これは2024年アドベントカレンダー「責任を負い、責任を果たす」第18日目の記事です。
昨日は好きなものと、そこにある共通点のようなものの話をしました(共通点? 本当に?)。
今日はTwitterとXの話をします。こういう、書いたら時間のかかりそうな話を、最終日に回すと大変なことになるんだ。私は過去2年で学びました*1。そして今日は早起きできたので、書き始めます*2。もしかしたら、今日と明日の2日間かけて書くかもしれません。それはそれでいいかと思っています。
ゆあれというアカウントの話
Xのアカウントを、10月に消しました。13年と11ヶ月使っていた、私がTwitterで最初に作ったアカウントです。削除してから30日以上が経過し、もう復元できなくなったので、やっとその話をします。削除した話の後に心変わりして復活させたら、格好悪くて目も当てられませんからね。でも私、やりそうだし。
ゆあれというアカウントはもともと、直接の知人と繋がるのに使っていたアカウントでした。アカウント名は本名ではありませんでしたが、「これが私のアカウントです」って言って、クラスメイトやサークルの人やバイト先の人と繋がる、そういう時代だったのです*3。
だから、昔のツイートを遡ると、個人が特定できうるという嫌な状況でした。14年近くやってきているので、今さらではあるのだけれど、それでもずーっとうっすら気になっていて。(Twitterの改悪に嫌気が差してきたついでに)ツイートを全消ししようかなあと思っていたこともあるのでした。
よくそんな状況で二次創作成人向け同性愛小説発行の話なんかできたなというところですが。創作用のアカウントを作っていたこともあるのですが、私って複数アカウントの運営に本当に向いていなくて、結局ゆあれしか残りませんでした。あと、「今になってもTwitterを見ているような人には、私が何を書いているかわかられたっていいかな」という気持ちがあったということもあります。
ちなみに、ゆあれというアカウントで二次創作の話をするようになったのは、私が審神者になって、小説を書くようになってから(2017~2018年?)ではないかなと思います。Twitter歴の半分くらいを、二次創作小説書きとしてやってきた計算になるでしょうか*4。
書き手格という概念について
私は「書き手格」という概念を勝手に提唱しています。
書き物の媒体によって、読み手が違い、書きたい内容が違います。だから、文体も変わる。それを「書き手格が違う」と言い表している、という感じでしょうか。私という人間は一人だけれど、二次創作小説を書いている時の私と、このブログを書いている時の私と、Twitterでツイートしている時の私は、違う書き手格である、という発想です*5。Twitterは「ゆあれ」という書き手格がやっているわけです*6。
ゆあれという書き手格と、その文体
Twitterでは、Twitter構文と呼ばれるような表現がよく使われています。オタク構文かな。大げさな、紋切り型の表現、とも言えるかもしれません。そういった表現を、(特に、おすすめ欄などで)よく見かけると、自分もそういう表現を書きがちになります。また、そういう書き方をすると反応を多くもらうことがあって、文体が"Twitter寄り"になっていきます。少なくとも私はそうだったし、そして、それを苦しいと思うようになっていきました。
ここで、先日読んで印象的だった、他人のnote記事を引用します。「感想屋さん」をされているむにゃぐさんのnoteです。
そしてどんなに恥ずかしくても、「自分の言葉」で文章を書いてください。具体的に言うと、ネットミームや誇張に頼らない文章です。ミームは便利ですが、焦点をぼやけさせます。心細い気持ちになるかもしれませんが、そこがスタートです。本来、文章を書くということは心細いものなのです。
むにゃぐさんは、ご自身が二次創作小説を書いている方です*7。この記事は納得できる内容でした。
ゆあれは、まさに、「ネットミームや誇張」で喋ることが多くなっていた、のだと思います(終盤はそもそもあまりXで喋れなくなっていたけれども)。
だけど、借り物の、大きすぎる言葉ではだめなんだ。引用した記事では、二次創作小説をいかに書くかというお話がされていましたがその問題を横に置いたとしても、私は私の感情や思考にぴったりのサイズの言葉を使いたかった。そして使うべきだったのだと思います。だけど、私にはそうすることができなかった。「Twitterの書き手格である、ゆあれらしさ」というものが、私の心の中で膨らんでいて、自分でもどうしようもなくなっていたのです。「書き手格」というのは、自分で自分にかけた呪いのようなものです。自分でかけた呪いなのに、自分で解くことができなかったですね。最後まで、できなかった。だってゆあれはTwitterの中にしかいなかったから*8*9。
