単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

「単品と単品」とは何か──ブログ名の話

このブログは、名を「単品と単品」という。
ブログ名を褒めていただくことがあり、嬉しかった。嬉しさゆえ、ブログ名の話をする。

ブログ開設の頃のこと

このブログは2018年9月に開設された。*1
これは、夫と同居を始めて2ヶ月後にあたる。

私は実家を出てから、一人暮らしを5年ほどした。夫と暮らすのが、初めての、家族以外との同居だった。

「妻」の亡霊

この頃の私は困っていた。困り、困っている自分に気付いて、問題のありかに見当をつけていた。*2

当時Facebookに載せた文章が面白いので、以下に転載する。*3

以下転載

【私と妻と100年の亡霊】
※以下、同居1ヶ月のメモ。誰かを批判するものではありません

一人暮らしの間、「私」はしばしば「20代女性(私のことだ)」の相手をしていた。
「20代女性」の心を読むのは難しかった。いきなり不機嫌になり、元気をなくし、何もしたくないと言って床から動かなくなる。そのたび「私」は、うんざりしたり、なだめすかしたり、パンケーキを焼いたり本屋に連れて行ったりと、世話を焼いていた。

2人暮らしを始めてしばらくの後、私は自分が「20代女性」の相手をしていないことに気がついた。「20代女性」は静かだった。
「これは素晴らしい!」と思った。他人と同居して他人の相手をしていると、「20代女性」は安定するのかもしれないと。

だけど、つい先日思ったことには、多分違うんだと思う。

結婚相手と暮らすと「妻」ができる。
それは「規範的な妻※」で、「私(20代女性の機嫌を取る役)」や「20代女性」とは違う思考や態度を持っている。

※「専業主婦」の偶像だと思う。我々、共働きなのに。

私は「良い妻であろう」と思っていない。規範に関わらず、我々の最適な暮らしができればよいと思っている(共働きだし)。
だけど「妻」は勝手に発動して、思考や行動の選択肢を規定していく。

場合によっては、そういう思考セットがあった方が楽なんだろう。我々らしさを考慮するとコストがかかるから。

とは言え。

ひそやかに「妻」が発動して1ヶ月。
「妻」が表に立っていても、ほんとうは、「私」 や「20代女性」は消えていなかった。
「20代女性」が床で号泣し始めた時(比喩です)、「妻」は呆然とすることしかできない。
「普通の家庭」にこんなヤバい女は出てこないから。

長いこと放っておかれた「私」は、昼寝からなかなか目覚めず、「20代女性」は床を叩いて泣き喚き、「妻」はただおろおろし、おうちは世紀末の様相を呈する(比喩)。

それで思ったこと。

・「妻」は勝手に発動するけれど、私に負荷がかからないわけではない。
→「妻」の発動に自覚的でいられる訓練をした方がよいか、「妻」的な態度を意識して取捨選択して、自分の素直な振る舞いとして身につけた方がよい。
・「20代女性」は常にいるので、適宜相手をする必要がある。
・私は「私」をメンテナンスしておかねばならない。

(本当は、こうして自分を分けて考えるのはよくないことかもしれない。だけど、状況の理解のためにとりあえず。)

あと「私には共働きのロールモデルがない」ことがわかった。
共働きで、お互いにハッピーに暮らすには、「どちらかが完全に物事を調整する」ことはできない。つまり、どちらかがすべての家事を行うことはできない。

であれば、落とし所はグーグル先生も知らない。我々が手探りで作っていくしかない。信頼できる友人や知人に助けてもらいながら。

専業主婦の亡霊は抹殺しなければならない。明治の世で江戸の夢を見ていても幸せになれない。

それと、私単体と遊んでくれる友だちも大事ですね、と改めて思うなど。私を「妻」から引き剥がしてくれる人。

【転載ここまで】

心中の規範

今読んでも、とても不思議だ。
私は「規範的な妻でありたい」なんて、自覚的にはこれっぽっちも思っていなかった。でもその頃の私には、「そうあれ」という大声がずっと聞こえていたみたい。

なんだろうね。

私は親から「いい妻になりなさい」と言われたことがない。*4
それでも私の中には「規範的な妻」がいた。不意に立ち現れた亡霊のように。

現実と亡霊

「規範的な妻」の亡霊がどこから来たのかはともかく、亡霊がいると、困る。
なぜかというと、私がうまく付き合うべきなのは、心中の規範たる亡霊ではなく、目の前の夫だから。
それなのに、夫が言っていることが信じられなくなるから。

夫の『家事をやらなくてもいいよ』とか、『好きなことをしなよ』とかを、素直に受け入れられない。
「私が家事をしなくていいなんて、そんなはずはない」と思う。「私がやらなくちゃ」と思う。
「好きなことをしていいなんて、とんでもない」と思う。「私はやりたいことを我慢すべきだ」と思う。「夫がやりたいことをできるために、私は自分を犠牲にしなければならない」と思う。

自分が真っ先に身を削ろうとすることが苦しかった。実際に削っていたかはともかく。

「私は苦しまねばならない」と思うことが苦しかった。

亡霊殺し

私は自分が「妻の規範」に取り憑かれていることを発見した。自力で発見した。*5
そこで、まずは、「亡霊を無視する」ことに決めた。

苦しんでやらない。
やりたいことをする。
私は「妻」ではなく、「わたし」である。

そう強く思うだけ。そういう方法で。


そういう時期に、このブログを作った。

単品と単品

絶対に、規範に、従ってやらない。
亡霊の主張する思考、振る舞い、心持ち、その一揃いを、受け取ってやらない。そんなセットは要らない。私は私の欲しいものを一つずつ選ぶ。一つずつ揃える。

絶対に譲らない。

そういう意思で、ブログ名を「単品と単品」にした。
サブタイトル「ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある」も同じ思考から。

妻と夫

なお、今は家の中でもかなり自由に振る舞える。
私たちにあるのは「妻と夫」ではなく、「私とあなた」であるはずなのだ。
だって私は世界に一人で、あなたも世界に一人だから、起きる問題は個別で、解決方法も個別のはずなんだ。
他の人のやり方を参考にするのは大いにやればいい。でも、他の人と同じことをして全部がうまくいくわけではない。
考えなければならない。
何に引っかかっているのか、どうしたら私もあなたも納得するのか、問題がうまくいくのかを。
ずっと考えないといけない。

それは救いのあることだと思う。

一つずつ選ぶこと

私が「やりたいことややるべきことを、考えて一つずつ選ぶ」をやると決めて、実際にそうするために、私以外の人の力もたくさんいただいている。

私が好き勝手やろうとするのを助けてくれてありがとう。あなたもあなたの亡霊と、うまく付き合えますように。

*1:というか、2018年9月25日に最初の記事が投稿されている。

*2:ちゃんと問題に取り組んでいてえらい。

*3:現在このFacebook記事は非公開にしている。

*4:そもそも「結婚しなさい」と言われたことがない。

*5:えらい。