単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

圧勝不要論

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第19日目の記事です。

すっかり年の瀬になってしまいましたね。クリスマスはいかがでしたか? 私はデイキャンプ納めなどしておりました*1

クリスマスは終わりましたが、私のアドベントカレンダーはまとめ記事で終わりますので、今年も振り返ってまいります。勝てない戦と、それに挑もうとしてきたこの1年間、そしてそれを濃縮したアドベントカレンダーの18記事を*2

もくじの整備

まずは、今年のアドベントカレンダーの記事をざっと読み返して、初日記事のもくじを整理した。こんな感じ。

アドベントカレンダー2022もくじ(部分)

今年は話題が細切れだったなあ。去年は大項目4つにまとめていた。今年は多数の分野に挑んできたのかな。

勝てない戦

そもそも、「勝てない戦」とは何だったのだろうか。今年の目標を設定したときには、「勝てない戦」の定義をきちんと考えていなかった。アドベントカレンダーの記事を振り返りながら、私にとっての「勝てない戦」を、改めて考えた。
整理すると、こんなところだろうか。

  1. うまくできるのかどうかわからないこと
  2. 苦手だと思っていること
  3. 恐れを感じていること
  4. 勝利判定が完全に他者に委ねられていること

以下、それぞれについて、もう少し考える。

見ず知らずの戦

1「うまくできるのかどうかわからないこと」と、2「苦手だと思っていること」は、似ている。
1「うまくできるのかどうかわからないこと」は、まだやったことがないことだ。2「苦手だと思っていること」は、まだやったことがない場合もあるし、やったことはあるが苦手だと感じている場合もある*3*4。1または2(重複を許す)には、遠方への引っ越し*5や自動車運転*6デイキャンプ*7などが該当する。

これらは、やってみたらなんとかなった*8。むしろ「勝った」と言えるかもしれない*9

どうしてうまくいったのか、考えてみる。

引っ越し

引っ越しにあたっては、物件探しに行ったときに、このあたりはいいところだな、と思った*10*11。それでかなり不安が和らいで、ほぼ解決した。どんなところに行って暮らすのかわからない、というのは怖いことだったのだなあ*12

後は事務的な手続きの問題で、そのへんはクリアした*13。引っ越し以後については、今のところ、まあまあうまくやっていると思う。心身ともに元気という観点から。

自動車運転

自動車運転は、苦手意識を持っていたけれど、やらざるを得なかった。しないと生活ができないのだ。アドベントカレンダーに書いた通り、Youtubeを見て運転を学んだ。今では一人で高速道路に乗り、県境をまたいでの移動も可能になった*14*15

デイキャンプ

デイキャンプは上記二つと違って、しないといけないタイプの活動ではない。余暇である。しかも、これまでやったことがなく、どちらかといえば苦手なジャンルの活動だった。
けれども、私には切実な問題意識があった。「家の中で原稿していると飽きる、カフェよりもっと籠もれる場所がほしい、かといってデイユースのホテルは使えない」。それで、いつでも一人原稿合宿ができそうな、キャンプ、が選択肢に上がった。一人原稿合宿したさが強かったおかげで、デイキャンプを始める気持ちのハードルは低かった*16

苦手なジャンルだったデイキャンプ遊びが続いているのは、なぜなのだろう。原稿はろくに進められた回がない。初めての回では、かっこいいパップテントを与えられて、設営に1時間半かかった。撤収の際にはペグが抜けずにハンマーを破壊している。それでも、やっぱり、楽しかった。野外で、やったことがないことの連続で、一人で、頭を身体を使って、なんとかしていくことが。「やればできるじゃん」と、自分に対して何度も思えることが、ただただ楽しくて、嬉しかった。だから、自然と2回めも行こうと思えたし、そのままn回めに突入している*17

私はインドア派であるけれども、テントを張ればインドアが作れることに気づいたので、キャンプ遊びは向いてはいたのだろうなと今は思う*18

怖い戦

3「恐れを感じていること」は、2「苦手だと思っていること」と近い。2と違うのは、2は(あまり/まったく)やったことがないことであるのに対して、3は実際に経験があることである点だ*19

