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読んだ:死の比較宗教学(『死の科学と宗教』)/刀ミュ「三百年の子守唄」に寄せて

脇本平也 著

岩波講座 宗教と科学7,1993

 

アドベントカレンダー人間をケアする」を読んでくれた後輩さんが勧めてくれたもの。

 

筆者の恩師が自身の死に寄せて記した文章を読み解きながら、筆者自身の考察をしていく。

 

誰かの死について考えた理論は、自分の死に対しては(すぐには)役に立たない、というところが特に印象的だった。

よく生きるより他にない。

 

汝はなぜ死んだのか。この問いに対して、病気によってとか、事故に遭ってとか、科学的常識的に答えても、それはまったく問題の解決にはならない。なぜこの我を遺して逝ったのか。これまた、科学的には答えようのない問いかけである。

292ページ。

ここを読んで、ミュージカル刀剣乱舞「三百年の子守唄」の、幼い竹千代とにっかり青江のやり取りを思い出した。うろ覚えだけど。

『鳥が、群れて飛んでおる』

『あれは、雁だと思われます』

『雁か。……あれは、親子であろうか』

『そうかもしれませんね』

『鳥でさえ親があるのに、竹千代にはどうしておらぬのであろう』

『竹千代様』

『わかっておる。殺されたのであったな』

『はい』

『……父上』

『……』

竹千代の親が殺されたことは確かだ。けれど、その理由を、この竹千代に聞かせるように話すことが、にっかり青江にはできない。政敵に討たれたとか、そんな理由を語ることはできない。そして、幼い竹千代が、なぜ、と問うことを止めることもできない。

本書に書かれるように、他者の死を意味付けるには、少なくとも時間が必要だ。答えは自分で見出さなければならない。同時に、喪失の悲しみがある程度癒されなければ、自分の中で死を語り直すこともできない。

竹千代は、戦で親を殺された悲しみや怒りを、「この世から戦をなくす」という動機に変えた。自らも戦をしながら、親の死から与えられた意味を生きていく。

ミュージカルの最後で竹千代(徳川家康)は、床から這い上がり、『見てみい……この世から戦をなくしてやったわ』『どうじゃ、まいったか』と吠える。

長い時間と自らの努力で、親の死を消化した先に、自らの夢を叶えたのだ。それこそ、一言では語れない、彼にしかたどり着けない、ある種の答えなのだろうと思う。

 

雁を眺める幼い竹千代に、「なぜ竹千代には親がいないのか」と問われたにっかり青江が沈黙した時、物吉貞宗は竹千代に『笑いましょ』と声をかける。

『つらいこと、悲しいこと、たくさんあります。でも、笑顔を忘れてはダメです。幸運は、笑顔の人のところに舞い込んでくるんですよ』

 

人はいつか死んでしまう。だけど、本書にあるように、死には実体がない。実体があるのは生の方だ。人は生をより良く生きることしかできない。実体がないものを良くすることはできないから。

 

にっかり青江は「にっかりと笑った女幽霊を斬った」ことから名付けられた刀である。にっかり青江にとって、「笑う」ことは幸せと遠い場所にあったのではないか。戦闘中、敵に「笑いなよ、にっかりと」と言い放つような奴である。「笑え、さすれば僕が斬る」といったところか。

それが、「悲しい時こそ笑いましょう」ときた。笑顔は幸運を運ぶという。

実際、竹千代と並んで座った物吉貞宗は、竹千代に「あはは」と笑いかけることで、竹千代を笑顔にし、明るい気持ちを取り戻させることに成功する。

にっかり青江はここで初めて、「笑顔」のもつポジティブな力に気付いたのではないかと思ってしまう。

 

徳川家康の愛刀であった物吉貞宗は、徳川家康の臨終の際、彼の身体を抱きしめて寄り添う。涙を流す物吉貞宗に、にっかり青江はそっと呼びかける。

『笑いなよ、物吉くん』

死の場面である。それでも、一生の世話をした人が旅立つとき、幸運を運べと言う。物吉貞宗は大粒の涙を零しながらも、しっかりと微笑み、徳川家康の頭を抱いて言う。

『よく、生きられましたね。おやすみなさい』

死は終わりではない。長い人生の後に訪れる眠りであった。眠りにつく人の魂に、より良い休息が訪れるよう、笑顔でいる……これが、「戦場に帯びれば負けない」とされた幸運の脇差、物吉*1貞宗である。最高の贈り物ではないか。

それを促したのが、かつて物吉貞宗に笑顔の意味を教えられたにっかり青江であるところが、まことに心憎い。

 

死に抗うことはできない。

良く死ぬためには、やはり良く生きて、後悔を減らすことしかできないのだろうと思われる。生きている間、たくさん笑って、毎日良く過ごしたい。

*1:「物吉」は「ラッキー」くらいの意味らしい