単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

読んだ:2.5次元文化論

須川亜紀子 著(2021)

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I031219872-00

 

サクラ大戦の舞台がけっこう2.5次元の歴史上重要だったらしい(?)。

崎山つばさがブログで石切丸なりきりをしていた話を知らなかったので興味深かった。あとは「インティメント・ストレンジャー」っていう、親密な他者、っていう概念も面白かった。名前も住所も仕事も知らない、でも会って遊ぶようなフォロワー。(合わなかったら簡単に離れられる、という意味もありつつ)

読んだ:うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史

沢 知恵 著(2022)

うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史 : 園歌はうたう (岩波書店): 2022-11-10|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 

かなり面白かった。歌は人を鼓舞したり、思想を変えたりする力を持っている。軍歌とか調べてもいいかもしれない。

この方が「私は歌手なので、私が歌うと本当になってしまう」のように書かれていたのが興味深かった。歌を歌う知人が、歌うには、その内容を自分のものにしないといけないとおっしゃっていたのを思い出した。

圧勝不要論

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第19日目の記事です。

すっかり年の瀬になってしまいましたね。クリスマスはいかがでしたか? 私はデイキャンプ納めなどしておりました*1

クリスマスは終わりましたが、私のアドベントカレンダーはまとめ記事で終わりますので、今年も振り返ってまいります。勝てない戦と、それに挑もうとしてきたこの1年間、そしてそれを濃縮したアドベントカレンダーの18記事を*2

もくじの整備

まずは、今年のアドベントカレンダーの記事をざっと読み返して、初日記事のもくじを整理した。こんな感じ。

アドベントカレンダー2022もくじ(部分)

今年は話題が細切れだったなあ。去年は大項目4つにまとめていた。今年は多数の分野に挑んできたのかな。

勝てない戦

そもそも、「勝てない戦」とは何だったのだろうか。今年の目標を設定したときには、「勝てない戦」の定義をきちんと考えていなかった。アドベントカレンダーの記事を振り返りながら、私にとっての「勝てない戦」を、改めて考えた。
整理すると、こんなところだろうか。

  1. うまくできるのかどうかわからないこと
  2. 苦手だと思っていること
  3. 恐れを感じていること
  4. 勝利判定が完全に他者に委ねられていること

以下、それぞれについて、もう少し考える。

見ず知らずの戦

1「うまくできるのかどうかわからないこと」と、2「苦手だと思っていること」は、似ている。
1「うまくできるのかどうかわからないこと」は、まだやったことがないことだ。2「苦手だと思っていること」は、まだやったことがない場合もあるし、やったことはあるが苦手だと感じている場合もある*3*4。1または2(重複を許す)には、遠方への引っ越し*5や自動車運転*6デイキャンプ*7などが該当する。

これらは、やってみたらなんとかなった*8。むしろ「勝った」と言えるかもしれない*9

どうしてうまくいったのか、考えてみる。

引っ越し

引っ越しにあたっては、物件探しに行ったときに、このあたりはいいところだな、と思った*10*11。それでかなり不安が和らいで、ほぼ解決した。どんなところに行って暮らすのかわからない、というのは怖いことだったのだなあ*12

後は事務的な手続きの問題で、そのへんはクリアした*13。引っ越し以後については、今のところ、まあまあうまくやっていると思う。心身ともに元気という観点から。

自動車運転

自動車運転は、苦手意識を持っていたけれど、やらざるを得なかった。しないと生活ができないのだ。アドベントカレンダーに書いた通り、Youtubeを見て運転を学んだ。今では一人で高速道路に乗り、県境をまたいでの移動も可能になった*14*15

デイキャンプ

デイキャンプは上記二つと違って、しないといけないタイプの活動ではない。余暇である。しかも、これまでやったことがなく、どちらかといえば苦手なジャンルの活動だった。
けれども、私には切実な問題意識があった。「家の中で原稿していると飽きる、カフェよりもっと籠もれる場所がほしい、かといってデイユースのホテルは使えない」。それで、いつでも一人原稿合宿ができそうな、キャンプ、が選択肢に上がった。一人原稿合宿したさが強かったおかげで、デイキャンプを始める気持ちのハードルは低かった*16

苦手なジャンルだったデイキャンプ遊びが続いているのは、なぜなのだろう。原稿はろくに進められた回がない。初めての回では、かっこいいパップテントを与えられて、設営に1時間半かかった。撤収の際にはペグが抜けずにハンマーを破壊している。それでも、やっぱり、楽しかった。野外で、やったことがないことの連続で、一人で、頭を身体を使って、なんとかしていくことが。「やればできるじゃん」と、自分に対して何度も思えることが、ただただ楽しくて、嬉しかった。だから、自然と2回めも行こうと思えたし、そのままn回めに突入している*17

私はインドア派であるけれども、テントを張ればインドアが作れることに気づいたので、キャンプ遊びは向いてはいたのだろうなと今は思う*18

怖い戦

3「恐れを感じていること」は、2「苦手だと思っていること」と近い。2と違うのは、2は(あまり/まったく)やったことがないことであるのに対して、3は実際に経験があることである点だ*19

これの対応策は、こちらのnoteに書いている。

note.com

概要はこの通り。

  • 花を買って活ける
  • 推しイメージ香水を発注する
  • ぬいぐるみを膝の上に置く
  • 自著を制作する

花はきれいだし、日々姿が移り変わるので、見ていて飽きない。自分以外の生き物が部屋にいると、ちょっと気持ちがしゃんとする。歌に詠んでみることもある*20。水替えや切り戻しといったルーチンが発生するのも、怖い戦の最中には重要なポイントだった。私は日々を頑健にすることで精神を保つところがあるので。

