光森裕樹著(2010、港の人)
やっと記録ができる……。
5月の上旬に、今年の目標振り返り記事を書いてから、ブログはしばらくご無沙汰になってしまった。5月末、7月半ばと同人イベントに参加していて、その準備でゴタゴタしていた。8月下旬にもまたイベントに出る予定があるのだが、ここで一度、溜めている本の記録を済ませたいと思った。
『鈴を産むひばり』。
光森さんのことを知ったのは『はつなつみずうみ分光器』で、ちょうど1年ほど前のことになる。『桜前線開架宣言』を読んだ時にも触れていた。こんなに好きなのに歌集を読んだことがなかったなんて! 好きな歌は、元の連作の中ではまた違う顔を見せてくれる。それに、言わずもがな、歌集にはその人の歌がたくさん載っているので、嬉しい。「絶対好きだとわかっている作品をなかなか読み始められない」という癖があるのだけど、短歌に関しては、それでも早く読んだ方がいいよなあと思う。変わっていきたいと思う、私の歌も。
読んでからだいぶ経ってしまった。でもこれは私の本なので、好きな歌には印がしてあるのだ! 好きな歌を引く。
なお、この本は大阪の葉ね文庫さんで買った。前から行ってみたかった場所で、行けてよかった(インテックス大阪のついでに立ち寄れた)。例の短冊も書かせていただいた! めっちゃ嬉しい。詩歌の本は、居住地の近くには取り扱いがほとんどない。通販で買える本もあるけど、やはり実物を見て、「欲しい……!」と思う急激な欲求の高まりは現地でないと味わえないものだ*1。
しかも歌集って、通販で買えないものも割とある。絶版とか、完売とか……。だから葉ね文庫さんみたいなところは本当にありがたいのだ。そういう話を、店主さんともした。
だめだあ、言いたいことが溜まっているから、いつまでも本題に入れない。『鈴を産むひばり』、いきます*2。
……ここまで書いて、1週間が経った。いよいよ書く。今日は書く。
街灯の真下をひとつ過ぎるたび影は追ひつき影は追ひこす(p17、鈴を産むひばり)
街灯の光で自分の影ができる。街灯に向かうとき、影は自分の後ろにある。街灯に真横で影は自分に並び、街灯を過ぎれば影は自分よりも先に行く。という、現象の歌。それを丁寧に言葉に起こして歌にすることができるのか。できるのだな。「影は」と繰り返されているのがリズムを生んで面白い。次の街灯がもたらす次の影が実はもう私の背後にある。
われを成すみづのかつてを求めつつ午睡のなかに繰る雲図鑑(p19、迷路図の鰐)
水、雨、雲。モチーフが好きなので取った歌。ではあるのだけど、ちゃんと歌を見ていくと、まず「雲図鑑」という具体的な描写が面白い。雲図鑑。最近はいろいろな図鑑を書店で見かける。だからきっと雲図鑑も存在するのだろうけど、あまり馴染みがないし、「午睡」が効いて夢の中の書物みたいだ。
「午睡のなかに」をどう取るか難しい、夢の中で本を見たのか、うたたねしながら実際に図鑑を捲っていたのか。いずれにしても、人間の身体の大半を成す水の履歴を求めて雲を見るというのは、非常に科学的でありながらとってもファンタジックで、その塩梅がとても好きだと思う。
ポケットに電球を入れ街にゆく寸分違はぬものを買ふため(p39、猫、あかね雲)
「寸分違はぬ」が面白い。言いたいことはわかるのだけれど、「全く同じ」とかではなくて、「寸分違はぬ」なのだ。あまり口語で使われない表現だからおかしみがあるのだろうか。ポケットには直接電球を入れているのだろうと想像する(箱が取ってあるならきっと箱を持っていくだろう)。割れないか心配だ。その危うさがほんのり流れていて、「寸分違はぬ」という無機的な精密さがちょっと狂気じみた雰囲気を帯びて感じられるのかもしれない。
づば抜けてけふの日を生き小躍りのあらたなリズム体得したり(p50、野あざみの)
これは直後の歌も合わせて好きな歌だが、この一首だけを取った。連作の1首目。
