これは2020年アドベントカレンダー「感情と意思」第6日目の記事です。
昨日は論文の感想を書きなぐっていました。
そして、感情と意思はたぶん相互に入り混じったもので、それを忘れないようにしつつ、必要なときには恣意的に分けてやっていきましょうね、と思いました。
今日は、やりたいことの中からやることをどう選別しよう、って話をしようと思います。*1
読んだ記事のこと
先日こちらの記事を拝読した。2017年の記事で、今言及するのはちょっと恐縮ですが。*2*3
三十代から四十代にうつる間に、私は、できることがものすごく増えた。
今まで蓄積してきた知識の量が増え、それと関連書籍をリンクさせながら読書するようになったことで、一冊の書籍から汲み取れる情報量が飛躍的に増えた。十年前の私と現在の私では、読書の方法と効率がまったく違う。
読書だけでなく、ゲームを遊ぶ時のプレイ集約性も、オフ会に参加する時のノウハウもますます高まった。自分で言うのもなんだが、この十年間で、私は驚くほど成長したと思う。体力や集中力の衰えを埋め合わせて余りあるものを、私は獲得してきた。
ただ、できることが増えたけれども、体力や集中力が減った結果として、「できるけれども諦めなければならないこと」が増えた。
↑冒頭の引用です。
年齢を重ねたことで能力が高まり、「うまくできる(だろう)」ことが増える。
けれど、年齢を重ねたことで、何かにかけられる体力・集中力・時間が減る。
その結果、やればうまくできそうだとわかっていることを、自ら諦めなければならない、という話。
やったらできそうだし、やってみたいこと
って、確かにあるな、と思ったの。やっていないことも、着手してみたことも、やり終わったことも含めて。
まる10日間くらいかければ、MMDで推しを並べて、好きな曲のサビ1コーラス分くらいならば踊らせられるんじゃないか……とか(あくまで私的な観賞用に……)。
まる7日間くらいかければ、自分の10年分のツイートを読み返して選んで編集して、ゆあれの有魂書*4作りたいなあ……とか(これはたぶん実際に時間をかければできる)。
プールに通って、何らかの息継ぎができるようにならないかなあとか*5。
時間と体力と集中力が有限
上述のブログ主さんが書かれている通り、時間も体力も集中力も有限である。しかもそれらは年を重ねるごとに細ってゆく。
時間
通勤時間がなくなったのだから、時間が有り余ってもおかしくない。でも、そうはならなかった。不思議だね……。
朝には、運動不足解消とセロトニン産生(と、家から離れた自分になる)ために散歩をして。夜は元気なら筋トレして、ピアノの練習して。
それで寝る時間になっちゃうのだ。なんでや。
夏には毎朝少しずつ作文をしていた*6。今は夜にアドベントカレンダーを書いている。
そんなことをやっていると、平日は暇な時間がない。
週末は……出かける用事は相変わらず激減したままだ。けど、通話をさせてもらったりして、人との用事はそれなりにある。あとは買い物して来週のご飯を作るために半日が消える。
何かに集中して時間を取るのは、よっぽどのことがないと難しい。*7
あとそもそも、時間が経つのが早くなっている気がする。加齢あるあるだ。同じ映像作品とか見るのも、2時間が一瞬だったりするし。なんなんだろうね。
体力
体力はこの春から本当に減った。
在宅になるとほぼ同時にリングフィットアドベンチャーをやるようになったし、そんなに落ちてないんじゃんと思ってたけど、そういうことではないよという感じで体力が落ちている。
加齢のせいよりもむしろ家で過ごしているからだというのが大きいと思う。
「筋力低下」はもちろんある、でも、そういうハード面だけの問題ではない。全体的に脆くなった気がする。例えば、「外に出て多くの人がいる場所で過ごす」とものすごい速さで疲れる。冬の朝のiPhoneのようにゲージが減っていく。自分でびびる。
そのため、何か楽しいことがあっても、それを完遂できる体力があるかどうかは慎重に考えねばならない。また、取り組むならばいくつかの工夫、事前に体力を温存する、他に予定を入れないなど、をしなければならない。*8
集中力
以前だったら、自分のツイート選別とかも5時間くらいできたんじゃないかなと思うの。でも今やると2時間くらいすると飽きる。うわーん。
去年とか一昨年とか、5万文字程度の本を作った時、まる1日かければ一通り校正できた……んだけど、もう1日ではできないかもしれない。
あとこの記事書くにもすごく気が散っている。手元で刀剣乱舞の秘宝の里を回しているので、それで十分ではないかと思うのに、ツイッターを開いてしまう。情けねえ。
試したら好きになれそうなもの
氾濫する「面白そうなもの」
