私は私の欲しいものを一つずつ選ぶ。一つずつ揃える。
絶対に譲らない。
そういう意思で、ブログ名を「単品と単品」にした。
サブタイトル「ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある」も同じ思考から。
私は私の欲しいものを一つずつ選ぶ。一つずつ揃える。
絶対に譲らない。
そういう意思で、ブログ名を「単品と単品」にした。
サブタイトル「ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある」も同じ思考から。
ヴァージニア・ウルフ 著
西崎憲 編訳(2022)
青と緑 : ヴァージニア・ウルフ短篇集 (シリーズ ブックスならんですわる ; 01) | NDLサーチ | 国立国会図書館
読み終えてないのだけど、さっき記録した『ウィステリアと三人の女たち』の表題作にもヴァージニア・ウルフが出てきたなあというのと、どちらにも「結婚生活の終わり」みたいなものが出てきて、その符丁が面白かったので書いておく。
「ウィステリアと三人の女たち」では
「おまえ、誰なんだよ」今にも消え入りそうな声で、夫は言った。
「知らない」わたしは言った。
「もう、あなたとは関係がない」
とあり、『青と緑』の「ラピンとラピノヴァ」では
それが結婚生活の終わりだった。
と書かれている。前半で
あのふたりはとても幸福だと。けれどそんな幸福はどのくらいつづくものだろうか?
とあって、その答えが出て終わるのが面白い。
表題作「青と緑」が見開きで終わる短さなのも意外でよかった。そしてとても美しい。
また追記するかもしれない。
川上未映子 著(2018)
ウィステリアと三人の女たち | NDLサーチ | 国立国会図書館
川上未映子さんの単行本を読むのは2冊めではないかと思う。アンソロジーに入っている短編は読んだかもしれない(読んでいた)。
『すべて真夜中の恋人たち』。とても美しい装丁で、ものすごく好きな話だ。いつ読んだのかはっきりとはわからないけど、前前前居の本棚に入っていたのを覚えているから、9年くらいになるのかもしれない。
あんまりにも好きな話で、それがわかっていると、次の本に手を出しにくくなる。
本は読んでいなかったけど、このツイートはチェックしていたらしいから、やはりこの人の文章は好きなんだろう。
川上未映子、ワコールのブランドのノベルティ、それの文章がまあうまい。「女の子、登場」。 pic.twitter.com/v4be21Iiec
— urbansea (@urbansea) 2017年3月17日
そんで、やっぱり10年近くかかって、ついに2冊めを読んだのだけれど、やっぱりものすごくよかった。これは
の4編が収録されている。ものすごく装丁がきれいだ。
この人が書く女性の一人称がすごくよい。ふつうの女性の一人称だな、と思うし、見合った語彙や文体なのだけれど、彼女たちが思うこと、伝えたいことがきちんと伝わる。超絶技巧だと思う。
記憶、あるいは「私らしさ」「私が私であること」の外在(肉体の外に、それが存在する?)みたいなテーマ・モチーフは一貫しているのかなあと思いながら読んだ。箱、花、そのようなものに仮託されて。
「シャンデリア」が百貨店だったのでわーとなった。最近百貨店について考えることが多いから。
「マリーの愛の証明」終盤がね、ほんとうに、ほんとうによかった、
少女たちは歩きつづけた。自分にしかわからない話をしながら、それでも誰かとわかりあえることを夢みながら、他愛のないおしゃべりをくりかえしながら、そしていつか、何もかものすべてにすっかり終わりがやってくることを信じながら、女の子たちは彼女たちの住むミア寮へもどっていった。なんとなく二列になって、なんとなく、前をむいて。
書いてみるとひらがなが多いなあと思う。少女らしさだなあ。
書かれている感覚は何かすごくわかる気がする。中学生とかの感じだ。そんで、最後の「前をむいて。」がめちゃいいのだよな……すごいなあ。
「ウィステリアと三人の女たち」これがさ……! 川上さんの書く破滅は息を呑むほど美しい。美しい破滅が好きなので嬉しくてしょうがない。でも破滅って再生と同義だったりするんだよなあとしみじみ思う。とてもいい話だった。
「シャンデリア」以外は女性の同性愛っぽい描写だったなと後で気づく。
