単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

読んだ:好きなことだけで生きていく。

堀江貴文

 

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勢いがある……。

学校教育、大企業、世間の常識、なんかそういうものへの強い嫌悪感を随所から感じる(明記されている)。

 

自分が楽しいこと、好きなことをして、他人や社会の役に立ち、お金を得られたらそれは確かに最高だよねとは思う。その熱意というか、信念の強さは素晴らしい。踏み出せない人にエールを送りたい、変わってほしいという気持ちも、本当にそう思っているっぽいし、すごいわと思う。

 

確かに、横並びで、頭一つ飛び出ることのないように教育することは、今後の社会で役に立つことは減っていくだろうなと思う。機械が様々なことを人間の代わりにやってくれる中で、人間にできる価値のあることは「人間らしいこと」だろうし、それは「個性」があったほうがよいだろうから。

 

学校教育に関する著書も読んでみたいなと思いました(『すべての教育は「洗脳」である』)。

腹痛を抱擁

※体調不良の話です。

激しい腹痛

お腹が痛い。

 

一行目から太字を使うくらい痛い。*1

お腹が痛い時、痛みについて、しばしばこのように文句を言いたくなる。

「痛い痛い痛いふざけんなこれはあんたの身体でもあるんだzあああああああああ!!!!!! ばかやろう!!!!!!!!! しぬ!!!!!!!!!(痛い) 私がしんだらお前も一緒にしぬんだぞオイコラ無理痛い!!!!!!!!!!(痛い)」

 

言葉が汚くて恐縮する。

 

本日の試み

しかし今日は、ちょっと違うことをした。

機嫌の悪い子を撫でる その3 - 単品と単品 とか マインドフルネスの本を読んでいたら自分に身体があることに気が付いた話 - 単品と単品 に書いたことを踏まえて、こういう点に注意した:

  • 私の下腹部は痛いが、足とか頭とかは痛くない
  • 下腹部が痛くない時もある
  • 私の「痛み」に敵意を向けず、とりあえず労ったり歓迎したりしてみる

私の下腹部は痛いが、足とか頭とかは痛くない

特に、「足とか頭とかの、痛くない場所に意識を向ける」は面白かった。痛くないじゃん。

心頭を滅却すれば火もまた涼し、って言うけど、例えば「身体は燃えているが心は燃えていない」とか思うと気にならなくなったりするのかもしれない。*2

まあ、お腹は変わらず痛い場合が多く、気をそらすのが終わるとまた痛い。でも、さっきまで面白い気持ちだったので、ちょっとましになっている気がするし、気をそらしている間に本当に痛みがましになっている時もありそう。時間経過によるものなのか、愉快な気持ちになったからなのかはわからないけど。

下腹部が痛くない時もある

痛くない時もある。そういうとき、めざとく「あ! 今は痛くない!」と思うと、すごく楽になる気がする。

ずっと痛いと思っていたけど、そうじゃないんだな! みたいな。

私の「痛み」に敵意を向けず、とりあえず労ったり歓迎したりしてみる

これは「痛み」そのものを、27歳女性*3 みたいに、自分のメインの意思から離れた他者として扱う感じ。

「あああああ痛い……よく来たねしばらくぶりじゃん心配してたんだよ元気だったー!?!??」

って言いながら両手を広げてみる。*4

これはけっこう面白い。まず歓迎のポーズを取ってしまうことで、「痛みを歓迎している」と後追いで認識する。「痛い」ことが反射的に「嫌なこと」として認識されるのではなくて、もっと別の何かとして捉えられる気がする。*5

心理的でない対処

一応付け加えると、カイロを貼るとか、痛み止め飲むとかもしている。決して脳内シミュレーションだけでなんとかしようとしているわけでない。*6

貼るカイロは命綱じゃ。

 

どうせ明日も痛いので、しばらく付き合ってみます。やっぱり痛み氏とは決別するかもしれないけど。

*1:生理痛だ。

*2:無理がある気もする。

*3:機嫌の悪い子を撫でる その3 - 単品と単品 参照

*4:まあ、かかりつけ医とかいるのでそのへんはご安心を。

*5:マゾヒストか? いや、たぶん、快感とかではなくて。

*6:内臓を雑巾絞りされるような痛みを、歓迎のポーズだけでなんとかできるなら、悟りが開ける気がする。

読んだ:隣りの女

向田邦子

 

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初めて向田邦子さんの本を読んだ。知人との話の流れでおすすめしてもらって。

 

これは短編集。

 

とても文章が上手……。読みやすいし、くどくないのに、わかりやすい。

1980年代に書かれたとは思えない、今の時代の話みたいに読めるものもある。表題作とか。

対岸の彼女」に似ている。そろそろいい年になって、何を得たか、みたいなところが。というか、30目前の人たちが多いので、まさに自分と被っているんだけど。

 

とてもよかった。他の作品も読みたい。

読んだ:城の見方 歴史がわかる、腑に落ちる

佐藤俊一 著

 

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城を見る?

