引っ越して一ヶ月になる。
ちょっとずつ慣れてきたらしい*1*2*3。それで、ふと気が緩むのかもしれない。不意に、前居のある街をありありと思い出して、猛烈に寂しくなっている*4。でもそれ、潰れちゃったパン屋さんがあった頃の情景だったりするんだよね。帰っても、もうない*5。
もうないこと。
引っ越しの準備をしていた頃、死ぬ前みたいだな、と思ったの。「これが最後」になるかもしれないことがたくさんあった。食べ物屋さんとか、博物館とか、会いたい人とか。COVID-19のこともあったし、限られたことしかできなかったのだけど。けど、きっと、いざ、近く死ぬ、って時、思い残すことがないようにするのってたぶん難しいんだね。実感してしまったよ、この歳で。
かつて医療機関で働いていた春に、次の桜は見られないだろう患者さんが、「桜が咲いたので見に行きませんか」という誘いを断ったということがあった。どういう気持ちでいらしたのかはわかりようがないのだけれど、今回、そのことを思い出した。これが最後かもしれないこと。「結局、あれが最後になったな」となるのか、「最後にもう一度」とするのか、自分の選択に委ねられる。それはそれでストレスだなって、少し思う。どれが譲れないものなのか、自分で考えて、選んで、行動すること。(今思うと、2021年11月に新刊4冊出してイベントはしごしたの、よかったなと思う。書くことや、本を作ることについては、悔いがないから*6。)
引っ越しの時に色々あり、一人で移動した*7。何かお守りを帯びて行きたくて、結婚のお守りとして昔お迎えした、天然石の数珠を着けていった。もし何か災いがあるなら、私に降りかかるより先に石が割れてくれるだろうと思ったの*8。
前居を引き払って、ひとりで空港近くのホテルに移動して、一泊して飛行機に乗り、人と合流して、鍵を受け取ってまたホテルに泊まり、翌日新居に入って、荷物を搬入してもらって、荷解きを終えた。
美しい珠は一つも割れていなかった。
猛烈に寂しくなることもあるが、先日アドベント連句が無事に巻き上がったのは本当に嬉しいことだった。冬から春にやってきた。連衆全員が、ちゃんと。とてもすごいことだと思う*9。
今日、昼寝から起きたらなんだか嫌な感じに頭が痛かった。なかなかよくならず、悩んだものの、そろそろ図書館でたくさん本を借りないとメンタルがだめな感じになるわ、という危機感が勝ったので*10、車で図書館に行った。その途中、道の脇に植わっているソメイヨシノが、ぽろぽろと咲いていた。三割くらい咲いている木もあった。開花の話は聞いていたけれど、一輪二輪かと思っていたので、びっくりした。というか、その道の脇が桜だってことも、その時に知った*11。
春は来ていた。かけがねは外れていた。引っ越してきたのがこの季節でよかったなとほんとに思います。嘆いていても寂しくなっていても、外はどんどん花が咲いて、明るく暖かくなっていく。花粉はこちらでもひどいが。でも今年は花粉症の内服薬も点眼薬も買ったし。
来週はピクニックに行きたい。あ、いや、明日にも行けばいいのか。パン屋さん開拓してパン買おうかな。なんか、パン屋さんとかカフェとかもっと開拓していてもよかったんだけど、そういうところってお腹を空かせないといけないじゃないですか。それがね……難しい……いろいろ買いたいけどお腹に限りがある……。
記事としては片手落ちな文章だな。でも出してしまう。日記だし。お付き合いありがとうございます。