単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

読んだ:千夜曳獏 : 千種創一歌集

千種創一 著(青磁社、2020)

千夜曳獏 : 千種創一歌集 | NDLサーチ | 国立国会図書館

 

やっと千種創一さんの歌集を買った……!

本当に年月で崩壊しそうな本だった(そういう意図で装丁をした、という話をどこかで見たと思う)。表紙の紙が本文より薄い感じ、透けている。スピンが普通のサテンじゃなくて、生成りの綿? 素朴な手触り。色の濃い細い糸が漉き込まれている。本文用紙はわら半紙っぽい、グレーで手触りのある紙。水に漬けておいたら滅びそうな本だ。

以下は歌を引きながら離しています。9首。

 

p29 これ走馬灯に出るよとはしゃぎつつ花ふる三条大橋わたる(越えるときの火)

作者の歌には句またがりが多い。これは初句ー2句がまたがっていて、それが会話文をリアルに切り取ってきました、という印象がある。走馬灯に出るよ、というはしゃぎかた、多少不謹慎だけれど、そういう感覚の友達っているよね、と思う。

 

p74 すすきほを秋のしっぽと思うとき何万という秋ひるがえる(金吾中納言

すすき原を見ている。何万本というすすきが見えている。すすきと同じ高さにいたらわからない気がする、少し高いところから見ているのかもしれない。ふかふかの淡い色の穂を秋のしっぽだと思う。風が吹いて、すすきの穂が揺れて翻る。主体の目の中で、何万という小さな秋がいっせいに翻る。これはうつくしくて、あたたかな歌だと思う。

 

p77 喉の痛みをうつしてしまい遅い朝あなたのための鮭粥を炊く(ミネルヴァ)

たぶん風邪のことだろう。「喉の痛みをうつす」という言い方が面白い(この歌がそのような評をされているのをどこかで見た気がする。私もそう思う)。精神的なものなのかもしれない。
遅い朝だ。ふたりとも休日なのか、「あなた」は学校や仕事を休んでいるのだろうか。鮭粥、がもつ滋味の感じが、どうも日曜日なんじゃないかという気にさせる。鮭粥は色がきれいだ。塩気があるけど喉は痛くならないだろうかと心配になる。とても薄い味の鮭粥なんだろうか。「あなたのための」だから、たぶん主体はそれを食べない。主体の喉はもう癒えているような気がする。喉はまだ痛いけど鮭粥は好きじゃない、のかな。
あと、「炊く」っていう動詞が私の認知の外にあった。粥って炊くものなんですね。手間ひまをかける愛情のようなものを感じる。

 

p97 約束をお城みたいに積めばいい蔦も這わせて、ほら崩れない(ミネルヴァ)

「崩れない」のは約束の城のことだけれど、主体とあなたとの間の関係の話ではないかと思う。約束をいくつも積めば、ふたりの将来があることが盤石に近づくような気がする、という感覚はわかる。けれど、蔦まで這わせると、頑丈になってはいたとしても、見た目には廃墟っぽくなってしまう。ふたりの関係は実はいま危うく、崩れそうになっていて、なんとか保とうとする悲哀を感じる。「ほら」とわざわざ呼びかけているところからも(あなたに、こちらを見てほしい、という願い)。

 

p99 あなたから借りた詩集のここからは付箋の色がかわる 秋かも(水煙草森(すいえんそうりん))

あなたは付箋を付けたままの詩集を主体に貸した。近しい、親しい関係なのだと思う(「あなた」であることだし)。私は付箋を付けたままの本を人に貸すのはかなり恥ずかしいのでほぼしないと思う、どこを好きかをわかられるのは恥ずかしいから。でも人が付箋や印を付けた歌集を見るのは面白い、どこが好きなのか、その人の感性を垣間見るような気がする。主体は付箋の色をみている。何色から何色に変わったのだろうと思う。緑からオレンジとかだろうか。葉の色が変わるように付箋の色がかわっている。使い切ったのかな、でなく秋かな、と思うのは、主体の感性もだいぶ詩っぽくなっていると思う。

 

p123 誠実はときに賢さから遠い 果ては石垣だけが残って(リッツカールトン)

私は定形の歌が好きだなあ(という詠嘆)。
取り合わせの歌、解釈が難しくて苦手めなのだけれども、この歌はいいなと思った。たぶん私の想像が至ることができたから。誠実であることを貫くと、石垣は残っても、大事な建物本体の方は朽ち果ててしまうことはあると思う。人間関係の話ね。

 

p194 かなしくはないのか水車、何度でもあなたに会って離れて、水車(Save? Continue?

あなた、は、水のことだろうか。私は水辺が好きなのでつい引いてしまった。主体は誰かと会って離れたことがあって、かなしかったのではないだろうか。水車のある羽をずっと見ていると、水については離れていく、その限りない再会と別れを見ていて自分のつらさを思い出したような歌だ。とても好きだ。だって水車の話をしているのに「あなた」になってしまっているし。

 

p213 言い訳をするとき声は下がってく朝の湿地のような低さへ(暖かさと恐ろしさについて)

たとえが面白いなと思う歌。
声は、とあるが、声の高さのことを言っているのだろうと思う。けれど、心情が落ち込んでいくようなイメージも重なる。朝の湿地のような低さ。湿地はくぼんでいるから低い。でも、朝と昼と夜で、湿地の低さって変わるんだろうか、湿地に詳しくないからわからないのだが。朝だから、明るい。湿地は低いが暗くはない。だからそんなに重大な言い訳をしているわけではないのかもしれない。けれど主体には後ろめたさがある。

 

p216 少しだけSkypeをした 鯖寿司のように心は整う、光る(暖かさと恐ろしさについて)

これもたとえが好きな歌。鯖寿司! 鯖寿司はたしかに四隅がきっちりとしていて、鯖とシャリの間もぴっちりと詰まっている。整っている。そして鯖はぴかぴかだ。この人と話すと心が整って光る、という感覚はあると思う。短くても、遠隔でも。一時空けも読点も必要な使われ方でいいなと思う。