これは「人間をケアする」アドベントカレンダー第23日目の記事です。
今回は、このアドベントカレンダーについて、いただいたご質問にお答えしたいと思います。
ご質問はこちら。(質問者様に同意を得て、一部編集しています。)(このブログの筆者は冬嶋といいます。ということにします。)
冬嶋さんのケアについて質問です。
これまでの記事で、「自分にも他人にも堂々と幸せでいてほしい。その手伝いをするのがケア」「直接助けるのではなく、自分で自分を助けることができるようにきっかけをあげたい。そのほうが、相手のその後にとっても効果的だし、自分も別のひとのケアに移ることができる」と仰っていた(というようにわたしは理解した)のですが、冬嶋さんにとって大切なのは「ケアの結果、自分や他人が幸せであること」である、ということでしょうか。ケアするという行為自体に、冬嶋さんは喜びを感じますか?(価値判断ではなく、単純に冬嶋さんご本人への興味関心として)
あ、「紙とペンでできることが好きだから、その行為や成果がケアにつながるともっといい」ということでしょうか。
よくよくブログを読んでくださっていることが伝わってくる、嬉しいご質問だと感じました。ありがとうございます。
前半のご理解はかなり正確だと思います。自分にも他人にも堂々と幸せでいてもらうためのケアが(冬嶋にとっての)ケア、ということですね。*1
ご質問の、『ケアするという行為自体に、冬嶋さんは喜びを感じますか?』に、お答えしたいと思います。
過程と結果について
ちょうどこの頃、「喜びを感じる段階」について考えていたところでした。
ケアに限らず、何かを為すとき、過程のどこに喜びを感じるのかは人それぞれと聞きます。
何かを為す過程には:
- 思いつく
- 準備する
- 開始する
- 形にする
- 完成する
- 他者に広まる
といったフェーズがあるものかと思います。ざっくり。
私の知人には、「完成させる」で満足感を得る人がいます。何か楽しいことを「思いつく」ことが大好きな人もいるし、「他者が使っているのを見るだけで達成感がある」と言う人もいます。
嬉しいと思うこと
私が好きだと思うのは、
- 準備する
- 他者に広まる
ところかなと思います。
以下、「準備する」「他者に広まる」について、少し説明してみます。ケアに限らず、私の全般的な嗜好として。
準備する
私にとって楽しい「準備する」段階は、楽しいことを思いついて、どう形にしようか考えているところです。
旅行なら、立ち寄りたい場所や食べたいものを調べて、宿や交通手段を手配するところ。
作文なら、他の人の作品を見たり、プロットを練ったりするところ。
この段階が一番自由だなと思います。まだ形になっていないものを夢見ることには自分の裁量があります。それを形にするのだと情熱を燃やしているときの、強気な自分が好きなのかもしれません。
他者に広まる
と書きましたが、私の関わったものが他者の手に渡ること自体には、比較的感情を持ちにくいようです。多くの人に広まるよりも、私は、少数でもいいから、人からの感想がほしいと思っています。
さっき書いた、「完成させる」ことに満足を見出す人は、他者の感想は必要ないと話していました。私はそれにひどく驚いて、それから、自分は他者の感想がほしいのだなと気がつきました。*2
感想をもらう
私は、自分が関わった物事に対して、何か言葉がほしいと思っています。「気に入ってもらえたか」よりも、「大丈夫だったか」を知りたいように思います。あなたにとって何か問題はなかったか、改善できるところはないか。
気に入ってもらえたら嬉しいのですが、どうして気に入ってもらえたのか、どこが良かったか、それはなぜかを、聞かせてほしいと思います。
自分から「あれはどうだった?」と尋ねることは少ない……と思います。貸した本に対してすら、「どうだった?」と訊くのが苦手です。自分から感想を求めて、いただいた言葉を嬉しくないと感じたら嫌だな、と恐れていることがあります。あるいは、「あなたが私に言葉をかけてくれようとした」ことも含めて嬉しいからかもしれません。相手から自発的に発される言葉でなければ、素直に聞けないのかもしれないです。*3
では、感想をもらうとどうなるのでしょうか?
みたいなことを、次回書きます。アドベントカレンダーもそろそろおしまいですね。
*1:なぜケアを? - 単品と単品 とか、 なぜ人間を? - 単品と単品 これ参照。
*2:その人は、自分の作るものに自信があるそうで、完成させると満足するとのことでした。他者が良く評価しても、「当然である」と思うそうです。
*3:自分から感想を求めたら、相手が気を遣って、良いように言ってくれるのではないかと思っています。それは望むところではありません。私はあなたの言葉が聞きたいと思っています。私が介入してしまう前の、素直な感想が。