単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

「私がそれを先に書きたかった」

これは2023年アドベントカレンダー「淀まない」第8日目の記事です。

 

前回は、作品を見るときにその作品だけを味わうときと、作者に思いを馳せて味わう場合がある、という話をしました。同人誌とあんスタ曲について*1

短歌は作者のバックグラウンド(年齢、性別、職業、趣味、etc...)を知った上で鑑賞することが多くて、俳句はそうでもない、みたいな話をどこかで聞いた気がします。詳しくは知らないので、ものを書ける状態ではないのですが、けっこう興味深い話だなと思っています*2*3*4

作者を伏せた状態で歌を見る歌会でも、作者は女性なのだろうかとか、高齢だろうかとか、想像することがあるように思います(私もそうだし、他の参加者や選者の方も)。短歌には感情や価値観を入れやすいから、作者がどうしてそのように感じた/詠んだのかが気になりやすいのかな。あるいは、歌の中で関係性が省かれているか、描写の不十分な歌を見たときに、「ここで言う『姉』は自分の姉なのか、配偶者の姉か?」とか、「『子』は子どものことか、それとも子どもの子どものことか?」とか、考える必要があることも関係しているかもしれない*5

 

今日はこの流れのまま短歌の話をしたいと思います*6

 

「私がそれを詠みたかった」

この夏、宮崎県日向市で開催された『第13回牧水・短歌甲子園』を見に行ってきました*7

『第13回牧水・短歌甲子園』 - 日向市ホームページ - HYUGA CITY

短歌甲子園って何かをざっくり言おうとすると、

  1. 高校生が参加する、1校3人のチーム戦
  2. 1試合で2校が対戦する
  3. 1試合に1人が1首を持ち寄る(1試合につき3首vs3首)
  4. ディベート形式で、相手チームの短歌について気になる点、弱い点を指摘する→言われた側は反駁する
  5. 3名の審査員が、短歌のできばえとディベートの内容を見て、どちらかに旗を上げる。多数決で勝利が決まる

こういう感じになる。

短歌は基本的に題詠(指定の言葉を短歌の中に入れる)、決勝戦のみ自由詠。

うまいな、好きだな、と思う歌もたくさんあったし、ディベートでの指摘も鋭くて、面白かった*8*9

さて、最後の講評の際に、ある審査員の方がおっしゃったことが強く印象に残っている。ある一首の中のフレーズについて、その素晴らしさを言い、「私がそれを最初に詠いたかった」とおっしゃっていた。微笑みながら淡々とした口調で、つよい眼差しで。本心だろうと思う。

プロの歌人さんである。それが、人の歌を見て、「私がそれを詠いたかった」と思うことがあるのか……と、はっとした。

 

「私がそれを書きたかった」

私は二次創作の作文を書く者だ*10。人の作品を読む中で、稀に、「これを私が書きたかった……!」と思うことがある。

その感情を、自分の中でうまく消化しきれていないところがあった。けれど、審査員さんの「私が先にそれを詠いたかった」を聞いて、「ああ、この気持ちって、『ある』んだ」と思えたように思う。私は「こんな気持ちを抱いてはならない」と思う感情は無視する傾向がある。

 

また、こういう鑑賞記事もあった。筆者はプロの歌人さん。

コンサートの趣旨にもよるだろうが、本プログラムの空気とアンコールの空気はいくばくか異なる。緊張感のあった本編とは異なり、多少は緩やかな空気が流れる。(中略)言語化されることなあまり無い時間が、言葉によって切り取られて心地よい。なによりもその瞬間を私が詠んでみたかったなと思ってしまう。*11

花束はピアノの上に置かれたりアンコールへと入りゆく静寂しじま – 砂子屋書房 一首鑑賞

 

やっぱりな、「ある」んだよな……。

 