同様に、既存コンテンツについて、「私が好きそうだなあ……」と思うものは結構ある。古い友人から直接「あなたはこのキャラクターが好きそうだよ!」とプレゼンしてもらうこともある(ありがたい……)。
また、「好きかはわからないけど、見てみたいな」と思うものもたくさんある。*9
しかし、世は大コンテンツ時代である。
多くの企業が、魅力的なコンテンツを制作し、世に放ちまくっているのだ。そりゃあ「試したら好きになりそう」なものだらけだろう。
特に私はツイッターばっかり見ていて、あれには「面白そうなもの」が、生の声をもってどばどば投稿されている。あ、気になる。これあの人も「よかった」って言ってたな。へえ、こういう楽しみ方もあるのか……
愛のキャパ、たかだか有限
しかし!! 私の時間も、体力も、集中力も有限である。そして、ここまでの話には出てこなかったけれど、情緒もたぶん無限ではない。
コンテンツAに正気を失っている時、新規にコンテンツBに足を突っ込むことはできない。*10
たかだか有限な情緒をもって、私は、自分が愛するコンテンツを選択せねばならない。まあ、後でずぶずぶになっちゃうコンテンツは、「選んだ」という強い自覚なく足を踏み入れているものかもしれないが、とにかく「始めちゃった」ことが大事なのだ。私はどちらかといいうと腰が重いタイプなので、着手すると決めるまでにけっこう検討しているのではないかなと思うし……*11あれいやどうなんだろう、わからん……けど、たぶん、それほどライトではない。
好きになれるかもしれないものを、「でも、やらない」と決め続けて生きている。たいがい両手がすでに塞がっているので、惜しいと思うことはそんなにないけれど、でも可能性は逃しているな……と思わざるを得ない。だってTLには楽しそうな人がたくさんいるので……。
ここにあるものを愛する
まあ、言っていても仕方なく、今手元にあるものが好きならば、時間と体力と集中力(と情緒)を割いて愛していればいいし、それほどでもないなら意思をもって手放すのもいいのかもしれない。
世には楽しいものが溢れかえっているし、自分がそれらを楽しむやり方は、年を重ねるにつれて洗練されているだろうから。
ああ、すごい時間になってしまった……。今日もありがとうございました。
明日は何の話をしようかな、手元にあるものとの出会いの話とかかな。
*1:昨日は『お店が快適だとお買い物が捗る話が「素敵だ」と思ったので、嬉しいお買い物の話とかしようかな。』と書きましたが、それは次回以降に(または、書かないかもしれない)。
*2:同人作家さんの中には「何年も前の作品に感想を貰うのは、今の自分が見ると拙い作品だから、恥ずかしい」と思う方もいらっしゃると聞く。私は実際にそう言っている知人を見たわけではないので、伝説みたいな感じだけど。私はどうかな、そもそも何年も前のやつをわざわざ見つけて見てくださって何か言葉をくださるなんてそこだけでありがたすぎるような気もする。言葉を誰かに贈るのは大変なことだから。
*3:しかしこちらのブログ主さんがどういった考えの方なのかわからないので、恐縮です。
*4:ゲーム「文豪とアルケミスト」において、文豪の魂が宿っている本。有魂書に文豪を潜らせると、新しい文豪を転生させることができる。
*5:これについては所要時間の見当がつかない。私は本当に息継ぎができたことがない。プールが嫌すぎて「プールがない」という理由で進学先を決めたきらいもある。息継ぎ、今やったら、ひと夏かけたらできるのかなー。リングフィットアドベンチャーのおかげで「実は身体を動かすことが下手すぎるだけで、やればできる」みたいだなという自信だけはついてきたのだ……。
*6:日の出が早いと朝早起きできるのだろうなと、寒くなり朝が暗くて起きられなくなってきた今思う。
*7:この間、「自分の誕生日に、自分の本が欲しい」と、誕生日一ヶ月前に思ったときにはかなり頑張って実現した。再録集だからそんなにやることないかと思ったけど、結局書き下ろし2本入れたし、表紙デザインの外注から本文の組版から印刷会社の手配からちゃんと全部やった。えらーい!! その間、平日休日問わず何かしら手を動かしていたと思う。締切が一ヶ月後という比較的短期に設定されていたので、それくらいの労力をかけ続けることができたのだろう。たぶん疲れたんだろう、それからしばらくものを書かずに過ごしている。
*8:特に最近寒く、寒いとまたゲージの減りが加速されることを考慮せねばならない。でももう冬場に何を着ていたのかも忘れてしまった。嘆。
*10:やればできるのかもしれないが、コンテンツAに正気を失っている人は、たいがいコンテンツAから出てこない。
*11: