私は私の欲しいものを一つずつ選ぶ。一つずつ揃える。
絶対に譲らない。
そういう意思で、ブログ名を「単品と単品」にした。
サブタイトル「ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある」も同じ思考から。
私は私の欲しいものを一つずつ選ぶ。一つずつ揃える。
絶対に譲らない。
そういう意思で、ブログ名を「単品と単品」にした。
サブタイトル「ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある」も同じ思考から。
伊藤一彦 著(2001)
あくがれゆく牧水 : 青春と故郷の歌 (みやざき文庫 ; 7) | NDLサーチ | 国立国会図書館
買ってから読み終えるまでに年単位で時間が経ってしまった気がする*1。
買ったときには「白秋と牧水」と「啄木と牧水」の章が(文アル的に)気になっていた。両方とも興味深かった。白秋の歌は、美し……!っていつも震えちゃうしどこかで歌集を読んでみたい。柳川、通過したけど立ち寄ったことはないんだよなあ。
この本は、牧水の歌を年代順に一首ずつ引いて、1ページで解説、というパートが長く続く。牧水の歌を読んだ時に定型の美しさに驚いたことを覚えているのだけど、時代によっては積極的に破調の歌を詠んでいた。一人の歌人の中でもやることが変わっていくのが興味深かった。牧水の歌集もちゃんと読んだことないんだよな。
梨木香歩(2014)
丹生都比売 : 梨木香歩作品集 | NDLサーチ | 国立国会図書館
このところ読書記録がとんとできていない。読んでいないわけではないのだけれど、記録をしない本か、記録したいけどできていない本ばかりである。これはある時に図書館の開館時間に間に合わず、返却はしたものの新しい本を借りられなかった日があったことに起因している。私は、手元にあるけれどまだ読めていない本を読むことにした。そういう本が結構増えていて、「これから読む」のゾーンを圧迫していたので。だから本を読んではいる。のだけれど、それが結社誌のバックナンバーであるとか、いただきものの歌集だったりして、インターネットに記録しない(ことに私はしている)ものが多かった*1。
なお記録したい歌集は3冊読み終えている。歌を引くのに時間と気合いが必要なのでそれは溜めています。好きな歌を見つけたら元の連作に当たるとぐんと豊かな体験ができるなあと思っています。
さて『丹生都比売』。私はちょうど自分の原稿に苦戦していて(二次創作同人誌の方)誰か作家の小説が読みたく、好きな書き手さんで、かつ文体に影響されないような……と梨木香歩さんにお世話になった。肝心の表題作の手前まで読んだ。
不思議な短編だあ……となりながら読んでいた。ちょうど私が「これ、読む人にはわけわからんな」と多少苦しく思いながら自著の推敲をしていたので*2「このくらい、ほんとうのところ何がどうなっているのかわからない感じ」でもいいのか、と安心するような気持ちがあった。もちろん梨木さんだからだと思いますが。
謎感で言うと「カコの話」が好きだった。「旅行鞄のなかから」の分裂している女の子たちの、地の文が入り混じってる感じが好きだなあと思った。「夏の朝」は途中で、これは誰が話してるんだろうと思いながら読むのが楽しかった。三浦しをんさんの『あの家に暮らす〜』みたいな。
周期的なもので体調が悪かったのがこのところよくなってきたことと、自覚していなかった大きな感情のせいで圧迫されていた脳のメモリが感情の自覚と大泣きによってだいぶ開放されたことにより、やっと物事に対する意欲と計画と行動力が充実に戻ってきた感じがある。来月出る同人イベントの原稿が詰まってるけど、まあでも全体を見て優先順位つけながら、一つずつやるんだ。「なるようにしかならない」から。それでもベストを尽くしたいし、成功したいと思う時、私はそれを好きだなあとしみじみ感じる。元気なので余談が長い。
柴田葵 著(書肆侃侃房、2019)
母の愛、僕のラブ : 歌集 | NDLサーチ | 国立国会図書館
キュアおでんの歌をなにかのアンソロジーで見かけたはずだ。歌を覚えているから。でもこのブログには記録がないかも。
好きな歌を引いていく。好きな歌をあとで記録しようと思って、いちいちしおりを挟んでいたら、手持ちの栞を全部使ってしまってそれ以上読めなくなった。本の天はお祭りさわぎになった。私はリボンや、タッセルや、組紐がついている栞をたくさん持っているなあと思った。
歌を引き終わってから、最後まで読んだ。
キュアおでんの歌しか知らないのは、もったいない、と思った。柴田さんは熱血ではないと思う。意識してそうしている、周囲の大切な人を守るために、そういう感覚をもった。もっと冷静な、ものごとの一枚奥を見るような(鳩の脳とか)、人なのかなと思う。
続きを読むこれは2024年の目標「責任を負い、責任を果たす」の途中振り返り記事です。
前回の振り返りはこちら。
ゴールデンウィークも終盤ですね。本記事は4月〜ゴールデンウィークの振り返りです。
この記事は15,000字以上あります。長いです。長いので、珍しく目次を付けておきます。気になるところから読んでいただいて大丈夫です。
あきやあさみ 著(幻冬舎、2024)
「一セットの服」で自分を好きになる | NDLサーチ | 国立国会図書館
作者の前著『一年3セットの服で生きる : 「制服化」という最高の方法』を読んだ頃から、自問自答ガールズとしてやっております。こちらは2冊目のご著書。
2周はしました。そして記録のためにさらにもう1周(ざっくり)します!