これの対応策は、こちらのnoteに書いている。

note.com

概要はこの通り。

  • 花を買って活ける
  • 推しイメージ香水を発注する
  • ぬいぐるみを膝の上に置く
  • 自著を制作する

花はきれいだし、日々姿が移り変わるので、見ていて飽きない。自分以外の生き物が部屋にいると、ちょっと気持ちがしゃんとする。歌に詠んでみることもある*20。水替えや切り戻しといったルーチンが発生するのも、怖い戦の最中には重要なポイントだった。私は日々を頑健にすることで精神を保つところがあるので。

推しイメージ香水は、逆に、正気を失うのに役立つ。

「ネガティブの反対はポジティブではなく、没頭」らしい(これはオードリー若林さんが著書に書かれたことらしいが、原著未読。参考記事)。いい香りからは逃げられない。だからいい感じに没頭できて、よい。己を主と仰ぐ近侍が近くにいてくれると思えば、心も強くなるというものだ*21

ぬいぐるみについては、膝の上でもふもふさせていただいた。それだけで休まる心がある*22

自著制作については、本は作るとできるので、元気が出る遊びだ。ただし犠牲が多いので、できる時とできない時がある。戦略的に避けた方がいい時もある*23

勝てない戦

最後、4「勝利判定が完全に他者に委ねられていること」について。これは例えば、資格試験や短歌大会などの、合否や順位があるものが該当する*24*25

この話を書こうとして、何日も経ってしまっている。葉を掴んだ芋が地中で想像以上に大きいときみたいに*26、私にとって根が深いトピックなのだと思う。
たぶん、「圧勝」の話をしないといけない。

圧勝しないと勝ちじゃない

今年のアドベントカレンダーを通じて、私は、「圧勝しないと勝ったと思えない」のではないかと思うようになった*27
つまり、今年の目標「勝てない戦をする」とは、「圧勝はできなさそうな取り組みに挑戦する」ということだったのではないか*28

圧勝したさと、圧勝できなさ

どうして私は、「圧勝しないと勝ったと思えない」のだろうか。思うに、思春期に圧勝しすぎたせいかもしれない。私がたまに持つ「根拠のない自信」はたぶんこれが原因なのだろう。それは今思えばしょうもない圧勝であった*29が、多感な時期だったので、こういう大人になっちゃったのもしょうがないと思う。

だけど、大人になった今、圧勝することは難しい。どんな分野においても、世界は広く、優秀な人はごろごろいるのだから。

私も大人になったので、自分が何かに圧勝できなくても、悲しんだり、怪しんだり、怒ったりはしない。しかも、圧勝したい分野があるわけでもないので。

だけれども、もしかすると私は、自分が(何かの分野で)特別に優秀ではないことを、気にしているのかもしれないなあ……と思った*30。そしてアドベントカレンダーを書いた後だからこそ、別に圧勝しなくてもいいのだよな、とも思う。

圧勝不要論

今年のアドベントカレンダーを書いていて思うのだが*31、必ずしも圧勝する必要があるのだろうか。優秀さは相対的なもので、満足は絶対的なものだった(ひとりデイキャンプのように)。であれば、誰かに、「あなたが圧勝」と名指ししてもらう必要があるのだろうか*32*33*34

ひとりデイキャンプに、相対的な圧勝はない。なにせ他人がいないのだから。けれども私の中には確かな満足感があった。ただただ楽しくて満ち足りる感覚が。それで充分だったし、あえて他人と比べたいなんて全く思わなかった。圧勝しなくても、楽しいことはある。

圧勝の用途

アドベントカレンダー15日目の「必要十分の優秀」を書いた頃に思ったこと。

どうして優秀でなくてはならないのだろうか*35。それは、人の役によりよく立つためではないかと思う*36

日本で一番うまくはできなくてもいい*37。人の信頼に足るだけの優秀さがあれば、それでよいのだ。

ただ、事前に何かで圧勝していると、人に最初から信頼してもらいやすくなるかもしれない*38。だけれどもそれは手段としての圧勝であって、圧勝が目的ではない。

もしも圧勝が目的ならば、圧勝するための方法を考えて、研鑽を積むべきだ。けれども、圧勝を手段として想定していた場合には、他の手段を探したり、本当に圧勝が必要なのか(もっと少ない優秀さでは不足なのか)を検討したりすることができる。圧勝には通常、コストがかかる(なぜなら私はそれほど優秀ではないので)。圧勝マニアでないならば、必要最小限の優秀さでよしとできたほうが、何かとよい気がする。

創作と圧勝

創作ではどうだろうか。

創作に、圧勝はありえる。pixiv閲覧ランキング月間1位とか、短歌賞総嘗めとか。だけど、私はそれを目指しているのだろうか? 周りに比べて圧勝、したいか?

