単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

ひとりでは書けなくてよかった

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第17日目の記事です。

 

前回は、防寒の話と、挙児希望の話をしました。1記事で2日分書いたことにより、今週は月曜から水曜の3日間で、実質5記事書いています。勤勉だね。

と思った途端、眠気がすごくて昨日はお休みしました。今日も眠いです。でも何か書きたいので、キーボードに触っています。何の話をしようかな。

小説を書きたい

昨日の夜は本当に眠かった。そして同時に、小説が書きたかった。アドベントカレンダーを書いている間は、小説を書かないようにしている。アドベントカレンダーを書くために。

けれど今年はなんだかずっと、小説が書きたかった。昨日はゆず湯に浸かりながら*1、ぼーっとしていた。ぼーっとしながら、書きたいもののことを考えていた。お風呂から出て、もう寝たほうがいいくらい眠かったけれど、それを押して、勢いで500文字くらい書いた*2

そうしたらひどくすっきりして、よく寝た。翌朝の目覚めの良さといったら、ここ最近は類がなかった。朝だけでなく、一日中頭が冴えていて、調子がよかった(単にここ数日より1時間早く寝たからという説もある)。

小説を書いたら調子がよくなった。小説書きたさを我慢していると、健康に悪い。

今年の作文のこと

そんなに小説を書くのが好きだったっけ、と、ちょっと疑問に思う。私にとって小説は、気になって考えていたことが一段落した時に、書かざるをえないから書くものであって、「ただただ小説が書きたい」と思うようなものだっただろうか?

と思うと、今年の作文について振り返る必要がある。

#札引いて書くやつ

結局この話をすることになった。

2022年1月1日から5月1日のほぼ4ヶ月にかけて、「1日につき1枚タロットカードを引き、その札をもとに1本の話を書いて、Twitterに上げる」という営みをしていた。

これは、引っ越しを控えて、書けなくなることを恐れていた私の、抵抗だった。のだと思う。どうしてその遊びをし始めたのか、明文化していないらしく、もう想像することしかできないのだけれど*3*4

始めたときには、最後まで書けるとは思っていなかった。ただただ、札を引いて、一本書いた。寝て起きて、やれそうだったらまた札を引いて、一本書いた*5。そうしているうちに、78枚から、84本の話を書いていた*6

こういうことは、あまりやったことがない。私はお題で書くのがあまり得意ではないのだ(それは今もそう)。これまで、「疑問と回答」という作文をしてきたから、外から与えられる刺激だけでなにか話を作った経験があまりない*7*8

だけど、始めて4日目には、楽しいと言っていた。

そのうち、「書き始めてから考える」もできるようになっている。

78枚を完走して、こうなった。

(書くのが)たのしくて、(作文筋が)つよくなる

成長しているなあ。我ながらしみじみしてしまった。140字を5本書くにもひいひい言っていたのになあ*9

本数をたくさん書くと、自分が何を書くのか、どういうことができるのか、わかってくるように思う。それは、生まれたての身体の使い方を覚えていくみたいに楽しいことだ*10*11。過去の私より、今の私の方が、作文筋が強い。そう思えるのは、単純に嬉しい*12

あと、たくさん書くと、書いていることが自然な状態になるのかもしれない。作文と私の距離が縮まる、というか。だから、しばらく書かずにいたり、書きたいのを我慢したりしていると、私が思う以上に、私は苦しくなるのかもしれなかった。今月みたいに。

ひとりでは書けない

書き物の話題を続ける。

1月、自サイトにこういうことを書いていた*13

複数の人が読んでくれて、複数の人が言葉をくれて。書きながら、これは誰それが読んでくれるかなあと思ったりして。そうして書けたものは「ひとりで書いた」ものではないな、と思ったっていう話。(中略)「ひとりで勝手に書いてる」って思ってきたけど、多分、そうじゃなかった。

これは本当にそうだと思う。短歌もそうだ。会に所属して、意見をもらって、歌を磨いていく。作歌は私ひとりで成していることではない*14

うれしみフォルダのこと

ちょうど今日のアドベントカレンダーが、「自分の作文と他者」の話題になった。実は、昨日の書きかけ記事に、うれしみフォルダの話を書いていた。以下、そのパーツを適当に引きながら書く。

「うれしみフォルダ」。このブログでも2回ほど言及していたが(いずれも脚注)、きちんと説明したことがなかった。うれしみフォルダとは、インターネット上でいただいた嬉しい言葉を、スクショしてしまっておくためのフォルダである。私自身に対する言葉もあれば、私が書いた文章に対しての言葉もある。ツイート、note、ブログ、その他。もちろん、作った本に対しての言葉も含まれる。

