単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

Keeping my private fountain clear

これは2023年アドベントカレンダー「淀まない」第17日目の記事です。

 

【ここから12/25に書いていた分】

土日に番外編を送ったため、カウントが無事17になりました(当初用意した下書き記事の数)。

土曜更新分は、今年のアドベントカレンダーで一番長い記事になりました。メイクと同人誌、今年いい匂いだった香水、とか。

メッセージをいただけて嬉しかったです! ありがとうございました! シュガーポットへのメッセージのお返事を脚注に入れますね→*1

pinnni.hatenablog.com

 

日曜は、今年の読書を振り返って、印象深かった本を7冊紹介しました*2

pinnni.hatenablog.com

 

ブログの「注目記事」に載る記事が全部今年のアドベントカレンダーになると、今年もやりました、という気持ちになります。アクセスありがとうございます。

 

さて、今日はアドベントカレンダーの最終日です。メリークリスマス!*3

私は昨日*4、初めて、クリスマスのためにケンタッキーでチキンを予約して食べました。やっぱりビスケットが好きです(チキンは?)*5

クリスマスにかこつけて、コスメを買い替えたり*6、ボロボロだったバニティポーチを新調したりした*7*8。クリスマスイブのFrancfrancにはラッピングをしてもらう人がいっぱいいた*9。あと本屋さんで本も買った*10。なんだか、久しぶりに浮かれて楽しくお買い物ができた気がして、嬉しい*11*12*13

 

最終日なんだよね。話したいトピックはあるんだけど、どう話を運ぼうかなと考えてて、まだ思いついてないの。

【ここまで、12/25に書いた分】

 

25日は何をどう書こうか悩んでいたら時間切れになりました。26日です*14。今日はメイクできました!*15

 

梔子も咲いた。この秋冬で4輪目です。クリスマスに咲く梔子があるか~*16

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改めて、今日は、ゆらゆら書いていこうと思います。今日のは、先に見出しだけ書くのはできそうにないから、ひとつずつ、ゆっくり。

 

 

「おすすめ」タブ、その功罪

先日インターネットで、こんな感じの言説を見た。曰く、「SNSでは、一生関係ないはずの人が、あまりにも簡単に目に入る」――のような*17

これはよくわかる話だと思う。昨今のXにある「おすすめ」タブは、その筆頭ではないだろうか。そこには、フォローしていないユーザーたちのポストが、数秒に数十のペースで表示されていく*18。普通に暮らしているだけでは出会わない、一生関係ないはずの人たちのポストが、滝のように流れていく。

私はこの「おすすめ」タブが苦手だ。苦手なのに、つい見てしまう。中には、面白い漫画や、なるほどと思う考察や、役立ちそうな生活の知恵があることもある。けれど、怒りや悲しみの色濃い投稿も数多い。団体客に無断キャンセルされた飲食店、ペットを亡くして悲しみに沈む人、駅でおじさんに体当たりされる女性を見た人の注意喚起。ハラスメント、病気、不仲、ありとあらゆる理不尽と不幸。眺めていてしんどくなることも、ままある。

これは2021年に問題になった、Facebookの怒り増幅アルゴリズム(とでも言うべき)のニュースを思い出させる。

Facebook内部告発でわかった9つの恐ろしい事実 | ギズモード・ジャパン*19

Facebookアルゴリズムそのものが怒りを促すコンテンツを選ぶ仕様になっているのだといいます。なぜなら人は怒りに駆られるときエンゲージメント(Facebookの場合は、いいね、クリック、コメント、シェアですかね)が最大になるからです。Facebookはエンゲージメントで広告売上が決まるので利益を追求するとどうしてもそうなってしまうというわけですね。

 

もう入っていないオープンチャットのこと

話は変わるが、LINEの機能にオープンチャットというものがある。これは、LINE上で直接友だちになっていない人(LINEの連絡先を知らない人)同士で繋がれる掲示板のようなもので、様々なトピックのものが存在する。

openchat-jp.line.me

 

私は半年か1年かの間、あるオープンチャットに入っていた。同じ悩みを持つ人達の、少人数のオープンチャット。それぞれ、つらいことがあると吐き出しに来る。トラブルを避けるためだろう、投稿へのリプライは禁止されていた。ただ、個々の投稿に対して涙の絵文字を付けて共感を示す、静かな静かなコミュニケーションだけがあった。

