単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

大丈夫だと言ってくれ

これは「人間をケアする」アドベントカレンダー第11日目の記事です。

 

今日はいろいろあってメンタルが砂礫と化していますが、アドベントカレンダーは意地で書こうと思います。書くのは楽しいからです。

そうそう、占い、好きですか?

 

占いが好きな人

占いを求める気持ちには2種類あると思う。

  • 自分の話を聞いてほしい
  • 自分に関する話をされたい

占いをされる人には、どっちの欲求もあるんだろう。

話を聞いてほしい

占い屋さんに行くと、何について知りたいのか問われる。占われる人は、自分が何に悩んでいるのかを話す。かいつまんで、あるいは誰にも言ったことがないくらい詳細に。

占い屋さんは話を聞くのが仕事の一部だ。だからよく話を聞く。質問を挟んだり、占われる人の考えを聞いたりしながら。

こうして「ただ聞かれる」体験は、日常では稀だ。人は自分の話をしたがる。他人の話を聞きながらですら、「私も似たようなことをした」「そういえば、誰それはこう言っていた」などと、相槌はたやすく自分の話になっていく。

だから、ただ話を聞いてもらえる場所は、それだけで価値があると思われる。

話をされたい

誰かが自分のことを真摯に考えて、何かコメントをしてくれるのは、嬉しいことだ。

ツイッターで #フォロワーさんが私のいいところを三つ教えてくれる みたいなタグが回ることがある。あるいは、卒業時に寄せ書きをもらうとか、年賀状に手書きのメッセージが書かれているとかも、嬉しい気持ちになる。

誰かが自分のために時間を割いて、自分に言及してくれるのは、嬉しいことだ。私は確かに生きているんだなと思う。

占い屋さんのありがたいところ

占い屋さんでは、自分の話を聞かれることと、自分に関する話をされることを両方体験することができる。これは嬉しいことだ。しかも、困っていることに対して、何らかのコメントをくれる。*1

私は今個人的に、猛烈に混乱して悩んでいるので、誰かに占いをしてほしい気持ちがある。誰かに私の話を聞いてもらって、考えを整理してほしい。私は占いをするし、自分を占うこともするのだけれど、こういうとにかく気持ちが落ち着かない時には自分で占うことは難しい。不機嫌な私を客観視することはできても、混乱する自分を客観視することはできない。もう少し気持ちを整理してからでなければ。

占い屋さんとしては、混乱している人の気持ちを解きほぐして整理するのも仕事の一つなんだろうな、と思う。自分ではどうにもならないところを、助けてくれる(はず)のだ。たぶん。

なおらない心に宛てて

悩みや心配事で心が揺れるとき、それを一瞬で止める方法はない。「もとの自分」に戻りたくて、うんうん唸っても、とにかく時間がかかるものだ。*2

混乱している居心地の悪い時間に、誰かに話をして、アドバイスをもらうことは、やっぱり悪くないなと、私は思う。一人ではないことは、心を慰めてくれるから。そしてできれば、大丈夫だよと言ってほしい。

 

 

次回も未定です。何か書けるといいなあ。

*1:それが本来の占い屋さんの仕事だ。

*2:もちろん「もとの自分」に戻れるはずはない。ただ、今よりましな、より望ましい状態になるだけだ。