これは2019年アドベントカレンダー「愛の観察ツアー(徒歩)」第20日目の記事です。
昨日の、「愛を愛と判定するためのリスト」の話について。
一晩寝て起きたら、話の流れに不適当な部分があったのでは、と思いました!
今日は補足の記事にしようと思います。
昨日の記事における混乱について
私が不適当かもと思ったのは、
・他人が自分に向ける愛を愛だと判定する
ことと、
・自分が他人に向ける愛を愛だと判定する
ことがごっちゃになっていないか、というところです。
混乱の整理
あなたの(私への)愛はどこから? その1」では、「他者が自分に恋しているかどうかを判定するリスト」について書きました。
あなたの(私への)愛はどこから? その2」においては、明言はされていないものの、「自分が他者を愛しているかどうかを判定する」ことについて書いているように読める。
それでいて、記事タイトルは「あなたの(私への)愛はどこから?」。
これは逆だ!
混乱からの脱却
それなので、「他者が自分を愛しているかどうかの判定」について書こう、と思ったのです。
ところが、「私自身がどういうことをされたら愛されていると思うか」は、もう書いていた。
それなので、もう少し広げて、私以外の人のことについて考えたい。
混乱との再会
でも、「あの人、私のこと愛してる?」と気づく時って、そんなになくない? と思いました。
「愛されていると気づく」って、どういう状況なんだ。親が死んだ後に「たまに帰るたびいつも俺を子供扱いして、唐揚げを山ほど作ってくるのに辟易してたけど、あれは愛だったんだ」と、寒い駅のホームでふとわかってしまう、とか?
それとも、自分が書いた小説に長文の感想が届いて、「こんな細かいところまで読み込んでくれた上、泣いてくれただと……? こんなに丁寧な言葉で感想を綴ってくれただと……? まさか……これが……愛……?」って嬉しさ極まり一周回って半信半疑になる時とか?
愛の始まり
愛っていつ始まるんだろう。
恋はしばしば、この瞬間から! というのがあるみたい。「恋に落ちる」とか言うし。*1
でも、愛って、だんだん愛になるものなのかもしれない。愛が、関係を始めるためにあるのではなく、関係の深化や強化のためにあるのなら、特に。
パッと始まるものでなく、パッと気づくものでもないのかもしれないな。*2
秘密の愛
愛が愛だと気づかれにくいならば、自分も他人も愛だと思っていない愛は、案外たくさんあるのかもしれない。それを愛と呼ぶのかはまた難しいけれど。
徐々に温度の上がる水槽で泳ぐ金魚が、そのゆっくりさに慣れてしまって、しまいには熱湯の中で平気で泳いでいるみたいに。*3
だから、自分では愛しているつもりがないものを、「君は絶対にそれを愛しているよ」って言われることがあるんだな……。