次に川上さんの単行本を手に取るのはいつになるんだろうか。こんなに熱狂的に好きな話を書く人と同じ時代に生きているのは嬉しすぎるから、もっとインタビュー記事とか読んだ方が良い気がしてきた。
川上弘美 著(2010)
このあいだ、川上弘美さんのエッセイがとてもよかったので、小説を手に取ってみた。雰囲気が違うねえ……!(わくわく)
短編集。「女の子」がたくさん出てくる。女の子の女の子っぽい独白、見るのが好きだなあ。クロスワードの子が特に好きだった。
そういえば、小さい人が出てくる話が複数あったなあ、と思って見直していたら、これ同じ人じゃん! そして君たち、ベランダ組、両思いじゃん! すごい、雑誌連載の短編集で、さらっと続きものというか、オムニバス?になっている……。他にも続いているのはあるのかもしれない(杏子ちゃんはわかった、相方が強烈だから)。
白川優子 著(2018)
現場から離れてしまったことを負い目に感じているからか、医療ものや看護もののドキュメンタリーはあまり読めずに来た。でも最近は読むなあ。今のキャリアでよかったんだと思えるようになってきたのかもしれない。
あと、戦争ものとか、世界の歴史に目を向けている傾向がある。これは短歌で反戦的なものを目にすることが多いからかもしれない。時事詠というやつだ。この作中ではガザの話もあって、昨今ニュースで見かける話がまたひとつリアルに見えるようになったというか、奥深くなったなあと思う。
病院が空爆されたとニュースで見る。たいへんなことを、と思う。だけどこうして、病院の中で実際に看護にあたっている人の文章を読むと、こういうことか、ともっと腑に落ちるようになる。
この方は一度ジャーナリストを目指したと書かれている。とても読みやすいし、わかりやすく、いい本だと思う。書いてもらってありがたいと思う。看護師を続けてもらってありがとうとも思う。勝手な気持ちだけど。
村山佳世子 著(2018)
一生もののおしゃれが身につく10のルール100のコーディネート | NDLサーチ | 国立国会図書館
ファッションの本を読んでみようフェア。
同じスタイリストさんでも、クローゼットにたくさん服を持っていて、数年経ったらまた着られるという新年で取っておくコートがある方もいらっしゃるのだなあ。
良いバッグを調べるようになったので、良いバッグが出てくると「良いバッグだ……!」と思うようになった。
p63の「取っ替え引っ替えまったく違うテイストの服を着ている人よりも、週3日着てもいいと思えるくらいの大好きなスタイルを持っている人のほうが、一生もののおしゃれに近づけると思うのです。」が印象的だった。「スタイルの確立」ってあちこちのファッション本で見かける。それはなんか、流行りを取り入れているだけでは身につかなくて、自分で自分をきちんと研究しないと(内に入らないと)いけないんだろうなあと思うのであった*1。
私が着るなら……と思いながら見るとやっぱりスカートしか目に入らないのであった。p97の黒のタートルネック+ピンクベージュのスカート、バッグも靴も黒+金金具*2。
あとさ! 裾を巻くとか袖を巻くとかいろいろな微調整をするよね、おしゃれな人は……!(最近インスタでも流れてくるようになった) すごい、何をどうしていいのかまったくわからない。でもできるようになったら楽しいんだろうなあ。
*1:私は二次創作界隈で「ヘイお待ち! いつものだよ!」みたいに言いながら"いつもの作風"を堂々と出されている方をお見かけしたことがあるのだが、それがほんとうに、いいな……! と思ったのであった。眩しい。自分で自分の作風を把握している+それが再現可能である+おそらくは気に入っている(そして周囲に受け入れられているという確信、のようなもの)ということが。私の「いつもの」ってなんだろうなあ。あるのかしら。欲しいと、必要だと思ってる?
*2:タートルネックは顔がまんまるになっちゃうのと、首周りがチクチクすると絶望的にだめなので(安いからか?)であんまり着られないのだが。でも黒とピンクの組み合わせは好きだな。
これは2024年の目標「責任を負い、責任を果たす」の途中振り返り記事です。
前回の振り返りはこちら。
4月に入りましたね。3月の振り返り、と言えるでしょう、まだ*1。
2月末頃から、たくあんばかり食べていた。年末にいただいていたのを発掘し、賞味期限が最長で4月1日だったのだ。その数、5本。
「本」?
