単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

月影よ差せよ血潮の浅きまで 女性性の提供

これは2021年アドベントカレンダー「提供」第18日目の記事です。

昨日は近所のパン屋が閉店して不便だし悲しいという話と、二次創作文章書きの技術向上の話をしました。

タイトルの一人連句は続いています。今のところ、
発句 冬 クチナシの焦げた葉にやる冬の水
脇 雑 ピザの耳からチーズとけだす
三 秋の月 月影よ差せよ血潮の浅きまで
構成表は無茶苦茶です。今日は丸いピザからこぼれるチーズが月光になりました。

今日の記事では、ここしばらく書く書くと言っていた、女性性の提供の話をします。

読んだ記事のこと

上記記事を読みました。

私がこれから書くことは、この記事の内容とは関係がない(具体的には、化粧の話は出てこない)、すっかり私だけの話であることを先にお断りします。他人の俳句から140字小説を書く方がまだ関連があると思う*1

内容に明確な関連はないけれど、私がなかなか書けなかったことを書くきっかけをくださったのは間違いなくこちらの記事でしたので、リンクを置いています。書いてくださったこと、公開くださったことに感謝申し上げます。

そして、読んでくださるあなたへ。
体調不良や女性性に対する偏見や不妊治療の話題が出ます。読んでいてつらくなることがあるかもしれません。そんな時には、無理せず読むのをやめて、心穏やかになることをされてくださいね。私はあなたを傷つけたくありませんが、助けることができませんので、どうかご自衛のほど、よろしくお願いします。

それと、私は、友人の妊娠や出産のことは、知りたいし祝いたいと思っています。それは本当。ですので、教えてほしいし、祝わせてほしいです。よろしくお願いします。

女性性の不足と安寧

月経が不規則である。加療しなければ年に3回か4回くらいしか来ない。200日空くこともある*2

月経が来ない私は「女性」として欠けている部分がある*3。その欠落感をもって、自分が「女性らしくない」ことを(不当に)肯定してきた。それは、かわいくもないしかわいげもない、気も利かないし周囲に愛されるための振る舞いができない、私自身への許しであった。――「女性性」に対するベッタベタの偏見だな……、自分でドン引きなんですけど読者の方は大丈夫ですか? 無理な場合は無理せず閉じてくださいね。

月経がちゃんと来ない。私は「女」ではない。だから「女」をやらなくてもいい。(これはほぼ大学時代の話。高校時代は、少なくとも受験期の前までは、それなりに規則的に月経があった*4。)

女性性の不足と罪悪感

月経が来ないことで、月経に関連する諸症状もない。私はそれについて、世の女性たち(規則的に月経がある女性たち)への罪悪感を持っていた。そういう話をアドベントカレンダー5日目の脚注でしており、少し長くなるが引用する。

*1:

ええと、そう、後ろめたい。

PCOSがあるために、生理の頻度が少ない。そのために、女性であれば当然あるべき苦痛を、不当に免除されているような気持ちになる。ずるをしているような。その分ちゃんと働かなきゃいけないような(まあ、働きはするんだけど)。だから、挙児希望をもって通院する時の、肉体的精神的時間的金銭的な負担及び苦痛を、「正常でない自分の身体への罰」のように思うこともあれば、「これまで生理やPMSといった苦痛を免除されていたことへの償い」のように思うこともあって、二重に苦しい、ということがある。もしかすると、これはPCOSあるあるなのかもしれない。どうなんだろうね、聞いてみたことがないから、わからないけど(突然にっかり青江単騎出陣みたいになる)。

月経が来ないというのも楽ではない。月経が来ない(具合が悪くならない)ことこそが私の具合悪さだ、というのは、二重三重に苦しい。壊れたままでいても苦しいし(女性性の免除を自分に許していても、この身体は普通ではないとわかっているし、それはやはりつらいことである)、(服薬で)治すと月経随伴症状で心身がつらい。どうして治して具合が悪くなるんだと恨み言を言いたくなるが、普通の女の人はこれを毎月やっているのだと思うと、口を噤む他ない。

