竹村和子 著
なお、「フロンティア」とあるが、本書の発行は2000年である。
前置き
だって例えば名字を変えなきゃいけないのとかおかしいと思うわけよ
特に結婚に際して、「理不尽である」と思うことが多かった*1。私は時折、自分が害されているような、気持ちを無視され(誰かの)意のままにされているように感じた。苦しかった。苦しかったけど、「それは私のわがままで、間違いだ」と思う気持ちが、自分の中で強かった。私が間違っている。
だってみんな我慢している。
それを幸せだって言う人もいる。
だから私が「苦しい」と思うこと自体が不適切で、間違っている。
どうして自分が苦しいことを間違いだなんて思わないといけないんだろう。だって私が幸せでなければ、私を幸せであれと願う人は不幸なのではないの? 違う?
考える友人たち
そんな感じで、苦痛を感じる自分と、それに蓋をしようと躍起になる自分に挟まれて困っていた時、友人二人とご飯を食べに行った。そこで上記のような話をしたら、初めて、「個人的なことは社会的なこと」みたいな言葉を教えてもらった。*2
なんて力強い言葉だろう、と思った。
どうして我々は黙らされないといけないのか? どうして、つらいとか、もっとこうであってほしいとか、ただやめてほしいとか、言ってはいけないような気持ちになるの?
それが「私個人」の問題ではなくて、社会の問題なのかもしれないと思えたことは、私の心を確実に軽くしてくれた。
この本のこと
そんなわけで私はフェミニズムに興味をもった。体系的な知識が何もなかったので入門書を探していて、これを手に取った。
とにかく文字しかない。私には9割8分くらいが理解できてないと思う。だから詳細への感想が述べられない。全体的な雑感。
自分が何か「おかしい」と思うことについて考え続けると、「自分が『おかしい』状況にある」ことを直視し続けなければならない。その間に、「もういい、これでいいことにする」と思って慣れてしまうと、「おかしい」と思っていた頃には一生戻れないのではないかという気がする。それが本気の納得ならまあいいのかもしれないけど、でも初めに違和感を持っていたことを置き去りにしていいのか? と思ってしまう。
だって後進はたぶん同じ苦痛を味わうから。
彼ら全員が自分と同じように慣れるよう強要するんだろうか、私は? 私が明に暗にされてきたのと同じように?
私はできれば、後進に同じ思いをしてほしくない。
だからできれば、違和感を持ち続けたいし、たたかいたいと思っている。*3
それをやり続けるのはとてつもないことなんじゃないか、とこの本を読んで思ったのでした。強靭な意志、同志たち、明晰な思考力。
それでも折れたくないと思う。今はまだ。