たくあんの単位って「本」なんですか、と思う方がいらっしゃるかもしれない。ええ、正しいのです。大根の形のままのパウチが、5つ。画像はこちら。
賞味期限が近いものを、人にあげるわけにもいかない。だからせっせとたくあんを食べた。
たくあんは、しわしわだ。輪切りや半月切りにして食べるのだけど、切るために触れると、大根にしてはとても細いことがわかる。長さはある。まな板にギリギリ収まるかどうかくらいの立派な大根だ。
たくあんの作り方を調べると、「干してから、漬ける」らしい。先に干すのかとびっくりした。だからしわしわになっているのだ*2。
久しぶりに家で食べるたくあんは、美味しかった。おかずとして添えて出す(出てくる)のは実家以来だと思う。自分では買わないから。たくあんは、甘くて、歯応えが良い。意外と気に入って、いいペースで食べ、今は最後の一本になった。もう少し残っている。4月1日は過ぎてしまったけど、漬物だし気にしないで食べるし、たくあんはまだ美味しい。
一本のたくあんを切ると、こうなる。
厚さがむちゃくちゃだ。たくあんガチャ。
本丸には今100以上の男士がいて、一膳に3切れずつたくあんを添えるとすると、たった一食で大根3本くらい使うのか……とはてしない気持ちになった。桑名がんばれ。
近況はそのへんにして。今年の目標の振り返り。
「責任を負い、責任を果たす」。
先月は、「相手への個人的好意駆動ではなく、客観的な責任駆動を覚えた」という話をしました。
3月も4月も、同様にやっています。この考え方は好調です。
新しく思ったことは、「明示されている責任」と「明示されていない責任」があるということです。「冬嶋(私)の責任だ」と明示はされていないけれど——他人の責任であることさえある——目標を達成するためにはやった方がいいことがあります。それは、たぶん、私が手を出した方がいいのです。あ、あのボール、誰もいないところに落ちそう、と思ったら、持ち場ではなかろうが飛び込んで行って拾った方がいい*3。
「責任を負う」こともまた、今年の目標なので。
書きたいことが溜まっている。雑多にやりましょう。
水回りの掃除を、何度かした。風呂の椅子、風呂場の壁や床、台所の排水口のゴミ受け。排水口は重曹とクエン酸を2:1で合わせた粉末を塗り付け、しゅわしゅわとなっているのをしばらく放置してから歯ブラシで擦った*4。本当に綺麗になった、嬉しかった。週に一度か二度排水口ネットを替えるたびに、ゴミ受けのメッシュの目になにかヌルヌルしたものが溜まっているのがずっと嫌で、でもずっと放っていたのだった。水回りの汚れを知りながら掃除をしないのは心に余裕がない時だ。水辺の汚れは脳の汚れ。やれば数分なのだから、やればいいのに、と、掃除をし終えるとよく思う。水回りをきれいにして、さっぱりした脳だから、そう思うのだ。
鉢のくちなしに、たくさん蕾がついている。正しい蕾たちだ(年末年始にぽちぽち咲いていた。戻り花というには戻りすぎである。先取り花という方が正しいかもしれない。フライングフラワー)。
前に咲いた花が落ちた後、その両脇に出た新しい二葉のペアがあった。そのそれぞれが蕾を戴いていた。双頭って感じで、かっこいい。両方開いたらまたかっこいいだろうなあ。蕾は思い思いのペースで膨らんでいる。細いまま捩れているやつもいる。絶対咲きますとばかりにまるまる膨らんでいるやつもいる。
Xから離れている。旧TwitterというSNSだ。Xから離れているのは刀ミュ新作のネタバレを踏まないためにだけれど、たぶん私はずっと、Xをやらないための大義名分を探していた*5。ネタバレ避けはちょうどよかったのだろうと思う(実際、ネタバレは微塵も見たくないのだが)。
舞台の初日が3/10だから、X離れはそのあたりからで、だいたい1ヶ月になる*6。かつてXを閲覧するのに充てていた時間と、Xを開いてないけど何を投稿しようか考えていた時間が、空いた*7。それであすけんをやっている。食事記録アプリだ。あと、散歩と、あんトレを。この1ヶ月で2kgくらいを世界にお返しした。Xをやめると痩せる。いや、やめてはないけど、そこで言いたいことがない。少なくともここ1ヶ月は。
原稿をしている。別のところで付けている記録を振り返ると、2月下旬から書き下ろしに着手したりイベントに申し込んだりしていたらしい。1ヶ月と少しの間で、書き下ろしを全部書き終えた。本文を校正に出して、デザインの依頼をして、印刷所の予約もした。最近は、いつもお願いする校正者さんとデザイナーさんと私の三人で私のサークル、みたいな気持ちになりつつある。私の中で*8。
毎月出すのが目標の新聞の文芸欄。3月・4月とも出した。達成。
こちらもやっておきましょう。やりたいからね。
自問自答ファッション活動は楽しいです。「毎日着たいくらいかわいいワンピース」を、よそゆきにしていたその服を、実際に毎日着てもいいんだ!っていうのがとても新鮮で、嬉しい*14*15。
コンセプトを考えている間に、「博愛と偏愛の二重底」っていうフレーズが出てきた。これ、フェリ…モの商品名みたい、って一人で面白がっていた。
「博愛と偏愛の二重底がセクシー エレガントで親しみやすいマッドサイエンティストの会」みたいなことね(念のためですが、これは私のコンセプトではない*16)。
*1:noteで見かける自問自答ガールズさんたちの「n月月報」っていうのに憧れがある。毎月自分の行動や思考を省みる規則正しさに?
