これは「人間をケアする」アドベントカレンダー第3日目の記事です。
前回は、「ケア」という語の辞書的な意味を確認しました。
「良い状態を維持するか、より良くしようとすること」と解釈しています。
今回は「ケア」をより理解するために、医療や介護の場でしばしば「ケア」と対比される「キュア」と合わせて、引き続き語の意味を確認してみます。
キュア
「キュア」は前回記事では出てこなかった言葉です。
辞書を引く
キュア(cure) 治療。医療。*1
キュア【cure】
① 治療。治癒。
② 対策。解決策。*2
「キュア」は治すこと、特に医療的に治すことを意味しているらしい。
ケアとキュアの違いと、融合の機運
検索から
Googleで「ケア キュア」と簡単に検索してみる。
すると、2010年代前半から、がん領域や介護領域において、ケアとキュアに関する言及が出てきているようだ。
見かける記事では、ケアとキュアの違いを説きながら、提供されている看護や介護がいずれに分類されるのかを考えたり、ケアとキュアを融合させたりする考えが広まっているように見える(有識者の方、お気付きの点があればご指摘ください)。
例えば2015年厚生労働省。
キュア中心からケア中心へ
疾病の治癒と生命維持を主目的とする「キュア中心」の時代から、慢性疾患や一定の支障を抱えても生活の質を維持・向上させ、身体的のみならず精神的・社会的な意味も含めた健康を保つことを目指す「ケア中心」の時代への転換*3
あるいは、2018年3月の雑誌にて、以下のように書かれている。リンク先に多少詳しく記載がある。
今日の医療では,「ケア」と「キュア」を単純に二分化することはできず,両者の融合が重要となっている.*4
このような感じでゆるく検索してみると、
高齢化の進行→
慢性疾患を抱えて生きる人が増えている→
治らない→
ケア(治療)の限界→
キュアの重要性の増大
ということらしい。
思い出した話
在宅終末期に携わる看護師の方のお話*5
「人が死に近づいたとき、医師には打つ手がなくなる時が来る。でも看護は、最期まで行うことができる」
治すこと(キュア)ができなくなっても、苦痛を和らげ、少しでも快適に過ごしてもらうことはできる。
今年も庭に咲いた桜を見たい、一日少しの間でも家族と話したい、そんな願いを叶えるのは、「治癒」に限らない「良い状態」を追い求める、ケアの方なのだろうと思う。
まとめ
「ケア」には明らかな終わりがないのかもしれません。
個人的には、昔たまに耳にしたけれどよく理解していなかった「ケア」と「キュア」について調べることができてよかったです。
調べ物の話が続きました。
次回は気軽な話がしたいです。ハンドクリームとか。
*3:厚生労働省(2015)『保険医療2035提言書』, https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/hokeniryou2035/assets/file/healthcare2035_proposal_150609.pdf 2018年12月3日アクセス
*4:小松康宏(2018),「医療におけるケアとキュア」,『臨牀透析』34(3), 241-247. https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.19020/CD.0000000361
*5:読んだだけだったかもしれない。記憶が定かでなく出典を引けず心苦しい……。私は今でも在宅看取りや終末期に関心があって、たまにそんな自分に驚く。