推しイメージ香水は、逆に、正気を失うのに役立つ。

「ネガティブの反対はポジティブではなく、没頭」らしい(これはオードリー若林さんが著書に書かれたことらしいが、原著未読。参考記事)。いい香りからは逃げられない。だからいい感じに没頭できて、よい。己を主と仰ぐ近侍が近くにいてくれると思えば、心も強くなるというものだ*21

ぬいぐるみについては、膝の上でもふもふさせていただいた。それだけで休まる心がある*22

自著制作については、本は作るとできるので、元気が出る遊びだ。ただし犠牲が多いので、できる時とできない時がある。戦略的に避けた方がいい時もある*23

勝てない戦

最後、4「勝利判定が完全に他者に委ねられていること」について。これは例えば、資格試験や短歌大会などの、合否や順位があるものが該当する*24*25

この話を書こうとして、何日も経ってしまっている。葉を掴んだ芋が地中で想像以上に大きいときみたいに*26、私にとって根が深いトピックなのだと思う。
たぶん、「圧勝」の話をしないといけない。

圧勝しないと勝ちじゃない

今年のアドベントカレンダーを通じて、私は、「圧勝しないと勝ったと思えない」のではないかと思うようになった*27
つまり、今年の目標「勝てない戦をする」とは、「圧勝はできなさそうな取り組みに挑戦する」ということだったのではないか*28

圧勝したさと、圧勝できなさ

どうして私は、「圧勝しないと勝ったと思えない」のだろうか。思うに、思春期に圧勝しすぎたせいかもしれない。私がたまに持つ「根拠のない自信」はたぶんこれが原因なのだろう。それは今思えばしょうもない圧勝であった*29が、多感な時期だったので、こういう大人になっちゃったのもしょうがないと思う。

だけど、大人になった今、圧勝することは難しい。どんな分野においても、世界は広く、優秀な人はごろごろいるのだから。

私も大人になったので、自分が何かに圧勝できなくても、悲しんだり、怪しんだり、怒ったりはしない。しかも、圧勝したい分野があるわけでもないので。

だけれども、もしかすると私は、自分が(何かの分野で)特別に優秀ではないことを、気にしているのかもしれないなあ……と思った*30。そしてアドベントカレンダーを書いた後だからこそ、別に圧勝しなくてもいいのだよな、とも思う。

圧勝不要論

今年のアドベントカレンダーを書いていて思うのだが*31、必ずしも圧勝する必要があるのだろうか。優秀さは相対的なもので、満足は絶対的なものだった(ひとりデイキャンプのように)。であれば、誰かに、「あなたが圧勝」と名指ししてもらう必要があるのだろうか*32*33*34

ひとりデイキャンプに、相対的な圧勝はない。なにせ他人がいないのだから。けれども私の中には確かな満足感があった。ただただ楽しくて満ち足りる感覚が。それで充分だったし、あえて他人と比べたいなんて全く思わなかった。圧勝しなくても、楽しいことはある。

圧勝の用途

アドベントカレンダー15日目の「必要十分の優秀」を書いた頃に思ったこと。

どうして優秀でなくてはならないのだろうか*35。それは、人の役によりよく立つためではないかと思う*36

日本で一番うまくはできなくてもいい*37。人の信頼に足るだけの優秀さがあれば、それでよいのだ。

ただ、事前に何かで圧勝していると、人に最初から信頼してもらいやすくなるかもしれない*38。だけれどもそれは手段としての圧勝であって、圧勝が目的ではない。

もしも圧勝が目的ならば、圧勝するための方法を考えて、研鑽を積むべきだ。けれども、圧勝を手段として想定していた場合には、他の手段を探したり、本当に圧勝が必要なのか(もっと少ない優秀さでは不足なのか)を検討したりすることができる。圧勝には通常、コストがかかる(なぜなら私はそれほど優秀ではないので)。圧勝マニアでないならば、必要最小限の優秀さでよしとできたほうが、何かとよい気がする。

創作と圧勝

創作ではどうだろうか。

創作に、圧勝はありえる。pixiv閲覧ランキング月間1位とか、短歌賞総嘗めとか。だけど、私はそれを目指しているのだろうか? 周りに比べて圧勝、したいか?

いいえ、圧勝したいわけじゃない。誰かに採点されて、他人より秀でていると示されたいわけじゃない。創作を受け取ってくれた人の満足はその心の中にあり、心の中にしかなくて、心の中は言葉でしか表されない。これはアドベントカレンダーや他の媒体でも何年も前から扱っているテーマだけれど*39、やはりどうしても、創作へのリアクションとしては、数字よりも言葉に喜びを感じてしまう*40*41。たとえ通販で本が100冊捌けても、1冊だけ動いた本をお迎えくださった方から「楽しみにしていました」とメッセージを貰えたなら、それはもう後者が嬉しい。これは圧勝と言ってもいい。強い光に急に照らされるような無二の喜びは言葉によってもたらされる。言葉によってしかもたらされないと言ってもいい。