こんな感じで楽しく読みました! できればどこかで4月の月報を出しておきたい(もう5月4日です)。バッグ探して買うぞ……!
蓑部哲三 著 蓑部厳夫, 蓑部樹生 編(2011)
好きな歌がたくさんある。30弱を引く。
大隅のかすむ陸(くが)よりふくらみてみなみの海はいたくあかるき(p11)
宮崎から鹿児島方面を見ているのだろうか。3句以降にひらがなが多く、南国の明るさのシンプルで原始的な力を感じる。
井戸端のぬれし三和土(たたき)にぶちまけし貝にまじれる鰈(かれひ)眼をあく(p13)
取ってきた貝を三和土に出す習いなのか、うっかり籠か何かを落としたのかわからない。「ぶちまけし」はなんとなく後者の感覚があるがどうだろうか。鰈が眼を開いたのを作者は目撃したのだと想像する。鰈はまだ生きている。貝は見た感じ「生きている」と思う動きを、特に陸上では見せないだろうけれど、魚はそうではない。これから食べるか売るかするのだろう鰈の命を見た作者、内容は観察のみの歌で作者の感情は書かれていないのだけれど、印象に残る。
庭のべにひらき切りたる山桜散る花のなきひと時があり p22
もしかすると多くの人が詠んできた情景かもしれない。ただ、「庭」の「山桜」(ソメイヨシノではなく)という点は作者の独自さが高いのではないだろうか。最後が言いさしの形であることが、このあと日をおかずに散り始めたことを予感させると思う。
めざめたる玻璃窓の外に夜明かと見まがふばかり靄ながれゆく p23
何時に起きたのかは書かれていない。しかし、夜明けにはまだ遠い夜中なのだろう。その中にも靄は白く流れていたのだろうか。夜中に目覚めて外がほの白かったらびっくりすると思う。それを淡々と歌われたのかなと想像する。
ひと束の穂北半紙を入れおきし机によればにほふすがしさ p25
穂北は紙漉きの里だったらしい。今は職人はいないようだが(https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/jaja/04_washi.html)。
新しい紙はいいにおいがする。机の引き出しを開ける前から、机の周りに清々しい香りがしているというのはうきうきする感じだ。枕草子を思い出す。
うつり来し庭の石臼に水張りぬ岩雀らが来り浴むべく p29
引っ越しをされたところだろうか。まだ荷物を解き切る前のような気がする。周りの生物に気をかけるやさしいお人柄を感じる。庭に臼があるってなんだろうと思いつつ。
ひそかなる願のありて春を待つ我が幸を人知らざらむ p31
願いや幸いの具体が示されることはない。具体的に書けという向きもあろうが、この歌が好きだと思う。春を待つ気持ちは共通している。誰にも言わない願い、誰にも言わない幸せをきちんと胸の中に持っていることは豊かなことだと思う。
ふるさとより来ましし父が濡縁の竹青々と敷き換へくれぬ p36
この歌集では両親に対してかなり丁重な尊敬語が使われているように思う。高齢の方の歌でもたまにそういう表現を見るので、時代なのかもしれない。「来ましし」って自分の親には使わないだろうなあ、祖父母にも使わないだろうなあ。先生には使うかもしれない。
この歌は「青々と」がいいなと思う。さっぱりしたことだろう。しかし濡縁の竹ってなんだろう。濡縁が木じゃなくて竹製なんだろうか。
山桜ふふむ鳴川の峡に来て桑をくくりし藁とき放つ p45
桜があると嬉しくなってしまうし、水辺も好きだから目に止まったのだろうか。桑をくくっていた藁をとき放つのがどういう状況なのかはよくわからない。……と思って読み返したところ、「ふふむ」と「くくりし~とき放つ」がいいのかも、となった。山桜がひらく予感が、今桑がとき放たれた様子から誘導されるのだ。