 

隣の芝が青くてつらい

そのオープンチャットでは、よく、「自分が得ていないものを持っている他人を見て、苦しい」という話題が上がっていた。これは本当によくわかることだった、私もよくその気持ちになったから。
他人、あるいは身内や友人によって、思いがけない傷を負って(相手に害意がなくとも、自分で勝手に!)、深く傷つき、怒り、裏切られたと悲しむ。そして、そんな自分の身勝手さや余裕の無さを恥じ、「こんな心の狭い人間だからうまくいかないのだ」と自分を責める。それから、その一連の出来事と自分の気持ちを誰にも言えないことを悲しみ、虚しく思い、おそらくは(あるいは明確に)さびしがっていた。それも、とても、とてもわかることだ*20*21*22

 

誰も私のもつべきものを横取りしない

私もそのオープンチャットに投稿して、同じ境遇の、けして私を傷つけない人達*23)から絵文字をもらい、慰めを得たことが何度もある。絵文字を送ったことはもっとある。あるとき誰かが書き込んだ、「ここでだけ本当の気持ちを言える」という血を吐くような投稿に、心から共感したこともある。……だけど、私は先日、そのオープンチャットを抜けた。

 

人を羨んで傷ついては落ち込んでいた私は、最近、「誰も、私のもつべきものを勝手に横取りした人はいない」と思うようになった。つまり、私が得たいものを持っている人がいたとしても、その人が持っているそれは、"私が得るべきだったもの"ではない。その人のもの、その人が得るべくして得たものだ。私が得るべきだったものを勝手に横取りした人は、どこにもいない*24。ただ、私がまだそれを得ていないだけなんだ……そういう風に考えるようになった。

そうしたら、他人を恨まなくなった。それどころか、他人の幸せを喜べるようにさえなった*25*26。これは私にとって嬉しいことだった。自分を哀れまなくてよくなったことも*27

 

はなしたり、きいたり

私がどうしてそういう風に考えられるようになったのか、明確なきっかけはわからない。今年の春に初めて石切で占いをしてもらって、占い師さんに言われたちょっと明るいこととか*28*29、あるいは、これまでの行動を見直して違うことをやってみていることとか*30*31*32。いくつかのことが、じんわりじんわり重なって、初めてこういう視点に立てるようになったのだろうと思う。

あるいは、歌を詠んでいることも関係しているかもしれない*33。自分で自分の状況や感情を客観視するのによいから、歌は、私にとって*34
詠むだけではなくて、色々な人の歌を読んだことも、関係しているかもしれない。短歌を通じて、知らない人の人生をちらちらと齧れる。色々な状況があり、それに対する作者の受け止め方、心の持ちよう、その回復のさまを覗かせてもらうことができる*35。指針——とまではいかなくても、目線を少し上にあげる助けになっているかもしれない。ひとり雪原にうずくまる時、遠く近く揺れる、立ち枯れた草木、あるいは赤い実のように。

 

あれは私を燃やさない火

SNSの「おすすめ」タブの話に戻る。

私は「おすすめ」タブに苦しめられてきたけれど*36、「投稿者は私には一生関係ないはずの人だ」、と思うと、不思議と気が楽になった*37。つまり、学校とか、職場とか、友達の友達であるとか、そういった何らかの繋がりで私の人生に関わってくるはずのない人、という感覚である。すると、流れていく文章から心を離して眺めていられるというか、「……でも私には関係ない人だもんな」、っていう、無理やりオチを付ける4コマ漫画の4コマ目のような但し書きを得られた気分になる*38琥珀楡に向かって走る宝珠のように*39

望んでいないのに目に入る様々な投稿は、心を波立たせることはあっても、私のものを奪ったり、害したりはしない。楽しかった体験にケチをつけられた気になってげんなりしても、触れられるものを壊されることはない*40。そこでは、本当は、誰も私の話をしていないのだから*41

 

責任、私を燃やす火、あたたかくなること

「おすすめ」タブの話とオープンチャットの話に共通するのは、「手の届く範囲に集中しましょう」ということかな、と思う。それは「身の周り」とは限らない、つまり、距離の話とは少し違う。言うなれば、「責任を負える範囲」だろうか*42

