下重暁子 著
ずっと気になっていて、やっと読んだ。ベストタイミングである。
タイトルは強烈だけど、下重さんは「家族」を批判しているわけではない。
「家族」である前に(つまり、「母」「父」「子」などの役割人である前に)一個人であるということが忘れられがちで、ときにないがしろにすらされているのではないかという話をしているようだ。
一個人を、完全に理解するのはそもそも無理で、愛したり尊重したりを強制されるのはもっと無理である、というような話もしている。どれもよくわかると思う。
まず個人を理解したいなと、私も思う。
で、特にそうだなと思ったのが、(この本に書いてあったのか2に書いてあったのかもう忘れたけど)「血がつながっている家族より、思いの通じ合った方が家族」というようなことだった。血縁があるほどもめたときに醜い、血縁がなくても(たとえば養子でも)、信頼しあい寄り添いあえる関係性は築けるし、そちらが「家族」と呼ぶによりふさわしいんじゃないか。
私は生まれたときから一緒に育った「祖父」が、血縁のない人だった。
祖父だけ名字が違うなとは思っていたけれど、10歳位の時祖母に聞かされるまで、祖父が血縁上の祖父でないとは知らなかった。(これはけっこうアホなことかもしれないけど、まあ、気にしていなかったんだと思う。)
それでも、父も母も祖父を祖父として接していたし、私も完全に祖父だと思っていたから、血縁がないことがわかったことで信頼が損なわれるようなことは全然なかった。血の繋がった方の祖父に会いたいとも、もっとその人のことを知りたいとも思わなかった。
血がつながらなくても、名字が違っても、家族になることはできる。
私はそう信じているから、結婚して「名字が違うと家族の一体感がない」とか言われると猛烈に反発する。あたしのおじいちゃんはちゃんとあたしたちの家族だった。
それでよかったんだと思って、安心した本だった。