「づば抜けて」が「生き」にかかるのがちょっと説明不足で奇妙ではあるのだけれど、下句で踊っていることがわかる(きっと、一人で)ので、そうとううまい一日を過ごしたのだろう、そしてその勢いが、少し不思議な上句を駆け抜けさせたのだろう……と思わせる。そもそもこの作者、もともと「小躍りのリズム」を持っているのだ。そこがもう面白い。私はそうやって生きたことはなかった。
湧くごとくプールサイドにあしあとは絶えねどやがて乾きゆくのみ(p83、水と付箋紙)
水辺の歌です。人間ではなく足跡だけを見ている、作者の器用な目に感じ入る。歩いている肉体を無視してプールサイドの地面だけを見ていると、足跡があとからあとから湧いてくるのだ。それでいて日差しにすぐ乾いてしまって、人間がいなくなればすっかり乾ききってしまう。ちょっと先の時間軸まで含められたところが面白いと思う。
どのやうに挿(い)れるフォークもこぼすだらうベリータルトにベリーはあふれ(p85、水と付箋紙)
きっと作者はこのタルトを回転させたか、自分がぐるっと首を回して、「どこから行っても無理だ」と思ったのだろう。そういう律儀な感じを受ける歌。これも体験したことがある気がするのだけど、こうやって歌としてパッキングして出されると、歌になるのか~と思う。
いちまいの紙であがなふ紙のたば書をえることは得にはじまる(p87、水と付箋紙)
素敵な感性の作者だ。今後私が紙幣で本を買うとき、この歌が何度も頭をよぎるだろう。この本が、実際に作者に得をもたらす本だったのか、あるいはそうでもなさそうな本だったのかわからないが、個人的には前者だったのではないかなと思う。
雪雲がゆきぐものまま降(お)りてゐた朝(あした)をあゆむ踏み抜かぬやう(p108、星を喰ふ星)
朝、雪が積もっていて、地面が雲のようになっていた。雲だとしたら、踏み抜いたら空に落ちる。作者は踏み抜かないように歩く。面白い発見の歌だと思う。
「朝(あした)」は、夜の後に来る朝のニュアンスだと聞いた。作者は前日に、雪雲だった頃の雪を見ていたのだろう。
この「を」がなんだろうと思って、辞書を引いてみた。例文にあった「雨の中を横断歩道を駆け抜ける」(明鏡国語辞典、第3版)の「を」かなあ。
ビル壁面を抜けて鴉にかはりたり羽ばたく影と見てゐしものが(p112、星を喰ふ星)
ビル、鴉、作者、光、影。その配置が具体的にはわからないのだが、起きていることはよくわかる、と思う。この「おお」という感覚を歌にする、その作歌の力を私も付けたい。そういえばこの歌は初句が7音だ。初句7音はたまに私もやって、ちょっと心配になるのだが、こうして他の方がやっているのを見ると特に違和感がないので安心する。
自転車の灯りをとほく見てをればあかり弱まる場所はさかみち(p124、空の壁紙)
また路上の光の歌を取ってしまった。どうして灯りが時折弱まるのか、作者は考える。地形を考える。そうか、もしかして坂道なのかもしれない。光を目で追いかける。そろそろ坂道にさしかかる。ああ、やっぱり、光が弱まる。そういう発見をしたのだろうなと思う。きっとちょっと気持ちが良かっただろうな、と。
ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか(p125、空の壁紙)
この歌集において、よく引かれる歌ではないだろうか。読み返したうえで、やはり私も引いてしまった。鍵を鍵穴に差し込む動作が、人間に刃物をさしこむ動作にオーバーラップする。ちょっとひやっとする想像だ。それでいて作者は冷静だ。
鍵を深く差し込んでもドアは死なない。ドアは開くだけだ。人間も、押されたら開く穴があるのだろうか。人間はただ死んでしまうだけなのだろうか。
みなもより落葉(らくえふ)ひとつみなぞこへ落ちなほしゆくさまを見てゐつ(p140、さみづに濁る)
また水辺の歌を取ってしまった。水辺が大好き。とてもよく情景が目に浮かぶ歌。それを「落ちなほ」すと捉えた作者の言葉選びが大好き。