友人に「お城が好き」と言っている人がいて、「城って好きになりうるんだな!」とは思っていた。

私にとっての城

  • 春日山城:小説に出てきた上杉謙信が好きで、中学生の時、家族旅行で寄ってもらった。ここは天守とかはない。山……って感じだった。でも昔ここにいたんだなあって思うと感慨深かったし、嬉しかった。
  • 会津城:学生時代、サークルの合宿で行った。あまり記憶がない。
  • 丸亀城:丸亀に行った時、丸亀城に登ってみて「ここに推し*1がいたのか……」と思うなどしたのが、初めての本格的な城体験かも。丸亀城には(推しに会うために)2回行った。「鉄砲狭間」とか「石落とし」とかはここで覚えた。あと、石垣がきれいだって思ったのもここが初めて。
  • 彦根城:1回目は桜がきれいで、堀の周りをぐるぐるして終わった。地元の人が、城に架けられた橋について「あの架け橋は『敵が攻めてきたら落とせる』と言われているが、そんなに多くの人に知られていたらトラップにならないだろう。だから、本当は落ちないんだ」と笑っていたのが印象的だった。2回目の訪問で天守に登った。琵琶湖が見える。
  • 松江城:こちらは宍道湖が見える。城は黒くてかっこいいけど、サイズがこぢんまりしてかわいい。

本の感想

日本刀じゃん

城めっちゃかっこいいじゃん……。

時代が移り変わって、世に戦がなくなる。戦があるときは、戦のための城が作られる。攻められにくい立地を選び、攻められた時に守ったり攻撃したりできる、強い城を作る。

戦が落ち着くと、平地に、政治のための城を作る。

日本刀じゃん! 時代と戦の様式の移り変わりでありようを変えるところが!!

すげえー。

城は広くてパーツが多いよ

日本刀は持てるサイズなのでなんとなくわかった気になるんだけど、城って大きいよね。頭に入りきらないというか、よく全貌を把握できない……。

土地の使い方から細かい仕様、装飾を決めて実際に作るのって大変だったろうなー。私にはできないなー。

曲がり角を多くして視界を遮り攻めにくくするとかすごい。攻められるリスクが切実。

鉄砲狭間*2をどこにどのくらい作ろうとか、どうやって考えて決めるんだろう。天守への階段はだいたい取り外せる。攻められてきた時に立てこもるために! あと天守の天井に数人が忍んでおける空間があったりとか。すごい。堀の深さを場所によって変えるとか、籠城戦のためにたくさん井戸を作っておくとか。

お城設計のプロがいたんだろうなあ。すごいなあ。

城と美観

城の屋根の作り方とかも細かく書いてあった。あんまり体系的に知らなかったのでありがたい。読んですぐ忘れちゃうんだけど。石垣の石の積み方とか。

 

*1:現在は丸亀市立資料館に所蔵のニッカリ青江脇指のこと。

*2:城の内側から外を鉄砲で狙うための穴。アニメ「忍たま乱太郎」で描写されるお城の壁に、丸とか三角とか四角の穴が開いていたと思う。あれが鉄砲狭間……だと思われる。鉄砲の他、弓矢で狙うための穴もある。