嬉しさにひたる

言葉をいただいたときは、とても嬉しい。だけれども、日常生活の中では、どんな嬉しいことも取り紛れがちだ。洗濯が終わったとか、家の人が帰ってきたとか、実は歯磨き中だったとか。だから、嬉しいことは特別な箱に入れて取っておく。時間がある時に、ゆっくり浸れるように*15

畳み掛ける嬉しさ

嬉しいことが起きる時は一回分の嬉しさだけれど、うれしみフォルダは画像をめくるたびに、嬉しいことが現れる。これは本当に幸せな体験だ。アドベントカレンダーのヒントになるかと思って、今年分のうれしみフォルダを見返していたのだけれど、9月くらいでうれしさが許容量を超えてフォルダを閉じた*16*17。ありがたいことだ。

引用と改変、ここまで。

嬉しい言葉で成長する

そうやっていただいた嬉しい言葉を読み返していると、自分についての気付きにもなる。自分の作文の強みや味、考え方の癖とか。それらは後の作文の参考になることがある(たとえならなくても、ただただ嬉しいので、それだけでいい)。

いただいた言葉をもとに、できることを増やす。ますます好きなことを書けるようになったり、あるいは新しいことに挑戦できたりする。それは本当に幸せなことだと思う。やめないことの方が大切で、やめないことの方が難しい(らしい)ので。

印刷したメールのこと

あと、今年、作家さんにファンレターを出したら思いがけずお返事をもらえたということがあったのだけれど、そのくだりで思ったことを自サイトに書いていた。ちょっと長いのだけれど、引用する。

物語を書いたのは私だけれど、物語は、それ自体が生命を持っているのかもしれない。魂かな。沼の底からじりじりと浮き上がってくるそれを、私は岸辺で息を呑んで待ち構える。水面から頭を出したそれが、空気に触れてみるみるうちにやせ細って骨ばかりになってしまうのを、「あれか!? これか!?」とてんやわんやしながら、手持ちの言葉をぺたぺたと貼り付けていく。そのうちにも物語はずいずいと上に昇っていく。短い集中の時間の後、その全貌が明らかになる頃には、物語は私のはるか頭上を浮かんでいて、とても手は届かない。「ああ、あれはああいうものだったのか」ということが、その時初めてわかる。

(中略)


書くのはつらいことだ。でも、ごくたまに、美しい刹那が訪れて、強烈に心を照らしていく。それは多くの場合、他の人間によりもたらされる。その光をもう忘れることはできなくて、また書いてしまう。書いていられれば、私は大丈夫だと思う。


書けなくなることだけが怖かった。大丈夫。私には印刷したメールがある。言葉を通じて――言葉だけを通じて――見知らぬ他者と深いところで握手をすることを愛してしまった私は、たぶん、やめはしないだろう。光をもたらしてくれた人たちのおかげで、私は泉のそばをうろうろしていられる。ありがたい。ほんとに。

書き始めたのは私でも、書き続けられるのは、あなたのおかげなのだ。思いがけない時に、思いがけない高みから、あるいは、思いがけないそばから、眩しく、あたたかく、泣きたくなるような光を、もたらしてくれるから。だからもう少し進もうと思う。そうすると、作文筋がついたり、自分のヘキにぴったりの話が書けて盛り上がったりして、また少しの間、歩き続けていられる*18*19*20

2年前は「一人でスイカを割っています」と言っていたのにね。ついに一人ではなくなった――一人ではないと言えるようになった。

たぶん、これからも私は一人で私のスイカを追い続けるし、一人で洞窟の奥の壁にへばりついて、染み出している水を汲み続けるだろう*21。だけど、私は一人ではない。スイカに棒を振り回しているところを見守ってくださる方や、ボトルに詰めた水をおうちに持って帰って飲んでくださる方がいる。私はそれをもう知っているし、近い未来については*22、きっといらっしゃるだろうと信じている。

だから書くのを続けてこられた。だから、今の私になった。

ありがたいなあ。面白いなあ。

来年もきっと書くでしょう。なんなら、アドベントカレンダーが終わるか終わらないかのうちに小説を書き始めるのかもしれません。わからないけれど。お好きな時に、お付き合いをいただけると嬉しいです。いつもありがとうございます。本当に。

 

ねむーい! 日付が変わって、クリスマスイブになりました。今年のアドベントカレンダーも、あと2回くらいでおしまいです。最後までどうぞよしなに*23

 