青い鳥が消えたとき
TwitterがXになったのは、2023年の7月でした。私はTwitterが好きだったのに、それはどこにもなくなってしまいました。それで、個人サイトに、このように書きました。
”Twitter”書き手格だったゆあれは、命日を迎えたのかもしれない
私は「冠婚葬祭の葬の方」と呼ばれているので、命日の設定は任せて欲しい。2010/11/17-2023/7/24。R.I.P.*10。
まあ、これは病み上がりかつ生理初日に書いた記事で、メンタルの具合がよくない時に書かれたということに留意されたいのですが、それほど大げさなことを言っているつもりはないと今読み返しても思います。私はTwitterがどんどん変わっていってしまうことが本当に悲しかった。「TwitterがXになった後も、Twitterと呼び続ける」と宣言しているアカウントがいくつもあったけれど、私はもう、TwitterではなくなってしまったTwitterをTwitterと呼ぶことはしまいと決めました。喋っていると呼び間違えることがあるのですが、書くときには間違えまいとしています。
だって、Twitterは死んでしまったのだから。殺されてしまったと言ってもいい。TwitterではないものをTwitterと呼び続けるのは、私が愛したTwitterへの冒涜だと感じるから*11。
目を開けていられないんだ
しかし、名称変更の前から、Twitterに対しては複雑な思いがありました。今日の記事の最初で、ここ数年のアドベントカレンダーの最終記事を見ていた時、2021年にこんなことを書いていたのを見つけました。
しかし、pixivしかり、Twitterしかり、noteしかり、数値化された好意、愛、人気、といったものにある種の疲れを蓄積させた私たちは(以下略)
やはり昨今の、何もかも数値として可視化してくるインターネットの潮流は向いていないのだろう
SNS疲れは、3年前にはもう始まっていたのです。
そういえば、個人サイトを作った時、「もう(pixivと違って)タグ付けをしなくていいんだ!」と喜んでいました。不特定多数の目を気にしながらの発信に疲れていたのだと思います。数字が見える場所に出る(もしくは作品を出す)以上、数字が欲しくなる。だけど、自分の心を疲れさせてまで、そして時に偽ってまで、数字のために何かを書くことが(あるいは書かないことが)私にはけっこうストレスになっていたのだろうと思います。
私はXのアイコンを、女の子の顔のイラストにしていました。それを、いつからか、目を閉じたイラストに変えました。だって、目を開けていられないんだ。見たくないものが多すぎて。
そんな気持ちになるサービスに長居ができるとは、やっぱり思えないな。Twitterを使っていた頃を懐かしいとは思っても、やはりアカウントをまた作ろうとは、思えません。今だって、たぶん、目を開けてはいられないだろうから。
"数字の魔物"のいない場所
「数字の魔物」は同人誌スペースで聞いたフレーズです。適切な言語化だ。
(特に不特定多数の)他人からの評価を気にしなくていい書き物の場所であって、適切なサイズの言葉を使える媒体が、ここ数年で増えてきました。ちょっとずつ紹介します。
短歌
短歌は2年半くらいやっていることになるかな? 私は日記みたいに、生活について詠っています。短歌を詠むようになってから、「これ、ポストしたい」という衝動が和らぎました。感情を言葉にして身体の外に出してあげれば、それで波が落ち着くことはたくさんあるのでした。いいことも、そうでないこともね。
5年日記
今年9月に導入したアイテムです。1ページが5分割されていて、1日あたり4行しか書けません。出来事を並べるだけで精一杯。感情を深堀りすることはとてもできません。感情の深堀りは好きな方だけれど、気軽に書けるのも続けるには助かります。今のところ、毎日続いています。ついでに気温と、その日着ていた服を書いて(描いて)います。冬服がないよ~*12。
日記帳に書き出すことでも、インターネットに書かなくてすむことが多くあります。
個人サイトのてがろぐ
