石井均 著
図書館をうろついていて、タイトルがぱっと目に入って、手に取りめくってみた。目次で「借りる!!」と思った。
本書の登場人物
これは、糖尿病専門医による、医療や他分野の著名人との対談集である。登場するのは以下の人たち。
河合隼雄、中井久夫、鷲田清一はずっと気になっていて、著作を手に取らなかったり、取っても読まなかったりした人たちだった。対談形式なら読みやすいだろう。ありがたい。
あと、門脇孝はなんか見たことある名前だ……と略歴を見るまでずっと思っていた。*1
本書の章タイトル
章タイトルは全て、対談に出てくる患者さんの言葉で書かれている。私が惹かれたのはこのへん。
- 第一話「何が楽しみで生きていくのかがわからないんだ」河合隼雄×石井均
- 第六話「しょうがないやつだけど、一緒にやっていくか」中村桂子×石井均
- 第八話「インスリンなんか打ったら、本当の糖尿病になってしまう!」鷲田清一×石井均
特に「インスリンなんか打ったら、本当の糖尿病になってしまう!」がヒットした。私は以前医療職をやっていた。糖尿病は専門ではなかったけれど、それなりに見る機会があった。本当にいるのだ、こういう患者さんは。
医療者からすれば「インスリンを打とうが打つまいが、あなたは糖尿病だよ」という感じなんだけど*2、患者さんのその気持ちもわからなくはない……と思ったのを覚えていた。*3
糖尿病について
糖尿病って面白い分野だな! と、この本を読んで思った。*4
糖尿病は血糖値で診断される。糖尿病と言えば透析、と思うかもしれない。だけど、だいたいの糖尿病は、自覚症状がないうちになるものだ。
「血液検査の結果、あなたは糖尿病です」という具合に。
糖尿病は治らない。一生治療を続けなければならない。自覚症状がないのに、つまり自分としてはどこも痛くないし困ってもいないのに、食事を制限され、運動しろと言われ、薬を飲んだらインスリンを打ったりしなければならないわけだ。
ここに葛藤がある。
このまま過ごしたら脚を切ることになるよ、目が見えなくなるよ、週3日4日の透析になるよといくら言われても、目の前の美味しいご飯やお酒と比べていつも我慢できるだろうか? なぜ糖尿病の治療をするのか、患者の心にすとんと落ちなければ、糖尿病をケアし続けることは難しい。
慢性の疾患
医療職として最初に職場を探していた時、私は慢性疾患に興味があったことを思い出した。
その頃の気持ちはぼんやりとしか思い出せない。思い出そうとすることで、多分ねつ造もしていると思う。とにかく、患者さんが「自らの病を引き受ける」「病のある生を、自分らしく幸せに生きる」ことをケアすることに、興味があったんだと思う。*5
糖尿病という慢性疾患
糖尿病にはあまり興味がなかった。患者教育が大変だと聞いていたから。何度も入院を繰り返す人の話はよく耳にした。せっかく教育したのに、家に帰ればまた食べ過ぎて血糖値をオーバーさせてしまう。そうやって自分をコントロールできない人だから糖尿病になるんだ、みたいな考え方もあったような気がする。
だけどこの本を読むと、糖尿病はとても興味深いし、医療者として付き合っていくやりがいがありそうだなと思った。
糖尿病と人生
糖尿病は治らない。一生ついて回る。
患者は食べることを考え直し、人生の幸福や目標について考え直さなければならない。
いずれ、糖尿病を引き受ける気持ちになり、自らの(どうにもならない)糖尿病を愛づる気持ちを育み、自らの糖尿病について語れるようになる。数十年かかる営みになる。
糖尿病と医療職
医療者はその、数十年の患者の取り組みに寄り添わなければならない。
学校では「患者は治療を拒否することがある」とは習わない。血糖値の下げ方を知っていても、嫌がる患者とどう接するのかは医師も知らない。叱るか、励ますか……。
雑感
色々書いてしまった。糖尿病がこんなに興味深いものだとは知らなかったので、嬉しくて、つい。
本の中に名言が出てきすぎて、どれを紹介したらよいのかわからない。とにかく良かった。糖尿病を通じて患者の人生の伴走者であろうとする筆者と、それぞれの分野から暖かく鋭い意見を発するゲストの先生方の会話は、どれも輝いて見えた。
どこかの対談など、最後が「今日はとてもいい日でした。ありがとうございました」のように終わっていた。こんな対談があるだろうか。
とにかく良い本を読んだ。身近に糖尿病の人がいる人におすすめ。その他慢性疾患でも。
*1:予想以上に身近なはずの人だった。世間は狭い。
*2:まさにこれが糖尿病の難しいところだ。つまり、糖尿病は血液検査の数値で決まり、医療者にとっては疑う余地がない。でも患者さんにしたら、自覚症状がなく、「医療者により糖尿病にされた」という感覚すら抱きうる。
*4:糖尿病の患者さんを面白がっているわけではない、念のため。
*5:私の家族に、急に大きな病気がわかった人がいた。その人は自分で過量に薬を飲んで、なんだかおかしくなってしまい、最期まで私の名前を二度と正しく呼べなかった。その人は大事な働き頭だったから、病気で働けないうえ、家族の厄介になっているのが苦痛だったんだろうなと思う。私はその気持ちはわからなくもないけど、せっかくの短い時間を、もっと違う過ごし方ができたんじゃないかと思っている……気がする。その人にとっても、私含めた家族にとっても。そう、そんな感じで、「病の引き受け方」を気にしているのかもしれない。