そこに、他者と比べた数字は要らない。客観的な圧勝は要らないし、勝利すらも要らないのだ。

勝てない戦、2回め

さっきの、4「勝利判定が完全に他者に委ねられていること」について。

もしこのような戦に挑むのをためらうなら、まずはその戦に勝ちたいのか、なぜ勝ちたいのか、考えた方がいい。それから、どの程度の勝ちが必要なのかも。

勝ちたいなら、目指す勝ち具合に応じた研鑽を積まなければいけない。そうして挑んでみて、結果を見て、また研鑽を積んだらいい。そういう、普通の話なのだと思う。私は研鑽を積むことを忘れがちだけれど*42、勝ちのために研鑽は必要なのだ。ことに、圧勝するためには。

勝てない戦に勝ちに行く

今年の目標の中間振り返りにおいて、こう書いていた。

私、負けず嫌いで、戦いに身を投じたら「負けたくねえな……」と思うようです。それなので、「勝てなさそうな戦に挑み、なんとか勝とうとする」人になりつつある。

2022年の目標、中間振り返り:勝てない戦に勝ちに行く

「勝てない戦に勝ちに行く」というタイトルの記事。

記事中の「勝てなさそうな戦に挑み、なんとか勝とうとする」というのは、「圧勝はできない分野で、圧勝ではなくても、必要十分な成果を得ること」なのかもしれない。勝ちのハードルを下げているのだ。圧勝でなくても、ここまでできればよしという線を自分で見極めて、そこを目指していく。それができるようになったのは、とてもよかったと思う。たぶん、今後の人生において、とても大事な気づきだろうから。

気付きagain

さて、本当によくあることなのだけれど、私は似たような気付きをすでにしていた。2018年の12月、2年前のアドベントカレンダー期のツイートだ。

私はちゃんと誰かの役に立ってるし、誰かに気に入ってもらうこともできる。何でもはできない。凡人で、だからこそ、何かに挑戦することもできる。大丈夫だよ。それはたぶんみんなそうで、何かに特別秀でていないからって、だめなことなんてないよ。

https://twitter.com/your_re/status/1077925006523301889

そう、圧勝はしていなくても、人の役に立てるし、愛してもらうこともできる*43*44。自分の望みをよく見て、必要な研鑽を欠かさずに。もっとよく人の役に立てるよう、そうしてできれば、信頼する人に愛してもらえるように。

 

ああ、やっと書けた……! 長かった……。
9,000字になりました。お付き合いありがとうございました*45

今年の気付きをたずさえて、来年もよい年にしていきたいと思います。来年の目標はこれから考えますね。あと丸3日くらいしかないが、まあなんとかするでしょう。
それではあなたさまも、良いお年をお迎えください。

 

絵文字・メッセージ、いつもありがとうございました。どれだけ時間が経っても、リアクションいただけたら嬉しく思います。よろしければ!

wavebox.me

*1:焚き火はできなかった……! 来年やりたいです。

*2:ここに書けなかった「勝てない戦をする」系のイベントが他にもあったのだけれど、内容からして逆立ちしても書けなさそうなので、よしとする。

*3:運動などは「苦手だと思っている」に該当し、「うまくできるのかわからない」には該当しない。うまくできないのはわかっているから。

*4:その点、私に運動を続けさせている(やめさせていない)リングフィットアドベンチャーは本当にすごい。

*5:私は物体を扱うのがあまり得意ではないので、引っ越し自体は苦手な分野に入る。今回の引っ越しは遠方だったこともあって、「うまくできるのかわからない」にも該当したと思う。まあ、引っ越しそのものより、その後の生活への不安の方が大きかったと思うが。

*6:これは「苦手だと思って」おり、あまり経験がないので「うまくできるのかどうかわからない」にも該当する。

*7:キャンプ活動は苦手な分類に入ると、なんとなく思っていた。うまくできるのかどうかも自信はなかった。

*8:自動車事故はしたが……。

*9:なんだろうな、この勝敗判定は。

*10:正直に申し上げると、「家が建っていて、車が走っていて、人が暮らしている」という生(なま)の様子を自分の目で見たことが、いちばん不安を和らげた。このあたりを愛する人に対して本当にすみません。そりゃあ人は住んで、生きているんだわ。行く前には友人から「何もないところ」と聞いていたけれど、ちゃんと人が住んでいた。人が住んでいるならば、そこに「何もない」ということはないのだ、と思う。引っ越した後、初めて近所を一人で散歩しながら確かに、何もない、とは思った。けれどもすぐに、「では、『何かがある』とは、どういう状態なのか?」と思った。ここには民家があり、住民がいる。神社があり、お米屋さんがあり、郵便局がある。ビニールハウスがあり、花屋さんがあり、バス停がある。――何もない。それはいったいどういうことなのだろう(『ちょー英雄』収録「ぜんぶもとどおり」の影響がある)。「美しい景色は、人がいるから美しいのだ」と道灌様は言った(急にミュージカル刀剣乱舞東京心覚の話をしています)。人が暮らしているから町は美しい。人が、それを美しいと思う心があるから、花や星は美しい。人の生活があれば、その土地は美しく、愛おしいものになりうる。

*11:あと、国道沿いの光景が、地元の見慣れたそれにそっくりだった。国道さえあれば日本のどこでも生きていけるのかもしれない。この記事に出てくる国道は、私のもっている国道像とはちょっと違うけど、印象的だったのでリンクしておく。

*12:生きる場所だもんな……。

*13:最後の最後でタイムスケジュールをミスって、夫と別々に現地に向かうことになったが、久しぶりの一人旅という感じで悪くなかった(とはいえさすがに清光には付いてきてもらってしまった)。

