これは「人間をケアする」アドベントカレンダー第18日目の記事です。
今日も前回に続いて、体力温存モードです。緩くて短い記事になる予定。*1
「『人間』をケアする」
一年前の私、なんでわざわざ「人間」って入れたんだろう。
昨日は「ケアする」について考えていましたが、今度は目的語が気になってきました。
誰をケアするのか
周りの人、とか、大事な人、でもいいような気がします。なんだ「人間」って。
私は遠くの人とか、知らない人とか、大事ではない人も、ケアしたいと思ったんだろうか。*2
どうやってケアするのか
遠くの人をケアするなら、直接触れるようなケアではないはずだ。手をお湯に入れてあげる*3とか、頭を撫でるとか、そういう方法ではない。
知らない人をケアするなら、声をかけるようなケアでもない。私が直接関わることができないのだから、能動的に接触するわけではない。
どうしたら、遠くの人や知らない人をケアできるのか?
「紙とペンがあれば一人で無限に盛り上がっている人」
私は近年、友人にこう称された。*4
紙とペンがあれば楽しい。考えたことを書くのは楽しい。自分の頭の中にしかないことが、他人の頭に伝わるのはすごい。白い紙の上の黒い染みで、情報を伝達できることは恐ろしくもすばらしいことだ。他人は私が書いたものを読んで、何かを感じたり、何かを作ったり、認識を改めたり、何かを好きになったりすることもある。面白い。脳から脳に伝えられるものがある。
書き物のもたらすケア
文章であれば、遠くの人でも、知らない人でもリーチできる。書いて、置いておけばよい。
私は何かを書くことで、誰かをケアしたかった。たぶん。
なぜケアするのか
そしてもう一つ。「大事ではない人」のケアについて。
私には、苦手な人、関わりたくない人もいる。だけどそういう人が、なんか良くない状態だと、もっと嫌だし、ますます関わりたくない。
だから、困っちゃう人と関わる時にこそ、その人の幸せを祈らなければならない、と思っている。幸せでいてほしい。*5
良くない状態の人は、周りも良くなくしてしまうことがある。それは困る。それが私であれ、私の周りの人であれ、良くなくなるのは嫌だ。だから、大事ではない人も、できるだけ良くなってほしい。良くなるように、できるケアをできればよいなと思う。
「人間をケアする」とは
知人も他人も、好きな人もそうでない人も、自分で勝手に幸せになってもらいたくて、文章でそれを為せないだろうか?
そう思って立てた目標だったのかな、と思います。*6
ああ、今年の目標について考えていたはずが、まさかの人生の標語に帰ってきてしまいました。なんとまあ。
面白い気持ちになってきました。次回は、うまくいけば医療と語りの話に戻ります。あと5日くらい、どうぞお付き合いください。
*1:ここで言う「緩い」はエビデンスに乏しい、というような意味です。文献なしの主観ばっかり。おお、語り的ですね。語りについて詳しくはこちらなどを参照:あなたに耳を傾ける その3 - 単品と単品
*2:相対的にね。どっちも。
*3:これは看護で「手浴(しゅよく)」というケアです。寝たきりの人とかにやります。洗面器にお湯を張って、好みでアロマオイルなどを垂らして、手を温めて洗います。気持ちいいんですよ、あれ。
*4:ゲーム「刀剣乱舞」で推しが修行に行った際、修行から帰ってきた彼の言動を見てひどく悩み、スライドを大量に作成した時のことだったかもしれない。これ:【刀剣乱舞】「うちのにっかり青江はなぜ修行に行き、何を極めて帰ってきたのか?」イラスト/蔦子 [pixiv]
*5:勝手に幸せになってもらい、そしてそのまま私に関わらないでほしい。
*6:文系魔女じゃねえか! 私は文系魔女になりたいんですよ。人生のスローガン。