単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

正気を失う 同人小説書きに正気は必要か?編

これは2020年アドベントカレンダー「感情と意思」第9日目の記事です。

 

昨日は「ミュージカル刀剣乱舞は安心と信頼の正気喪失体験」という話をしました。

pinnni.hatenablog.com

 

今日はその他の正気喪失体験の話をしたいと思います。

実は「同人小説書きに正気は必要か?」って記事が書きたいし、自分が書いたそういう記事を自分で読みたいんですが、眠いのでもっと行き当たりばったりに始めます。

Be happy to lose my (fragile) sanity 2

正気にまつわる発言

そもそも私は「正気」についてどんな発言をしてきたのだろうか。

私のツイログで「正気」で検索し、2020年に発言された「正気」発言のうち目ぼしいものをピックアップした。*1

正気関連発言、そんなに多くなかったですね。今の私の三大スマホゲームだ*2

Stay sane

このアドベントカレンダーでも何度か書いている気がするが、今年は正気を失うよりも、正気を保つほうが大事だったのだ。

正気を失うには、初期状態が正気でないといけない。正気でなければ正気を失えない*3

 

完全に正気を失うと、感染拡大に寄与しかねない行動をうっかり取りそうだった。そのリスクは自覚していたから*4、常に正気でいようとした。より正確に言えば、肉体を元気に保ち、精神を健やかならしめ、愛情深く知的であろうとした

信頼できる情報源を探し、その他のものには触れないようにする。不確実な情報は判断を悪くするし、何より心が荒むから*5

よく食べよく寝てよく笑うことを心掛けた。在宅勤務になるなど暮らし方の変化も大きかったが、つつがなく働き続けるよう勤めるのでしばらくは精一杯だった。

Planned loss of sanity

しかし、息抜きをしなければ、何事も続かない。

正気を突然完全に失うことは避けなければならない。ガス抜きとして、適度に正気を失わないといけない*6

で、「ハイ! ここで正気を失うわよ」というのを、結局やったんだった。

自分で自分に本を作って贈る

誕生日に、自分の書いた話の再録集を、本にして自分に贈った。

作文をする*7

そもそも今年度(あえて4月以降に限定する)はpixivに上げた小説作品の量が明らかに多い*8

作文するときは移動中に、が基本だったから、家にいると書かないかと思ったけど、そんなことはなかった。休日の外出が激減し、ヒマで、よく書いた。pixivには上げてないけど、夏の間は、朝早起きしてちょーシリーズの夢小説みたいなものを書いていた*9

あと、ちょうど、6月にゲーム文豪とアルケミストを始めたので、創作意欲が湧いたんだと思う。ありがとう文アル。

note.com

 

こんなにたくさん二次創作の文章を書くのは15年ぶりとかじゃないだろうか?

書くほどに、新しく書きたいことが出てきて、面白い。面白いが手が追い付かない。読みたいものがあるのにこの世に存在しない。理不尽だ!! でも書けば読めるんだ……書きさえすれば……。それは幸せなことだと思う。

作文を本にする

私は本を作るのが好きだ。組版作業も紙を選ぶのも。

自分の本を手に取る瞬間も好きだ。

その感情が高じると「私の本が欲しい!!!」という欲だけが残り、原稿を書くパートがすっぽ抜けたりするのだけれど。でも、書きたいことがあって、書いて、本にする、って順番を忘れたくはない……最近はよく忘れるけど……。

夏には、さっきも触れた、ちょーシリーズの夢小説を今年度中に書ききって本にしようかなと思っていた。けれどそちらは手が止まってしまって、本になりそうになかった。

いやだ……本が欲しい……本を作りたい……! 締め切りのある作業を通じて生の実感が欲しい……! 今年はイベントに出ないけれど、でも、ああいう祭りを、感じたい……!

