単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

なぜケアを?

これは「人間をケアする」アドベントカレンダー第17日目の記事です。 

 

今回は、医療における語りの話をする……予定でしたが、ちょっと飛ばします。違う話をしましょう。

一年の目標たち

もともとこのアドベントカレンダーは、私の2018年の目標「人間をケアする」の達成評価のために書き始めたのでした。

なぜそんな目標を立てたのか、今更ですが振り返ってみます。

2017年の目標

2017年の目標は「自分で自分を惨めにしない/絶対、絶対幸せになろうな」でした。

確か2016年の末に、「自分で自分のことを勝手にかわいそうがってない?」と思ったのでした。*1

「私が惨めなのは私のせいかもしれないな!! 堂々と幸せでいるぞ!!」と思って決めた目標でした。

2017年の追加目標

6月から「『知らない』と『嫌い』を混同しない」を追加しました。

私は大好きなものとばかり関わりたがって、知らないことや興味のなかったことには見向きもしません。

でも、私が見過ごしてきたものの中にも、好きになれるものがあるのかもしれないな? と思ったのです。知らないものは知らないだけで、嫌いなわけではない。

それで、これからは知らないからといって遠ざけるのは避けようと思い、目標に追加したのでした。

2017年の目標達成度

2017年の年末に、振り返りをしていたようです。青字は振り返り当時の引用。

1.自分で自分を惨めにしない

→これはとてもうまくいった。とにかく堂々としていること。*2

2.絶対、絶対幸せになろうな

→好きなもののおかげではちゃめちゃ幸せでした。*3

3.「知らない」と「嫌い」を混同しない

→よい教訓! 来年も続けたい。*4

全体的にうまくいったらしいですね。

2018年の目標

2017年の目標は「自分」にフォーカスしていました。自分が堂々と幸せになることを掲げて過ごした私は、今度は他者に目を向けてみましょう、と思ったのでした。

ケアという言葉

たぶん私は、「人にも堂々と幸せになってほしい」と思ったのではなかったかしら。誰にでもそれができるはずで、私はその手伝いをしたいと。

この、「解決するのはあなた自身で、私はただそれを思い出させたり、伝えたりするだけ」というアプローチが、好きなんだと思います。*5そしてそれは、何かを徹底してなおす関わりではなく、何かを少し良くする関わりとして捉えられ、「ケアする」という言葉で表されたっぽいです。*6

あなたが解決する力

「私は何もしない」というのは、なんだか無責任な感じもしますね。だけどまあ、他人の人生や幸せに自分が責任を負うのは無理ですし、「あなたがあなたをなんとかする」というのは、個人的には真摯な態度だと思っています。*7*8

私も私を自分でなんとかしたいし。*9

 

 

やたらに注釈が長い記事になりました。でも、初心を思い出せてよかったです。

次回、せっかくなので「なぜ人間を?」も書いてみたい気がしますが、元気があればナラティブの話に戻りたいと思います。

 

*1:なぜそう思ったのかはもう思い出せない。

*2:私はもともと根拠なく堂々としているのが得意なのであった。

*3:趣味に爆進。

*4:これは本当に良い気付きだった。知らないものを、知らないからといって遠ざけず、むしろ興味を持って接することを覚えた。

*5:できているかは別にして。

*6:私は看護師を2年で辞めています。どこかに「ケアすることを途中で辞めてしまった」という思いがあるのだろうなとも思います。その気持ちにやっと手を付けられるようになったのかもしれません。「続けていればよかった」とか「またやりたい」とは思っていないのですが。

*7:一般的には、誰かと一生を共にできるわけではなく、最後までサポートしたり見届けたりするのはできないので「責任を取れない」と思っています。一回きり助けるよりも、本人をエンパワメントして、その後自力で助かってもらえるようにした方がよいのです。自分はまた別の人にリソースを当てられるし、相手はその後自力でなんとかできるはずなので。

*8:それとは別に、家族においてはどうなんだろう、と最近考えています。伴侶や親や子が「幸せ」であるように導くような態度は、愛なのか? 許されるのか? 愚かな行為なのか?

*9:自分で自分をなんとかしたい気持ちがあるから、過去記事のこれ機嫌の悪い子を撫でる その3 - 単品と単品みたいなことになるんだろう。ひとりでデートして自分をなおす、良くするアプローチの話。