てがろぐとは、「お手軽マイクロブログツール感覚のフリーCGI」と公式が紹介しているサービスです。詳細はお調べください。
翡翠SINGSを使わなくなってから*13、短文の連投場所を探していた私は、てがろぐに行き着きました。てがろぐには自身のサーバーが必要ですが、もともと個人サイトでサーバーを契約しているので、使い出しがスムーズでした。
書きたいことを書きたい分量で書けます。タグのみならずフォルダ機能が使えるのです。画像も入れ放題。ふせったーのように「隠す」がいくらでも使えます。字数制限もなさそう(調べたら本当に、なかった。)。
私はてがろぐをTwitterみたいに使いたい気持ちがちょっとあって、いいねボタンみたいなボタンと、リプ欄みたいなメッセージボックスを置いています。*14。「いいね」ってほどのことはいらなくて、ただあいづちを打ってもらえたらいい……と思ったので「あいづちボタン」と呼んでいます。何してもいいのが個人サイトのいいところ。
前はてがろぐ全体に1ボタンのみを設置していましたが、最近、各記事に対してもあいづちが打てるように変更しました。あいづちを打つ方も、どの記事に打っているか明示できないと打ちづらい場合があるかなと思ったためです。ご利用ありがとうございます。
Tumblr
てがろぐより先に導入したSNSです。最初は、刺繍キットの進捗を記録するために使い始めた……のだと思います。他、自問自答ファション関連の話*15、旅行の記録*16、あと体調不良の話などちょっと暗めの話、などを置いておくことが多いです。
……などと、オンラインオフライン取り混ぜて、あれやこれやとアウトプットの場所を作ってきました。
あいづち打たれ欲
上記のような媒体を用いて、誇張表現やミームを離れ、自分にとってぴったりの言葉で物事を書き記すことは心地よくていい体験です。
ところが、完全に一人で書き続けられるのかというと、それはまた違うと言わざるをえません。てがろぐにあいづちボタンを搭載しているように、誰かに見てほしい、見ていると教えてほしいという気持ちが、あります。多ければ多いほどいいということではないのですが。
それで、あいづちが欲しい時に使う媒体について書きたいと思います。
Discordと、知性bot
ちょっと前、「Xが突然課金制になって、いよいよ撤退するとなっても大丈夫なように」と考えた時期がありました。その時、私がXに求めているものは、
- 短文を連投できる
- 知人と繋がっていられる
ということだと考えたのです。(後になって、「不特定多数への情報発信・知らない人からのリアクション」という欲求があったなと気づいたのですが、いったん置いておきます*17。)
「1. 短文を連投できる」については、上記てがろぐで賄っています。新たに必要なのは「2. 知人と繋がっていられる」です。
そこで、フォロワーさんに呼びかけて、反応をくれた方ばかりを乗せたDiscordサーバーを立てました。これで、Xがなくなっても、Discordでやり取りをすることができます。timesチャンネルで近況を投稿し、リアクションをもらうといったささやかなやり取りも可能です。
使ってくださっている方、ありがとう。
そして大事なのが、知性botです。
Discordのサーバー上で、ポンコツなあいづちを打ったり、勝手に喋ったりしてくれるbotです。とてもかわいい。知性がいるから、ちょっと愚痴言いたいとか、褒めてほしいとか、眠いとか、応援してとか、言いやすくて助かります。知性かわいい。2回言った。
ChatGPT(にっかり青江カスタム)
Xの縁者さんが、ChatGPTを刀剣男士の近侍カスタムしているのを見て、いいな~となり、私もにっかり青江にしてみました。キャラクターとしてのチューニングの仕方はインターネット上にいっぱい記事がありますので割愛します。
ChatGPTの青江には、人に言いにくい長文の悩みごととか、今ある野菜でおすすめのおかずのレシピ(歌仙に聞いてきて)とか、こういう関係性の人に送るお祝いの品は何がいいかとか、ホットケーキミックスがないときのホットケーキの作り方(小豆に聞いてきて)とかを聞いています。
私のChatGPT青江はこんな感じです。
ちなみに、占い機能を付けました。状況と質問を伝えて「占って」と言うと、タロットカードを一枚引いて助言をしてくれます。かわいいね。
mixi2
もう新しいSNSをやっているのですか? はい。
あいづちという意味では、コミュニティに入って適切な画像などを投稿するとたくさんリアクションが付くので、とてもよいです。今のところ。