*14:ここ3年くらいでマイナスの意味が付与されたコロケーションを使ってしまった。

*15:ありがたいことに、知人が関東から遊びに来てくれたことがあった。その際、私の車で観光地を案内した。その人はペーパードライバーで、私の運転に対して「このカーブをこのスピードで走り抜けるなんて」「この狭い駐車スペースにバックで入れるなんて」と感心してくれた。いずれも、かつて私が人の運転に対して思ったことであったので、世代が交代している……という感慨を覚えたものだった(それでも、人の方が、運転技術は私より高い)。ここからも、優秀さとは相対的なものだというのが示唆される。

*16:なお、私は今でも複数人で行う原稿合宿に憧れを抱いています。

*17:類:同人誌即売会

*18:「は」の連続でwordに怒られそうなセンテンス。

*19:この話題にはアドベントカレンダーでは触れていない(はず)。

*20:歌を詠もうとすると、つらさが軽減する。たぶん、歌の言葉に集中するから。

*21:しかも近侍殿は、自ら刀を手に敵と戦っていたりするので、主としてはしっかりしなければという気持ちになる。

*22:うさつるに世話になった。こんなに腹を揉みしだいて、うさつると本丸の鶴丸の肉体感覚が連動していたらどうしようと思ったが、仮にそうだったとしても、鶴丸だし許してくれる気がする。たぶん遠征にも内番にも入れてなかったし。

*23:時間・睡眠時間・正気・お金・首肩の健やかさなどが失われる(リングフィットアドベンチャーをさぼりがちになるため)。

*24:短歌大会に歌を投稿することについて、心理的ハードルはほとんどなかったけれど、性質としてはそう。

*25:妊活もこれにあたる。

*26:ミュージカル刀剣乱舞歌合乱舞狂乱の畑当番のくだりを思い出されたい。

*27:これは「大好きじゃないと好きじゃない」と似ている(よく言っていると思うのだけれど、出典がうまく探せなかった)。または、「関わるからには愛さなければ」というのとも似ているように思う(だけどたぶん、関わったからといって、愛さなくてもよい。そう思えるようになってきた)。極端であることだなあ。

*28:初日記事には「「勝てない戦をする」って、「苦手なことにチャレンジする」ってことだったのかもしれない」と書いており、これもそう外してはいない。さっき書いた条件2「苦手だと思っていること」のことだ。

*29:「しょうもない圧勝」というのはなんだか変な日本語な気がするけれど、圧勝にも程度はあるし、貴賤があったっていいだろう。ここでは「対戦者数の少ない戦場における圧勝」くらいの意味。

*30:これはアドベントカレンダーを書くまで意識しなかったことかもしれない。ただ、私はとても忘れっぽいので、忘れているだけの可能性も高い。今年は再録がすごいアドベントカレンダーです(n回目)。

*31:これは部分的に嘘であることが後でわかる。

*32:書きながら思うが、それはそれで、されたい。

*33:関係ないけど、真空ジェシカのガクさんがM-1決勝のへの意気込みで「圧勝」とおっしゃっていたのが良かった(実際には5位だった)。

*34:今年は周りのお笑い好きから何組かおすすめ芸人を教えてもらい、Youtubeで動画を見ていたら、お笑いやM-1に関心を持つようになった。真空ジェシカさんのポッドキャストが好きなんだけど、あまりに下ネタが多いので、人に勧めづらい。

*35:優秀であることが目的ではなく手段である、という前提に立ってみました。

*36:これは以前ツイートしていた「プリンセスの参謀」っていう概念がかなり近い。セーラームーンにとってのセーラーマーキュリーみたいな存在ということです。セラムン原作をちゃんと読んでないので、全然違ったらごめんね。

*37:もちろん、日本で一番うまくできるに越したことはないが(同業他社に勝ちやすくなるので)。あ、これは、圧勝したさですか? ……いや、圧勝じゃなくてもいいな、僅差でもいいな。とにかく、人の役に充分に立つ(そして気に入って/信頼してもらい、また仕事をご依頼いただいたり、周りに紹介していただいたりする)という目的を果たすために、必要十分の優秀さをもつことが目的である。

*38:受けたことがないが、TOEIC990点とか?

*39:例1:愛に振り回されるな、愛を(やさしく)振り回せ──一人でスイカを割る二次創作小説書きの虚空ダンス - 単品と単品、例2:愛され方を選べない──輝くアイドルも、同人小説書きも|u_u_c|note

*40:そりゃあ、私自身が、言葉で創作をしているので、しょうがないよな……という気持ちになってきた。一時期は「数字の後ろにいる人間に思いを寄せられるようになってきた」と言っており、それは今でもそうなのだけれど、やはり数字と言葉の間には越えられない壁があった。

*41:さっきまで「埋められない」と書いていた。それは穴が空いた壁であって、お前が言いたかったのは「埋められない」である。眠い。

*42:なぜなら、なんとなくうまくいくんじゃないかと思っているので、

*43:かつて、狭い世界ではあったけれど、そこで圧勝していたことによって人の役に立ち、愛されていた時期がある。だから、圧勝できないなら戦う意味がないな(≒勝てる戦しかしたくない)、と思うのもしょうがないと思う。けれども、圧勝できなくても、なんか全然大丈夫なんだなとわかってきた、そういう話だったのかもしれない。そうであれば、たとえば車をぶつけたのも悪い経験ではなかった。それはドライバーとしては全く有能な振る舞いではないけれども、だからといって誰からも失望されたりしなかった(と認識している)。それは完全無欠でなくてもよい(圧勝していなくてもよい)という気づきにつながると思うので。