なにかあれば。

wavebox.me

*1:いつもはお風呂で本を読むのだけれど、眠すぎてそれもできなかった。

*2:そしてぽいぴく行きになった。

*3:と書きながら思い出してきた。縁者さんに、百人一首でSSを書く取り組みをされている方がいて、そういうのいいなと思ったのだった。私には百人一首はわからないので(仮に書けたとしても単に100%二番煎じになってしまう)、何がいいかなと思った時に、タロットカードだったらできる、と思ったのだった。ちょうど、札でも引かないと(=占いでもしないと)やってられんような時期でもあったし。

*4:そしてもう少し探したら、自サイトにこう書いてあった:"今年は全然書けないかもとか言っていましたが、言っている割に #札引いて書くやつ という新しい遊びを始めました。勝てない戦でも挑んでいっか! と思えたら身軽になっちゃった。もしくは、「今年は全然書けないかも」のコンマ一秒差の副音声で、「いやだ、書く」と思っている、ということかもしれない。"だそうです。文体がツイッタラーだ。

*5:引いた札を翌日以降に繰り越したことはないと思う。札を引いたけれど書けなかった日もあったし(翌日以降にまた引いたら、その時にその時の話を考えて書いた)、もう書いた札しか引けなくて書かなかった日もあった。もちろん、札を引けない時だってあった。1週間空いた時もあったらしい。時折、まさに今日のための札、っていう札を出してくれるお茶目なデッキと一緒に、書いて、書き続けて、そのうちに物件が決まって、引っ越しが終わって、春が来ていた。あと、最後には石切(と、茨木)にいた。

*6:78フック延縄漁

*7:「お題」を使うと、必ず完走しなければとか、うまいこと書かなくちゃとか、勝手にプレッシャーを感じるのかもしれない。だから、タロットカードとか曲の歌詞とかの、本来お題ではないものを使って書いているのかもしれない。「うまくいかなくて当然、最後まで書けなくて当然」と思っていられれば、心が楽になる。それで結果的に最後まで書けるのかも。なにせ、負けそうな戦をしたくないからな。今年のアドベントカレンダーに絡めて言うと、「無能だと思われたくない」という欲求(または恐れ)が出ている可能性もある。

*8:ありそう。

*9:今でもひいひいはするかもしれないが、「ひいひい(だめかもしらん)」ではなくて「ひいひい(ひいひい)」くらいの感じだと思う。後者の方が気が楽。

*10:私は筋トレゲームのリングフィットアドベンチャーを始めてから、身体の使い方がわかってきたので、その楽しさを結構最近味わっている。ふふん。

*11:でも先日から、指をドアにぶつけたり(初めてキズパワーパッドを使った! 手の指だから剥がれがちだが……)、頭をラックにぶつけたりして、外傷ばかり負っている(頭は血が出なかった)。肉体の扱いが下手くそなのだ。

*12:そうだ、他人と比べるな、過去の自分と比べろ。

*13:五月雨江に直されるまでもなく七五調。

*14:それはわくわくすることだと思う。成長できるのも嬉しい。成長を見ていてもらえるのも嬉しい。

*15:「嬉しいことだけに浸るための時間」は、リアル観劇と配信観劇の体験の違いにも通じる。日常から、心も身体も離れることで、作品に没入できる。

*16:そして翌日、続きを読んだ。寝ても起きても嬉しい言葉が残っている……!

*17:インターネットは儚いものなので、いずれ印刷したいなあとも思っている。紙にすれば言葉は消えない。

*18:ただし、光を分けてほしいがために書こうとすると破滅しがちになるので、難しいところだ。その光現象(または、他人と心の深いところで握手をする経験)は自分のコントロールの外で起きる、というのを揺るがぬ大前提にしておいた方がいいと思っている。他人に100%依存する指標を目的に据えてはいけない。誰もハッピーにならない。

*19:「どうしたら感想をもらいやすいか」という検討や試行を否定するつもりはない。ただ、私がそこにどっぷり足を踏み入れると私は終わるなという気がしている。今のところ。

*20:全然関係ないけど、恋って、他人に100%依存する指標を目的に据えざるをえなくて(えないことが多くて?)、それで私は(書くのが)苦手なのかもしれない。

*21:誰かを誘ってスイカを割ったり、誰かを招いて水を汲んだりすることは、基本的にないだろうと予想している(これは「私の疑問は私のもので、私が自分で解決したい」というようなことです。あるいは、「私が好きな何かについて、同じ何かを好きでいる他者と、その気持ちをダイレクトに共有したいという気持ちの薄さ」という話)。ただこれもそのうち変わるかもしれない。

*22:タロットカードのスプレッドでよく言うやつ。

*23:あるいは、年末年始のお供にしていただいても嬉しいです。