読んだ:職場を悩ます ゆとり社員の処方せん

池谷聡 著

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  • 社員研修などを請け負う会社の方が、ゆとり社員の教育担当になった企業の人向けに書いている
  • 私はゆとりの側で、読んでいて「めっちゃわかるそれ私や」ってなる
  • ゆとりがなぜゆとりなのか、家庭環境(少子化→「欲しいものは与えられる」と思っている)、学校教育(自主性を重んじられ「〜しなさい」ではなく「〜しましょう」と言われてきた/体罰などの減少→厳しく命令されたり叱責されたりすることに慣れていない)、社会環境(ずっと不況、身近な人がリストラされるなどの経験あり→将来への不安と備えなければという焦りがある)、情報・通信(携帯電話の普及、メール文化→直接顔を合わせたり電話でのコミュニケーションが苦手)とかから解説
  • ついでに指導役の育った環境にも触れられている
  • ゆとり〜わかる〜と思ったこと↓
  • 「正解」があると思っており、「正しい答え」を教えてくれるように望む(そんなものはしばしばない)
  • 電話よりメールで用事を済ませようとする
  • 怒られることに慣れていない
  • 目の前の仕事に何の意味があるのか、自分の成長に繋がるのか、疑問に思う
  • 意味がないなと思うとやらない
  • 飲み会に来たがらない
  • 話している間のリアクションが薄く、わかったのかわからないのかわからない
  • 言われていないことはやらず、指摘されるといじける
  • 文脈を忘れたけど、「人は皆違う」ということを忘れている*1
  • なお、「根は素直」「パソコンの扱いや調べ物が上手」「意義がわかると熱心に取り組む」などの「実は優秀だよ」アピールもある
  • 全体に、上の世代の方は苦労されていらっしゃるのだな……と伝わってくる内容だった(研修会社さんの本なので、研修担当者は苦労されていないといけないわけなんだけど)
  • 教育のせいだけではないんだけど、教育で人材が変わるのであれば、「こういう人材が世に放たれますよ!」ってちゃんと説明して欲しい(ゆとりなので他人任せ)
  • 「将来が不安だ、成長しなくちゃ、とにかく意味のあることに集中しなくちゃ」という焦りは確かにあるように思う、それを旧来のやり方を着実にやっていこうねと言われてもあんまり解決しないというか、もうちょっと考えさせて欲しいなあという感じ
  • だから正解はないんだって!

*1:これは根深いなと思った。というのも、「人は皆違う」と思っているからこそ、「他人を自分が察することはできない」と思い、言われなければわからないことになっているかもしれないから。

読んだ:マインドフルネス 心を浄化する瞑想入門

エド・ハリウェル 著

 

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B9-%E5%BF%83%E3%82%92%E6%B5%84%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B%E7%9E%91%E6%83%B3%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB/dp/4041032709/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1549852045&sr=1-1&keywords=%E3%82%A8%E3%83%89%EF%BC%9A%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB

 

下記、先日のブログに書いたマインドフルネスの本。

マインドフルネスの本を読んでいたら自分に身体があることに気が付いた話 - 単品と単品

 

マインドフルネスについて抵抗感を持つ人が読んでも読みやすいように工夫された入門書。

マインドフルネスの説明もしつつ、実際に実践するためのガイドが詳しく付いていて良い。

やってみたいので、購入を検討したい。

 

「マインドフルネス」は5年も前に知った概念。今になってやっと専門書を手に取ったのは、「その必要があったから」だし「その準備ができたから」なんだなと思いました。魂と書物は繋がっている。

どうにもならないことを嘆いたり怒ったりするの、もういやなんだ。もっと、本当にどうにかしうることにだけ集中して、その中でベストな人生を送りたい。人に怒ったり当たったりしたくない。

だけどうまくできない。

だから、「今ここ」に集中するような手続きを教えてくれるマインドフルネスは、今の自分によくフィットするなと思う。

 

思い通りにならない自分に、あたたかい好奇心と思いやりをもって、「そんなに怒っているのもつらいでしょう。ハグする?」と声をかける、みたいなくだりがあった。

これはあれだ! 

私は先日、何かの弾みで27歳女性が出てきた時に、別のアプローチを試しました。朗らかに挨拶してみたのです。

私「お! 久しぶりじゃん! 元気にしてた?」

27歳女性「!? げ、元気じゃないし!?」

「そっか〜そりゃそうか〜」

まあ、27歳女性は不機嫌なので、元気ではないでしょうね。

「何しようか?」

「は?」

「何する? 一緒に散歩する? ケーキ食べる?」

「! ガトーショコラ食べたい!」

「いいっすね!」

機嫌の悪い子を撫でる その3 - 単品と単品

ひとりデート「歓迎の意をもって朗らかに挨拶」編だ!!

私、勝手にマインドフルネスになっていたわ!