挙児希望と女性性の提供

しかし、子どもが欲しいなら、女性性を取り戻さねばならない。通院して投薬を受け、排卵を起こすのである。子どもができなければ、規則的に月経も来る。妊活界隈では、月経が来ることを「リセット」と呼ぶ。うまい言い回しだと思う。そこまでの1ヶ月間がすっかり水の泡になる感じ。

黄体ホルモン補充がつらかったことも、何度かリセットになってメンタルが終わったことも*5*6、月経が単にダルいことも、他の媒体に書いたり歌にして本にしたりしており、ここに書きたいことはあまりない。

しかしまあ、つらかったので、何回か思った。
私の身体が壊れていなければ。
時間やお金を使って病院通いをしなくてよかったし、「そもそもなんで子どもが欲しいんだろう、ここまでして」なんて悩まなくてよかったし*7、っていうか今頃すでに経産婦だったかもしれない。お母さんになった同期たちのように。

だけどまだ挙児希望はあるのであった*8。引っ越しでしばらく治療はお休みするけれど、落ち着いたらまた病院通いになるのではないかな。いやはや、子どもを授かって産むのは女性の身体の自然な機能ではなかったのか。私は一体なんなんだ。戦国武将の妻だったら石女と罵られて国許に返されていたに違いない。

月は女性性と重ねて語られる。その月光が、私のいつまでも薄いままの子宮内膜に届いたら、いい感じに毎月月経が来るようにならないかなあ(女性性が勝手に復活しないかなあ)。タイトルはそういう句です。まあ、私の無月経は中枢性だから、腹に届いたってしょうがないんだがな。わかってるんだ。それでも。

 

こんなに読み心地の良くないアドベントカレンダーは初めてではないか。ここまで読んでくださったあなたは、あったかいものを飲んで早急に寝ましょう(私もそうします)。お読みいただいて、ありがとうございます。

激励を募集しています(今日は激励指定)。

*1:ここで、上記記事の筆者と私は、互いの俳句にカード一枚分程度の文章を付け合ったことがあることを補足しておく。

*2:不妊治療クリニックでお世話になっている看護師さんが、初回カウンセリングの時に「200日?」とびっくりされていた。あ、やっぱりこれはおかしいんだなあ、と他人事みたいに思った。来ないのが私の普通なんだがなあ。

*3:追記:2013年にこのようなツイートをしていた:ゆあれ💐 on Twitter: "薬がないと生理がまともに来ないことで「自分は女として欠陥製品だし生きてていいのかな~」っていつもどっかで思ってますね"

*4:私の身体は大学受験で時を止めているのか。お肌の調子は順当に落ちてきたっていうのによ〜。

*5:直近のリセット時には弊本丸の前田藤四郎極に布団を敷いてもらって一緒に寝た。まあ、ちょうど引っ越しも決まったし、今授かっても大変だっただろうとは思う。通り過ぎて行ったのは、きっと賢い魂だったのだ。私が伴侶を全力で支えられるように、手を空けておかせてくれた。

*6:しかし、6回程度リセットになってこれでは、数年間不妊治療を続けている人たちの心中はいかばかりなのだろうか。想像を絶する。

*7:子ども欲しさに理由は要らんだろう、というのが私の今のところの見解である。論争できるほどの元気がないので、ここについてはスルーしてほしい。

*8:なぜ子どもが欲しいのかについては、先日いただいたマシュマロのお返事にも書いたが、「私は絶対子ども欲しくないというわけではない」+「伴侶が絶対子ども欲しい」、でだいたい説明できる。私の、クチナシが続々と付ける蕾を見て子どもがいてもいいなあと思ったことや、古い友人と「子ども同士を幼馴染みにしようね」と約束していることや、春の朝日が降り注ぐキッチンで不意に「私、この世に人間を一人増やせるらしいな」って思ってわくわくしたことや、2205年に私が残せるものは国立国会図書館に納本した本がさしあたりあるが、他にもないかしら、子どもがいたら希望が持てるかしらと思っていることなんかは(これは子に子を設けることを強要しそうであまりよろしくない思想だという自覚はある。今のところ私は私の子が(いたとして)子を生そうが生すまいがどうでもいいのだが、実際に子ができたら私も「孫の顔が見たい」とか言い始めるかもしれないし、確かなことは何もない)、それをもって「子どもが欲しい」と胸を張れるものではなかろうという自覚はある。