そういう欲が高まって、最後には、「もういい!!!!! 作る!!!!!」となった。「私にだけあげる!!!!!! 私の本を!!!! 私が!!!!!!」*10*11

で、作文を本にした。

一か月の間に書き下ろし2本足して、これまでのを読み返して少し手を入れて、短歌を詠んで、組版をし、表紙を外注し、印刷会社を手配した。えらい。

自分で自分に贈るので「お誕生日おめでとうございます」とか後書きに書いたし、自分で読むのにマシュマロのQRコードを付けた。自分で自分に感想を送る構えだ*12*13

そんな感じで本を作った。

正気がないと本を作れない

労働をし、生活をしながら、さらに作品について考え、書かねばならない。スケジュールを立て、外部と連絡調整を行う必要もある。正気でないとできない。でもどう考えても「やらない方が楽」だ。それでもやるのは正気ではない。

適度に正気で、適度に正気を失っている。実際、一か月の間めまぐるしかった。だけど、本が手元に届いた時には心の底から嬉しかったし、今でも嬉しい。実物がいつも手元にあるので……。

長続きする幸福だ。それを自ら形にできるのは素晴らしいことだと思う。たかだか一か月正気を失うのが何だというのだ。*14

私という同人小説書きには正気が必要である。狂気で入稿はどうにもならない。*15 

 

1時半じゃないか!! 注釈が長すぎて5,000文字を超えてしまった。私は何をしているのか?

 

正気を失う話の中で某辞の話を書きたいなと思っているのだけど、うまく書き始められない日が続いている。来週は違う話をするかもしれない。

 

読んでいるよメッセージ、ラブレター、「こんな感情と意思の話が聞きたい」など、メッセージ歓迎しています*

marshmallow-qa.com

 

*1:なおこのTwitterアカウントは、先月で10周年になった。運用に際しての倫理観とかがかなり変わっていて、これを機にツイート全部消そうかなとちょっと思っている。実際にどんなツイートしてきたのかなと見たく、10月くらいにツイートのバックアップを取った。せっかくだから、当たり障りないお気に入りのツイートを選別・編集して本にでもするかと思っているんだけど、2018年くらいまでのツイートを選別したところで手が止まっている。刀ミュとかとうらぶとかについて正気を失ってるツイートが増えてきて、選別に苦慮するので……。

*2:ゲームに正気を失っているのか……とちょっと冷静になった。ゲームに正気を失っているんですよ。

*3:BLEACH剣八ポエム:Poem Collections of Bleachとは (ブリーチノポエムイチランとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

*4:私は一人で遠くに行くのが好きだ。友達と出かけてご飯を食べるのも好きだし、カラオケに行くのも好きだ。だけど、そういったこと──移動、人との接触──は、しばらく(少なくとも一年間は)できない(やめたほうがいい)だろうと4月あたりの段階で考えていた。そして、そのような「我慢」が、私にストレスとなるだろうこともわかっていた。変にストレスを溜めて、決壊しはいけない。「とにかく羽田空港に行って電光掲示板を見上げて好きな飛行機に乗ってしまう」みたいなことを、実際にしてしまう人間なのだ、私は。

*5:ニュースをあまり見ない環境にいたのでよかったが、私の信頼する人々が報道に様々な思いを抱いている様子はよく目にした。私はとりあえずTwitterをあまり開かないようにした。

*6:これは平時にある程度正気であることが前提である。正気であるように自身をチューニングしながら、正気を長持ちさせるために、時折適度に正気を失うのである。何言ってるのかよくわかんないけど、ハレとケ的な? 祭りがあると思うと生活を頑張れるよね的な……?(?)

*7:私は自分が二次創作小説を書くことを「作文する」と言い表している。自分が考えたことを、文章の形に出力しているので、「作文」がしっくり来ると感じている。小説を書いている感じがしないため、「小説を書いている」とは言い難い(なぜだろう? 「小説を書く」って、一次創作をしている時には自分でもそう言える気がする(私は一次創作をしていた時期がある)。でも二次創作をしている時にはそう思うことがほぼない)。他の方の二次創作小説を読むにあたっては、「この方は小説を書く方だ」と認識することはある(ご本人がご自身をそう呼ぶ場合を除き、「作文をする人だ」とは思わない)。小説書きのことを「字書き」「文字書き」と呼ぶ人たちがいることは知っているが、私は自分をそう思ったことがない。「字を書く」という響きは「手で文字を書く」をイメージしてしまうけれど、私の作文は手書きじゃないし、書道みたいに「字」そのものを書きたいわけではない(私はセンテンスやパラグラフを作って、何かを説明したい)。念のため、「字書き」「文字書き」と見たときに「書道家か?」と思っているわけではないことを申し添える。物語を文章で書く人なのだな、と(おそらく正しく)理解している。さらに付け加えれば、「字書き」「文字書き」とは、「小説書き」と名乗ることをおこがましいと感じる人が使う謙譲の言葉と思っている。そういう意味では、私の「作文屋」も似たものかもしれないが。