 

たぶん、『機嫌の悪い私を、強いて「私」ととらえず、「私本体とは違うただの思考」ととらえる』というのがマインドフルネスっぽいんだけども。

まあでも、受け入れやすいね。

 

身体を意識するのは私にとって新鮮で、とても良いです。ご飯はおいしいし、寝付きが良い。

 

読んだ:混物語

西尾維新 著

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「混物語」ネタバレ感想です。

告知ツイートのビジュアルに病院坂がいたので購入が決定された。

 

既読情報*1

「混物語」感想の前に、私が読んだ西尾維新を記憶だよりに一覧にしておく。なにせ当時中学生とかだったから……。*2

【全部読んだ】

【一部読んだ】

  • 「人間」シリーズ:「人間関係」は未読
  • 「最強」シリーズ:「初恋」のみ既読
  • 「りすか」シリーズ:一冊目途中で断念
  • 「刀」シリーズ:どれを読んだか忘れた、アニメをたぶん全部見た
  • 「物語」シリーズ:「花物語」くらいまで既読、アニメはセカンドシーズンまで見た
  • 「伝説」シリーズ:「悲鳴伝」のみ既読

【読んでいない】

  • 「忘却探偵」シリーズ
  • 「美少年」シリーズ

好き情報*3

「戯言」シリーズでは春日井春日、西条玉藻が好きだった。自我がなさそう。「人間」シリーズは早蕨薙真が断然好きだった、零崎双識はかなり好みだった。何を隠そう「世界」シリーズの病院坂黒猫が本当に好きだった。*4

感想

第忘話 きょうこバランス

 初めて忘却探偵掟上今日子さんにお会いした。まとも……に見えるけど、服を脱ぎ過ぎでは? 暦さんが一緒だから? 掟上今日子さんってハードカバーだし広い年代に読まれているのかと思っていたんだけど。

第強話 じゅんビルド

潤さんお久しぶりです!!!! 変わらないね……!! いーちゃんも初対面で車に轢かれたんだっけ?(うろ覚え) 

法話 のみルール

 初めて見た子だけれど、世界観が「悲鳴伝」に似ているような、と思ったら当たりだったらしい。四国で戦闘していると書いてあったので心配になった。*5

名前のレパートリーが、実家のような安心感だった。

第眼話 まゆみレッドアイ

眉美ちゃんも初めて見た。 表紙絵がキナコさん*6なので気になっていたシリーズ。

すごくまともな子だ……。団長もまともらしい。さすが。Wikiを見る限り登場人物の名前も比較的尖ってない。

なんで阿良々木さんは団長とまたコラボを?

第病話 くろねこベッド

黒猫さんきたーーーー!!!!!!!

はあ、登場早々六千文字喋り続けるところ本当に最高、やっぱり最高だった。ただ喋りに着たブルマかと思いきや暦さんのこと知ってるところ本当にもっと最高だった。好きーーー。

暦さんのことをあれしたらどうしようと思っていたんだけれど、逆に去っていってしまった。よかったというか何というか。様刻くんのことを信頼しているようで何より。

第血話 りすかブラッド

懐かしいのが、この喋り方なの……!

でっかいカッターの「きちきちきちきち……」って音が怖くて、読めなかったんだよね、「新本格魔法少女りすか」……。しかし読めるようになったな。

創貴さんも元気そうでよかった。

第刀話 ひていクリア

否定姫もまともだな……!? というかここはとがめさんではないのか。金髪碧眼にスク水って筆者の趣味なんだろうな。きれいだろうな。 

第殺話 いおりフーガ

あああああ「合格」!!! 伊織ちゃん、というか舞織さんが出るとわかって、たぶん暦さんは「合格」するだろうと思ったけど、やっぱり合格した。よかった。

伊織ちゃん、キャラに難がなさすぎて、全然普通だった。安心と実績の零崎一賊。信頼の自殺志願、もとい零崎双識。

第軍話 しおぎレンジャー

まさかの三人組ーーー!!! 玉藻ちゃん出てくると思っていなくて完全に不意打ちだった。澄百合トリオに会えて嬉しい……。姫ちゃんが生きておる……。

子荻ちゃんの「あは」を出してくれてありがとう、阿良々木暦……。

第招話 あかりトリプル

まさかの三人組ーーー!!! 三人とも出してくれてありがとう……。クビキリサイクル読んだの何年前だろう、懐かしいわ……。

モンティ・ホール問題のところは完全に読み飛ばした。トリックに関心がないタイプ。

第喰話 りずむロックン

まさかの二人組……とはならない、流石に……。問題を解決したら殺人鬼が出てくる設定を忘れていたので、やっぱり「まさかの二人組……!」にはなった。懐かしいなあ……、<人喰い(カーニバル)>の理澄と<人喰い(マンイーター)>の出夢、って文字列だけでもうエモいわ。

崩子ちゃんを助けに来た20人って誰なんだろう。というか、飛び出していったのはいーちゃん……ではないよね? キャラが違うような? 五千万円が少額なのは玖渚だとしても。

第大話 みここコミュニティ

いーちゃん!!!!!!

