単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

部分的に読んだ:川端康成全集 第16巻 文学時評 1

新潮社(1975)

 

川端康成全集 第16巻 文学時評 1 (新潮社): 1975|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 

(メモ)ここに書いたとおり、気になった部分は手元に取っておいた。

見た:新潮日本文学アルバム 43 横光利一 - 単品と単品

 

この間、愉快で聡明で信頼できる友人たちと話していて、『女は結婚や出産や親との同居の有無でどんどん分岐してしまう。が、40代後半になると皆様々なことがどうでもよくなり、また喋れるようになるらしい』と聞き、『ならば、おばちゃんという滝壺でまた会おう』ということになった。めいめい、滝壺にどんな姿で現れようか考える数瞬があった。私も考えてみたが、「その時にも何か書いていたい、どんな形でも」と思ったのだった。*1

 

書き続けて生きていた川端さんの文章を読んで、人生のちょっと先について考えたことを思い出したという話。

*1:この友人たち、すでに上記の分類によっては、もう誰も同じ分岐にはいない。そのため、まだ40代後半ではない私たちは、会話ができなくなっていてもおかしくない。なんせ趣味も被っていない。しかしこうして話をしていられるのは、立場の違いを超えて話を聴き、人生やものの考え方の話ができるからであろうと思う。嫉妬とか羨望が誰にもひとつもないとは言わない、人なので……。だけど、話題そのものについて話しているのではなくて、話題に関連する思想や嗜好や葛藤について話をしている。だから、話題そのものに完全な理解ができなくても、完全な共感ができなくても、それは問題でないのだ。愉快で聡明な友人は、話し手になれば自らの状況や思いの説明がうまいし、聞き手になれば友人の話を理解することにも長けている。とても得難くありがたいことである。そんな友達を、今後分岐の先々で、作れるんだろうか?