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読んだ: 「ユマニチュード」という革命 : なぜ、このケアで認知症高齢者と心が通うのか

イヴ・ジネスト, ロゼット・マレスコッティ 著 本田美和子訳(2016)

「ユマニチュード」という革命 : なぜ、このケアで認知症高齢者と心が通うのか | NDLサーチ | 国立国会図書館

 

すごくよかった! 現場にいた頃には……きっと読めなかっただろうけど、理想と現実が違いすぎて。

「ユマニチュード」って何度か耳にはしたことがある。ホリスティック、とかと同じようなタイミングで。この本はその具体的に実践方法についてはほんの少しだけ触れられるに留められて、その効果の方に紙幅を割かれている印象。

結局ユマニチュードってなんだったんだろう? とは思いつつ(フランス語で「人間らしさ」らしい)、印象的だったことを抜き書きする。私はきっと現場には戻らないとは思うけど、いずれ家族の介護や看護が必要になる時も来るでしょう、きっと。

 

ケアをする人の定義について(p139)

ケアをする人とは職業人であり、健康に問題のある人に次のことを行います。

 

レベル1 回復を目指す

レベル2 現在の機能を保つ

レベル3 右のいずれもできないときは最期までそばに寄り添う

これはユマニチュード的には、という定義なのだと解釈して読んでいます。これは看護でも自然とこうなるな、という印象です。ただ、いつもベストを尽くしてこられたのかと言われると難しいなと思う。保清のときに(これはシャワーを浴びさせるとか、それができない時には体をおしぼりで拭く(清拭)とか、そういう意味です)40秒でも立たせたら褥瘡はできないし、「あなたは人間である」というメッセージにもなる、みたいなことも書いてあった。確かに……そうかも……でもそれをやろうなんて思ったこともなかったなあ……。寝たまま拭くのが当たり前だった。一日中寝かせていたら歩けなくなるなんてよくよく知ってるのにね。

ええと、ケアの話。

そう、病気、入院の原因の病名についてはもちろん回復を目指しているつもりだけど、それ以外のことはみすみす悪化させてきたなあ、という反省。これは現場を離れてもう長いから落ち着いてそう思えることだなあと思う。

 

口から飲み食いしない人に点滴するか経鼻経管栄養するか、というところで、飲み物をふたつ持ってきて「カンパーイ」ってしたら飲んだ、っていう話もたいへん印象的だった(p169)。これね……! コップに水汲んで目の前に置いて、さあ飲んでください/飲めますか?ってするだけでは飲めない、っていう感覚、私になかったなあ。ううむ。

 

触れる時は肩や背中といった敏感でないところから。手とか触りがちだよね……! 清拭のとき顔からやりがちだよね……! でも顔も敏感だし、急に触られたら攻撃されていると思われやすいらしい。しかも顔も手もいちばん汚れてるしな。

掴んだり、指先だけで触れてはいけない。広く、優しく、そして常に離れない(片手は触れているようにする)。これ書くのは簡単だけどするのはものすごく難しいだろうなあ……『ですから、ケアの最中、あなたは岩登りをしていると思ってください。両手を離すと落ちます。』(p210) これは(私が実践するとしたら)訓練が必要だと思う。

 

話しかけて返事がないと、自分が充電されなくて、話しかけるためのエネルギーが枯渇するという話。コミュニケーションをそんなふうに考えたこと、なかったなあ。その時に自分の動きを実況中継/予報して(「オートフィードバック」)、ケアの場に言葉を溢れさせると、セルフ充電ができる。しかもケアする相手は、次の動きを事前に知らされたりするからますます良い、というのもいい話だった(p197-)。

 

ユマニチュードの5つのステップは、とてもためになると思う。p242に表が出ている。自分のメモとして、端折って、理解を交えつつ書く。

①出会いの準備 3回ノックして待つ、3回ノックして待つ、1回ノックして入る(誰かが来たことを知らせる、拒否できるということも知らせる)

②ケアの準備 まずは正面から目を合わせて「こんにちは」「よく眠れましたか」などポジティブな言葉で話しかける。ケアしに来たのではなく、あなたが好きで、あなたに会いに来た。ケアの話はそれから。

③知覚の連結 ケアの間、相手を見る、相手に触れる、相手に話す、すべてをポジティブなメッセージで統一すること。掴んだりしない。

④感情の固定 ケアの最後にポジティブなメッセージを伝えて、ケアを素敵な体験として記憶に残す。

⑤再会の約束 「また会いましょう」と約束する。認知症患者はそのことを忘れるかもしれないけれど、喜びや期待の感情はとどまる。

 

どれもできてなかったな! そしていざケアする側になった時にできるだろうか、心配だけど、これらが実行できたら自分も幸せではないだろうかと思う。

 

フランスの事例のみならず、日本の事例もいくつも挙がっているのが、親しみを(そしてつらさを)もって読めてよかった。私も搭乗時にCAさんと目を合わせようと思う。

 

 

私はずっと*1、病や何かによって、「自分が自分でなくなる/肉体は生きていてもその人としては死んでしまう」という現象と、それに抗うこと(いつまでも自分を保つこと)に興味を持ってきた。ということを思い出した。認知症患者も人間だということを、自分が心から実感できるようにケアを提供するというのはとてもいいことだと思う。人間であってほしいし、人間らしく接したい。

 

他にもこの作者はユマニチュードの本をいくつも出していらっしゃるので、また読みたいと思う。

 

 

 

 

 

 

*1:15年くらい