単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

自分を愛する 野梨原花南「ちょー」シリーズに寄せて

これは2019年アドベントカレンダー「愛の観察ツアー(徒歩)」第16日目の記事です*1

前回は変わりゆく愛の話をしました。

pinnni.hatenablog.com

 

先日、自分の感性のもとになったと思われる本の作者として、よしもとばななさんと野梨原花南さんを挙げました
その記事では、よしもとばななさんの「アムリタ」を引いて、愛というコンディションについて考えました。

今回は、野梨原花南さんの「ちょー」シリーズに寄せて、自分への愛について考えてみたいと思います。

cobalt.shueisha.co.jp

これは最新作「ちょー東ゥ京」の特集ページ。

 

他者を愛する前に

「ちょー」の中では、自分を愛してあげましょう、そして他人を愛してゆきましょう、という順番で描かれている気がする。

クラスターは自分に自信がないのに宝珠と結婚しようとして、宝珠に拒否されるけど、あれは順番が逆なのよね。

そう思うと、ヴァデラッヅはオリヴィアといい夫婦になるまでに、自分を認めてあげられたんだろうか。

自分を愛さず他者を愛する場合について考える

自分のことを愛する、ってどういうことなのかの話をまずはしなければならないな。このアドベントカレンダーの過去記事を探してみたけれど、自分への愛については書いていなさそうだった。

自分を愛する

思いつくことを書くので、体系だってもいないし、何かの理論に基づいてもいない。必ずしも「ちょー」シリーズに関係ないですが、「誰のことかな」と思って読むこともできるかもしれません。

  • 自分は生きていてよいと思っている

自分はこの世に存在していない方がいいんだと思っている場合、自分への愛がなさそう。*2

  • 自分は幸せになるべきだと信じている

自分がハッピーであることに後ろめたさがない、または少ない。もし後ろめたいなと思っても、「それでも私が幸せでなければ、その後ろめたい何かにも失礼である」みたいな考え方をする。*3

  • 自分を生存させ、幸せにしようとする

上記二つに関連し、生存や幸福を誰かや何かからもらうだけではなく、自らにそれらを与えようとし、行動することができる。*4

  • 自分の変化を肯定する

自分を愛するのに特定の条件を求めない。自分が変わっていっても、自分は自分であるという感覚がある。変わっていく自分を認める*5。自分自身を、行きたいと思う場所に連れて行く*6

自分を愛し、他人を愛する

自分を愛していると、自分が安定する。少なくとも、死のうとしたり、生きる理由を他人に求めたり、不幸に突っ込んで行ったりはしない。

愛する他人がいなくても、生きていける。

そういう二人だから、安定して愛し合うことができるのかもしれない。

相手が生きて幸せであることを願い、相手自らがそのように振る舞うことを喜ぶ。相手が変わってゆくことを認め受け入れることを通じて。

 

*1:第15日目も飛んだ。週末の更新は難しい……。

*2:影居峰時代の宝珠とか?

*3:ドゥカに誰かがそんなこと言った気が……ハナシ?

*4:「冬の祈り、秋の憧れ」のリブロ!

*5:「ちょー夏の夜の夢」ラストのスマートが、ヴァデラッヅに話しかけるところとか。

*6:「いろんなところに行ってきて。いろんなものを見ておいで」