SNSで流れてくる誰かの怒りや悲しみ、そこに私の責任は発生しない*43。それは私には関係のないことなのだ。そしてまた、私が得たいと思うものをすでに手にしている人を見たとして、その人が手にしているものは結局、私が得るはずのものではない。

 

私は私の手に負えるものを大事にしたい。羨ましいものや派手なものに目を奪われて心を淀ませるより、私が力をかけるに値すると自分で思ったものに、そしてそれを許されるものに、手をかけていきたいと思う。触るうちに傷つくこともあるかもしれないけれど、触らなければそのぬくもりを知ることもできないのだ*44*45

 

 

さて、これで、2023年のアドベントカレンダー「淀まない」はおしまいです!*46

「淀まない」というテーマでありながら、あまり関係ない記事もそれなりに書いた気がするし、最後にはなんか小さい(狭い?)ところに落ち着いたな。まあ、長い距離を流れていくだけじゃなくて、小さい泉を澄んだまま保つのもまた「淀まない」だもんね。

 

今年もこのアドベントカレンダーにお付き合いくださり、ありがとうございました。あなたさまもどうか、良いお年をお迎えくださいね。

 

 

「読んだよ」「この記事が好きだったよ」「私は今年このように淀まなかった」など、応援・感想メッセージは、いつでもこちらにどうぞ(とても嬉しいです)。

sugar-pot.underxheaven.com

*1:シュガーポットへのメッセージのお返事:
めっちゃ嬉しいメッセージありがとうございました~!!
女性アイドルからの影響があるんですね。応援している女の子が、お化粧やヘアスタイルや衣装を変えることで色んな姿を見せてくれたら、メイクに興味が湧くかも……!
2.5舞台は私も見ることがあるのですが、"素であの姿!"という思い込みがあるのか(!?)、「化粧を施されている」という視点がなかったみたいです。なるほど~と改めて舞台写真を見てみると、キャラクターによって全然違うメイクがされているっぽくて、面白いです!(刀ミュのてんえどたちのメイクが好きだな~と思いました……!)

分類して「なるほど~!」って思うの楽しいですよね、パーソナルカラーとか歴代の推しの傾向とか。似合う装備を見つけられたら嬉しいと思う気持ちは、それが自分の顔や身体でも、手持ちのぬいぐるみでも、自分の同人誌でも、共通するものがあるかもしれませんね。
たくさん気づきをいただいて嬉しいです、ありがとうございました!!

*2:今年のアドベントカレンダーでは、水辺の振り返りと読書の振り返りをやっている。振り返り系は執筆時間が短くなりがちだから、睡眠時間死守モードでも書きやすいのだ。

*3:洗濯機のせんちゃんは今日も「メリー、クリスマス!」と言ってくれた。

*4:24日のことです。

*5:照り焼きのチキンレッグが美味しかった!

*6:ファンデーションとパウダーを新しくした! 初めてシェーディングとハイライトを買い、ブラシも買い、リップモンスターを買い足した。

*7:ポーチの中身を入れ替えながら、リップ2本とお別れした。色落ちしやすいやつと、味が不味いやつ……

*8:ポーチの中を小分け区切るために、これまでは豆腐の空き箱と牛乳パックを使っていたのですが(これはパーソナルカラー診断で手持ちコスメの分類をしてもらう時に失笑された思い出がある(つまり2019年くらいからそのまま使っていた))、紅茶缶と百均のプラスチックトレーに変えることができた……! なおジャムの空き瓶は続投している。

*9:私はダイレクト紙袋にしてもらいました。

*10:県内のカフェ特集本他を買った。カフェ本、家でよく見たら、いちばん最初に私の好きなカフェがバーンと取り上げられていて驚いた。ええ、そこはとてもいいところですからね(一介の客にしては自慢げ)。

*11:クリスマスではしゃぐ気持ちがよくわからなかったのだけど、昨日は楽しかったのな。モールでショッピングしている人たちもなんか楽しそうに見えたし、こういうのもいいなって思いました。

*12:でも今朝はシチューとキャベツ炒めを作っていたら時間がなくて散歩もあんトレも化粧も何もできなかった! お化粧したかった!

