三浦しをん 著(2020)
マナーはいらない 小説の書きかた講座 | 三浦 しをん |本 | 通販 | Amazon
昔Webマガジンコバルトで連載していた「小説を書くためのプチアドバイス」が書籍化している!!
好きだったんだ、あの連載……。折に触れて読み返したかったけど、ウェブ記事が非公開になってて残念に思っていたの。本になったので、喜んでお迎えしてきた。おめでとうございます!!
これは(当然ながら)一次創作の小説を書く人向けの本。
私はここんとこ、一次創作をやってない。5年くらい前に一つ書いて、その前はもっと前だ。近頃はもっぱら二次創作をやっている。けれど、けれど! 三浦しをんさんのこの本はとても参考になる!! ありがとうございます!!!
一人称と三人称の話とか、一行アキの使い方とか、学びがある。嬉しい。
以下、特に好きなとこ引きつつ。
p149 十七皿目 高揚感について
あと、地の文。これも好みの問題になってきますが、私は地の文がどんどん高まっちゃって、ついに「謳いあげる」みたいになるところのある小説が、けっこう好きです。けっこうというか、かなり好きです。なぜならその瞬間、作者および登場人物の熱量に煽られて、自分も作品のなかに融けこむような陶酔の感覚を味わえるから。
これ! ここ! これがウェブ連載時代に大好きだったところだ!*1
地の文の高揚の感覚、わかる気がする。三浦しをんさんの本を読んでいて、あー、ここ、読んでいて気持ちがいい、と思うところ、ある。
ウェブ記事でこの話を読んでからは、自分が書いている間に「歌っちゃってるな笑」と思うようになって、くすぐったくて面白い(くすぐったいけど、やめはしない)。
私は飛行機の離陸前の加速を愛しているんですが、「謳いあげる」は離陸に似ている。滑走路が十分長くないと、飛べない。書いて自分で「これは謳いあげたな!」と思うのは5万文字の文庫本で、滑走路が長かったので、わりかしちゃんと浮遊感があって楽しい。たかだか1万か3万文字の話だと、助走が足りなくてうまく飛べないっぽい*2。
短いお話でも、なんとか、ふわ、って飛翔する感じを出せるといいんだけど。30cmくらいでも……。書いてて「歌っちゃってるがw」となって楽しいし、自分で読み返しても楽しいので。
p167 十九皿目 書く際の姿勢について
愛とは、なにかひとつのもの(この場合は自作)への思い入れであると同時に、相互理解への希望を抱くことでもあります。自作に思い入れることと、自分以外のだれかと作品を通して理解しあいたいと願うこととは、両立しますし、どちらも同じぐらい大切です。
読んでくれる人に伝わるように書く……!!
私はしばしば「私にわかるように」書いてしまうけれど*3、読んでくださる人にわかるかどうかをやっと考えるようになってきた。作品を通じて他者とわかりあいたいという気持ち、好きだし、はじめからそう意図して書けるようになれたらいいなと思う。*4
p168 十九皿目 書く際の姿勢について
まず第一に、自分で自分の書いたものを(万全には無理でも、ある程度)ジャッジできないひとは、小説を書くことにあまり向いていません。
自分の小説を誰かに読んでもらって、アドバイスをもらうことに関する話。三浦しをんさんは『アドバイスなど不要』派で、いくつか理由を挙げられている。
私は書いたやつが心配だと、読んでくださった方に「大丈夫だったか聞かせて欲しい」と思うことがある。
だけどこのくだりを読んで、そっか……そうですね……となりました……。さっき「書いたやつが心配」と書いたけど、心配の内容を思いつくまま書き出すとこんな感じである。
- 話の筋が理解されたか
- 面白いと思ってもらえたか
- 気に入ってもらえたか*5
- 倫理的にアウトではなかったか
話の筋が伝わるかどうかは自分で判断できないといかんし(苦しいが……)、読者様が面白い・気に入ったと思うかどうかは読者様の問題であって、書き終わった後の私が首を突っ込むところではない。倫理的にアウトかセーフかについても自分で判断するしかなくて、後は読者様次第だ。私にできるのは「本当にこれを公開するのか」を決めることと、公開時に但し書きを不足なく付けておくことくらいである。それでも「こんな非倫理的な作品を公開するなんて、だめでしょう」と感じられる方とはさよならする以外ない*6。
全体的に「まともな作文になっているか」と「愛してもらえたか」が心配っぽいな。前者は自分で考える他なく、後者は私が心配しても仕方ないところである。愛されるために作文をするな、愛するために作文をしろ。
p173 十九皿目 書く際の姿勢について
作品のことだけを考え、ベストになるようジャッジしつつ書く。それがすなわち、「読者に伝わるように書く」ことだと思うのです。「読者にうけるかな〜、反応もらえるかな〜」なんてことに気を取られて書くのは、邪念以外のなにものでもない! あと、読者の読みを、作者の意図どおりに操りたいという願望の発露とも言え、貴様、読者と小説を舐めちゃあかん! と思います。
後半のね! 『読者の読みを、作者の意図どおりに操りたいという願望の発露』がね!! ね……。
「大丈夫だったかどうか」も、私が決めることじゃないのだよね。私から読み手の方に何も強制しないからこそ、何かを思ってくださることが尊いのだ……。反省する。
愛されたくて書くというのは、つまり「こう書いたら読者様に愛してもらえる」と想像して書くことだ。読者様の心を決めつけて、押しつけることなのである。いかん~~!
p245 二十三皿目 短編と長編について
登場人物はエピソード(出来事)に奉仕するために存在するのではないからです。
ここ! そっか!! そうな!
長い文章はプロット作ってから書くこと多いけど、キャラクターがどう呼吸したがっているかには、常に耳を澄ませていたい……。*7
『書きあぐねている人のための小説入門』を読んだ時にも思ったけど、小説の書き方ハウツーを手に取って読めるようになったのは、良い変化だと思う。作文について人に嬉しいことを言ってもらって自信がついたことが、多少なりと影響しているだろうな、たぶん……。ありがてえ……。とてもありがとうございます。俺はますます強くなりてえ。
*1:書籍化にあたって「歌いあげる」が「謳いあげる」に修正されたっぽい?
*2:5万文字の下には3万文字のが1個しかないので、違う3万文字が作れたら、そっちでは離陸できるかもしれない。
*3:自分の疑問について自分が納得するように書くのが私の作文であることが多いので……。
*4:私に「わかる」「わかった」「(多分同じ幻覚が)見えた」などと教えてくださる方本当にありがとうございます……!! 私とは違う景色を見てくださる方もありがとうございます!! いずれも、書いたかいがある……!!!
*5:面白いと思うことと気に入ることを違うこととして捉えているな……? たとえばpixivでいいねを押すのは「面白い」でブックマークに登録するのは「気に入る」のような感じで使っている。「面白い」の方が瞬間的で、「気に入る」は反復を許すお気に入りなのかな。
*6:さよならする以外ない……。
*7:この間小説を書かれる人と話していた時に『作者が言いたいことと、物語が言いたいことは違う。作者が言いたいことを、無理に物語に言わせようとしてはいけない』というようなことをおっしゃっていて、へええ!? と思った。物語にも言いたいことがあるんだな!? 私は自分が言いたいことのために作文をしがちなので、新しい観点が持てて嬉しかった。