単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

愛というコンディション 吉本ばなな「アムリタ」に寄せて

これは2019年アドベントカレンダー「愛の観察ツアー(徒歩)」第12日目の記事です。*1

前回(第9日目)は、私が他者にどんなことをされると「愛されている」と思うのか、という話をしました。

私は「存在を肯定され祝われる、それを言葉で教えてもらえる」と、「愛されている」と思うようです。発見〜。

愛するものの愛し方

私は、愛するものをどのように愛してるかなーという話。

情緒の源泉

本の話

ところで、私は小説が好きな子どもでした。当時と比べると、読む量は減っているけど、今も好き。*2
吉本ばななさん*3*4野梨原花南さん*5の著作を読んで育って、情緒や考え方にかなり影響を受けたと思っています。

性格や考え方のもと

性格は生まれつきの部分と、育つ中で育まれる部分があるというのはよく知られたことかと思います。*6
育った家庭で強化された性質もあるだろうけど、あまり自覚がない。*7 それでなおさら、情緒を本に育ててもらったと思っているのかもしれない。

「アムリタ」における愛の描写

吉本ばなな著「アムリタ」に、愛についての描写があった。それは登場人物のセリフで、意味が分かりにくかった。作中で会話している人が、それを理解した様子で、私はなぜわかるんだろう、どんな意味なんだろうと不思議でした。今も、読むたびにどういうことなんだろうと考えている。せっかくなのでここで取り上げたいと思います。

 

「たぶん、由男に必要なのは、力と愛。」
 母は言った。
「愛?」
 たしかこの間、純子さんもそのようなことを言った。
「あんたは理屈っぽすぎるのよ。考えすぎなの。右往左往してタイミングをのがしてはすり減るだけ。どーん、とそこにいて、美しく圧倒的にぴかーっと光ってればいいの。愛っていうのは、甘い言葉でもなくって、理想でもなくて、そういう野生のありかたを言うの。」
「それって、フェミニストが怒りそうな意味のこと?」
 私は言った。"お母さん"は説明が下手だ。言葉が苦手だ。よくこうやって自分にしかわからない言い回しで言う。
「違うー、もう、あんたは全然分かってない!」
 母は言った。
「人間が自分や他人にしてやれることの話よ。それが、愛、でしょ? どこまで信じ切れるか、でしょ? でもそれをやろうとすることのほうが、考えたり話し合うよりどれだけ大変か。どれだけエネルギーを使い、不安か。」
「つまり愛っていうのは、あるコンディションを表す記号だっていうこと?」
 私が問うと、
「うまいこというわね。」
 母は笑った。
 その時、はじめてその心がけにかすかに触れたような気がした。
「あんたたちを見てると、何となく集中力が足りない、っていう感じがする。足が止まってるときが多い。何となく。何よりもただがむしゃらに生きたらいいのにって思う。」

吉本ばなな(2002), アムリタ(上), p235-236, 新潮社.

 

「純子さんも愛の話をしていた」と書いてあるので、該当箇所も引用してみます。

 

「各家庭に、はたからみると考えられないような問題があって、それでも食事したり、そうじしたりするのには何の支障もなくて毎日が過ぎて行って、どんなに異常な状態にも慣れてしまったり、他人にはわからないその家だけの約束事があって、どろどろ
になっても、まだいっしょにいたりするのよね。」
 ありふれた内容のことばでも、家庭をなくした純子さんが言うとずっしり来る。
「どんなにめちゃくちゃでも、バランスさえよければうまく回るってことかな。」
 私は言った。
「そうかもね。」
 純子さんはうなずいた。
「それと、愛。」
「愛?」
 あまりに唐突にそんなことを言うので、おどろいて私は言った。
 純子さんは笑った。
「私もこんなの恥ずかしくて言いたくはないけど、ある種の愛が家庭を存続させるのに必要、なのよ。愛ってね、形や言葉ではなく、ある一つの状態なの。発散する力のあり方なの。求めるカじゃなくて、与えるほうの力を全員が出してないとだめ。家の中のムードが飢えた狼の巣みたいになっちゃうのよ。例えば家はね、実際には私が壊したっていうことになるんだけれど、それはきっかけにすぎなくて、私が単独でやったことじゃなくて、前から始まっていたのよ、家中の人々がみんな求めるばっかりになってね。それでも続けて行けるかどうかっていうせとぎわで、何が必要って、そりゃあ、妥協だってひともいるんだろうけれど、私は違ったわ。愛……っていうか、美しい力のある思い出っていうか。その人たちといていい思いをした度合いっていうのか……。そういう空気に対する欲が残っているうちはまだいれるんだと思ったのよね。」

吉本ばなな(2002), アムリタ(上), p122-123, 新潮社.

 

ここで、私に、引用した文章の意味を丁寧に読み解こうとか、愛という言葉を定義しようとかいう考えはありません。ここ重要ね。

愛というコンディション

相手に何かをしたいという気持ち。「やらなければ」という焦燥もなく、やることへの過度な喜びもなく、安定していること。
衝動的に見境なく大量に注ぐのではなくて、適度に、途切れずに続くこと。
自分が、自分や相手に対して、そうするのだと決断して実行すること。

ここで、「決断する」必要があるのは、誰でも愛してよいわけではないから、だと思う。
愛してもよい相手、について、かなり考えていて、まだ言葉にならない。
今のところ、愛した相手が「愛し返さなければ」と思うかもしれないことを念頭に置かない愛はだめだし*8、愛したことによって起こる変化を肯定できない・拒むのもちょっとアレだし*9、互いの人生の中でどの程度関わりを持ってよいか・持ち続けることができるかも考えなければ、愛の持ち腐れというか、スポイルというか、どっちもというか、そうなっていくのだろうと思う*10

ちょっとすっきりした。

*1:10日目、11日目が諸事情により飛びました。

*2:小さい頃は、本は「おはなし」を読むためのものと思っていました。架空の物語を、楽しみのために読むものだと。伝記とかの、ノンフィクションが苦手だった。模範的な考えや行動を押し付けてくる気がして読めなかった。今はビジネス書とか実用書とか、小説以外も読めるようになりました。でも、著者とあまりにも考えが合わないと、読みきれないこともある。

*3:今は「よしもとばなな」さんですね。こういうのってどう表記するのがよいのだろう。当時の表記にしてみています。

*4:繰り返し読んだのは「キッチン」「アムリタ」「哀しい予感」など。初期の作品ばかり。母の本棚にあったのを借りて読んでいました。

*5:「ちょー」シリーズが特に。

*6:だよね?

*7:私はそれを気にしている気がする。自分が家庭でどう育ちどんな影響を受けてきたのかに自覚がないことは、それほど特殊なこととは思わないけれど。

*8:愛しっぱなしはよくない。これがなぜなのかはまだわからないけれども、愛というコンディションに自分が設定されることが稀なのであれば、使い所は見極めるべきだと思う。

*9:愛を受け続けても大きくは変質しないものを愛したい。

*10:なんとなくね。