*2:たぶん
*4:これはどっちかのパッケージに書かれていた調合なのだけど、最近インスタグラムで掃除Tips投稿がたまに流れてくる。それで風呂場の壁や床を掃除する気になった。
*5:「大義名分」と言うと、ヘタミュSW(だよね)のイタちゃんの「たいぎめいぶ~ん?」を思い出す。
*6:まったくアプリを開かないというわけではない。ただ、開く頻度が激減したし、起動時にはいつも画面を手で覆ってポストが目に入らないようにしている(通知欄をチェックしてから、安全と思えるページだけを開くのだ)。
*7:あと、たぶんだけど、Xに吸われていた気力が維持されるようになっている。それでかどうかわからないが、「床に転がったまま何もできない」みたいな時間は減ったような気がしている。以前私は「TLを辿って浴びると、脳に小石をばらばらと撒かれててんでばらばらな場所が押されるように、多種多様な感情が止めようもなく引き起こされて頭のリソースを多く使うんだなあという気がしている」と書いていた。今は「おすすめ」タブの方がそれに当たると思う。
*8:原稿WBSの中に他人に依頼するフェーズがあると、日程が狂いにくくなる点もありがたい。
*9:って、もう一度見たら、スニーカー黒は底が剥がれ始めていた……。君もお別れだね。前居の近くのモールでお迎えしたこと覚えてるよ……。スニーカーベージュはまだ元気そうだった。もう普段履ける靴は君と、ショートブーツ黒しかおらんくなった。笑。あと、労働用に残していたパンプスも表面が剥がれているのを見つけた……これもお別れだなあ。EEEって書いてあるけど私そんなに幅広じゃないはずだしな。労働靴も買うか……(パンプス好きじゃないから気が進まない)。9足あった靴が、2月末の断服式で6足になり、4月初旬現在、さらに破損・劣化で3足になろうとしている。
*10:これはにっかり青江の軽装が発表された日に買ったネイビーの差し色のもの。
*11:にっかり青江および石切丸について考えています
*12:今は服より靴とカバンを先に探すぞという気持ちのため
*13:Youtubeのショート動画に上がっている茨のやつ、「これが……いつも私の筋トレを見てくれているトレーナーさんなの……?」っていう呆然とした気持ちを味わえて面白かった。セクシーにパワフルに挑発的に、楽しそうに歌って踊っている……私のトレーナーが……。
*14:このワンピースはHEART CLOSETさんのもの。一軍トップスの半分はHEART CLOSETなのだ。着て苦しい服は着られないからとても助かっている。ブランド活動復活してくれないかなあ。もうやらないのかなあ。
*15:毎日着たいワンピース嬢は、しまいこみすぎて、買ったことを忘れる事件があった。いつかのハトクロさんセールの時に、「このかわいいワンピース、買おうかな……!?」って真剣に悩んだのだけど、だんだん、「あれ、もうこれ買ったかも……」という気持ちが湧いてきて、クローゼットをチェックしたら、あった。涙。こんなのは互いに不幸だ(私とワンピース嬢が)。それなら毎日着た方がいい。
*16:これは私のコンセプトではないのですが既存書き手格に振り分けると、博愛の101、偏愛の201(うるさいほう)、セクシーの102、エレガントの103(セクシーとエレガントはどっちがどっちでもいい気がするのだが)、親しみやすい202、マッドサイエンティストの102(喋らないほう)という感じがある。
マルコ・バルツァーノ 著
関口英子 訳
(新潮社、2024)
この村にとどまる (CREST BOOKS) | NDLサーチ | 国立国会図書館
途中まで読んで記録しようとした折、国立国会図書館サーチに、この本の評論記事が出てきた。
気に留めていなかったけど、表紙の写真(一面の水があり、水面から、教会の尖塔のような一本の建造物が頭をのぞかせている)が実際の光景なのだとわかった。
