先日noteに「くだらない話」のことを書いた。
ここでお世話になった友人に、あの時話を聞いてくれたおかげでこのように事態が好転しました、という顛末を書き送った。本当に助かったから。
こんなご時世でなかったら、もっと早くに助けを求めていたかもしれないなあ、と後から思う。お茶をおごらせてもらったりとかして。そのまま買い物とか行ったりして。
そうして、この記事を思い出した。
彼は人脈というものを「困った時に頼れる人たち」のことだと思っているようだが、それは違う。
人脈とは、「自分を頼ってくれる人たち」のことだ。
「困った時に頼れる人」などというものはほとんどの場合、本人の思い込みであり、全くアテにすべきではない。
そうね、本当に困った時、あなたに話を聞いて欲しいと思う友達なら。もし私がその人の役に立てる時が来たら、きっと喜んで力を尽くすもの。
画面越しに言える言葉は、直接会って言える言葉よりも少ない気がする。まして、ビデオなしに声だけで伝えられる言葉はもっと少ない。そして、文字だけで伝えられることは、さらに。
SNSに書き込む言葉として選択できる言葉は、SNSに合わせて狭まっている。そういう話もどこかで読んだのだけれど、これは出典を忘れてしまった。けれども、わかる話だ。ゆあれのツイートが「!!!!!」だらけなのはあれがTwitterだからだ。ブログを書いている私は、そして他の媒体で書き手をしているどの書き手格も、ああいう言葉遣いはしない。「(壁に頭を打ち付ける絵文字)」とか使わないし、「5億年ぶりに爪塗ったな」とかも言わない*1。
Twitterの中でしか使えない言葉。Twitterの中では使えない言葉。後者の方がきっと多い。それを、対面で人と話すことが少なくなった今、思い出すことも難しい。それはとても危ないことだと思う。本来、SNSの文字だけでつながるあなたには、言えないはずの言葉がたくさんある。選べない言葉が──それに伴って、伝えられないことが、たくさんあるはずなんだ。それでも楽しくやっていくことはできるし、私はそういう時間も大好きなのだけれど、忘れてはいけないなと思う。SNSの言葉にカバーされない領域にこそ、人生とか、本当にしんどいこととか、なんとかしないと困るんだけどどうにもできないこととかがある、私はそう思うし、そのあたりをケアせずに長く生きていくことはできない。ふだん使う言葉に、思考は限局されていっても、人生は限局されてくれない。
忘れないでいる。私には、あなたには言えないことがある。そして、あなたにも、私に言えないことが、そりゃあもう山のようにあるってことを。
*1:誰も使わないのか、と言われると怪しい。たぶんね、たぶん。