*44:「自信をもってくれ」と信頼する人間から言われて初めて、「あ、私、これでいいのか(失望されなくて、愛していてもらえるんだな)」という気持ちになりがち。

*45:今年のアドベントカレンダーはだいたい3千字で出してきたと思うので、これだけで3日分ある。この値上げの秋冬に、こんなお得なことはない。

警察沙汰とマイディアデッキ

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第18日目の記事です。

 

昨日は二次創作小説の話をしました。やっとこの話題に触れられて、すっきりしました。よかった。

今日は、今年ついに勝てなかった戦の話をします。

失くしてはいけないものを失くす

それは4月のことだった。引っ越して2ヶ月くらい経って、隣県の温泉に行った*1。その脱衣所に忘れ物をし、数時間後に思い出して取りに帰ったら、もうなくなっていた。すぐに警察に届け出たし、施設にも紛失の旨と連絡先を伝えたけれど、今日に至るまで見つかっていない*2。それはかなり大切で、割と失くしてはいけないものだった。

マイ・ディア・シリアスデッキ

失くしてはいけないものを失くしてしまった。わざわざ旅行先で。まあ、いろんな気持ちになった。そうして、本当に困ってもいたので、札を引いた(タロットカード占いをした)。

すると、「それを拾って持っていった人は、それが誰かにとって大事なものだったとは気がついていない。もしかすると拾ったことにすら気づいていないかもしれない*3。だから警察にも届け出ない*4」、つまり見つからないだろう、という話だった*5

ああ、そうなんだ、と思った*6

私の占い札は、割とお茶目な結果を返してくれることが多い*7*8。だけれどその時は、急にシリアスな顔をしてきたので、あ、本気なんだ、という感じだった。だから紛失した後、案外、心は穏やかだった。もう出てこないのだと、早々に諦めが付いたから。

Evil enough

大事なものを失くしてしまった時、「持ち主の厄をもっていってくれている」という解釈がある。その考えはわかる。私も、「何かあったら数珠が割れて身代わりになってくれるだろう」と考えて、数珠を身に着けたことがある。

天然石の数珠を着けていった。もし何か災いがあるなら、私に降りかかるより先に石が割れてくれるだろうと思ったの。

たまはひとつもわれなかった - 単品と単品

その失くしものはもう見つからない。本当に大事なものだった。であれば、それを失くさなかったら、もっと大切なものを失っていたのかもしれない、そう考えて、自分を慰めた*9

デッキの話、もう少し

今年6月に、「デッキに人格を想定して、性格や得意分野、自分との相性を占う」という、ちょっとおもしろいスプレッドをやった*10。記録のために転記しておく(出典はこのツリー)。何のカードを引いたのか、記録がないのだが……。

うちのウェイト版(紙):頭の回転が速い。ちょっとせっかちかも。でも勇気や正義感がある。物言いは非常に愛情深い。時に論理的でなかったり、迂遠。
得意なのは絶対無理そうな状況を、ふわっといい感じにまとめること。自分の負の感情と向き合うこと。

あるいは、自分がとても好きな活動について読むのも得意。苦手なのは他人との上下関係や、(特にやりたくない)仕事?

尋ねるときは自信を持って、堂々と夢や理想を語るように。後ろめたそうな態度はだめ。背筋伸ばしていけ。「絶対うまくいくが?」っていう盤石な気持ちになれそう。

デッキの「愛情深さ」が、私には「お茶目さ」に見えているのかもしれない。かわいい*11

勝てない戦の前に、札を引く*12

今年は創作鑑定で星占いもしてもらい、創作にとても役立った(具体的には、出ないリスクの高かった本が出た*13)。

私は「自分で考えて、納得して決めたい」という気持ちが強い気がする。けれども、自分の頭の中だけではどうにもならないことも、たまにある。そんな時、占いは役に立つ。勝てない戦を前にしても、少なくとも札を引くことはできる*14。札を引くことそのものが、心を落ち着けてくれるし*15、結果を参考にして心構えを整えたり、(妥当だと思えれば)具体的な行動を取ることもできるから。札を引き続けることで作文をし続け、心の流れをなんとかよどみなく保つことができたのも、マイディアデッキのおかげだった。

 

なんか変なところですが、日中遊び倒して眠すぎるので*16、ここで終わろうと思います! 思いがけず占い札の話ができて嬉しかったです。

 

次で2022年のアドベントカレンダーはおしまいです。お付き合いありがとうございます。どうぞよいクリスマスをお過ごしください!

 

なにかあればお気軽に🎄

wavebox.me

*1:よい温泉で、サウナまでゆっくり楽しみ、大変満足した。サウナは初めてだったのだけれど、本当に身体が暖まって、夜まで指先が暖かかった。何年も前、巣鴨のあったかグッズショップで指先の毛細血管画像を見せてもらった時、血管が細いどころか見当たらないという死の大地っぷりに店員さんが絶句し、同行者には爆笑されたが、きっとサウナ後には100%緑化されていたのだろう。なお今は氷のように冷えている。要サウナ。

*2:使ったことがある方にはわかってもらえるかと思うのだが、警察の遺失物届け出システムが都道府県単位で管理・運用されており、不便だった。めでたいことに、これが全国統一のシステムになるらしい。令和8年度末までの整備予定ということで、かなり先ではあるが、とてもありがたい(なぜ最初から全国統一のシステムとして整備しなかったのかという巨大な疑問は巨大な棚に上げておこうと思う)。関係各所にはぜひがんばってほしい。そしてついでに、「軌道」とかいう、私の知る限り一般的ではない用語なんかも撤廃してくれれば嬉しい。

