怒るのはよくないことだと思っていた。怒りを表すのは愚かで見苦しいことだと思っていた。怒りの感情を抱くこと自体、未熟で悪いことだと思っていた。
だけど私は二つ勘違いをしていたと思う。
怒りたかった時
怒るのはよくないことだと思っていた。だから怒らないようにしていた。
ここで大事なのは、私にとって「怒る」というのは、感情のままに声を荒げることだった。*1
それで、怒っても、怒っていると思わずに悲しいと思ったりして、黙ることにしていた。*2
黙って怒ってしまうこと
だけど、怒って黙りこむのもまた、幼い態度だったなと思う。
何に怒っているのか、どうしたいのか、言葉にしないとわからない。黙っていると周りが気を遣うし、困らせる。ある意味、不機嫌な人がいる感じになって、雰囲気も悪くなる。
自分が怒っていることを、まず自覚しなければならない。
聡明な怒り
自分が怒っていることを認めるのは、簡単ではないと思っていた。怒るのは、短慮な人だという先入観があったからだ。怒るのは愚かなことだと思っていた。
でも、賢い人だって怒る。そうわかってきた。
ただ何かがうまく行かなかったから、思い通りにならなかったからという理由ばかりで、人は怒るわけではない。*3
世の中には理不尽なことがたくさんある。世界は自分のためにできているわけではないので、当然だ。自分の思う道理に反したことにしばしば行き合うことになる。
そんな時に、人は怒る。怒って当然だし、怒ってよい。
自分に道理があって怒る、そういう怒り方をできる人は賢いと思う。
不機嫌と区別される怒り
聡明に怒れる人は、ただの不機嫌な人のように、いじけたり、大声を出したり、ドアをバタンと閉めたりしない。
怒りの感情に身体を振り回されない、というのだろうか。怒っている理由を説明できる。怒りの対象を一方的に貶したり、悪く言うことがない。
そういう、心での怒り方を、私は知らなかった。
道理と怒り
自分に「譲れないこと」があり、それに反したものがあって怒る。それ自体はたぶん、悪いことではない。喜怒哀楽に「怒」って言葉はちゃんと入っている。悪いのは、怒り続けたり、怒りの感情に振り回されたり、怒りにまかせて自分が他者を傷つけることなんだと思う。
何かに怒った時に、相手を頭ごなしに否定はしないけれど、自分が怒っていることも否定しない、ということが、うまくできるとよいなと思う。