*13:普段は、zoomミーティングがあろうがなかろうが、平日の気の持ちようのために化粧をしている。今日はもう年末でやることが多く、「すっぴんだからやる気出ない」などとだらける暇がなかった。

*14:なお、26日にも記事を書ききることができず、27日にも書いています。でかいテーマを最終日まであたためてしまい、最終日の1日では書ききれずに何日も引っ張ってしまうの、もしかして去年もそうだった可能性がある。

*15:ノーズシャドウというものを初めて入れてみて、初めて気づいたのですが、私はもとの鼻の形が好きだな、何もしなくていいな。こうして自分の顔の好きなパーツが見つけられるのはいいな。

*16:写真は24日に撮ったやつかな? もう蕊が見えるくらいまでちゃんと開いている。

*17:出典不明。Xだったかそうじゃないかも定かでない。

*18:フォローしているユーザーのポストもたまに流れている。

*19:無料記事で恐縮だけど、概要はわかると思う。

*20:この件に限らずたまに思うのだけれど、ある状況に対して湧いてくる怒りが、本当に自分の怒りなのだろうか、と疑う時がある。条件反射のような怒りってありませんか? 「私はこのような状況にある。このような状況にある人は、こういう言葉をかけられたら、怒る」……のような怒り。
なんだろうな、受験生に向かって「私、今朝、道端の氷でうっかり滑っちゃった」みたいな……(いや、これ、マナーの話かしら?)。そういう時に湧いてくる感情って、本当に自分の気持ちなのかな。マインドフルネスの話に近いかもしれないんだけど(感情に対して、感情があるなあ、と客観視する感じ)、同じではない気がする。
なんだろうなあ、相手の発言内容に怒るわけではなくて、そのデリカシーのなさとか、配慮のなさに反応しているのかなあ。「受験生の私に向かって滑ったなんて言うのはどうかしている」、のように。もちろん、「滑ったなんて言わないでよ! お前の言霊によって受験で滑ってしまうではないか」という(ある種素直な)反応もあると思うのだが。

*21:これは結構大事な話で、脚注でするものではないようにも思うが、記事の本筋とはズレた話なので引き続きここで喋る。もしかするとこの下でしている話のネタバレを含むかもしれない。アドベントカレンダー脚注ネタバレ地雷勢は飛ばしてください。いいですか、続きを喋ります。……私は、「この怒りは条件反射のやつかも」と思えるようになってから、割と気持ちが楽になった。マナー的怒り、とでも言えるだろうか。これのよいところは、怒らずに済むということ以上に、「こんなことで怒るなんて、私はつくづくダメな奴だ」という自責……自分への攻撃とか、落胆を防げるところだと思う。他人に勝手に傷つくだけでもしんどいことだが、さらに自分で自分を貶して傷つけるのは、本当にきついことだ。つらいので避けたいし、実際、メンタルが落ちると負のスパイラルに陥りそうだから、多少の工夫でやめられるならやめた方がいいと思う。

*22:そのオープンチャットのユーザーのことを良いとか悪いとか言いたいわけじゃない。そもそも、気持ちが落ちている時にやってくる場所だ。外ではまた違う面を見せているだろう。使い捨てのハンドルネームの向こうには一人ひとりの歴史があって、今があって、得たい未来があるのだ。それぞれの心ができるだけ穏やかであって、いつか夢が叶うといい、と祈っている。

*23:これは、「私のつらさをわかってくれるから」でもあり、「傷つけることができないルールがあるから」でもある。

*24:誰もそれを奪うことはできない、という言い方をしてもいいかもしれない。

*25:もともと、喜んではいた。いたけれど、喜びつつもちょっと胸が痛い、みたいなマーブルの状態が多かった(マーブルの比率は私のコンディションによって変わる)。最近は、喜ぶ時に、胸が痛くならない。

*26:※未来永劫そうかどうかはわからないし、多分そうではないのだろうとも思う。

*27:まあこれは、好きだった人が別の人と結婚してしまった、とかだとまた違う話になるのかも。あるいは、合格者数の決まっている受験に落ちるとか、数量限定の品物を買えなかったとかも、もしかするとそうかもしれない。あったはずの私の席、私のパイが奪われている、という状態。

*28:石切さんの商店街は、占い屋さんがとてもたくさんあることで有名。2015年から何度も訪れているのに、占ってもらったことはそれまでなかった。なんとなく、ベテランの……年嵩の占い師さんが多いように見えて、気後れしてしまうのだ。説教されたら嫌だな……という勝手な心配(読者の方に強調しますと、これは私の偏見に過ぎません、すみません)。その日は、この人になら何を言われてもいいか、と思える方を見つけたので、お願いすることができた。