出た、しかも喋った……! 来ると思わなかった、これは本当に思わなかった……しかもかつて思春期の私に何らかの影響を与えた「変わりたいと思う気持ちは、自殺だよね」を携えてきた!!!!! おかえりいーちゃん……!! OVA見てなくてごめん……。

ちなみに私は老倉育さんのことを知らない。暦とひたぎに混じることができるってどういうこと?

第英話 くうインビジブル

男子じゃん!?

第騙話 らいルーレット

男子じゃん!! しかもどなた様なのかわからねえ!!! 

第終話 まごころフィニッシャー

あーーーーん真心を最後にしてくれてありがとう……俺達の人類最終……! そして暦さんを「あーちゃん」って、物語の始めだな阿良々木暦……。

なんで真心はアメリカにいるのか完全に忘れたんだけど、元気そうで何よりだった。正直口調も忘れていた。げらげら。

全体の感想

短いお話でミステリーをたくさん書けるの本当にすごいわ。

混物語、アニメ化しないかなあ……。

そんで白衣に水着のお医者さん、絵本園樹さんを追加してほしい。

 

なおこの記事はアニメ物語シリーズのヒロインたちにめちゃめちゃ罵倒されながら書きました。

 

*1:これはどうでもいい情報

*2:というわけで、wikipediaを参照した。 

「西尾維新」

*3:もっとどうでもいい情報

*4:「保健室で情報屋をやる病院坂黒猫」に着想を得て「本丸の空き部屋で占い屋をするにっかり青江」を書いたと言っても過言ではない。

*5:私の推しは四国にいるので。

*6:刀剣乱舞岩融、巴型薙刀、静型薙刀薙刀トリオを描かれていらっしゃる。

マインドフルネスの本を読んでいたら自分に身体があることに気が付いた話

私は自分に身体があることを知らなかったのでは?

私にしては重大な発見だったので書いておく。*1

 

自分の車幅がわからない

私は自分の幅がよくわかっていない。少なくともそう思っていて、周囲にもそう言ってきた。

例えば角を曲がりきれずに壁にぶつかった時とか、歩いていて机にぶつかった時とか、「車幅がつかめないね!」みたいに言っていた。*2

なぜ周りにぶつかってしまうのか

“自分の幅がわからず”周りにぶつかる時の私は、ぶつかりそうだな、とか思わずに、ぶつかる。

ぶつかってから、ああぶつかりそうだったのか、と思う。

自分の幅がわかっていないというよりも、周りを見ていないのだろうか?

これは微妙だ。そこに壁や机があることはわかっている。見えてはいる。でも、ぶつかるとは思っていない。

自分に「幅」はあるか?

『自分の幅がわかっていない』という表現は興味深い。私はそれを初めて聞いた時、「自分の幅が、自分が想定している幅よりも大きい」のだと解釈した。

そして、ほんの少し、違和感を感じていた。その違和感は小さすぎて、言葉にされることはなかったけれど、今はちょっとわかる。

私は「自分に幅があると思っていなかった」のだと。

マインドフルネスがもたらすもの

初めてのマインドフルネス

ところで私は、大学生だった頃に、信頼する好きな先生がいた。その先生が授業で「マインドフルネス」を教えてくれたのが、私が初めてマインドフルネスに触れた時だった。

先生は、私たちにマインドフルネスの概要を伝えながら、「私はマインドフルネスがとっても好き」と笑顔を見せてくれた。

私はその先生の笑顔がとても好きだったので、ぼんやりと「マインドフルネスは素敵なものなんだな」と思っていた。

このたびのマインドフルネス

そこから5年ほど経って。

先日図書館でマインドフルネスの本を見つけて、手に取ってみた。

マインドフルネスが何なのかは、詳しい記事がたくさん出ているだろうから、そちらを参照されたい。*3

本にはこんなことが書いてあった。*4

『呼吸に集中しながら、足の裏の感覚を追う。それからふくらはぎの感覚を追う。何か違いはあるだろうか? 正解はないので、自分の感覚を丁寧に感じてほしい』

自分の幅もろくにわかっていない私ではあるけれど、マインドフルネスの本に書かれていることはかなり納得がいく内容が多かったし*5、せっかくなので思い出したら実践してみるようになった。

