単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

腹痛を抱擁

※体調不良の話です。

激しい腹痛

お腹が痛い。

 

一行目から太字を使うくらい痛い。*1

お腹が痛い時、痛みについて、しばしばこのように文句を言いたくなる。

「痛い痛い痛いふざけんなこれはあんたの身体でもあるんだzあああああああああ!!!!!! ばかやろう!!!!!!!!! しぬ!!!!!!!!!(痛い) 私がしんだらお前も一緒にしぬんだぞオイコラ無理痛い!!!!!!!!!!(痛い)」

 

言葉が汚くて恐縮する。

 

本日の試み

しかし今日は、ちょっと違うことをした。

機嫌の悪い子を撫でる その3 - 単品と単品 とか マインドフルネスの本を読んでいたら自分に身体があることに気が付いた話 - 単品と単品 に書いたことを踏まえて、こういう点に注意した:

  • 私の下腹部は痛いが、足とか頭とかは痛くない
  • 下腹部が痛くない時もある
  • 私の「痛み」に敵意を向けず、とりあえず労ったり歓迎したりしてみる

私の下腹部は痛いが、足とか頭とかは痛くない

特に、「足とか頭とかの、痛くない場所に意識を向ける」は面白かった。痛くないじゃん。

心頭を滅却すれば火もまた涼し、って言うけど、例えば「身体は燃えているが心は燃えていない」とか思うと気にならなくなったりするのかもしれない。*2

まあ、お腹は変わらず痛い場合が多く、気をそらすのが終わるとまた痛い。でも、さっきまで面白い気持ちだったので、ちょっとましになっている気がするし、気をそらしている間に本当に痛みがましになっている時もありそう。時間経過によるものなのか、愉快な気持ちになったからなのかはわからないけど。

下腹部が痛くない時もある

痛くない時もある。そういうとき、めざとく「あ! 今は痛くない!」と思うと、すごく楽になる気がする。

ずっと痛いと思っていたけど、そうじゃないんだな! みたいな。

私の「痛み」に敵意を向けず、とりあえず労ったり歓迎したりしてみる

これは「痛み」そのものを、27歳女性*3 みたいに、自分のメインの意思から離れた他者として扱う感じ。

「あああああ痛い……よく来たねしばらくぶりじゃん心配してたんだよ元気だったー!?!??」

って言いながら両手を広げてみる。*4

これはけっこう面白い。まず歓迎のポーズを取ってしまうことで、「痛みを歓迎している」と後追いで認識する。「痛い」ことが反射的に「嫌なこと」として認識されるのではなくて、もっと別の何かとして捉えられる気がする。*5

心理的でない対処

一応付け加えると、カイロを貼るとか、痛み止め飲むとかもしている。決して脳内シミュレーションだけでなんとかしようとしているわけでない。*6

貼るカイロは命綱じゃ。

 

どうせ明日も痛いので、しばらく付き合ってみます。やっぱり痛み氏とは決別するかもしれないけど。

*1:生理痛だ。

*2:無理がある気もする。

*3:機嫌の悪い子を撫でる その3 - 単品と単品 参照

*4:まあ、かかりつけ医とかいるのでそのへんはご安心を。

*5:マゾヒストか? いや、たぶん、快感とかではなくて。

*6:内臓を雑巾絞りされるような痛みを、歓迎のポーズだけでなんとかできるなら、悟りが開ける気がする。