炭を焼くけむりは白くやはらかく敵機来し日は遠くなりたり p48
戦争経験世代。「けむり」がひらかれているのがやわらかさをより感じさせ、下句の「敵機来」という硬い漢字の並びとうまく対照されていると思う。
うみたてのけさの卵も幼らの熱き麦飯にかけてやりたり p68
自分の家で飼っている鶏かなにかの卵を、まだ幼いこどものごはんにかけてやったという歌。「も」なので、ふだんからこどもには色々とごはんのおともを分けてやっているのだろうかと想像する。「熱き」がまたいい。お腹が空く。
思ひきり土にまみれて働かば吾のけながき風邪も癒えむか p72
歌集を読んでいると本当によく働く人だなと思う。あるいは働くことと生きることの距離は今よりずっと近い時代だったのかもしれない。長い風邪に苛立っているような雰囲気を感じて少し微笑ましい。家族からしたら働かないで休んでいてほしいかもしれないが。
立ち枯るる朴を鋸引きをへたれば吾肩あてて押し倒したり p82
動詞が多いけれど、スムーズに読める歌。「終へ」「当てて」などが適宜ひらかれている工夫もある。木こりというのか、自分は一生やらないだろう動きでも、なんとなく、木の感触や重みを肩のあたりに想像する。
櫨の木を鋸引きをへて割りをれば黃なる芯より素直に割れつ p84
これも木こり(?)の歌。薪割りはキャンプでちょっとやったことがある。「素直に」が面白い。針葉樹の素直な割れっぷりは「素直に」と確かに言いたくなる。ハゼは針葉樹ではなさそう? 「黄なる芯」も具体的なところがいいなと思う。
コールタールに漬けし落花生吾は蒔くかうでもしなければ野鼠が食ふ p90
知らない習慣だ。コールタールに漬けられても落花生は発芽するということなのだろうか。作者はこれまでに落花生を食われたことがあるのだろうなと想像する。
川原の畑にみのりし胡麻を刈るすでにこぼるる実を惜しみつつ p93
胡麻の収穫ってどんなんだ? とYoutubeで見てみました。胡麻ってこうサヤの中にあるのか~! ホウセンカの種みたいに弾けてしまうのね。惜しいと思う気持ちがより理解できるようになった。もったいないね。
ゴマの栽培 種まきから収穫、脱穀して焙煎まで。 - YouTube
わが井戸の石の間に冬籠る守宮(やもり)はつひに鳴かずなりたり p93
守宮って鳴くんだ……知りませんでした。作者はかなりの頻度で守宮が鳴くのを聞いていて、それが聞こえなくなったなあ、というのを歌にされている。小さな生き物を見つめる目。あと、守宮が冬眠してるのも実はよくしらなかったんだなあ。守宮って何年も生きるらしいね。
わが妻が逆さに植ゑて芽ぶかざる生姜を今日は吾が植ゑ直す p95
生姜を植えるときにはあの生姜をそのまま土に入れるらしい。向きがあるんですね。アボカドの種を植えようと思っているのですが、アボカドの種にも植える時の向きがあるらしい。奥さんが逆さまに植えたということが事前にわかっていたのか、「なかなか芽吹かないから見てみたら逆さだった」ということなのか。前者かなあ。奥さんはあまり畑仕事をされない方だったのだろうか。微笑ましい御夫婦だなと思う。なんとなく、生姜を逆さまに植えたからって怒りそうな人には思えない。作者さんは。
丈ひくく老いたる父は婦人用の自転車に乗りて勤めに出でぬ p102
その後ろ姿を、悲しく哀れに思われたのかもしれない。特にその時代は「婦人用の自転車」に男性が乗ることのハードルが高かったりしたのかな、今よりも。しかし老いてもなお職場があるのは立派なことだなと思っちゃう。
