単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

健康と不健康の狭間で その1

これは「人間をケアする」アドベントカレンダー第5日目の記事です。

 

前回「他人をケアする話」を書きたいと書きました。ですが、その前に「健康」について書きたいと思います。

 

健康って何なのか?

おなじみ、定義を調べる

「健康」の定義から始めましょう。世界保健機関(WHO)憲章の前文では、「健康」は次のように書かれています。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.*1

これはしばしばこう訳されます。

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。*2

日本においては、この和訳が「健康」の定義として使われることがあります。

 

パーフェクト健康?

さて、上記の和訳で気になるところがあります。

『すべてが満たされた状態』のところです。

「あなたは肉体的にも精神的にも社会的にも、すべてが満たされていますか?」という問いに、自信をもってはいと言えるでしょうか?

はいと言えない場合、「不健康」ということなのでしょうか?

つまり、今私は健康なのか、不健康なのか、それは本当にいつもどちらかに決まるのでしょうか?

 

ここには、「健康」と「不健康」を二分して考えて分けることの限界が見えるように思われます。*3

 

先程挙げたWHO憲章の前文は、1946年に採択されたものです。その後1998年に、WHO執行理事会より、健康の定義の改定案が出されています。*4

詳細は以下。

https://www.mhlw.go.jp/www1/houdou/1103/h0319-1_6.html

改定点は2つあります。

  • physical, mental, socialにspiritualを追加*5
  • stateをdynamic stateに修正

2つ目に言及したいと思います。

この修正は「健康と疾病は別個のものではなく連続したものである」という考え方から追加されたとのことです。

 

健康と不健康の狭間で

どちらでもない「わたし」

今日は機嫌が悪い、今日は仕事がうまくいった、今朝から喉が痛くなってきた、頭痛はよくなった……。

完全な健康でも、全くの不健康でもない狭間で、自分自身は揺れ動いているように思います。

周りの人を見ても、調子の良し悪しは相対的なものであると、素直に了解できることでしょう。

あるいは、歳を重ねるにつれて、少しずつ足腰が弱り、耳が遠くなり、物忘れが多くなっていく緩やかな変化は、即座に健康と不健康に分けられるものではないことも。

 

グラデーションの中にあるケア

健康と不健康の間のグラデーションを細やかに拾い上げて、少しでも良い方向に向かうようサポートすることは、とてもケアらしいなと感じます。

明らかな目標がなく、終わりもないケアに。

 

 

本当はもう一つ、健康に関する概念をご紹介したかったのです。が、記事が長くなりすぎることと、私の集中力が切れたので、このあたりで。

次回は神奈川県の話をしたいです。

 

*1:WHO, 「CONSTITUTION
OF THE WORLD HEALTH ORGANIZATION」, http://apps.who.int/gb/bd/PDF/bd47/EN/constitution-en.pdf?ua=1, 2018年12月5日アクセス

*2:日本WHO協会, 「健康の定義について」, https://www.japan-who.or.jp/commodity/kenko.html, 2018年12月5日アクセス

*3:なお、筆者は大学の講義にて、この健康の定義を「肉体的、精神的、社会的に完全に『調和した』状態」と和訳する考え方を聞いたことがあります(completely...well-beingの部分の捉え方ですね)。これなら「健康」と定義される状態に現実味が出てくるように思われますし、「健康」にするための支援も現実的になるような気がして、筆者は好きな考え方です。どちらの先生のご講義だったか、失念してしまいましたが……。

*4:なお、現在、この改定案は相対的に重要性が低いなどの理由からまだ採択されていないことに注意。

*5:日本人にはなじみの薄い考え方かもしれません。私もうまく説明できない。