単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

輝くものたち、と自分

これは2019年アドベントカレンダー「愛の観察ツアー(徒歩)」第6日目の記事です。

 

昨日は「パーソナルカラー診断や骨格診断によって新しく出会った衣服により、自分の身体を愛する」とか、「そういうときめきやわくわくを買う」みたいな話をしました。

今日は衣類から拡大して、メイクやアクセサリーの話をしたいと思います。

 

メイクのこと

パーソナルカラー診断を機に、メイクも見直そうと思いました。
いつもドラッグストアで適当に買ってたけど、百貨店に行ってみたいな、と。大きいデパートの1階とか地下とかに並んでいる、キラキラしたやつ。ああいうフロアって大概すごい匂いがするし、店員さんがみんな怖く見えるし、そもそも高価だし、どのブースに行ったらいいのかも全くわからないけど、でも、行ってみたいな、と。

 

推しの色を選ぶ

診断を受けるまでは、自分に何が似合うかわからなかった。何が似合うのかを確かめるために多くのコスメを買うモチベーションもなかった。
そうすると、地味な色を取ることになる。もしくは「好きな色」を買いがちになる。もっと言うと、推しのいるオタクなので「推しの色」*1を手に取りがちになる。

 

ここで私が大切だと思うのは、推しの色を身につけるのは、楽しいってことです。
推しの色を身につけていると、それだけで楽しいのだ。

 

後になって考えてみると、それが楽しいのは、「鏡を見るたびに推しの色が目に入るから」なのだった。私の場合。

推しの色を身につけて喜ぶ時、「自分」と「コスメに表れる推しの色」は、別々のものなのである。
目蓋にきらめく赤色は、「推しの象徴」であって、私の身体とは切り離されている。*2
それは「自分」と「推し」が別の存在であることと同じくらい明らかだった。

 

魔法にかかる

ところが!!!
「好きな色」ではなく「似合う色」を選んで塗った時、私は明らかに違う体験をした。

 

私が! きれいに! 見える!!

 

*3

 

そうなんですよ! きれいに見えるのです。
肌が明るく見える。あるいは血色がよく見える。
あるいはキュートに、あるいは利発そうに、「自分」の外見が変わるのです。

 

衝撃の体験だった。

 

世の女性たちが、老いも若きも、メイクに夢中になる意味がわかった、と思った。
粉を塗る、自分が変わる。これは魔法だ。

 

魔法、好きじゃん?

 

コスメと自分が溶け合う時

「推し」は他者だけど、「コスメ」は自分なのだ。
「コスメそのもの」を愛するだけでなく、コスメを使って変わった「自分」をより愛する、お化粧ってそういうものなのだ。後者の方が大切なことだったのだ。

 

知らなかったーー。*4

 

アクセサリーのこと

アクセサリーでも同じことが言えると思う。

私、推しみたいな色のアクセサリーも、推しみたいなデザインのアクセサリーも、すごく好きです。身につけられる推し! 貴重!
幾つも持っている。自分でも作る。

 

でも私は今年、推し色に全然被らないアクセサリーを買った。私にしてはすごく高い買い物だったけど、した。一ミリの躊躇いもなかった。

 

それは、身につけた途端に、自分の肌が流水で洗われているみたいに、美しく見えたから!

 

私はもちろん、そんな体験をしたことがなかった。
アクセサリーはアクセサリーであって、私の身体に寄り添って引き立てるものではなかったのです。服に合うかどうかとかは気にしたけれど、肌になじむかどうかなんて、考えたこともなかった。*5

 

その感動に、その魔法に、お金を払ったんだなあと思う。

 

ちょっと変わる自分、を愛する

メイクもアクセサリーも、義務でするのではなくて、その魔法で自分が変わることを楽しむと、世界が変わるなあ……と思いました。「もの」を愛するのではなく、ものを装備した「自分」を愛するということ。自分の見た目を愛する、ということ。

変身する前の自分も、慈しんであげたいものですけれどもね!

*1:好きなキャラクターを象徴する色。髪や瞳や服の色など。

*2:これは私の場合の話なので、推し色を身に纏う私以外の方についてはこの限りではない。念のため。

*3:Q. あなたはいい歳になるまでメイクを続けたのに、「自分がきれいに見える」体験をしなかったんですか?
A. はい、そうです。と、思います。

*4:何ででしょうね。不思議だね。

*5:世の中にはそういう人もいるんです。しみじみ。