火山灰地の我が畑ながら霜とけてカリフラワーの緑いきおふ p108
火山灰の土地では作物が育ちにくい、という前提がありそうな歌。カリフラワーの緑が濃くなっているのを喜ぶ気持ちが伝わってくると思う。「いきおふ」がひらがななのが、カリフラワーのもこもこっぽくてかわいい感じがある。
秋ののげしの花より集めし蜂蜜のにほひに馴れてパンに塗りをり p109
のげしってなんや、と調べる。ノアザミの花がたんぽぽみたいに黄色いやつ……っぽい。蜂蜜を作れるんですね。最初は香りに馴れなくて食べつけなかったのかもしれませんが、今では当たり前のようにパンに塗るようになった、という歌。昭和32年の歌ですが、その頃からパンに蜂蜜を塗って食べたりしていたんだなあ、とちょっと新鮮。
吾よりも早く桵の芽折りし人を憤りつつ丸山を越ゆ p111
歌集を読む限り、作者が怒っているのは珍しいと思いますが、それがタラの芽を折られていたからというのがちょっとおもしろい。毎年そこで摘んでいたのでしょうか。あるいは、あまりにも広範囲に採られていたとか、なにか特殊な事情があったのか。
山道にいたく後れし妻待てば霧の中よりのぼりて来たる p117
ものすごく間が開いてしまったのでしょうね。いちいち歩幅を合わせないのだな。霧の中からだんだん妻の姿が見えてきたのが印象的だったのだろうと思います。妻視点の歌があったらどんなだろうか。
山の落石はげしき米良(めら)より出で来たる自動車は屋根に金網を張る p122
普段から金網を装備している車なのでしょうね。そんな土地柄があるのかと私も驚きました。作者も驚いて歌にしたのではなかろうか。
火口湖を越えむとしつつ力尽き落ちたる蝉をボートより拾ふ p133
蝉の死体が湖のボートの中に落ちていた。それを、湖を越えようとした蝉だと感じる作者の心がすてきだなと思う。「火口湖」とすることで、単に湖とするよりもスケールが大きくなったように感じより効果的なのではないだろうか。さらに作者は蝉の死体を拾い上げる。それからどうしたのかはわからないが、旅人への敬意を少し感じる。
夕ぐれていよいよにほふ姥百合の花咲く渓を立ち去りがたし p133
夕方、もう帰らねばならない時間。だけれども花の香りが強くなって、ここにとどまりたいと思ってしまう。シンプルな歌だと思う。「立ち去りがたし」にかなり強い感情が出ているのと、「いよいよ」がちょっと強めではあるけど(でもこれは必須だ)、全体にはシンプルに詠み切るのがすごい。もっと過剰にしたくなりそうだから。
朴の芽のひらきゆきたるくれなゐの苞は下行く谷川に落つ p176
2句切れなのかな? それとも芽が苞をひらくものだろうか。作者の歌のしらべで2句切れってあんまりないしやっぱり切れてないのかな。芽ではなく苞に目をやり、その行く末まで見届けている。
こういう俳句もあった。 朴の芽の苞まだ落ちず中尊寺|細見綾子|昭和47年作 - 細見綾子・沢木欣一 俳句アーカイブ
老いてなほやさしきこゑに吾を呼ぶ妻と真昼の茶を飲みあひぬ p214
いい歌だ……。「やさしき」に愛情が出ているし、わざわざ「あひぬ」なのがね、いいですね……。あと、真昼の茶なんですよね。お昼ご飯のあとの一服なんだろうか。夜ではなく昼だというのがまたほのぼのとした感じがあっていいなと思う。
川野芽生 著(左右社、2023)
かわいいピンクの竜になる | NDLサーチ | 国立国会図書館
年末に丸の内オアゾの丸善で買い込んだ本の一冊、ようやっと読み切れた。サイン入り本!