しかし村から放たれた言葉に対して、村の外から送り返されるのは、同情的で親身な、言葉でしかなく、それだけでは目の前で進行する工事をとめられない。
「親身な」のあとに打たれた読点の効果、意味に打たれている。
この本、戦争の話で、今読むにはちょっと重たいな……と途中で止まっていたのだけれど、やはりもう少し読んでみたいと思う。
で、最後まで読んだ。
これは読んでよかった本! 言葉を信じて、言葉を紡ぎ、何度も燃やして……。最後に「言葉ではない表現」が出てくるのがすごくいいなと思った。
(今はもうない)美しい風景や、複雑な感情の描き方も素晴らしいと思う。この本を日本語に訳してもらえて嬉しい。
ちょうど台湾の本を読んだので、「A国のために戦ったら、B国の領土になっていた」話がよりしんどく感じられた。
いい本だった。
劉慈欣 著
大森望, 光吉さくら, ワンチャイ 訳(2022)
今ですか? 今です!
初めての「三体」です。あんなに有名なのに。
後から刊行されたエピソード0から行くのどうなんでしょうね。
途中で兵器開発の話になったり戦争が(急に?)始まったりして読むのがしんどかったけれど、まだ気になる伏線がある……と思ううちに最後まで読んでいた。
情景描写がとても美しい。三国志とか昔の中国の詩が会話文で引用されるのが中国SFだって感じがする。
物理学界隈のところは半分くらいしかわかってないけど、それでも読めたので助かった。
シリーズの他作品のあらすじを見るだに、丁儀という人が大事そうなんだけど、丁儀が出てくるまでに200ページくらいかかっていた(半分くらい)。「超人を呼ばねば」で章が終わったとき、私でさえ「丁儀?」と思ったのだから、過去作を知っている人は「丁儀!」と大盛り上がりするだろうし、ページをめくったら章タイトルが「丁儀」なので舌を巻きました。構成の面白さ、細部の描写の確かさ、どっちもすごい。
私は張彬先生が好きです。疲れ切っている研究者ってセクシーだよね。序盤でこの人絶対球電マニアでしょと思いました。それが明かされるのが早すぎて、この後どんだけ話があるんだよと思った(もちろん、たくさんあった)。
全体的に読むのに体力が必要で、すごく好きな文体というわけでもなく、SFならこの間読んだ「火星の人」の方が好みだったなあという印象。あちらの理屈のところは球電以上にわからなかったけど、語り口がコメディだったからなあ。雰囲気で本を読んでいる説。
川上弘美 著(2020)
見開きでひとつの季語、それを使った俳句一句、そして川上さんのエッセイという構成の本。春、夏、秋、冬、新年とある。途中にトレーシングペーパーのページが挟まっていて、あるモチーフのイラストが繰り返し印刷されているのだけれど、それはよく見ると表紙にあるイラストなのだった(わかめ?とか)。
デザインがかわいいし、あまり大きくなくて、文字が大きいので、気軽に読める。
最近は自問自答ファッションで自分のことばかり考えているので、こうして他人の感性に触れられるのはとても嬉しい。そら豆のふこふこしたところや、でかいががんぼ、季語で「月」といえば秋の月っていう決めつけにおののく気持ち(慣れると慣れてしまう)とか、私も自分の記憶を引っ張り出して楽しめてよかった。
川上さんのエッセイがまた、ほっこりとあったかくて、とてもいい。歌会で会う人みたいな感覚がある(なんだろう、季節をちゃんと生活している生活者、のような感じ?)
ファンレターが1年に数通という話、川上弘美さんが?と思う……これは数年分の連載を書籍にしたものだから、結構前の話なのかな。でも今は、感想をインターネットに書いたりもするし、作者の方にお手紙を書く人の割合はもっと減っていたりするのかしら。
人の多い場所が苦手で、お子さんの夏休みはお墓参りがレジャーだった話、好きです。いろんな家庭があるねえ。
>せり・なずな 以下省略の粥を炊く 池田政子(p207)
七草を、以下省略! 印象深い句でした。