ゆっくり呼吸をしながら、自分の身体のあちこち、足、脚、骨盤*6、腹、腕に注意を払い、どんな音がするのか、痛みはあるかとかを、感じ取ろうとする時間ができた。

「この家、広くない?」

それから2日目くらいになるだろうか。

んー……、うまく言葉にできる気がしない。強いて書くならば、「この身体は隅々まで、私のものだったんだな?」っていう感じ……がするようになった。

天井の低い四畳半のアパートで寝起きしていたのに、ある日突然、押入れの奥に2階建の5LDKが広がっていることに気がついた感じ……伝わる?*7

頭で歩く

周りにぶつかってしまう話に戻る。

私は、「自分の幅を過小評価していた」わけではなかった。「自分に幅があると思っていなかった」という方が、たぶん近い。さながら数学の問題に出てくる点Pのように、自分に大きさがあると思っていなかった。身体を実感できていなかった。肉体を、痛感していなかった。*8

机が目の前にある。私はそちらに向かって移動する。何となく避ける。そして、ぶつかる。

この、「何となく」……何となく避ける距離や方向には、思い返してみれば、ほぼ根拠がない。*9「避ける動作をした」ので「避けた」と思っていた。

私は頭だけで歩いていたようなものだ。バーチャルに。点Pのように。

だけど、それで「避けられる」かどうかは運だ。頂点Aを出発した点Pは、実際には計算よりも早く頂点Bに到達するだろう。幅があるからだ。また、目をつぶってバットを振る打者が「振ったので、当たる」と言っているのを聞いたら「バカだ」と思うだろう。当たりっこない。ボールはバットをすり抜けて落ちる。私の身体は机にぶつかる。

なぜ身体に気が付かなかったのか

これはわからない。何で私は自分に身体があることを、この身体の隅々までが「私」であることを実感できなかったのだろう?

ご賢察の通り、私は運動神経が大変に悪い。体育の授業は大嫌いだった。身体の動かし方がわからなくて、他の子ができる動きを、どうやったら自分もできるのか、全然わからなかった。

あるいは初めて整体に行った時、先生に「骨盤をこうやって動かしてみて」と言われて、途方に暮れてしまった。身体の扱い方がわからないのだ。*10

不思議だ。生まれた時から一緒にいるのに、何で知らなかったんだろう。

方向音痴の地図は不透明なレイヤー

方向音痴の人と、そうでない人

似たような話について、先日考えていた。方向音痴の話だ。

知人が以下のような話をしてくれた。

『世の中には、方向音痴とそうでない人の2種類がいる。方向音痴の人とそうでない人は、どこかからどこかへ移動するときの意識が違うそうだ。方向音痴でない人は、A地点からB地点に移動する際、どの道をどの方角にどの程度進み、どちらに曲がり……と、過程を思い描いてから進むことができ、進みながらも自分がどこにいるのかわかっている。ところが、方向音痴の人は、A地点からB地点に移動する際、過程がすっ飛んでいて、「A地点にいた。B地点にいる」という感じになるそうだ』

世界のありようと私の視界

この話をしてくれた知人は方向音痴ではない。そして、その話で言えば、私は方向音痴の人だ。A地点からB地点に(運良く)たどり着いたとして、移動の過程は全くわからない。わからないというか、思い出すことが、思い描くことが一生ない。

なぜA地点からB地点に移動する過程がすっ飛ぶのか、しばらく考えていた。思いついたのはこういうことだ。

人がどこかからどこかへ移動するにあたり大事な情報には、2種類あると思う。*11

  • 地図や、実際の地形の情報(客観的な情報、世界のありよう)
  • 自分がいる場所や、見えている景色(主観的な情報、私の視界)

ハリー・ポッターシリーズの映画を見たことがあるだろうか。「忍びの地図」というアイテムがある。この地図は、ホグワーツ城の地図であるだけでなく、城内にいる人の現在地と移動の様子を、明滅する足跡のアイコンで示してくれる。*12

移動に必要な情報を忍びの地図になぞらえると、「客観的な情報」は建物の見取り図としての地図、「主観的な情報」は自分の足跡アイコンだ。

方向音痴でない人にとって、これらの情報は互いに透けたレイヤーのようなもので、重ね合わせて同時に把握できるのではないだろうか。つまり、忍びの地図が完成した状態だ。地図と自分の足跡アイコンが同時に見えているわけである。これでスネイプやフィルチを避けながら、行きたい部屋にたどり着くことができるだろう。

ところが私は、これらのレイヤーはいずれも不透明にできている。重ね合わせて同時に捉えることができない。つまり、忍びの地図の「地図」と「自分の足跡アイコン」は互いに別の紙に書いてあるのだ。そして、それらの紙を同時に見ることはできない。したがって、片方に目を凝らして暗記し、それっとばかりにもう片方に目を移して、何が何だかわからなくなってしまうのだ。

