単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

読んだ:木暮荘物語

三浦しをん

木暮荘物語 (祥伝社): 2014|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 

なんと、2010年の本だった。そんなに前なの??

じょうずな小説が読みたくて取ったのですけど、話の筋が面白くて表現が巧みで、何より引っかかる部分がない。嬉しい。ただ楽しんで没頭して読んでいられる。

本を読んでいて、文体が好きじゃなくて読み進められない場合があると私はよく言う。けれど近頃、「文体が好きじゃない」と「推敲が不十分である」ことは別だと思うようになった。推敲とか、校正とかかな。誤字、脱字、衍字、誤変換、おかしな行頭アキの不統一、etc,etc。「文体」は味に近いけど「推敲の具合」は触感、手触り、舌触りに近い。ザラザラしてたりチクチクしたり、信じられない突起が出てたりすると、食べるとかいう話ではなくなってしまう。あと、頻発する重複表現とか、何言ってるのかわからない文章(!)とか*1。おぞぞ。
「読んでいて引っかからない文章」って、たぶん、そういうのがない、よく磨かれた文章である、ということなのかも。そして、それができる書き手は(少なくともアマチュアには)多くはない。引っかかりがある文章を敬遠していると、食べられるものがどんどん減ってしまう。日本語を書くのは難しい。自戒を込めて。自嘲を込めて。

その上で、やっぱり文体が好きじゃなくても、手触りに引っかかりがなければとにかく読み進められるようにはなった、気がする。それは進歩であるような気も。

しかし三浦しをんさんの文章は文体も好きなので大丈夫であった。面白かった。よかった。私も毎週、決まった花を5本買って活けるような暮らしがしたかったよお(切り花の世話が苦手)。

「子どもを産まなければ母にはなれないのか?」のくだりもよかった。光子ちゃん幸せになったかな。もう三十路だよね(10年前の本だし)。

*1:そういう文章に出くわすと「筆者は何を言いたかったのか」推測してしまうし、「それなら、私ならどう書くか」と考え始めてしまう。話を楽しむどころではない横道である。おぞぞ。