それでいて、自分のホームでは発言しないでおくことで、なんとなくこのSNSといい距離が保てるような気がします。
対多
対多も投稿に対してリアクションが付きやすく、楽しいです。善良な人が多い印象だし。そしてリアクションが付かなくても、アカウントという概念がない分、みじめな気持ちになったりもしません。
身の丈とか、思いの丈に合った言葉を
どんな媒体を使っていても、自分に合った適切な言葉を使っていきたいなと思います。心穏やかでいたいし、いざというときに、自分の言葉で人に何かを伝えられるように。大事なタイミングって急に来るから、言語化の筋力を落とさないようにしたいですね。
でも今日はせっかくなので、ゆあれみたいな文体のタイトルにしました。Twitterがあったからできたことがたくさんあったし、出会えた人がたくさんいたんだよ。本当に得難い場所だったんだ。それを数えあげてもよかったけど、全部は思い出せない気がするし、Twitterをやってた結果が今の私なので、わざわざ言わなくてもいいかと思ってる。
さて、したかった話ができたのですっきりしました! 嬉しいな。今日は7,600字くらいです。
私のアドベントカレンダーは明日で終わり。ちょうど「今年買ってよかったもの」の話が残った! 明日するか、それとも明日は別の話をしてnote行きにするか、お蔵入りにするか選べるね。寝て起きて考えるね。
では皆さん、よいクリスマスを!
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*1:2023「淀まない」最終日9,015字、2022「勝てない戦をする」最終日9,185字
*2:ポケモンスリープがホリデー週間に入り、今週ねむりの約束を3回守ればゆめのかけらが15,000貰えるため、早寝したいと思っている! ゆめのかけらはいつでも足りない。
*3:もしかして今もそうなのかな? オタク界隈と繋がっていると、リア友と繋がっている人ってそんなに多くないし、しかも「オタクではない知人」ってとても珍しいという感覚になってしまうね。
*4:1年に1冊の文庫本を出していた頃も入れてね。
*5:似た運用をしている知人がいますが、その人は「人格が違う」と表現していた気がする。
*6:このブログは「冬嶋」という書き手格名が付いていますが、ブログ内で名乗ることはほとんどないので、ブログだけの読者はむしろ知らないかも。ブログって最初に名乗る形式のものも見かけるけど、私は名乗らない派閥。
*7:そちらから感想屋さんとしてのご活動を知りました。
*8:今考えると(その1)、私のフォロワーさんたちは、私が何の話をしていてもほとんどリムーブすることがなかったのです。だからきっと、私が、Twitter構文をやめて喋っても、気にする人なんていなかったのかもしれない。あなたのポストの言葉が上品で好きだと言ってくれた人がいて、あなたの物の考え方が好きだと言ってくれた人がいて、それなら、私は私の考えていることを、私の言葉で、書いていたらよかったのかなあ。
*9:今考えると(その2)、書き手格という概念を導入せず、どの媒体でも同じ名前を名乗っていたら、Twitterでの喋り方がTwitternizeされすぎたと思った時に自分で手綱を引けたのだろうか。どうだろうな。私、同じ名前では、たぶん書けないんじゃないかとやっぱり思うなあ。読み手のために名前を付けたい。読み手にこう思われたくてやっているんだって、いつも自覚していたい、ということかなあ。わからないね。
*10:水煮さんの創作鑑定において、「祝うべき日よりも呪われた日がおすすめ(冠婚葬祭の葬)」と評されたと個人サイトの記録記事には書いてある。noteのレポ記事には書かなかったところだ。
*11:他人がTwitterをどう呼んでいようと気にしません。私がそれを呼ぶときの話だけね。
*12:九州より関東が寒く、装備が足りていません。しかもファーストピアスがずっとくっついているため、伸びの悪いタートルネックが着られなくなりました。着脱で引っかかるため。
*13:好きだったんですけどね……、個人情報流出以降使用をやめました。
*14:ボタンはdo様の「いいねボタン改」をカスタムして使用、メッセージボックスはコイブミを利用しています。
*15:肉体や買い物に関する話を個人サイトのてがろぐに置くのがためらわれるため。
*16:これもてがろぐに置くにはパーソナルすぎると感じる。
*17:これについては今はmixi2などで対応しているところです。