これは2019年アドベントカレンダー「愛の観察ツアー(徒歩)」第24日目の記事です。
昨日は、推しのために何度も行った土地自体を好きになっちゃって、休日突然飛行機で飛んでしまった話をしました。
巨大な感情を携えて
日々の意思決定における感情
何かを決めるとき、選択肢を色々調べて比較検討して、理性的に決めている、つもりだった。でも、あれこれと調査しても、けっこう気分で決めているな……と最近気づいた。
調べないで、なんとなくで決めちゃうこともあるし。*1
推しとかに対する感情
特に好きなものに対しては、感情が自分でも手に負えない大きさになってしまうことがよくある。
推しの話をしていて感極まるとお腹が痛くなってきちゃうし、泣いちゃうし。
巨大な感情と活動する
大きい感情に、泣いているだけではない。何かをしちゃうこともある。
いきなり新幹線や飛行機に乗っちゃうとか。
贈り物を慎重に検討して、挙句いくつも贈るとか。
和歌を選んで贈るとか。
長文の手書きのお手紙をしたためるとか。
励ますとか労うとか、「今日も君は本当に最高だよ」とか、言葉を贈ることも。*2
巨大な行動を見極める
これはやりすぎだな、と思えるようになってきた。ここ数年で。
私の感情が巨大がちであることの自覚。
巨大な感情の全てを行動に変換して、相手にぶつけてしまいがちであることの自覚。
「誰にでも全力を尽くす」べきではなく、相手の立場や気持ちとか、周囲の状況をわきまえた方がよいという気づき。*3
巨大行動のよくないところ
- 相手が(お返しのことを考えて)負担に思う。
- 私がそのような行動を取り続けることができるとは限らないので、相手に何か期待されても応えることができず、その点で無責任である。
- 私の感情は巨大なので、相手をびっくりさせる。
……あたりが思いつく。
他者から「愛されている」と思うことで、そこに安心していることはできるのかもしれない。
だけど、でかすぎる愛を急に注がれると困るのではないかしら。
謂れがないとか、どう応えようかとか。
巨大感情の扱い方
どのくらいの好意を相手に伝えてよいかは*4、「今の自分の気持ち」だけ考えるのではなくて、過去・現在・未来の、相手と自分、まで考えを広げないとなあ、と思うのです。
おお、そんなことも知らずに生きてきたんだなあ。
気づかせてくれるあなたに感謝ですわ。
愛は一過性のものではなくて、続けていく意思も、共にあってほしいと思います。