これは2019年アドベントカレンダー「愛の観察ツアー(徒歩)」第19日目の記事です。
昨日は「あなたが私を愛する理由を推論する」みたいな話を書きました。恋の話もしました。
このアドベントカレンダーで恋の話をしたの、昨日が初めてじゃないだろうか。恋と愛を分けるタイプの人間。
「恋を恋と判定するリスト」
昨日の記事でした「恋リスト」の話。
人が「恋リスト」を持つのは、恋をすると次に何をするかが、この世の中ではある程度明確だからではないか、と思う。
- 相手にも自分を好きになってもらう。
- お付き合いする。
- 結婚する。
そんな感じで。
そういう世間にあると、「恋リスト」を用いて、恋を早期に発見することが有利かもしれない。
結果、恋リストは洗練されていく。
「愛を愛と判定するリスト」?
恋に比べると、愛は、その後どうするのかが明確でないように思う。
そもそもすでに何らかの関係にある相手を愛することが多そうな気がする(恋には一目惚れなど、必ずしも関係のない人相手にも発生する場合があるが、一目で愛が始まる場合は少ないように思う)。
そうすると、「愛を愛と判定するリスト」は強化されにくいのではないだろうか。緊急性が低いというか。
愛を始めた後には
ここで、このアドベントカレンダーの過去記事を思い出した!
私は繰り返し、「愛は振る舞いに宿る」みたいなことを言っていました。
愛しているから何をする、のではなくて。
何かするその振る舞いが愛、なのだと。
だから、「愛を愛と判定するリスト」は要らないのだ。私の考えでは、愛を愛と判定したからといって、振る舞いが変わるわけではない。ただ自覚が伴うだけ。愛の振る舞いを続けるだけ。
他者に対しては、その振る舞いは愛だねと、言うためのリストがあるかもね。
こういうことがあるので、アドベントカレンダーは好きです。毎日書き続けることで、少しずつ、思考が先に進める感じが。昨日の自分の肩に乗ってるみたいな。