二次創作の散文ではなく、短歌においても、「それを私が詠みたかった……!」と思うことは何度かあった。例えば光森裕樹さんの歌について、過去こういうことを書いている。

この歌がもう存在する世界に住んでいて嬉しい歌、p127の、喫茶より夏を見やれば木の札は「準備中」とふ面をむけをり 、この現象が私はとても好きなので、やられた〜という気持ちと、こんなにきれいにラッピングされていて嬉しい、という気持ちが両方ある。

読んだ:桜前線開架宣言 : Born after 1970現代短歌日本代表 - 単品と単品

 

この時の私は、自分がそれを言葉にできなかったことが悔しい、と思う気持ちと、あっぱれ、と作者に心からの拍手を送る気持ちを両方持っていた。「ストレートに負けを認めた」という状況に近いと思う。

 

微力だが、無力ではない

私が、自分の「私がそれを先に書きたかった」と思う気持ちを認め難いのは、「その感情があることを無視している」というだけではなくて、単に負けず嫌いだから、という説もある。圧勝が好きだから

だけど、その厄介なプライドが、ある意味で丸くなり始めているような気もする。

短歌を始めて、自分は別にうまいわけでもないし、周りにもっとうまい人たちがいっぱいいる、という環境に来た。なんとなくできるような気がしていたけど、別に圧勝できるものではない。でもたまに、そういう人たちの中で認めてもらえて、ちょっと言葉をかけてもらえるようなことがある。そうすると、「私はまあこんなもんか」、って、自分の立ち位置を冷静に見積もって受容する感覚が生まれる……気がする。自己卑下と褒めで重力と浮力のバランスを取っているみたいに*12

去年のアドベントカレンダーでもどこかで書いた気がするけど、この短歌というジャンルで私は無名である。下手くそであろうが*13、痛くも痒くもない。伸びしろしかない。作風も認識されてないし*14、途中でやめたっていいし*15

 

私ができたかもしれないのに、と悔しく思うのは、どこかで自分を信じているからではないか。その自信はきっとあっていいものだと私は思う。根拠があろうとなかろうと。まあ、無力を詰る言葉でもありえるのだけれども、私がたまに(私が好きな)いいものを書く/詠むことは私が知っている。私は圧倒的に優秀ということはないが、少なくとも、無力ではない。

いいもの・好きなものを見たら、喜んで、それから悔しがりたいなと思う。自分が至らなかったことを、高校生の青春みたいに、まっすぐに*16

 

 

うお、なんとか出せそうな感じになった……。よし、お風呂に行くぞ行くぞ。今日も本は読めそうにないが……。

 

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*1:昨日(火曜)はアドベントカレンダーを更新しませんでした。週末遊んだ分の疲労と前日の睡眠不足が効いて、火曜は久しぶりに昼間にどろんどろんに眠くなり、ちょっと寝てしまった。寝るのが好き(な私の身体)……。なおアドベントカレンダーを続けつつ早寝と十分な睡眠時間を確保すると犠牲になるものとして、①散歩(あんトレを優先している)②風呂での読書(基本毎日しているのだが、時間がない)③朝ごはん(普段は白米とスープを食べることが多いが、昨日はシュトーレンとざらめ煎餅だけを食べた。東西平たい糖分対決みたい)などがある。これをあと2週間くらい続けるのは厳しいので、このようにどこかで休息日を入れる必要がある。今日は散歩も朝ごはんもやりました! 風呂がどうなるかはこれからわかる。

*2:作者のパーソナリティに触れる読み方もそうでない読み方もある、という記述を見つけたので引用:『岡本の方は先述の宣言の後に、仲の良さと関係なく、一人の読み手として上坂の歌を通して感じたことを言葉にしていくと書いている。上記の評を読むとなるほどと思う。岡本は歌集の歌を読むときに上坂の実際のパーソナリティに触れていない。「おわりに」でちょっと触れるだけだ。実際の人柄を飛び道具の様に読みで使う上坂と対になっている。(これはどっちの読みの方がいいという話ではないというのは一応言っておく。)』砂子屋書房 月のコラム – ページ 3 – Icecream days – アイスクリームデイズ

