「車が走っているところに、ぶつからないように、うまく入る」というのがとにかく苦手で*3、一般道の右折レーンに入るのさえ怖かった。車の流れを見ながら、「来てる? 来てない? 行ける? 行けない? 行く? 行かない?」とグズグズしてしまいます*4*5。他の車からしたら、何がしたいのかわからない車というのは最悪なものですが、私は最悪なドライバーということです。

トラウマ首都高

一般道も怖がる私であるのに、なんのはずみでか、ペーパー時代に首都高に乗ってしまったことがありました。
首都高は車線が多く、出口が頻繁に存在します。短時間に何度も車線を切り替えていかなければならない時があるのです。しかも、車がとても多いのです!*6
当時は不可避の用事のために走ったのですが、命があってよかった、というありさまで、すっかり高速道路全般が苦手になってしまいました。引っ越してからも、「高速道路はちょっとな……」という状態が続いていました。

日、沈むな

けれども、乗らねばならない日はやってくる。自分が車をぶつけたがために、ひとりで高速道路に乗る日が……! 身から出た錆……!

知らない暗い道は、確かに怖かった。ただ、私が使った高速道路は首都高と違い、車が少ないのです*7。私のイメージする「高速道路」とは違って、とても走りやすいものでした。車が来ていなければ、車線は変更し放題*8。それで、近隣の高速道路を使うことへの苦手意識がなくなったのでした*9

あ、トラックだ

ところで、高速道路が片道二車線あるとき、右側は追い越し車線です。基本的に左側を走り、追い越したい車がいる時には右車線に出て、追い越したら左車線に戻ります。

車線変更が怖かった頃は、できればずっと左側にいたかった。だから、初めての高速道路では、前がトラックだと安心して、喜んでいました。たいがいのトラックは80km/hを守って走るので、多くの乗用車は追い越していきます。けれども私は、車線を変えて追い越すのが苦手だし、走るペースも守れるので、トラックの後ろは都合が良かったのです。

それが、2回目の高速道路では、変わった。

あ♡ トラックだ♡*10*11

前がトラックだと、遅いな、と思うようになったのです。それで、私もトラックの追い越しをするようになりました。

前述のとおり、このあたりの高速道路は車が少ないので、車線変更が容易なのです。さらに私は、「このくらいまでならスピードを出して走れる」という感覚も掴めてきていたので*12、前を走る車を抜かせそうかどうかも見当がつくようになっていました。それで、トラックを見たら自然に、「あ、追い越そう」と思うようになったのでした。しかも、追い越したらまた速く走れるのが楽しみで、「あ♡ トラックだ♡」というテンションで。人は変わるものですね*13

高速道路のいいところ

あんなに怖がっていた高速道路だけれど、慣れてみると、良い点もあると思えました。

高速道路には信号がないし、歩行者も自転車も原付もいません。運転中に考えることが少なくて、とても楽なのです。
一般道では、あの信号行けるかな(歩行者用信号が赤になったが、車の方は間に合うだろうか)とか、先の交差点で左折するにはもうここで左車線に入っておかないといけないんだっけとか、あのゆっくり走っている原付をどこで追い越そうかなとか、色々なことを考えながら走らなければなりません。でも、高速道路では、そういうことは考える必要がない。高速道路は、楽で、速く、遠くへ行けるのです。高速道路は素晴らしい。

また遠出をしたいものです*14

 

絵文字・メッセージ嬉しく拝見しています! ありがとうございます!

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*1:このブログにルールを課せるのは私だけなので、「マイ」は要らないかもしれない。

*2:おお、私はもう「ペーパー」ではないのか……

*3:当然と言うべきか、大縄跳びもできない。

*4:そもそも、後続車を確かめるのに、サイドミラーを見たらいいのか、窓から振り返ればいいのかもわからないのだった。

*5:多分両方使って確認するべき。

*6:書きながら思うが、それをペーパードライバーが安全にかつ間違わずに運転するのは、無理だ。

*7:前を見ても後ろを見ても私一台しかいない、という区間が存在した。

*8:合流も苦手なんですが、車が来なければ合流もし放題なのです。

*9:それで、熊本に出かけることもできたのです。それは本当によかったポイント。

*10:pixivだったらタグが付きそうな見出しだ。

*11:最悪の注釈だな

*12:実際には私の車はもっとスピードを出せるらしいが、私には「この速度くらいで脳がキュッとする感じがする」というゾーンがあり、そこは超えないようにしている。怖いから。

*13:伸び代しかなかったので……。

*14:ただ、自家用車で遠出をすると、電車や飛行機で遠出をした時とは心持ちが違うようです。ということに、先日の熊本行きで気がついた。どうも、車は「移動手段」というよりも「自宅」に近いのか、車に乗り込むたびに「ただいま!」という気持ちになって、「遠くへ来た」という感慨がリセットされて薄れてしまう。思い切り「旅」をしたいなら、やはり公共交通機関に乗る方がよさそうでした。ただ、キャンプに行くなら、荷物も多いし、まさに「自宅」を設営するわけだから、自家用車がうってつけだと思うのですが。