単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

誰がための正気 / 「字書き」について / 妄想作文と幻覚撮影 / アドベントカレンダーの効用

これは2020年アドベントカレンダー「感情と意思」第10日目の記事です。

前回は同人小説書きと正気の話をしました。

正気でなければ書き上げられないが、書き始めてしまうのは正気ではないかもしれないみたいなことを書いた。

今日は前回の話に関連して、いくつか。

内容が「感情と意思」からやや離れるけれど、話が続いているので、アドベントカレンダーとして上げることにする。後から探しづらくならないように……。探せない記事は書かれなかったも同じなので……。

正気 for 誰

ここのところ散々「正気を保つ」または「正気を失う」って言い続けてきたけど、「正気」って誰にとっての正気なの、と思ったんですよ。

特に前回の注15のここで。*1

それは、「たかがゲームの登場人物に、そんなに悩むか?」「わざわざ小説にするのか?」といった指摘からは「正気でない」と見えるかもしれない。でも、気になってしまうのが私だし、作文してしまうのも私なのだ。私はそこには引っ掛かりを覚えない。だから私にとっては完全に正気の営みである。私が作文行為において自分を「正気ではない」と思うのは、むちゃくちゃな締め切りを設定してしまった時のように、明らかな時間的・精神的・肉体的負担に関してである。それはとても現実的な悩みだと思う。

人から見て正気かどうかとかわかりようがない。『みんななんてひとはいないんだから』(野梨原花南(1999).  「ちょー初恋」, 『ちょー企画本』, 集英社, p.73)!*2 みんなから見て正気かどうかとか考えてもわからん!

それに、正気を失って実際に困るのはまず自分でもある。*3「正気を失って困らないようにするために、今の自分が正気かどうか判断したい」という観点からは、自分からして正気と思えるかどうかで判定すれば良い。

私すぐ語尾に「正気じゃない」とか書いちゃうけど、それは「読んだあなたは私を『正気でない』と思うかもしれないが、私もそう思っているので、許してくれ」くらいの意味である。先手必勝や*4

今後も正気と言ったら私の(主観的な)正気の話をしていきます!

正気と感情と意思

あ、「感情と意思」の話できそうな余地を見つけた!!

「正気」ってなんだろう? 意思の力で感情を押さえられる状態だろうか……?

「それをしても大丈夫か」を適切に判断できる精神状態のことかな*5。何についての「大丈夫」なのかは、何度も書いてきたように、時間的・体力的・精神的・情緒的・金銭的に許容できる負担増加なのか、ということかな。*6

しかし、「それをしない」と選ぶと情緒がつらくなるかもしれない。選ばないという選択がもたらす影響も容れて判断する必要がある。意思、がんばれ。*7

感情と意思は入り乱れているので、感情が盛り上がっていると意思は流されちゃうかもしれんが、それもまたよし*8

「字書き」という言い回しについて

ざっくり検索する

前回の記事で「字書き」「文字書き」なる言い回しについて書きました。

ざっと検索したところ、「字書き」「文字書き」という言い回しは、2016〜2017年くらいから使われ出した? 広まり出した? ようであった。

しかし、それが(「小説書き」や「物書き」と比して)どんな意図で選択される言葉なのかは、私のざっくりサーチでは判然としなかった。*9*10

字「で」書くという示唆

文章を書かれる方より「見えるものを、字『で』書く」の意という示唆をいただきました。

なるほど!

私は「字書き」を「字『を』書く」だと捉えていました。そのために、自分で自分に使うには違和感があったのですが、「何か表現したいものを、字によって書く者」という意味ならば、腑に落ちました。貴重なご示唆、ありがとうございました。

私は何を書いているのか

「見えているものを字で書く」と聞いて、私はいったい何を書いているのか……と思って……。私、書く時、だいたい何も見えないから……。

作文をする

私は基本的に、疑問がまずあり、それに対する答えが思いついたら、「あー! 残しておこ!」という気持ちで文章にする。

たとえばこれは、「にっかり青江極の真剣必殺はいったい何なのか?」*11と、「回想其の9『神剣までの道』とは何だったのか?」*12からできています。

これは「先に転生し、自分宛てに読まれた弔辞を見つけるとどうなるのか?」からできています。*13

言葉で考え、言葉で書く

考えている間、映像が(静止画、動画問わず)見えるわけではない。*14

気になる疑問の状況において、何が起きるのか、ただ考える。その人がどんな人で、何を考えそうで、何がネックになりそうで……とふよふよと考えて、こうかなあ、というのがわかったら、書く。

その人の、考えや気持ちの経路を決めてから書くから、書いていて道筋に迷うことがあまりない。*15*16

見えていないと書きにくいもの

なんだろう、表情?

