単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

部分的に読んだ:ロラン・バルト著作集 7 記号の国

ロラン・バルト/[著]

石川 美子/訳(2004)

 

ロラン・バルト著作集 (みすず書房): 2004|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 

すき焼きとか天ぷらについてこんな詳細に語られた文章を読んだことがない。

 

ロラン・バルト、名前は聞いたことがあるので何らか有名なのだろうけれど(もしくは私の関心のある分野に関連のある人なんだろうけれど)何の人だったのか本を読んでもついぞ思い出せなかったし、わからなかった。うーん。いいんだけどね。

 

日本の包装の過剰であることとか、あとは俳句の話が面白かった。「俳句、虚無すぎる」みたいなことだったと思うが、あまりにひどい記録になるのでちゃんと引用しておこう。

 

さらに俳句は、西欧文学がみとめていない権利と、出し惜しみしている安楽とを、西欧にあたえてくれるように思われる。俳句は言う。無意味で、短くて、平凡である、という権利があなたにはあるのですよ、と。あなたが目にしているものや感じていることを、言葉のささやかな地平のなかに閉じこめてごらんなさい、そうすればあなたは人の関心を引くでしょう。あなたは、自分にとって重要なことをあなた自身で(そしてあなた自身のなかから)作りだす権利があるのです。あなたの言葉は、それが何であろうとも、ひとつの教えを語り、ひとつの象徴を解き放つでしょう、そしてあなたは深遠なるのとなるでしょう。ほんのわずかの苦労で、あなたのエクリチュールは充実したものとなるでしょう、と。(p106-107)

芭蕉が水音を耳にして発見したのは、もちろん「啓示」とか象徴への過敏とかいった主題ではなく、むしろ言語の終焉である。言語が終わる瞬間(大いなる修行ののちに得られる瞬間)というものがあり、反響のないこの断絶こそが、禅の真理と、俳句の短くて空虚なかたちとを作りあげている。(p113)

そうか、俳句って言語の終焉なんだ……! と面白かった。私がルームメイト句会に出した「氷菓子紫すべて食はれけり」とか確かに言語が終焉しているな……と思いました。

 

この人の文章は興味深いので、またどこかで読むかもしれない。