*3:隠者逆

*4:正義逆

*5:と、私は札を読んだ。

*6:警察の方も、温泉施設の脱衣所で高齢の方が前の人が置き忘れた荷物を持っていってしまう事例はあって、特に換金目当てなどの悪意ではないケースが多い(ひょいと持っていってしまう)、などと話していた。だから、占いの結果は、カードが純粋にそう"思った"(傍点を要する)のか、私がそれを知っていたからそうなったのか区別が付かないのだが(いずれにせよ論理的ではない自覚はある)、どちらにせよ、そうなんだ、と思った。

*7:こういうやつとか。あと、引越し先を選定する時に「ここにしよう」と決めた物件が取れなくなったというトラブルがあった際に3枚引いたら、カップの1逆、カップの2、ペンタクルの3で、「『見て見て、123!』じゃないんだわ」と思わず笑ってしまったことがあった。なお物件は色々あって合法的に契約することができ、今もそこに住んでいる。

*8:そういえば、この時に引いたのはカップのエースだったのか(3がペンタクルだったことだけは覚えていた)。これは #札引いて書くやつ 最終日の札として覚えていたのだけれど、この日に引いて、書くのを飛ばしていたんだな。二重に想い出深い札だった。

*9:伴侶が死ぬとかくらいしか思いつかなかったが、もしそうなら、それが避けられたのは本当によかった。ひどい台風とか来てたし。それと、この件に関して伴侶は一貫して穏やかでいてくれたので、それでかなり救われもした。

*10:リンクがインデックスのみフリーの個人サイトだったため、インデックスに貼っている。タロット→スプレッドから、「インタビュー・スプレッド」というものを参考にした。

*11:今改めてリーディング結果を見てみると、ちょっと私に似ているかもしれない。迂遠な愛情深さとか、自分の負の感情と向き合うとか、とても好きな活動が得意とか(それはそう)。

*12:これはnoteに書いた記事「勝てない戦の前に、花を買う」セルフパロディです。

*13:当初の締切を一週間なぎ倒してしまったが、とにかく本になった。

*14:あまりにも精神がてんやわんやしていると引けない。

*15:ある程度落ち着いていないと札を引けない。札を引くために落ち着こうとしたり、あるいは、占いの前に札をシャッフルしていると気持ちが穏やかになったりする。

*16:今年の野納めでした。結局、風が強くて焚き火はできなかったのですが、好きなパン屋さんで買いまくったパンを机にわーっと並べて食べて、とても楽しかったです。来年こそは火を焚く……!

ひとりでは書けなくてよかった

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第17日目の記事です。

 

前回は、防寒の話と、挙児希望の話をしました。1記事で2日分書いたことにより、今週は月曜から水曜の3日間で、実質5記事書いています。勤勉だね。

と思った途端、眠気がすごくて昨日はお休みしました。今日も眠いです。でも何か書きたいので、キーボードに触っています。何の話をしようかな。

小説を書きたい

昨日の夜は本当に眠かった。そして同時に、小説が書きたかった。アドベントカレンダーを書いている間は、小説を書かないようにしている。アドベントカレンダーを書くために。

けれど今年はなんだかずっと、小説が書きたかった。昨日はゆず湯に浸かりながら*1、ぼーっとしていた。ぼーっとしながら、書きたいもののことを考えていた。お風呂から出て、もう寝たほうがいいくらい眠かったけれど、それを押して、勢いで500文字くらい書いた*2

そうしたらひどくすっきりして、よく寝た。翌朝の目覚めの良さといったら、ここ最近は類がなかった。朝だけでなく、一日中頭が冴えていて、調子がよかった(単にここ数日より1時間早く寝たからという説もある)。

小説を書いたら調子がよくなった。小説書きたさを我慢していると、健康に悪い。

今年の作文のこと

そんなに小説を書くのが好きだったっけ、と、ちょっと疑問に思う。私にとって小説は、気になって考えていたことが一段落した時に、書かざるをえないから書くものであって、「ただただ小説が書きたい」と思うようなものだっただろうか?

と思うと、今年の作文について振り返る必要がある。

#札引いて書くやつ

結局この話をすることになった。

2022年1月1日から5月1日のほぼ4ヶ月にかけて、「1日につき1枚タロットカードを引き、その札をもとに1本の話を書いて、Twitterに上げる」という営みをしていた。

これは、引っ越しを控えて、書けなくなることを恐れていた私の、抵抗だった。のだと思う。どうしてその遊びをし始めたのか、明文化していないらしく、もう想像することしかできないのだけれど*3*4

始めたときには、最後まで書けるとは思っていなかった。ただただ、札を引いて、一本書いた。寝て起きて、やれそうだったらまた札を引いて、一本書いた*5。そうしているうちに、78枚から、84本の話を書いていた*6

こういうことは、あまりやったことがない。私はお題で書くのがあまり得意ではないのだ(それは今もそう)。これまで、「疑問と回答」という作文をしてきたから、外から与えられる刺激だけでなにか話を作った経験があまりない*7*8

だけど、始めて4日目には、楽しいと言っていた。

そのうち、「書き始めてから考える」もできるようになっている。

78枚を完走して、こうなった。

(書くのが)たのしくて、(作文筋が)つよくなる

成長しているなあ。我ながらしみじみしてしまった。140字を5本書くにもひいひい言っていたのになあ*9

本数をたくさん書くと、自分が何を書くのか、どういうことができるのか、わかってくるように思う。それは、生まれたての身体の使い方を覚えていくみたいに楽しいことだ*10*11。過去の私より、今の私の方が、作文筋が強い。そう思えるのは、単純に嬉しい*12