*3:先の記事で紹介されている本を、読んでみたいなとちょっと思う。どこかで「短歌初心者が歌集をいきなり読むのは難しい」という話を見かけた。"歌の解説が何もないから、解釈するのも難しいし、どういう歌がいい歌なのか判断するのも難しい。だから、初心者には、歌とその解説が載っているような本がお勧め"、という話だった。それは私の体感としてもよくわかる話だ。この本とかこの本とか面白く読んだし、気になる歌人を探す取っ掛かりとしてもありがたかった。ところが、上記記事で触れられている本は、「歌集の副読本」であるらしい。歌集Aと歌集Bについて、作者Bが歌集Aの解説をし、作者Aのが歌集Bの解説をするという形式になっている(つまり、作者が自作の解説をしているわけではない)。それはそれで面白いだろうなと思っている。

*4:短歌って一首の中に色んなことが入っているし(景色、状況に加えて、作者の価値観とか感情とか人生とか)、その割に短くて文字量あたりに触れる物語量が多いから、小説など散文と比べて読むのが疲れる感覚がある。

*5:短歌、複雑なことを言おうとすると割とすぐ破綻する……

*6:ところで、毎朝シュトーレンを一切れずついただいています(本文と関係ない話が始まるタイプの脚注です)。夏にあすけんを使うのをやめてから体重が右肩上がりになってしまったため、また使い始めたのですが(あすけん:食事記録アプリ)、シュトーレンは、めっちゃカロリーが高い……! 一切れ151kcalという説がある……。あすけんではお菓子は1日200kcalを守るように言われるので、一切れでこんなに消費してしまうとは恐ろしい。しかもあすけんでシュトーレンを登録しようとすると200kcal超えた数値が表示される(3cm×5cmという、結局どのくらいなのかわからない表記なので(もう一つ数値が必要では?)、これが一切れ分だとは信じないことにしているが……)。これは確かに一日一切れに留めるべきだ。風習に従って毎日少しづつ食べていたら、一昨日くらいから食感がしっとりしてきました。粉糖がぺったりしているのもそうですし、生地の中もしっとりしています! これが、クリスマスに向けてゆっくり美味しくなるというシュトーレン……! 体感できて嬉しい。

*7:日向と日南を混同しているため、地理に混乱した。日向は南部ではないよ。

*8:ディベートでは相手の歌の弱いところを指摘するのだが、あるチームの(確か1年生の)生徒さんが面白いことをしていた。持ち時間がまだあるのに指摘点を見つけられなくなったらしく、相手の歌を元気いっぱい褒めだしたのだった。客席も、審査員も、何より相手校の生徒さんも「!?」となったのだけど、「歌のいいところ」の指摘も的を射たものだったし、愛に溢れていたので、興味深く聞いた。

*9:その生徒さんはチームでも個人でもすぐれた評価を受けていた。また、詠草集で私がいいなと思った歌のいくつか(けっこうな割合である)はその生徒さんの作だった。鑑賞力と作歌力って関連しているよなあとしみじみ思う出来事だった(もちろん、歌の褒めるべき点を見つける鑑賞力の強い生徒さんは、たくさんいらしたのだろうと思う。ディベートの場では言わないだけで)。

*10:今年はあまり多くは書けなかったけれど、そう名乗ったっていいだろう。

*11:原文ママ

*12:褒められるって大きい、ありがたいことだ。

*13:事実下手くそであろうが、他者から下手くそだと認識されようが、

*14:でもこれは私の誤解かもしれないな。歌会Aではもう1年半くらい、冊子に毎月作品を載せてもらっているので、会員の方にはなんらかの作風が伝わっているかもしれない。

*15:あ、もしかすると、「いずれこの土地を離れる時、今かかわりのある人達との繋がりは続かないのではないか」という気持ちがあるから、(少なくとも短歌の技量について)どう思われても構わないと思っている可能性があるかも? 引っ越したからといって短歌自体をやめるとはあまり思えない(面白いから)。

*16:高校生でも逆恨みとかすると思うけど、イマジナリー高校生ね。