いいえ、圧勝したいわけじゃない。誰かに採点されて、他人より秀でていると示されたいわけじゃない。創作を受け取ってくれた人の満足はその心の中にあり、心の中にしかなくて、心の中は言葉でしか表されない。これはアドベントカレンダーや他の媒体でも何年も前から扱っているテーマだけれど*39、やはりどうしても、創作へのリアクションとしては、数字よりも言葉に喜びを感じてしまう*40*41。たとえ通販で本が100冊捌けても、1冊だけ動いた本をお迎えくださった方から「楽しみにしていました」とメッセージを貰えたなら、それはもう後者が嬉しい。これは圧勝と言ってもいい。強い光に急に照らされるような無二の喜びは言葉によってもたらされる。言葉によってしかもたらされないと言ってもいい。

そこに、他者と比べた数字は要らない。客観的な圧勝は要らないし、勝利すらも要らないのだ。

勝てない戦、2回め

さっきの、4「勝利判定が完全に他者に委ねられていること」について。

もしこのような戦に挑むのをためらうなら、まずはその戦に勝ちたいのか、なぜ勝ちたいのか、考えた方がいい。それから、どの程度の勝ちが必要なのかも。

勝ちたいなら、目指す勝ち具合に応じた研鑽を積まなければいけない。そうして挑んでみて、結果を見て、また研鑽を積んだらいい。そういう、普通の話なのだと思う。私は研鑽を積むことを忘れがちだけれど*42、勝ちのために研鑽は必要なのだ。ことに、圧勝するためには。

勝てない戦に勝ちに行く

今年の目標の中間振り返りにおいて、こう書いていた。

私、負けず嫌いで、戦いに身を投じたら「負けたくねえな……」と思うようです。それなので、「勝てなさそうな戦に挑み、なんとか勝とうとする」人になりつつある。

2022年の目標、中間振り返り:勝てない戦に勝ちに行く

「勝てない戦に勝ちに行く」というタイトルの記事。

記事中の「勝てなさそうな戦に挑み、なんとか勝とうとする」というのは、「圧勝はできない分野で、圧勝ではなくても、必要十分な成果を得ること」なのかもしれない。勝ちのハードルを下げているのだ。圧勝でなくても、ここまでできればよしという線を自分で見極めて、そこを目指していく。それができるようになったのは、とてもよかったと思う。たぶん、今後の人生において、とても大事な気づきだろうから。

気付きagain

さて、本当によくあることなのだけれど、私は似たような気付きをすでにしていた。2018年の12月、2年前のアドベントカレンダー期のツイートだ。

私はちゃんと誰かの役に立ってるし、誰かに気に入ってもらうこともできる。何でもはできない。凡人で、だからこそ、何かに挑戦することもできる。大丈夫だよ。それはたぶんみんなそうで、何かに特別秀でていないからって、だめなことなんてないよ。

https://twitter.com/your_re/status/1077925006523301889

そう、圧勝はしていなくても、人の役に立てるし、愛してもらうこともできる*43*44。自分の望みをよく見て、必要な研鑽を欠かさずに。もっとよく人の役に立てるよう、そうしてできれば、信頼する人に愛してもらえるように。

 

ああ、やっと書けた……! 長かった……。
9,000字になりました。お付き合いありがとうございました*45

今年の気付きをたずさえて、来年もよい年にしていきたいと思います。来年の目標はこれから考えますね。あと丸3日くらいしかないが、まあなんとかするでしょう。
それではあなたさまも、良いお年をお迎えください。

 

絵文字・メッセージ、いつもありがとうございました。どれだけ時間が経っても、リアクションいただけたら嬉しく思います。よろしければ!

