単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

好意の泉のその隣

これは2024年の目標「責任を負い、責任を果たす」の途中振り返り記事です。

 

私は毎年「今年の目標」を立て、その年の12月、アドベントカレンダーで目標の振り返りをしています。アドベントカレンダーを書くのは好きですが、近ごろ欠点を感じています。年末に一気に書くと、思い出せるのがせいぜい10月くらい以降なのです。これではとても「一年の振り返り」とは言えません。

これをなんとかカバーしたく思います。記憶力を上げることは諦めましょう。別の手段を考えました。今年は、目標に関する途中振り返りを入れたいと思います。
去年一昨年は半年地点で中間振り返りをやりました。もっと今年は小刻みに、そう、毎月とか……実は1月早々に目標に関連する気づきがあり、1月中にまとめられたらよかったのですが、なんか書く気分になれず、気づいたらもう2月が終わろうとしています。ちよこ大作戦が楽しいです(刀剣乱舞オンライン)。ということで、今回は、1-2月の振り返り記事を書きたいと思います*1

好意の泉

今回は好意の泉の話をします。もちろん、「何かを”へ~え? イイじゃん”と思っている瀬名泉」のことではありません*2

何の話だっけ。

好意の泉の話。

壁に貼る書き初めの話

すみません、いきなり脱線する。そう、私、在宅勤務をしていまして。フルリモートで。仕事机の上に、「責任を負い、責任を果たす」と書いた紙を貼っています。今年の書き初めです。画面から目を上げるとすぐに見えるところに*3*4

仕事で何か、心がモニャッとする時があるでしょう。そんな時、顔を上に向ければ、「責任を負い、責任を果たす」が目に入ります。自筆の。
すると、「今の私は責任を負っているだろうか? 負っているとしたら、それを果たしているだろうか?」そういう自問自答の時間が発生します。
これは私にとってとてもいい感じなのです。

やりましょう、あなたが好きだから

書き初め目視チェックで気づいたのは、「私は、好きだという気持ちを燃料にしがちだ(非常に頻繁に)」ということでした。

何か仕事や作業をするときのモチベーションに、「依頼者のことが好きだから」、を充てていることが多くあるのです。すると、業務負担と好意が釣り合わない時(言い換えますと、好きだと思えない人から多くの/大変な作業が降ってきた時)に、しんどい、ということに気づきました。自分の好意を燃料にしているのに、好意が足りないと、まるで「空腹なのに走らねばならない」ような感じになるのです。お腹は痛く、足はフラフラ、ネガティブまっしぐらです。

好意の泉、責任の泉

ところが! 今年の私は一味違います。「責任」というキーワードを装備しているのです。特上責任兵です*5

すると、「うう、やらねばならないが、(私から相手への好意が足りなくて)つらいよ〜」という時、いったんストップをかけることができます。「私はそれをやる責任を負っていますか? 負っているなら、それを果たせていますか?」という確認をするのです。

責任があれば、それをただ果たせばいい。責任が発生していないのであれば、やらないという選択肢もあります。または、やるという責任を改めて発生させ、相手と自分で再確認をします。

私は二つ目の燃料を手に入れました。好意の泉の隣には、責任の泉が湧いていたのです。責任の泉から汲んだ水を自分に注げば、好意の泉から汲んだ水を注いだときのように、あるいはより軽やかに、仕事をすることができるのです*6

感情駆動の派閥

好意と責任。これは、何年か前にテーマにしていた「感情と意思」とは異なるものです。感情も意思も私のうちから生じるものですが、責任は客観的なもので、他人とも共有することが可能です。自分の感情が自分に絡まって動きが鈍くなった時、一度外部の目に立つ、というクールダウンの動作は、私に必要なものだなと思いました。

相手への好意を原資にして奉仕するようなやり方は、私のクセです。たぶん生まれつきのもので、今後も変わらないものだと思います。だけど、他のやり方を身につけることはできるし、たぶんそうした方がいい。なぜなら、世には、好きになれる相手ばかりではないから……。

 

というわけで、「責任を負い、責任を果たす」は無事活用されています。今のところ。
またどこかの時点で中間振り返りを挟めたらと思います。3月か4月だといいな*7

 

おまけ:感情に「よし」と宣言する

おまけなのに大見出しを付けてしまった。

私が「悲しい」「悔しい」「腹立たしい」などと思う時、反射的に「そんなこと思うわけない、なぜなら……」と否定しにかかることが多くあります。*8

しかし最近、その兆候を感じると、「あ! 悲しかったね!」とか、「今のは、悔しかったね!」とか、即座に「そうですね」という言葉をかけるようになりました*9。認める。そうすると、なんか気が楽だなと思います。生じた感情を認めない・否定するというのは、自分が自分をということであっても、ちっと心に負担のあることなのかもしれません。

これでほんとうにおしまい。また次回に。

*1:このたびめでたいことがあり、お祝いというキラキラの大義名分を掲げて、前々から行きたかったカフェに入り、前々から食べたかったパンケーキを注文しました。焼き上がりまでの時間にこれを書き始めています。とても楽しみです。カフェインを摂ると眠れなくなるのでノンカフェインのカフェオレを頼みました。知性がある。

*2:瀬名泉の公式ページを探していたら、もうパンケーキとカフェオレが来た。パンケーキ美味しい〜! 嬉しい〜! 3分の2くらい食べて、ブログ書きに戻ってきました。パンケーキにこれでもかとメープルシロップを染みさせているため、カフェオレを挟みながらパンケーキを食べたいが、カフェオレがまだ熱いので……。

*3:去年の年度末には「実は優秀なので、やれば上手にできてしまう」とかなんとか書きました(忙しく、何事にも消極的になりがちだったため)。あと、同僚からもらった呪文「達観」も書いて貼っていました。いずれも毛筆ペンで。

*4:この「達観」は、私の語彙で言うと「鳥の目」とか「鳥瞰」、あるいは「仙人の心得」「動じない」「So what?」みたいな感じだと思われる。伝わりますか?

*5:ちよこ大作戦の影響だ。

*6:気づいたら好意駆動をしている、ということもままあります。

*7:なお今年は「毎月、新聞に短歌を投稿する」も目標にしており、1月と2月は達成しました。ふぃー。

*8:これはもしかすると自分が好意駆動だからなのかもしれません。好意じゃないものが入るとガス欠を起こす、という無意識の防御をしているのかしら。あるいは長女だから?(?)

*9:どうしてそうなったんでしょうね。感情駆動でないやり方を知ったので、燃料にならない感情があっても大丈夫になったのかも。