作者は歌集『Lilith』の人。初のエッセイ集とのこと。
まずね、装丁が本当にかわいい……! オビが銀色に黒字なんですが、裏面が真っ黒なんです。たぶん黒い紙にシルバーインクなんじゃないかしら。かっけ~。
カバー用紙のイラストももちろんかわいい! カバーを外して全部広げると、ウェーブのかかった紙やドレスのフリル、花びら、そして竜の羽や尻尾がぶわっと広がってめっちゃかっこよくてかわいいです。すてきだ~。背表紙のタイトルが地に寄せてあるのはイラストの邪魔をしないようにだと思うのですが、いいですね。
そしてそして! カバー用紙の手触りもちょっと、微小な凹凸を感じるのですが、表紙用紙が……! 鱗の手触りです!! 竜すぎ!! なんでしょうこれ? 革のシボ感みたいなものを感じます。大ぶりのレースがデザインされているので、レースの細い糸ともオーバーラップしていてすごくすてき。オビが黒、カバーが淡いピンクとブルー、表紙が黒+白のレース、でメリハリがかっこいいです。
ふう。装丁の話しちゃった。
川野さんはロリータ服がとても似合いそうだと思うし、だから着始めたのが割と最近らしいのが驚きだった。失礼ながら……。
「人形は頷かない」という視点がとても印象的だった。人形は抵抗しないかもしれないが、はいとも言わない。審神者だから特にかも。道具はしゃべらないから。
作品と香水、作品とコスメの想像のくだりも楽しく読んだ。作品と、作者の好きなジャンルとのコラボのようなものはとても好き。
海外旅行の章がいちばん好きだ。大好きな物語を追い求める人たちの熱、そういうイベント、大好き。海外のオタクも「息して!!」って言うあたりとか声に出して笑ってしまう。なんか、私は水ピが好きなのもそうだし、「物語が現実に影響を及ぼしている」ところが好きなんだなあと思う。あんスタのリクアワ7で、Switchのバレンタイン曲を聞いた人が片思いの相手に初めてチョコを渡せました、という話で泣いちゃったのも源流は同じではないだろうか。
髪色の話も興味深かった。私もこの間初めて髪をピンクラベンダーにしたのだけど(インナーカラー)、3日で金髪になってしまった。紫は3日でシルバーになった。色を色として保たせるのは本当にすごいことだ。いつ見てもピンク髪の人などは尊敬しちゃう。
あと最終章で私の好きなランジェリーブランドが出てきて、「わあ!」と言って姿勢を正してしまいました。いいですよね……本当に……ものすごくデザインがかわいい。サイズが大きめなので、気に入るかわいいデザインを探すのが本当に大変なのですが、このお店に行けば必ず好きなものが見つかる。しかもサイズがちゃんと合う。嬉しすぎる*1。品物の良さも素晴らしいのだけど、店員さんがまたすごい。お店がどんなに混んでいても、接客が穏やかで丁寧なままなのがすごい。すごすぎてなんとか感謝を伝えるためにお店のインスタにDMしたことがあるくらいすごい。川野さんは「下着のデザインについて語り合える」のように書かれていたので、私も先日「リボンが2色ありますね!!」などとデザインに関する点を振ってみたところ、「そうなんです! この部分もそれに合わせて2色あるんです!」などとお話してくれてとても嬉しかった。きれいなものはいいねえ。
さて、記事タイトルが「部分的に読んだ」なのは、性暴力のくだりをたまに飛ばさせてもらったからなのですが(親切に、そのような描写の前に説明書きをしてくださっている)、大学時代にあった性暴力(セクハラと呼んでもいいんだけど、加害の悪さと被害の大きさを両方矮小化している気がして腹が立つのでこう書く)のことを思い出して暗澹たる気持ちになった。そういった加害者ほど社会で成功していたりするのがまた最悪だ(社会における成功とは何かはとりあえずおいておく)。私が見過ごしてきたことを、川野さんはきちんと見つけて拾い上げて言語化してくれている。それを読むのは心が痛いことでもあるのだけれど、誰かがこうして光を当ててくれているということが嬉しいし、そして自分がこれから同様の状況に立った時があれば(嫌だけど)そこにきちんと疑問を投げかけられるのではないかなと思う。
*1:引っ越しで近所になくなってしまったので、東京に行った時にわざわざ立ち寄ったりする。
ヴァージニア・ウルフ 著
西崎憲 編訳(2022)
青と緑 : ヴァージニア・ウルフ短篇集 (シリーズ ブックスならんですわる ; 01) | NDLサーチ | 国立国会図書館
読み終えてないのだけど、さっき記録した『ウィステリアと三人の女たち』の表題作にもヴァージニア・ウルフが出てきたなあというのと、どちらにも「結婚生活の終わり」みたいなものが出てきて、その符丁が面白かったので書いておく。
「ウィステリアと三人の女たち」では
「おまえ、誰なんだよ」今にも消え入りそうな声で、夫は言った。
「知らない」わたしは言った。
「もう、あなたとは関係がない」
とあり、『青と緑』の「ラピンとラピノヴァ」では
それが結婚生活の終わりだった。
と書かれている。前半で
あのふたりはとても幸福だと。けれどそんな幸福はどのくらいつづくものだろうか?