wavebox.me

*1:焚き火はできなかった……! 来年やりたいです。

*2:ここに書けなかった「勝てない戦をする」系のイベントが他にもあったのだけれど、内容からして逆立ちしても書けなさそうなので、よしとする。

*3:運動などは「苦手だと思っている」に該当し、「うまくできるのかわからない」には該当しない。うまくできないのはわかっているから。

*4:その点、私に運動を続けさせている(やめさせていない)リングフィットアドベンチャーは本当にすごい。

*5:私は物体を扱うのがあまり得意ではないので、引っ越し自体は苦手な分野に入る。今回の引っ越しは遠方だったこともあって、「うまくできるのかわからない」にも該当したと思う。まあ、引っ越しそのものより、その後の生活への不安の方が大きかったと思うが。

*6:これは「苦手だと思って」おり、あまり経験がないので「うまくできるのかどうかわからない」にも該当する。

*7:キャンプ活動は苦手な分類に入ると、なんとなく思っていた。うまくできるのかどうかも自信はなかった。

*8:自動車事故はしたが……。

*9:なんだろうな、この勝敗判定は。

*10:正直に申し上げると、「家が建っていて、車が走っていて、人が暮らしている」という生(なま)の様子を自分の目で見たことが、いちばん不安を和らげた。このあたりを愛する人に対して本当にすみません。そりゃあ人は住んで、生きているんだわ。行く前には友人から「何もないところ」と聞いていたけれど、ちゃんと人が住んでいた。人が住んでいるならば、そこに「何もない」ということはないのだ、と思う。引っ越した後、初めて近所を一人で散歩しながら確かに、何もない、とは思った。けれどもすぐに、「では、『何かがある』とは、どういう状態なのか?」と思った。ここには民家があり、住民がいる。神社があり、お米屋さんがあり、郵便局がある。ビニールハウスがあり、花屋さんがあり、バス停がある。――何もない。それはいったいどういうことなのだろう(『ちょー英雄』収録「ぜんぶもとどおり」の影響がある)。「美しい景色は、人がいるから美しいのだ」と道灌様は言った(急にミュージカル刀剣乱舞東京心覚の話をしています)。人が暮らしているから町は美しい。人が、それを美しいと思う心があるから、花や星は美しい。人の生活があれば、その土地は美しく、愛おしいものになりうる。

*11:あと、国道沿いの光景が、地元の見慣れたそれにそっくりだった。国道さえあれば日本のどこでも生きていけるのかもしれない。この記事に出てくる国道は、私のもっている国道像とはちょっと違うけど、印象的だったのでリンクしておく。

*12:生きる場所だもんな……。

*13:最後の最後でタイムスケジュールをミスって、夫と別々に現地に向かうことになったが、久しぶりの一人旅という感じで悪くなかった(とはいえさすがに清光には付いてきてもらってしまった)。

*14:ここ3年くらいでマイナスの意味が付与されたコロケーションを使ってしまった。

*15:ありがたいことに、知人が関東から遊びに来てくれたことがあった。その際、私の車で観光地を案内した。その人はペーパードライバーで、私の運転に対して「このカーブをこのスピードで走り抜けるなんて」「この狭い駐車スペースにバックで入れるなんて」と感心してくれた。いずれも、かつて私が人の運転に対して思ったことであったので、世代が交代している……という感慨を覚えたものだった(それでも、人の方が、運転技術は私より高い)。ここからも、優秀さとは相対的なものだというのが示唆される。

*16:なお、私は今でも複数人で行う原稿合宿に憧れを抱いています。

*17:類:同人誌即売会

*18:「は」の連続でwordに怒られそうなセンテンス。

*19:この話題にはアドベントカレンダーでは触れていない(はず)。

*20:歌を詠もうとすると、つらさが軽減する。たぶん、歌の言葉に集中するから。

*21:しかも近侍殿は、自ら刀を手に敵と戦っていたりするので、主としてはしっかりしなければという気持ちになる。

*22:うさつるに世話になった。こんなに腹を揉みしだいて、うさつると本丸の鶴丸の肉体感覚が連動していたらどうしようと思ったが、仮にそうだったとしても、鶴丸だし許してくれる気がする。たぶん遠征にも内番にも入れてなかったし。