あと、たくさん書くと、書いていることが自然な状態になるのかもしれない。作文と私の距離が縮まる、というか。だから、しばらく書かずにいたり、書きたいのを我慢したりしていると、私が思う以上に、私は苦しくなるのかもしれなかった。今月みたいに。

ひとりでは書けない

書き物の話題を続ける。

1月、自サイトにこういうことを書いていた*13

複数の人が読んでくれて、複数の人が言葉をくれて。書きながら、これは誰それが読んでくれるかなあと思ったりして。そうして書けたものは「ひとりで書いた」ものではないな、と思ったっていう話。(中略)「ひとりで勝手に書いてる」って思ってきたけど、多分、そうじゃなかった。

これは本当にそうだと思う。短歌もそうだ。会に所属して、意見をもらって、歌を磨いていく。作歌は私ひとりで成していることではない*14

うれしみフォルダのこと

ちょうど今日のアドベントカレンダーが、「自分の作文と他者」の話題になった。実は、昨日の書きかけ記事に、うれしみフォルダの話を書いていた。以下、そのパーツを適当に引きながら書く。

「うれしみフォルダ」。このブログでも2回ほど言及していたが(いずれも脚注)、きちんと説明したことがなかった。うれしみフォルダとは、インターネット上でいただいた嬉しい言葉を、スクショしてしまっておくためのフォルダである。私自身に対する言葉もあれば、私が書いた文章に対しての言葉もある。ツイート、note、ブログ、その他。もちろん、作った本に対しての言葉も含まれる。

嬉しさにひたる

言葉をいただいたときは、とても嬉しい。だけれども、日常生活の中では、どんな嬉しいことも取り紛れがちだ。洗濯が終わったとか、家の人が帰ってきたとか、実は歯磨き中だったとか。だから、嬉しいことは特別な箱に入れて取っておく。時間がある時に、ゆっくり浸れるように*15

畳み掛ける嬉しさ

嬉しいことが起きる時は一回分の嬉しさだけれど、うれしみフォルダは画像をめくるたびに、嬉しいことが現れる。これは本当に幸せな体験だ。アドベントカレンダーのヒントになるかと思って、今年分のうれしみフォルダを見返していたのだけれど、9月くらいでうれしさが許容量を超えてフォルダを閉じた*16*17。ありがたいことだ。

引用と改変、ここまで。

嬉しい言葉で成長する

そうやっていただいた嬉しい言葉を読み返していると、自分についての気付きにもなる。自分の作文の強みや味、考え方の癖とか。それらは後の作文の参考になることがある(たとえならなくても、ただただ嬉しいので、それだけでいい)。

いただいた言葉をもとに、できることを増やす。ますます好きなことを書けるようになったり、あるいは新しいことに挑戦できたりする。それは本当に幸せなことだと思う。やめないことの方が大切で、やめないことの方が難しい(らしい)ので。

印刷したメールのこと

あと、今年、作家さんにファンレターを出したら思いがけずお返事をもらえたということがあったのだけれど、そのくだりで思ったことを自サイトに書いていた。ちょっと長いのだけれど、引用する。

物語を書いたのは私だけれど、物語は、それ自体が生命を持っているのかもしれない。魂かな。沼の底からじりじりと浮き上がってくるそれを、私は岸辺で息を呑んで待ち構える。水面から頭を出したそれが、空気に触れてみるみるうちにやせ細って骨ばかりになってしまうのを、「あれか!? これか!?」とてんやわんやしながら、手持ちの言葉をぺたぺたと貼り付けていく。そのうちにも物語はずいずいと上に昇っていく。短い集中の時間の後、その全貌が明らかになる頃には、物語は私のはるか頭上を浮かんでいて、とても手は届かない。「ああ、あれはああいうものだったのか」ということが、その時初めてわかる。

(中略)


書くのはつらいことだ。でも、ごくたまに、美しい刹那が訪れて、強烈に心を照らしていく。それは多くの場合、他の人間によりもたらされる。その光をもう忘れることはできなくて、また書いてしまう。書いていられれば、私は大丈夫だと思う。


書けなくなることだけが怖かった。大丈夫。私には印刷したメールがある。言葉を通じて――言葉だけを通じて――見知らぬ他者と深いところで握手をすることを愛してしまった私は、たぶん、やめはしないだろう。光をもたらしてくれた人たちのおかげで、私は泉のそばをうろうろしていられる。ありがたい。ほんとに。

書き始めたのは私でも、書き続けられるのは、あなたのおかげなのだ。思いがけない時に、思いがけない高みから、あるいは、思いがけないそばから、眩しく、あたたかく、泣きたくなるような光を、もたらしてくれるから。だからもう少し進もうと思う。そうすると、作文筋がついたり、自分のヘキにぴったりの話が書けて盛り上がったりして、また少しの間、歩き続けていられる*18*19*20

2年前は「一人でスイカを割っています」と言っていたのにね。ついに一人ではなくなった――一人ではないと言えるようになった。

たぶん、これからも私は一人で私のスイカを追い続けるし、一人で洞窟の奥の壁にへばりついて、染み出している水を汲み続けるだろう*21。だけど、私は一人ではない。スイカに棒を振り回しているところを見守ってくださる方や、ボトルに詰めた水をおうちに持って帰って飲んでくださる方がいる。私はそれをもう知っているし、近い未来については*22、きっといらっしゃるだろうと信じている。

