河野裕子 著
うたの歳時記 (白水社): 2012|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
新しいうたかいに出て、もともと入っていたうたかいの人の歌とは全然違う歌が並んでいた。解釈が難しいものもあり、私ももう少しいろんな歌が詠めるようになれたらいいかなとも思って、もっといろんな歌が読みたいな、と手に取った本。私はたぶん河野裕子さんの歌が好き(この間武雄市図書館に行ったときにもしばらく立ち読みした)で、本当はご本人の歌集を探していたのだが、これは季節の言葉にまつわるいろんな人の歌を河野さんがコメント付きで紹介されている本。最後にご自身の歌も一首添えてくださっているのだが、その歌は見出しの単語とは関係なくて面白い。自由か。
思えば、ツイッター上で連句を巻こうとした時、既存の連句を目にしておこうと思って、ほとんどはじめて読んだ連句の本(たぶんこれ)に、河野裕子追悼会があった……と思う。本の連衆三人のうち一人が河野さんの夫で、その追悼会には息子さんも駆けつけていた、と思う。息子さんも歌人(娘さんも歌人*1)。当時の私は河野裕子を知らなかったので、何がなんだかわからなかったが、連衆たちがしんみりしながら「でも、確かにここに、河野裕子がいたね」みたいに歌を巻きながら同じ感慨に浸っていたような覚えがあり、印象に残っていた。その人が選んだ歌たちを、その人のコメント付きで読んでいる。不思議な縁だ。
連句をやらなかったら、私も今歌を詠んでいなかったかもしれない。
短歌の解説の本は苦手なのだけれど、好きな歌をほいほい紹介していきます、みたいなのは楽しく読めるのがわかってきた。
こちらの本も面白かったし。
河野さんは「この歌は好きなんだけどうまくいえないので、紹介するだけにする」などと短く終わっている歌がいくつかあった。いいなあ。歌人にもそういう歌はあるんだなあ。とちょっと救われるような、ほっこりするような気持ちになった。
わたし、斎藤茂吉と土屋文明はちゃんと時間をとって読んだほうがいい気がしてきた。北原白秋はいちいち美しい夢みたいな歌を作るのでこいつ~となる。
俳句もけっこう出てきて、高浜虚子の
焚火かなし消えんとすれば育てられ
があり、こんなん焚火するとき絶対思い出しちゃうじゃん……とおののいた。
この間会った人の歌が載っていたりして、本当に歌人なんだなとちょっとへんな感じがしたりもする。