まだ読み途中。
どうして私たちは、思春期の頃に初めて思った「愛」を忘れられないのだらう。
サバンナの夕陽に浮かぶ動物のシルエットのように、強烈に網膜に焼きついて、何十年経っても鮮やかに蘇る。
その頃の愛にはパーツが少ない。
私とあなたが、奇跡のように嵌まり合う。
そのひと塊を「愛」と呼んでしまう。
大きくなって──たとえば、結婚して──感じる(べき)「愛」は、もっと雑多で、微妙なものだと思われる。
多くのパーツ。嵌まりきらず半端に放り出されたものたち。
その総体を、愛おしく思うこと?
何でしょう。
わからないけれど、幼い自分の感じた「愛」のことを、きっと一生忘れないんだろう。
それは悪いことではないように思う。