単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

書けなくなることだけが怖かった

これは2021年アドベントカレンダー「提供」第15日目の記事です。

前回は作品とその作者の話と、推しに狂ってる人の様子を見るのが好きって話をしました

今日は短い記事の予定。

前回の追記

今日の話の前に。

前回記事の脚注の最後に『そして、それでも、作品と私を両方好きでいてくれるなら、それはたいそう幸せなことだと思う。』と書きました。これは本当にそう。その上で、もしよければ、やっぱり直接会ってお話ししたいなあと思っています。このアドベントカレンダーにも何度も書いてきたように、私の書いたものを通して誰かと繋がれることは、ほんとに幸せだと思っている。それでも、文章だけではね、私のすべてではないし、それはお互い様のことだと思うし*1

はい、今日の話に入りますわね。

今年の変化の予想について

私が今年の目標を「提供」と決めた時、提供することに繋がりそうな、今年ありうる出来事を二つ考えていました。

  1. 子どもができる。
  2. 引っ越す。

1については、「女性性の提供」とでもいうべきものでした*2。現状、子どもではなく歌がたくさんできている*3

2は、「家族への提供」になるのかな、あるとしたら相手事由の引っ越しであったので*4

そんで、先日。

引っ越しが決まりました! わー。

2月中に、九州暮らしになる予定です。たぶん数年間*5

引越しまであんまり時間がなくて、「いつか遊びましょうね」ってお話ししてた人たち全員には会っておけないかもしれないのが本当に申し訳なくて残念なんですけど、できるだけ予定を調整できればと思っています……。

九州においでの方は、よかったら遊んでください*6。迎えに行きます*7

今日の記事、メインのお話はおしまい。あとはおまけ。

書けなくなることだけが怖かった

私は想像力に欠けているというか、危機に際して機転が利かない。「子どもができる」にしても「引っ越す」にしても、変化のイメージがうまくつかなかった(あるいは、生じる問題点やその解決法についてノーアイデアであった)。かといって調べもしてない。

ただ、子どもができたらしばらくは本とか作れないだろう、それはわかっていた。それで4月くらいから本を作りまくっていた。

引っ越しの可能性が高まってきた秋頃からは、引っ越しが決まれば東京のイベントにはなかなか出られないだろうからと、積極的にイベントに出た。 

私、たぶん本当は、引っ越すのが不安で、怖いんだと思う。具体的に何が問題なのかわかってないから、自覚できていないだけで。あるいは「私がしっかりしなくては」と思っているから、蓋をしているのかもしれない*8。ただ「書けなくなっちゃうかもしれない」って不安だけは、言葉としてはっきり理解したんだろう。だから、生き急ぐように、たくさん書いて本にしたんだろうなと、後から思い至った。(ただ、この話を信頼の友人にしたら、「それでもあなたは書くと思うよ、小説でなくたって、それこそ歌でも」と言っていた。そうかもしれない。それでちょっと安心した。)

書けなくなることが嫌だった*9

書いていたい。書けなくなりたくない。それはそう。だけど、書くことは、どこに行ってもできる営みであるはずだ*10。暮らしが変わって、今いる私とは違う私になっていても、書きたくなくなることは、たぶんない。あ、もしかして、「書きたいと思わなくなること」を恐れているのかな。それはどうなるかわからないな。でも、書きたいと思う限り、なんとかして書くだろうと思う。

それに、これまで書いたものたちは消えない。よかった、物理本にしていて。
恐れずに、あるいは恐れすぎずに、やっていけたらと思う。

あとは、引越し先からでも行けそうな青江単騎のお席が用意されていることを、切に祈っている(今日がCD先行の当落)。

 

今日の記事はおしまい。お目通しありがとうございました! 会えそうな人はお会いしましょうね!

 

【追記】ご用意されましたありがとうございました!!! この……この……「新しい土地不安だよ〜」と言っていたら「僕がいるよ、楽しみだろう?」みたいな顔してくるこの……この……くそっ……おま江が私の光です……ありがとうございます……

*1:もしあなたが、私がインターネットや本に出している二次創作文章に限らず「私」に関心を持ってくださるならば、直接お話しさせてもらえたらいいなあ、ということですかね。ツイートやこのブログやnoteからでも伝わるものはあると思うけれど、やはり「私そのもの」ではないし。おともだちになれたらそれは嬉しいですもの。

*2:「女性性の提供」、これはこれでアドベントカレンダーに入れたい。記事を書いているが、長くなりそうで、25日までに書き終わらないかもしれない。

*3:「妊活短歌」と呼んでいる。「外套の襟をきつちり合はせけり素足をひらかれにゆくものを」とか(冬の通院の歌)。

*4:本当は、これを「提供」と呼ぶことには抵抗がある。「提供」に「犠牲」のニュアンスを感じ取ってしまうからかもしれない。「主体的な意思決定」という価値観に染まった私は、相手事由の引っ越しに対してだって「相手に振り回されているわけではなく、私の主体的な選択である」と思いたい。けど、私の主体的な選択があるとするならせいぜい「離れずに付いていく」というところだけだ。それを「ただ付いていくなんて、まるで振り回されているようで、情けない」と心のどこかで思っていると、こういう長い脚注を書く羽目になる。「私はやろうと思えば一人でだって暮らせるのに」って自負があるからか、あるいは、それは「妻」性の発揮なのではないかという警戒心か……。誰かと一緒に暮らすならそりゃあまあこうなるんじゃないかとも思うけど、とにかく「妻」性への謎の抵抗感があるんだよなあ。「妻の亡霊」って呼んだこともある、概念の妻のことね。

*5:その後のことはまだわかりません。

*6:九州のサイズ感をよくわかっておらず、今、九州と関東の地図を重ねてみたところ、九州が思ったより大きいということがわかった。博多から鹿児島の南端あたりまでが、栃木北部から伊豆半島の南端より長い。大分県は埼玉県より広く(ランキングを確認すると、埼玉県は面積39位でしかなかった)、宮崎県は群馬県より長い。戦慄。

*7:たぶん車に乗れるようになっている……はず。

*8:長女あるある。

*9:以前、「死ぬ前に何か一つ後悔するとしたら何だと思うか」って質問に「まだ書いていないことがある」って答えたことがあった。大きな地震が来て机の下に潜ったときには「今死んだら新刊落とす、死にたくない」って思った。

*10:『紙と鉛筆があれば一人で無限に盛り上がっていられる』って言ってたぞ。