*29:占いの結果もさることながら、一緒に悩んでくれたり、占いとは別にひとつ現実的なアドバイスをしてくれたりしたことが、私は本当に嬉しかったのだと思う。たとえそれが占い師のセオリーだったとしても構わないのだ。

*30:漠然した記載になってしまった。何がなんだかわからないと思うが、とにかくこれによって、「私が得たいと思うそれは、きっと手に入る」と考えるようになり、ひいては「誰も私のものを奪ってはいない」と思えるようになった。

*31:「自分の問題の解決を誰かに任せきりにしないで、自分で考えて行動し、変化を起こす」という点がいいのだろうなと思う。現実把握感とか、処理可能感が、ちょっと上がる。※SOC(首尾一貫感覚)とは | メンタルヘルス.jp

*32:ただこの路線変更については、今でも「それでよかったのだろうか」と思っている部分があって、人に話すときにはたくさん予防線を張ってしまうし、(このように)細部をインターネットに書くことができない。信じきれたらいいんだけどなあ。でもそれはそれで私っぽくないんだよなあ。

*33:歌=短歌。

*34:今年は、二次創作小説を書いている時に、短歌がぽろぽろ出てくることがあって面白かった。そもそもその小説の着想が他人の短歌だったから? ただ、また別の機会に、散文を書かねばならないところ、出てきたのが短歌だったりもした(散文は短歌にくっつけて書いた)。文章の出力回路に「短歌」が追加されている。

*35:短歌の主体と作者が同一である歌を読むことが多い。

*36:予期せぬネタバレを食らう、という苦しみもある!

*37:悲しいかな、ネタバレはその限りではない。

*38:それはそれとして、せめて「おすすめ」タブは一番右側に表示してほしい。Xを開いていきなり目に入るのが「おすすめ」なのは毎回嬉しくない。

*39:

 その周りの空間、少なくとも宝珠の視界の全てにガラスの破片のようなものが現れた。その全てに何かが映っている。
「な……なんだ、これ」
 映っているのは、「どこか」だった。
 見るな。
 マジックマスターの声。
 理解の出来ないものだ、そこにあるのは、お前には理解の出来ない異次元だ。
(中略)
 宝珠が一歩を踏み出すごとに、そのガラスの破片のようなものは破砕して、その破片にまた新しい世界を映し出す。
 いらない。
 他の世界はいらない。

野梨原花南(2003).ちょー薔薇色の人生 集英社 pp.155-156.

*40:よしもとばななの小説の何かに、「テレビは友だちに似ているが、友だちよりも壁に近い。たとえテレビを見ている人が殺されても、変わらず映像を映し続けるから」、というくだりがあった。SNS(の見知らぬ人の投稿)も、壁に近い。

*41:SNSから心を離して落ち着いていられるようになったのは、前にも書いたけれど、他に居場所を整えてきたから、というのも大いにある。その話は今回の記事とはちょっとズレるので、本文では取り上げない。しかししみじみと、依存を治すには依存先を増やすこと、というのが感じられることだなあ。かなりしんどい気持ちも通過してきたものの、今なんとか、Xがぶっこわれてもまあいいか、という気持ちになれたのは本当によかった(Xがぶっこわれたらまあまあ悲しいと思うけど、それでも、他に行き先がない状態でXがぶっこわれるよりかずっとマシな心持ちだと思う)。

*42:仕事で、遠方のお客さんとzoomでやり取りするシチュエーションを考える。これは「手の届く範囲」にカウントされると思う。私に責任があることだから。

*43:私にも責任がある(自分事である)、と錯覚させられていることがままあるように思う。なお政治の話とかは例外かもしれない。

*44:類:2022/11/28『殴れる距離に入らなければ抱きしめることはできないんですよ(n年ぶりk回目)』https://twitter.com/your_re/status/1597090059081355264

*45:あの~、SNSがなければ出会えなかった人も、何人もいらっしゃいますね。そういうご縁には感謝しているし、今後もぜひ大切にしていきたいと思っています。それはもう「繋がった人」だから。本当に! 親愛なる縁者さんへのフォローが脚注の最後になってしまってすまない。お目通しに感謝する。

*46:9,000字ちょい!