*8:数えたら2020年4月から12月までで10本上がっていた。2019年度は文庫本『君が元気でありますように』とあんスタ・とうらぶクロスオーバーが1本、2018年度は文庫本『にっかり青江は占わない』と他とうらぶ5本、あんスタ1本だった(この年は多い)。蔦子 - pixiv

*9:これは4万字くらいで止まっている。この作文には、去年の年末に人に言われて気になってたことを消化する、という目的が少なからずあったんだけど、その呪いがほぼ解消された。

*10:なお、今年の誕生日には、某四国で某大脇差が展示されるはずだったのだ。誕生日に推しの本体を(というか本体も推しなのだ)見るぞと思ってわくわくしていたのだ!! でも!! 展示も延期になっちゃったし、何を楽しみにしていれば……としょぼくれていた。そんな私の生を自力で祭ってあげたかった。

*11:「私のために本を作るぞ」と決意したその日だか翌日だかに、「Web展示します!」と告知があった。何なんや。そういうとこやぞ(連続再生)。ちゃんと誕生日にも見ました。

*12:実際にマシュマロを送った。自分で自分に感想マシュマロを送ると、読んだときにめっちゃ嬉しいことがわかった(なお、自分で書いたとわかっていても、嬉しい)。私は読みたいものを書くので、それを私が読むと「うわ好き」となるのは当たり前である。そんで、それは一回(作品として)言葉にしたことがあるわけだから、感想としても「このシーンがこう胸に刺さって」と書くことが比較的容易である。それをまた私が読むと、「ギャー! 伝わっている! ありがてえ嬉しい!!」となるのである。すごい。尻尾を追いかけて走る犬か?

*13:なお、さらに付け加えると、私以外の人が送ってくださるマシュマロは全部好きです。内容を問わない!! ありがとうございます!! もちろん私が特に思い入れがある部分に言及いただくのも嬉しいのだけれど、まずわざわざマシュマロ送ってくださることがありがたすぎる。そして、私が「そんな視点が!」と思うようなお言葉を見つけるのもとんでもなく嬉しく幸せなことです!! 作品が、きちんと私を離れて生きているのだなと思います。ありがとうございます。よかった。

*14:でもね、一か月っていうけど、収録物を書くのにはきちんと半年くらいかかっているし、最古のは2018年だったから、足掛け2年とも言える。書いてきてよかったね……。

*15:「同人小説書きの正気と狂気」、というテーマは、たぶん「なぜ書くのか」に着目して書くべきものではないかと感じている。今回は「本を作る」っていう、書いた後の話をしてしまった。私は何かを書く前に幻覚が見えるタイプの作文屋ではない。幻覚を撮影して言葉で写し取る人は「正気ではない」と思うんだろうか? でもね~~私が書くのは、疑問があって、その答えがなんとなく私の中で見えた時で、それを、解答用紙を埋めるみたいに、形にしておきたいからなのな。そういうことが多い。それは、「たかがゲームの登場人物に、そんなに悩むか?」「わざわざ小説にするのか?」といった指摘からは「正気でない」と見えるかもしれない。でも、気になってしまうのが私だし、作文してしまうのも私なのだ。私はそこには引っ掛かりを覚えない。だから私にとっては完全に正気の営みである。私が作文行為において自分を「正気ではない」と思うのは、むちゃくちゃな締め切りを設定してしまった時のように、明らかな時間的・精神的・肉体的負担に関してである。それはとても現実的な悩みだと思う。そんな締め切りを設定するほどに正気を失っていても「これは正気ではないな」と気付けるくらいには。でも始めちゃったし、やりたいから、やるんだけど。そう、無理にやらされているのではなくて、やりたいことだから、大丈夫なのだ。正気を失っていても。