私のありようと私の視界

自分の幅がわからないことと、方向音痴であることは、少し似ていると思う。つまり、環境と自分の視界の対応がうまく取れていないところが。

自分の身体という環境が、どこまで自分自身なのかがわからない。

道や建物といった環境が、自分の視界とどう対応するのかがわからない。

ぶつからないこと

これらの気づきとは全然別に、最近できるようになったことがある。

人混みで、人を避けるのが、少しうまくなったのだ。

これにはこつがある。「視界に入る人を、全員自分だと思って歩く」。

一見して、というか一読してもあんまり意味が通じなさそうな技(?)である。人に口頭で説明しようとしてもうまく伝わらなかった。

私が人にぶつかるのは、相手がどちらに進むのか全然検討がつかないからというのが一因だった。そこで、相手を自分だと思うことで、「相手はこちらに動くはずだ!」という、謎の自信をもって自分が歩けるようになったのだった。*13

これはこれで、自分の身体の捉え直しなんだけれど、そもそも私は自分の身体をあまり自分だと思えていなかったので、こんなことができるのかもしれない。

私の世界

私と環境は繋がっている。少なくとも、触れているか、これから触れるかもしれないものだ。

私は頭だけで生きているわけではない。

こんな、書いてみれば当たり前のことに、改めて気づいたような気持ちになった。面白かったので、書いておけてよかった。*14

*1:ただし、急いで書く。なぜなら今、西尾維新の「混物語」が読み途中だからだ。絶賛「戯言」シリーズのターンなので早く戻りたい。なんなら当該のマインドフルネスの本も読み途中である。いずれも読み終えたらまたこのブログに感想を書く予定。

*2:この『自分の幅がよくわかっていないため、物にぶつかる』という表現は、私の好きな先輩がよく使う言い回しでもある。

*3:何しろ私は早く「混物語」を読みたい。……というのもあるし、まだ読書が途中なので、適切にお伝えできる自信がない。

*4:これも引用ではないので、確かな表現ではない可能性が高い。

*5:確かに、マインドフルネスの考え方は興味深い。本は読み途中だけれど、私が前に書いた「ひとりデート」の話とも通じるものがあるように思う。

*6:骨盤ってどこ?

*7:あなたは自分に身体があると思っていただろうか?

*8:阿良々木暦かよ。繰り返しになりますが、今「混物語」を読んでいるのですって。許して。

*9:根拠がないことをするのは危ない。実習中の看護学生であれば特に、様々な意味で致命的だ。充分にご注意されたい。

*10:でも、骨盤っていきなり動かせる?

*11:方向音痴なので自信がない。

*12:なお、原作小説では、足跡のアイコンではなく「小さな人の形」だったと思う。映画版で初めて忍びの地図を見たときには少しだけがっかりした。まあ、画面がごちゃついて大変なことになるのだろうな、とは思ったけれど。

*13:相手にしてみれば、どちらに進みたいのか判然としないような、あちこちふらついている奴とすれ違うより、明確な意思を持って右に(あるいは左に)来る人のほうが避けやすいだろう。

*14:なお、書き終えるまでにすごく時間がかかったので、「混物語」の続きは明日になりそうだ。戯言がすぎる。

読んだ:死の比較宗教学(『死の科学と宗教』)/刀ミュ「三百年の子守唄」に寄せて

脇本平也 著

岩波講座 宗教と科学7,1993

 

アドベントカレンダー人間をケアする」を読んでくれた後輩さんが勧めてくれたもの。

 

筆者の恩師が自身の死に寄せて記した文章を読み解きながら、筆者自身の考察をしていく。

 

誰かの死について考えた理論は、自分の死に対しては(すぐには)役に立たない、というところが特に印象的だった。

よく生きるより他にない。

 

汝はなぜ死んだのか。この問いに対して、病気によってとか、事故に遭ってとか、科学的常識的に答えても、それはまったく問題の解決にはならない。なぜこの我を遺して逝ったのか。これまた、科学的には答えようのない問いかけである。

292ページ。

ここを読んで、ミュージカル刀剣乱舞「三百年の子守唄」の、幼い竹千代とにっかり青江のやり取りを思い出した。うろ覚えだけど。

『鳥が、群れて飛んでおる』

『あれは、雁だと思われます』

『雁か。……あれは、親子であろうか』

『そうかもしれませんね』

『鳥でさえ親があるのに、竹千代にはどうしておらぬのであろう』

『竹千代様』

『わかっておる。殺されたのであったな』

『はい』

『……父上』

『……』

竹千代の親が殺されたことは確かだ。けれど、その理由を、この竹千代に聞かせるように話すことが、にっかり青江にはできない。政敵に討たれたとか、そんな理由を語ることはできない。そして、幼い竹千代が、なぜ、と問うことを止めることもできない。

