単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

こうかんのこうかん 作品と作者

これは2021年アドベントカレンダー「提供」第14日目の記事です。

昨日はイベントで差し入れをいただいた際の、書き手私と読み手私の応酬の話をしました。本を書く側としては本を手に取っていただくということが愛で、本を読む側としては本を読ませてもらうことが愛で、どちらも「もらっている」と思っているみたい。これはすごく尊いことな気がする*1

本しか渡せるものがない

お迎えしてもらうのがありがたいから、感謝の気持ちとして何かおまけとか付けられたらいいのだけれど、気の利いたものを付けられない*2。書きたいことは本に全部書いてしまって、それが終わると何も残らない(スイカの収量は少なく、洞窟から染み出す水にも乏しい)。ペーパーとか短文のカードとか、栞とかがあったらいいのかなあと思うのだけれど、だいたい本を作ると力尽きてしまう*3*4。イベントではありがとうございますと言い、通販では本に添えるお手紙にありがとうございますと書くのみである。いやはや。

作者の推し方について

書き手としての話、に戻る。

「インターネット上にあるこの文章の作者の人」として認識されることがある、私がそう意識するようになったのは、ここ一年くらいのことであった。出店していたイベントで、ペンネームを呼んでもらった時から。pixivか何かで私の書いたものを見て、名前を確かめて、この人、と意識して、足を運んでくれる人がいることを、その時まで知らなかった*5

私は「作品」が好きであることと「作者」を好きになることがそれほど結びつかない派閥、だと思う。いや、語弊があるな。ごく一部、作品から入った後に「人間性全体を推している」みたいになってしまうことがあり*6、そうなるかならないか、つまり、作品は好きだが作者には関心がない*7か、作者ごととても好きになってしまう、のほぼ二択しかない、という方が正しい*8。私の好意スペクトルは「どうでもいい」か「非常に好き」かのほぼ二相しかない。それを数年前に自覚して、もっと中庸の好きを育めないかと思っているのだが、あんまり直らなかった。

脱線したな。ええと、私自身がこんな感じなので、作品から入って「私」にたどり着いてもらえることが、驚き嬉しい。とてもありがたい。

中の人を人として好きになること

私は声優さんや俳優さんを好きになることがあまりなかった。しかし、今年この動画にはまって、考え方が変わった。

あんスタの声優さん二人が、あんスタグッズを紹介する動画である。個人的には、声優さんがどう、とかいうよりも、「推し作品の新作グッズを開封して悲鳴を上げるオタクの様子」を延々と見ていられるのが、新鮮で楽しかったのだった*9

私は声優さんや俳優さんを見る時、「役」という色眼鏡をなかなか外せない。側頭部につるが接着されてるんじゃないかってくらい外せない。それがために、勝手に失望したり幻滅したりしてしまうことが多くて、ご本人に関心を持つことがあまりなかった*10

……のだけれども、上記の動画とか、あとこちらのシリーズ(ゲーム内のストーリーについて、声優さんたちが語り合う動画)を見るうちに、ちゃんと、「中の人もひとりの人間なんだな」ってことがわかってきた気がする。

「待って待って!!」って言いながら自分のスマホを高速でスクロールしてスクショを探してきて、セリフを読み上げては喋りまくる人、好きになってしまうよ。オタクだもん(私もその人も)。

演じる人に、ひとりの人として関心を持って好きになることと、その人が演じる役について思うことを分けて考えられるようになったのは、あんスタのおかげである。あんスタは大切なことを教えてくれるなあ。

これとかもあんスタ(毎年貼っている気がする)。

作品と作者とあなたとわたし

作品を愛すること、作品を作った人を愛すること。もしくは、私の作品を愛してくれたあなたを愛すること、私の作品を愛してくれたあなたの作品を愛すること、全部違うことで、どれになってもいい(どれにならなければならないということはない)と、私は思うし、あなたも私に対してそう気楽に思っていてくれたらいいなと思う*11

 

長……長くなりました……4,000文字弱……。あの、私がアドベントカレンダー1記事何文字書いてるのかよく知らないけど、平均2,000文字としたら一回のアドベントカレンダーで40,000文字書けるわけよね。4年やったら(今が4年目)16万文字なのよね。すごいな。

はい。

今日もお付き合いありがとうございました。何かあればこちらに!

*1:昨日は「愛」とか書かなかった気がするが……。

*2:しかし、新刊にはおまけカードが付いていたぞ。あれは「おまけ」よりかは、「別冊の本文」の方が近い気がする。本文中に文章を入れなかったのは、「いつかのどこか」っていう本編と違う時間と場所だから物理的に分けた……という思想は、例の「イベントで見かけて表紙とタイトルで最高だとわかったご本」がその思想でおまけ冊子とセット頒布されており、内容と形が連動していて素晴らしいわと憧れたから。というのと、「せっかく格好いいロゴを作ってもらったので、何かに活用したかった」「おまけカードの仕掛け上、カードにせざるを得なかった」(この仕掛けについてまだ誰からも言及がなく、それはそれで成功なんだけど、どうだろう?)とか。

*3:書いていて思ったことには、私の作る「おまけ」に他者の需要があるのかという疑いの念があるな、私には。それはつまり「私自身は私が作るおまけに大して興味がない」ということだな。本は、自分の本が欲しくて作っている。欲しければ、ペーパーだろうが短文カードだろうが作るだろう。自分に対する、そういう信頼はある。ああ、ちょっとすっきりした。欲しいものしか作れない。

*4:同時に、「通販で金額を上乗せしてくださった方に、返せるおまけがない」というのもある。ありがたくもそのようなお心遣いを賜りました際には、本に添えるお手紙に、その旨へのお礼を書いています。サークルさんによっては「上乗せしてくれたらおまけ付けるよ」と明記しているところもあり、それはそれで親切な仕様だと思う。知らずに買って「ええ、おまけ欲しかった……!」と後悔しなくて済むわけだから。おまけを持たない私はもちろんそのようなことは書いてないのだけれど、もしもお迎えくださった方が「増額したのに何もなかった」と失望されていたら互いに不幸なことだなあと気にしている。だけど、表立って「何もしません」と書くのもなんだか気が引けるのだ……(何度かTwitterに書いた気がするけど、かなりおっかなびっくりだったと思う)。お気持ちをありがたくいただいております。そのありがたい気持ちが積もり積もって、次の創作への意欲になるかもしれませんし、ならなかったとしても、なんらかの善行として世の中に返していきます。それが遠い遠い恩返しになりますように。

*5:その話はメゾンに詳しく書いた

*6:この際に感情の出力量や質や見せ方を誤らないように気を付けなければならないと思っている。思ってはいる、うまくできているかはわからないが……。参考:巨大な感情と、そしてあなたと - 単品と単品

*7:であっても、感想を送ることもある。作品は無から生まれたわけではない。生みの親への感謝の気持ちはもちろんある。ただ、その人間性を知りたいとまでは思わない、という感じかなあ。もちろん嫌いとかじゃなくてね。

*8:たぶん私はこれとかこれが近いんだと思う(読解力はともかく、人の作品を読む時の傾向として)。気になる方はツリーを遡ってみてください。

*9:私がYouTube慣れしていないのがバレる。

*10:ただこの人についてはセンスがいっつも斜め上で特別好きですと言ってもいいかもしれない。つい役がらみの記事を貼ってしまったけどどんな文章でも好き。……私、「推しに気が狂っている人の様子」が好きなのかな。そうだな。推しすごろく大会楽しかったもんな。

*11:そして、それでも、作品と私を両方好きでいてくれるなら、それはたいそう幸せなことだと思う。