こういう気持ち(ということはわかっている)の時にはどんな顔をするかな、と考えて、書く、ので、「見えている」わけではなく、そこは「想像している」かしら。

想像してもわからん時……は、あんまりないような気がする。でもそれはその人のことをよく知っているからというよりか、その先の展開が予め決まっているからだろうなという気も。*17

あと、背景かな。*18 

これの時、季節をいつにしようか後から考えたのだけれど、試みに桜を置いてみたら設定以上の情緒がべったりと乗ってきたのでびっくりして剥がした*19

幻覚を撮影する

見えるものを書く人に、『カメラを回すように、視点を切り替えたり動いたりする』と聞いて、「なんだそれかっこいい! やりたい!」と思って、やってみたことがある*20

考えることが多くて、まだ慣れない。

想像しないと映像が出てこないので、まず想像する。それから、どこにカメラを置こうかなあと考えて、そこから見えるものを見て、言葉にしてみて、もっと広角にしたいなとか、もっと下から映してとか考えて修正する。たいへん時間がかかる*21。でも、これはこれで楽しいなあと思っている*22

幻覚の撮影と妄想の作文、両方できるようになりたい。自在に。

おまけ アドベントカレンダーの効用

書き終わらないこと

日々の中で、「これちょっとまとまった分量で書いておきたいな」と思うことがあっても、書けずにそのままになることが増えてきたと感じる*23。実際には、ツイートの下書きとか、noteの下書きとか、このブログの下書きとか、スマホのメモアプリとかに少しだけ書いて、書き終わるところまでいかない(思考を突き詰めるところまでいかない)。

理由は明確でない。

  • ふと気になることが増えた
  • 気になることに対しての私の処理能力が落ちている、集中力の低下
  • 気になったことについて、より多方面から検討することができるようになったが、処理に要する時間が延長し、暮らしと両立できない

どれもありそう。いちばんは2つ目かな……。

アドベントカレンダーなら気軽に書ける

ブログはツイッターと違い、文字数を気にせずのびのび書いていられる。

枝葉の話は注に放り込んだらいい。

アドベントカレンダーの間なら特に、今日書き終わらなかったら明日書けばいい。

そんな気安さで、「いつか書いておきたかったこと」を消化している。この記事もそうだ。だから似たような話ばかりしているかもしれないな。華麗かな~~。

 

明日は何の話をしよう? 決めておりません! 何かあればお気軽にどうぞ! いつもありがとうございます!

marshmallow-qa.com

*1:ここ、って書いたけど注にリンクが貼れなかったので、お手数ですがスクロールくださいまし。

*2:ダイヤさんのこの言葉に幾度助けられてきたかしれない。

*3:生活に支障が出る。お金を使いすぎるとか、時間を使いすぎるとか、情緒を乱されすぎるとか。ああ、生活には正気が必要だ……。

*4:先回りの自衛というか、我ながらまあまあダサい振る舞いだなと思うが、物は言いようや。

*5:「適切」とは……?

*6:暮らしと推しのせめぎあいだ……。推しを推すにはしっかりと地に足を着け、足が滑らないようにしなければならぬ。ままならん。

*7:私が「やらない」と選択したわけではないが、今年8月に東京ドームで行われるはずだったミュージカル刀剣乱舞大演練が延期になった時には泣いちゃった。これは泣き切った方がいいなと思ってLemonずっと流した。泣き止まなかったけど。控えの間(大演練が予定されていた日に、出演する俳優さんたちや、イベントの演出家さんたちでやってくれた番組)を見られて、運営側が私たちをケアしてくれているのがよくわかったし、今は「来年無事にできるといいね」と穏やかな気持ちだけれど(なんなら「ダブル清光見られるかな〜」とか期待しているけれど)、控えの間の発表があるまでは本当に落ち込んでいた。どうにもならないことだけれど、何かがなくなるのはつらく悲しく悔しい。