本書に書かれるように、他者の死を意味付けるには、少なくとも時間が必要だ。答えは自分で見出さなければならない。同時に、喪失の悲しみがある程度癒されなければ、自分の中で死を語り直すこともできない。

竹千代は、戦で親を殺された悲しみや怒りを、「この世から戦をなくす」という動機に変えた。自らも戦をしながら、親の死から与えられた意味を生きていく。

ミュージカルの最後で竹千代(徳川家康)は、床から這い上がり、『見てみい……この世から戦をなくしてやったわ』『どうじゃ、まいったか』と吠える。

長い時間と自らの努力で、親の死を消化した先に、自らの夢を叶えたのだ。それこそ、一言では語れない、彼にしかたどり着けない、ある種の答えなのだろうと思う。

 

雁を眺める幼い竹千代に、「なぜ竹千代には親がいないのか」と問われたにっかり青江が沈黙した時、物吉貞宗は竹千代に『笑いましょ』と声をかける。

『つらいこと、悲しいこと、たくさんあります。でも、笑顔を忘れてはダメです。幸運は、笑顔の人のところに舞い込んでくるんですよ』

 

人はいつか死んでしまう。だけど、本書にあるように、死には実体がない。実体があるのは生の方だ。人は生をより良く生きることしかできない。実体がないものを良くすることはできないから。

 

にっかり青江は「にっかりと笑った女幽霊を斬った」ことから名付けられた刀である。にっかり青江にとって、「笑う」ことは幸せと遠い場所にあったのではないか。戦闘中、敵に「笑いなよ、にっかりと」と言い放つような奴である。「笑え、さすれば僕が斬る」といったところか。

それが、「悲しい時こそ笑いましょう」ときた。笑顔は幸運を運ぶという。

実際、竹千代と並んで座った物吉貞宗は、竹千代に「あはは」と笑いかけることで、竹千代を笑顔にし、明るい気持ちを取り戻させることに成功する。

にっかり青江はここで初めて、「笑顔」のもつポジティブな力に気付いたのではないかと思ってしまう。

 

徳川家康の愛刀であった物吉貞宗は、徳川家康の臨終の際、彼の身体を抱きしめて寄り添う。涙を流す物吉貞宗に、にっかり青江はそっと呼びかける。

『笑いなよ、物吉くん』

死の場面である。それでも、一生の世話をした人が旅立つとき、幸運を運べと言う。物吉貞宗は大粒の涙を零しながらも、しっかりと微笑み、徳川家康の頭を抱いて言う。

『よく、生きられましたね。おやすみなさい』

死は終わりではない。長い人生の後に訪れる眠りであった。眠りにつく人の魂に、より良い休息が訪れるよう、笑顔でいる……これが、「戦場に帯びれば負けない」とされた幸運の脇差、物吉*1貞宗である。最高の贈り物ではないか。

それを促したのが、かつて物吉貞宗に笑顔の意味を教えられたにっかり青江であるところが、まことに心憎い。

 

死に抗うことはできない。

良く死ぬためには、やはり良く生きて、後悔を減らすことしかできないのだろうと思われる。生きている間、たくさん笑って、毎日良く過ごしたい。

*1:「物吉」は「ラッキー」くらいの意味らしい

読んだ:図解雑学 神道(ナツメ社)

井上順孝

 

左ページが解説文、右ページがポンチ絵っていう構成。無理やりな図もあるのでそれはそれで面白い。一ページ図が挟まるだけでだいぶ読みやすい気持ちになるのね。

 

内容はこんな感じだった(目次から章タイトルを抜粋):

  • 神道とは何だろう?
  • 神社
  • 神々の物語
  • 神道の祭り
  • 神道の歴史
  • 神道の思想
  • 現代に息づく神々の信仰
  • 暮らしの中の神道

 

神道の歴史とか思想のあたりは、ちくま学芸文庫の「神道」(トーマス・カスーリス著)で読んだような感じもした。

全体にトピックの概観で終わるので、この後に興味のある部分を別の本で掘り下げることになるんだろう。

 

メモ(抜き書き)

 

何を信仰のよすがにするのか、何の逸話をもってどんな効力を期待するのか、自在すぎて笑ってしまう。信仰は政治と生活。

 

教派神道のことが気になるらしい。

 

あと境内で見かける、しめ縄で括られた岩とかって何なんだろう。全部神様が宿るとされる磐座なんだろうか。