とあって、その答えが出て終わるのが面白い。
表題作「青と緑」が見開きで終わる短さなのも意外でよかった。そしてとても美しい。
また追記するかもしれない。
川上未映子 著(2018)
ウィステリアと三人の女たち | NDLサーチ | 国立国会図書館
川上未映子さんの単行本を読むのは2冊めではないかと思う。アンソロジーに入っている短編は読んだかもしれない(読んでいた)。
『すべて真夜中の恋人たち』。とても美しい装丁で、ものすごく好きな話だ。いつ読んだのかはっきりとはわからないけど、前前前居の本棚に入っていたのを覚えているから、9年くらいになるのかもしれない。
あんまりにも好きな話で、それがわかっていると、次の本に手を出しにくくなる。
本は読んでいなかったけど、このツイートはチェックしていたらしいから、やはりこの人の文章は好きなんだろう。
川上未映子、ワコールのブランドのノベルティ、それの文章がまあうまい。「女の子、登場」。 pic.twitter.com/v4be21Iiec
— urbansea (@urbansea) 2017年3月17日
そんで、やっぱり10年近くかかって、ついに2冊めを読んだのだけれど、やっぱりものすごくよかった。これは
の4編が収録されている。ものすごく装丁がきれいだ。
この人が書く女性の一人称がすごくよい。ふつうの女性の一人称だな、と思うし、見合った語彙や文体なのだけれど、彼女たちが思うこと、伝えたいことがきちんと伝わる。超絶技巧だと思う。
記憶、あるいは「私らしさ」「私が私であること」の外在(肉体の外に、それが存在する?)みたいなテーマ・モチーフは一貫しているのかなあと思いながら読んだ。箱、花、そのようなものに仮託されて。
「シャンデリア」が百貨店だったのでわーとなった。最近百貨店について考えることが多いから。
「マリーの愛の証明」終盤がね、ほんとうに、ほんとうによかった、
少女たちは歩きつづけた。自分にしかわからない話をしながら、それでも誰かとわかりあえることを夢みながら、他愛のないおしゃべりをくりかえしながら、そしていつか、何もかものすべてにすっかり終わりがやってくることを信じながら、女の子たちは彼女たちの住むミア寮へもどっていった。なんとなく二列になって、なんとなく、前をむいて。
書いてみるとひらがなが多いなあと思う。少女らしさだなあ。
書かれている感覚は何かすごくわかる気がする。中学生とかの感じだ。そんで、最後の「前をむいて。」がめちゃいいのだよな……すごいなあ。
「ウィステリアと三人の女たち」これがさ……! 川上さんの書く破滅は息を呑むほど美しい。美しい破滅が好きなので嬉しくてしょうがない。でも破滅って再生と同義だったりするんだよなあとしみじみ思う。とてもいい話だった。
「シャンデリア」以外は女性の同性愛っぽい描写だったなと後で気づく。
次に川上さんの単行本を手に取るのはいつになるんだろうか。こんなに熱狂的に好きな話を書く人と同じ時代に生きているのは嬉しすぎるから、もっとインタビュー記事とか読んだ方が良い気がしてきた。
川上弘美 著(2010)
このあいだ、川上弘美さんのエッセイがとてもよかったので、小説を手に取ってみた。雰囲気が違うねえ……!(わくわく)
短編集。「女の子」がたくさん出てくる。女の子の女の子っぽい独白、見るのが好きだなあ。クロスワードの子が特に好きだった。
そういえば、小さい人が出てくる話が複数あったなあ、と思って見直していたら、これ同じ人じゃん! そして君たち、ベランダ組、両思いじゃん! すごい、雑誌連載の短編集で、さらっと続きものというか、オムニバス?になっている……。他にも続いているのはあるのかもしれない(杏子ちゃんはわかった、相方が強烈だから)。