吉川宏志 著(現代短歌社、2023)
雪の偶然 : 歌集 (塔21世紀叢書 ; 第427篇) | NDLサーチ | 国立国会図書館
これも葉ね文庫さんでお迎えしたもの。装丁がほんとうに美しい。帯の紙はなんて名前なのかしら。
しかし言葉は無力なのだろうか。本当に?
10首ほど好きな歌を引く。
玄関を入るとすぐに階段で秋のひかりは這い上がりたり(p28、あばら家)
この歌がこの歌集のなかで一番好きだ。
私はそもそも「秋の光」が好きなので、それで、というのもある。そして、この歌は状況がよくわかる。玄関扉を開けると、外から家の中に差し込んだ光が、階段を下の段から上の段へと照らしてゆく。「這い上がりたり」で秋のひかりが擬人化されている。命を与えられたような秋のひかりは、それでいて玄関扉の高さの許すところまでしか這い上がれない。
流木と砂が親子のように思える。これも擬人化が好きな歌。
誰かが大切に持っているものが、第三者によってたやすく別れ別れにされて、地に落とされる。海の埋め立てへの反対運動に参加する連作中の一首。作者の心と作者の見る世界は呼応している。「大変なときにこそ細かいところに目を向ける」と作者はラジオで話していた。
路に触れ消えゆく雪と見ていしが白き厚みをもちはじめたり(p55、雪とアレント)
降りはじめの雪を観察している歌だ。たしかな歌いぶりでよく状況がわかる。
さてこの連作には東京に出ていく息子が歌われている。かすかなるものと思えていた存在がいつの間にか確かなものになっている。下句に線を引いて「子」と書いている。この雪は息子さんを投影されているように思える。
白鷺は魚を呑めりしばらくは胃の闇のなか見ひらく魚(p67、オオムラサキホコリ)
呑まれた後の魚に想いを馳せる。昨日「ヤモリの奥の闇」に目を向ける作者に恐れ入ったが、これも同じ視線の奥行きを感じる。そのうち魚は目ごと溶けてしまうのだ。
平成二十年
祖父の顔を死ののちも舐めていた犬が後ずさりして低く唸りぬ(p83、光る夕立 平成じぶん歌)
平成元年から三十一年まで、その年に詠まれた歌が一首ずつ歌が並べられている連作。作者は平成元年で二十歳とのこと(一首目による)。平成六年の結婚式らしき歌もたいそう好きだ。結婚し、子供ができ、歌集を出し、祖母が亡くなる。世界情勢を詠む。
挙げた歌は作者の祖父が亡くなった場面だろう。自宅で息を引き取ったらしい。犬は死に気づいた。死に近い人間はいつから「その人」ではなくなるのだろうか。あるいは、死の後、いつまで「その人」であれるのだろうか。私はそのあたりにずっと関心があって、これは犬の側からひとつの例を見せてくれた歌。
金の陽にふちどられつつ雲は行きあなたのいない地上が翳る(p106、藤田嗣治展その他)
下句の感じが、作者の歌には珍しいような感じがする。おおきな悲しみ、どうにもできない悲しみ。「あなた」は亡くなったばかりの母親と思われる。雲が行ってしまって地上が翳るのは、少し不思議だ。雲が行けば晴れそうなものだ。日が暮れたということか。だけど目に見える状況がどうあれ、はるか地上で美しく光りながら行ってしまったのはきっと母御そのもので、作者がいる地上は暗いのだ。心象の歌かもしれない。
デザイン料けずればデザインは悪くなる その当然を経営は知らず(p118、美馬牛)
作者は勤めている会社の中での息苦しさ、怒り、やるせなさなどをよく歌にしている(この歌集の後の方で、退職したことがわかる)。よくありそうなシーンを端的に短歌にされている。二句、結句が字余りで、「悪くなったデザイン」の感じがなくもない。
春の夜の湿りに紙の挟まりて機械停まりぬ みな背伸びする(p122、夜業)
連絡の一首目の詞書に「納期が遅れている印刷所の手伝いにゆく」とある。「春の夜の湿りに」、美しい。やっていることは徹夜の肉体労働なのだ。不意に訪れた「休憩時間」に、皆が体をほぐす。私は最初のバイト先で、数人で泊りがけのデスクワークをしていたことがあり、こういう短期決戦体力勝負労働の中でふっと全員が気を抜く時間は、連帯感を生むような気がして嫌いではなかった。
ふるふると金魚およげりガラス器の外にひかりをうごかしながら(p194、かんぜおん)
水、ガラス、光。私の好きなものばかりが乗っている歌。
「ガラス器」かあ……「金魚鉢」と言わなくてもいいんだなあという学び。「金魚」はもう書いてあるから書きたくないにしても、水槽でもなく、ガラス器。魚を入れておく器、という役目を超えて、美しい透明な器であることがより強く示される。
金魚が泳ぐとガラス器の外の光が動く。それを「金魚がひかりをうごかす」と言う。「ふるふると」が食べ物とかに使われる印象のせいか、あるいは「およぐ」がひらかれているためか、金魚という生き物が意思を持って光を動かしているというよりか、金魚は光を動かすためのレバーかなにか……そういう機構の一パーツだというような感じがして面白い。もちろんガラス器もその一部なのだ。