*23:時間・睡眠時間・正気・お金・首肩の健やかさなどが失われる(リングフィットアドベンチャーをさぼりがちになるため)。

*24:短歌大会に歌を投稿することについて、心理的ハードルはほとんどなかったけれど、性質としてはそう。

*25:妊活もこれにあたる。

*26:ミュージカル刀剣乱舞歌合乱舞狂乱の畑当番のくだりを思い出されたい。

*27:これは「大好きじゃないと好きじゃない」と似ている(よく言っていると思うのだけれど、出典がうまく探せなかった)。または、「関わるからには愛さなければ」というのとも似ているように思う(だけどたぶん、関わったからといって、愛さなくてもよい。そう思えるようになってきた)。極端であることだなあ。

*28:初日記事には「「勝てない戦をする」って、「苦手なことにチャレンジする」ってことだったのかもしれない」と書いており、これもそう外してはいない。さっき書いた条件2「苦手だと思っていること」のことだ。

*29:「しょうもない圧勝」というのはなんだか変な日本語な気がするけれど、圧勝にも程度はあるし、貴賤があったっていいだろう。ここでは「対戦者数の少ない戦場における圧勝」くらいの意味。

*30:これはアドベントカレンダーを書くまで意識しなかったことかもしれない。ただ、私はとても忘れっぽいので、忘れているだけの可能性も高い。今年は再録がすごいアドベントカレンダーです(n回目)。

*31:これは部分的に嘘であることが後でわかる。

*32:書きながら思うが、それはそれで、されたい。

*33:関係ないけど、真空ジェシカのガクさんがM-1決勝のへの意気込みで「圧勝」とおっしゃっていたのが良かった(実際には5位だった)。

*34:今年は周りのお笑い好きから何組かおすすめ芸人を教えてもらい、Youtubeで動画を見ていたら、お笑いやM-1に関心を持つようになった。真空ジェシカさんのポッドキャストが好きなんだけど、あまりに下ネタが多いので、人に勧めづらい。

*35:優秀であることが目的ではなく手段である、という前提に立ってみました。

*36:これは以前ツイートしていた「プリンセスの参謀」っていう概念がかなり近い。セーラームーンにとってのセーラーマーキュリーみたいな存在ということです。セラムン原作をちゃんと読んでないので、全然違ったらごめんね。

*37:もちろん、日本で一番うまくできるに越したことはないが(同業他社に勝ちやすくなるので)。あ、これは、圧勝したさですか? ……いや、圧勝じゃなくてもいいな、僅差でもいいな。とにかく、人の役に充分に立つ(そして気に入って/信頼してもらい、また仕事をご依頼いただいたり、周りに紹介していただいたりする)という目的を果たすために、必要十分の優秀さをもつことが目的である。

*38:受けたことがないが、TOEIC990点とか?

*39:例1:愛に振り回されるな、愛を(やさしく)振り回せ──一人でスイカを割る二次創作小説書きの虚空ダンス - 単品と単品、例2:愛され方を選べない──輝くアイドルも、同人小説書きも|u_u_c|note

*40:そりゃあ、私自身が、言葉で創作をしているので、しょうがないよな……という気持ちになってきた。一時期は「数字の後ろにいる人間に思いを寄せられるようになってきた」と言っており、それは今でもそうなのだけれど、やはり数字と言葉の間には越えられない壁があった。

*41:さっきまで「埋められない」と書いていた。それは穴が空いた壁であって、お前が言いたかったのは「埋められない」である。眠い。

*42:なぜなら、なんとなくうまくいくんじゃないかと思っているので、

*43:かつて、狭い世界ではあったけれど、そこで圧勝していたことによって人の役に立ち、愛されていた時期がある。だから、圧勝できないなら戦う意味がないな(≒勝てる戦しかしたくない)、と思うのもしょうがないと思う。けれども、圧勝できなくても、なんか全然大丈夫なんだなとわかってきた、そういう話だったのかもしれない。そうであれば、たとえば車をぶつけたのも悪い経験ではなかった。それはドライバーとしては全く有能な振る舞いではないけれども、だからといって誰からも失望されたりしなかった(と認識している)。それは完全無欠でなくてもよい(圧勝していなくてもよい)という気づきにつながると思うので。

*44:「自信をもってくれ」と信頼する人間から言われて初めて、「あ、私、これでいいのか(失望されなくて、愛していてもらえるんだな)」という気持ちになりがち。

*45:今年のアドベントカレンダーはだいたい3千字で出してきたと思うので、これだけで3日分ある。この値上げの秋冬に、こんなお得なことはない。