*8:歌合乱舞狂乱の「小狐幻影抄」の小狐丸。

*9:「字書き」「文字書き」を、私と同様に「字そのものを作品とする人」と解釈した人の記事は何件か見かけた。解釈した、であって、その人たちは自ら「字書き」「文字書き」と名乗っているわけではないことに留意が必要である。こちらとか(この方は「インタネット文士」と名乗っている)。こちらとか。

*10:さきの記事の「インタネット文士」を見ると、「字書き」「文字書き」がnot for meだと思う創作者は、何らか自分向けのワードを捻り出すのかも。

*11:誰? 何? いつからいたの? 「留学にやった息子が女を連れて帰ってきて『やあ、地元がいっしょだったあの子と行き合ってね、ほら覚えているだろう、彼女だよ。そうそう、婚約したんだ』と言われた(しかも息子は彼女の顔面がプリントされたTシャツを着ている)女親みたいになってしまったのであった。今では仲良しです。その話去年のアドベントカレンダーでもしたわ(注3)。おばあちゃんか?

*12:これはこの間ツイッターで言っていた意味のわからない回想です。回想一覧 - 刀剣乱舞ONLINE(とうらぶ) Wiki* 参照。

*13:どうなるもへったくれもない。

*14:私は見えていないと思っているけど、どうなんだろう、本当は見えているのか……? 見えている人は迷わず『見える』とおっしゃるので、私は悩んでいる時点で「見えていない」んだろうけれど。

*15:「にっかり青江は恋を知る」では苦労したけど、あれはまさに「考えや気持ち」がわからなかったせいだ……と思う。あとはやろうとしている仕掛けが初めて扱うやつで、難しかった。

*16:初めての仕掛けを扱う時、いつも最初に「こんなことができるか?」と思う。そういう場合、これまでに人からいただいたあたたかいお言葉を思い出し(あるいはスマホの「うれしみ」フォルダに保存されたスクショを実際に読み返し)、「うーん! できる! だってあの人に褒めてもらったし!」という感じでやっております。リアルタイム作文屋育成だ! やったね! いえ、ありがとうございます、本当に。あなたの言葉が私を前に進ませております。(前?)

*17:自分の作文の方法を意識したことがあまりないので、「例えばここはどうでしょう」と指摘されたりすると、思い返して全然違うことを言うかもしれない。

*18:幻覚見えるタイプの人には背景ごと見える人と、そうじゃない(人物だけ見えるとか)人がいそうな気がするが、どうなんだろうか。

*19:景趣みたいな言い方するな。しかしこれが季語のパワーかあとしみじみ思いました。言葉のはらむ言外の意味、イメージの力。

*20:さっきのこれです。

*21:私は作文する時、これまで何をしていたんだ? わからん……どうやって書いていたんだ……。

*22:重たいカメラを持って走り回った後みたいに疲れた。筋力不足だ。でも疲労ハイみたいになった。

*23:これは作文そのものの話ではない。たとえば、「あなたが感想をくれるから新しい作文ができるんですね」とか、「幻覚撮影派と妄想作文派」とか、そういう、ツイートするには少し長くなりそうで、しかも誤解を招かずに書くのが少し難しそうなやつである。特に「あなたが感想をくれるから新しい作文ができるんですね」のくだり、私は基本的に感想が欲しくて作文をしているわけではないし、感想をくれるかくれないかは様々な要因が絡んでいるので単純に「感想をくれる人が好き」というメッセージが伝わってしまうのは本意ではない。そのへんの話はここに少し書いている。愛され方を選べない──輝くアイドルも、同人小説書きも|u_u_c|note 私も、(感想を書くこと自体は苦手ではない方だと思うが)感想を伝えられるときと伝えられないときがある。それは作品を読んだときの「よさ」(あらゆる「よさ」のパラメータをこの言葉にぶちこんだ)の多寡に関係なく、である。だから、私からの感想が届くかどうかをもって、何かを(私からあなたへの、あるいは私から作品への愛や、作品そのものの面白さ・価値などを)測られると、ちょっと待って~~~となる(これは、実際にそういう人がいる、とかいう話ではない、念のため(こういう注をいちいちつけていると、それこそツイートではどうにもならない!))。この、感想の効用とか、感想の送りやすさの話も、いずれどこかにきちんと書いておきたい。