これは2019年アドベントカレンダー「愛の観察ツアー(徒歩)」第18日目の記事です。
昨日は旅の話をしました。一人でふらふらする旅はいいぞ。日光はいいぞ。澄んだ水の流れが好きすぎて、道端で見つけるたびに「わあ……⭐︎」って声を上げて駆け寄りがち*1な私に、日光は本当に優しい。私の前世は淡水魚だと思う。清い水辺を愛している。
今日は、誰かが私を愛していると感じたとして、その人がなぜ私を愛しているのか、について。
愛、わからね〜〜
誰かが、私に愛をもっているな、と思うことはある*2。
だけど、なぜ私に愛をもってくれているのか、わかったことはない。
愛の根拠
愛に根拠ってあるんだろうか。Evidence based love, EBLというのがあるんだろうか。
愛の根拠になりそうなことについて考える。
血縁関係
親子だから、とか、きょうだいだから、愛がある、というのはあるかもしれない。
けれど、血の繋がりがあることが、必ず愛をもたらすとは思わない。*3
恋人・配偶者
「愛があったから恋人や配偶者になるのであって、恋人や配偶者『だから』愛があるというのは逆では?」という気もする。
でも、育まれる愛、とかいうよね。恋から始まって愛になる、みたいなの、割と一般に信じられているような気もする。
これもまた、上記同様、恋人や配偶者だからといって必ず愛があるとは思わない。
ラベリングへの疑問
あれ? そもそも人間はみんな違い、関わる人間も皆違うため、生じる感情や関係の数は天文学的な数字になるというのに、関係性をラベル付けしてまとめて論じようというのは無茶では?
という気持ちになってきた。
愛とは個別の関係の中で立ち上ってくるものではないのか!! ……と、私の中のクソデカ感情大好きオタクの魂が叫んでいる。ひぃん。
説明不可能な愛の強度
「説明できない『好き』が最強の好き」と、ものの本で読んだ*4。
これは、説明できる「好き」は、その原因が断たれることで消える可能性があるので、ということらしい。
愛もそうかもしれない。
あなたを愛する理由が睫毛の長さならば、睫毛カットしたら愛が消える。
あなたを愛する理由が絵が上手いからならば、筆を折ったら愛が消える。
人間に、愛により安心して生きていける仕組みが備わっているのであれば(参照:愛される場所で生き延びる - 単品と単品)、そんな簡単に愛が消えてしまうと困る。
わからない愛を愛していく
先日、友人たちと、恋とは何かについて話し合った。正確には「人は恋をした時、どのようにしてそれを恋だと知るのか」について。
5時間に及ぶ議論の末、このような結論に達しました(議論の内容を踏まえ、私が加筆したことも含む):
- 人はそれぞれ、『こういうものが恋だ』というリスト(以下、恋リスト)を持っている。
- 恋リストには、例えば、「接近すると動悸がする」「相手の幸せに関与したいと切望する」「交際したいと思う」など、肉体的・精神的・社会的な内容が含まれうる。
- 恋リストの内容は、その人の生来の性格に加え、その人が育った環境、文化、宗教などに影響されている。
- 恋リストの内容はしばしば明確には認知されていない。言語化されていない場合がある。
- 自分に対して『これが恋か』を判別するために参照する恋リストと、他者に対して『それは恋か』を判別するために参照する恋リストは異なる場合がある。
恋リストの内容が認識されていない場合、誰かに恋をしたと思った時、なぜ恋をしたと自分が判断したのかを説明しきるのは難しい。
……ここまで書きましたが、長くなったので、いったん書きやめます。続きはまた明日以降に!
*1:あんさんぶるスターズ!の高峯翠がゆるキャラを見つけたとき、もしくは刀剣乱舞の毛利藤四郎が自分よりも身長の低い子を見つけたときみたいになる。
*2:ここで「愛をもっているな」と書いたことについて。「愛してくれているな」、だと、愛の永続性を感じるので使い難い(そこまでのことはなかなかない)。そのため、「愛をもつ」と表記し、一時的かもしれない愛も含もうとしている。
*3:なお、先日のアドベントカレンダーでも、小説の描写として家庭内で愛が枯渇したような場面を取り上げた: 愛というコンディション 吉本ばなな「アムリタ」に寄せて - 単品と単品
*4:出典を失念しました……。