だから書くのを続けてこられた。だから、今の私になった。

ありがたいなあ。面白いなあ。

来年もきっと書くでしょう。なんなら、アドベントカレンダーが終わるか終わらないかのうちに小説を書き始めるのかもしれません。わからないけれど。お好きな時に、お付き合いをいただけると嬉しいです。いつもありがとうございます。本当に。

 

ねむーい! 日付が変わって、クリスマスイブになりました。今年のアドベントカレンダーも、あと2回くらいでおしまいです。最後までどうぞよしなに*23

 

なにかあれば。

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*1:いつもはお風呂で本を読むのだけれど、眠すぎてそれもできなかった。

*2:そしてぽいぴく行きになった。

*3:と書きながら思い出してきた。縁者さんに、百人一首でSSを書く取り組みをされている方がいて、そういうのいいなと思ったのだった。私には百人一首はわからないので(仮に書けたとしても単に100%二番煎じになってしまう)、何がいいかなと思った時に、タロットカードだったらできる、と思ったのだった。ちょうど、札でも引かないと(=占いでもしないと)やってられんような時期でもあったし。

*4:そしてもう少し探したら、自サイトにこう書いてあった:"今年は全然書けないかもとか言っていましたが、言っている割に #札引いて書くやつ という新しい遊びを始めました。勝てない戦でも挑んでいっか! と思えたら身軽になっちゃった。もしくは、「今年は全然書けないかも」のコンマ一秒差の副音声で、「いやだ、書く」と思っている、ということかもしれない。"だそうです。文体がツイッタラーだ。

*5:引いた札を翌日以降に繰り越したことはないと思う。札を引いたけれど書けなかった日もあったし(翌日以降にまた引いたら、その時にその時の話を考えて書いた)、もう書いた札しか引けなくて書かなかった日もあった。もちろん、札を引けない時だってあった。1週間空いた時もあったらしい。時折、まさに今日のための札、っていう札を出してくれるお茶目なデッキと一緒に、書いて、書き続けて、そのうちに物件が決まって、引っ越しが終わって、春が来ていた。あと、最後には石切(と、茨木)にいた。

*6:78フック延縄漁

*7:「お題」を使うと、必ず完走しなければとか、うまいこと書かなくちゃとか、勝手にプレッシャーを感じるのかもしれない。だから、タロットカードとか曲の歌詞とかの、本来お題ではないものを使って書いているのかもしれない。「うまくいかなくて当然、最後まで書けなくて当然」と思っていられれば、心が楽になる。それで結果的に最後まで書けるのかも。なにせ、負けそうな戦をしたくないからな。今年のアドベントカレンダーに絡めて言うと、「無能だと思われたくない」という欲求(または恐れ)が出ている可能性もある。

*8:ありそう。

*9:今でもひいひいはするかもしれないが、「ひいひい(だめかもしらん)」ではなくて「ひいひい(ひいひい)」くらいの感じだと思う。後者の方が気が楽。

*10:私は筋トレゲームのリングフィットアドベンチャーを始めてから、身体の使い方がわかってきたので、その楽しさを結構最近味わっている。ふふん。

*11:でも先日から、指をドアにぶつけたり(初めてキズパワーパッドを使った! 手の指だから剥がれがちだが……)、頭をラックにぶつけたりして、外傷ばかり負っている(頭は血が出なかった)。肉体の扱いが下手くそなのだ。

*12:そうだ、他人と比べるな、過去の自分と比べろ。

*13:五月雨江に直されるまでもなく七五調。

*14:それはわくわくすることだと思う。成長できるのも嬉しい。成長を見ていてもらえるのも嬉しい。

*15:「嬉しいことだけに浸るための時間」は、リアル観劇と配信観劇の体験の違いにも通じる。日常から、心も身体も離れることで、作品に没入できる。

*16:そして翌日、続きを読んだ。寝ても起きても嬉しい言葉が残っている……!

*17:インターネットは儚いものなので、いずれ印刷したいなあとも思っている。紙にすれば言葉は消えない。

*18:ただし、光を分けてほしいがために書こうとすると破滅しがちになるので、難しいところだ。その光現象(または、他人と心の深いところで握手をする経験)は自分のコントロールの外で起きる、というのを揺るがぬ大前提にしておいた方がいいと思っている。他人に100%依存する指標を目的に据えてはいけない。誰もハッピーにならない。

*19:「どうしたら感想をもらいやすいか」という検討や試行を否定するつもりはない。ただ、私がそこにどっぷり足を踏み入れると私は終わるなという気がしている。今のところ。

*20:全然関係ないけど、恋って、他人に100%依存する指標を目的に据えざるをえなくて(えないことが多くて?)、それで私は(書くのが)苦手なのかもしれない。

*21:誰かを誘ってスイカを割ったり、誰かを招いて水を汲んだりすることは、基本的にないだろうと予想している(これは「私の疑問は私のもので、私が自分で解決したい」というようなことです。あるいは、「私が好きな何かについて、同じ何かを好きでいる他者と、その気持ちをダイレクトに共有したいという気持ちの薄さ」という話)。ただこれもそのうち変わるかもしれない。

*22:タロットカードのスプレッドでよく言うやつ。

*23:あるいは、年末年始のお供にしていただいても嬉しいです。

寒さとたたかう/そわそわしないなんて無理

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第16日目の記事です。

 

前回は、苦手なことを苦手だと言うことと、状況に応じた必要十分な優秀さについて書きました。やっと去年のアドベントカレンダーっぽくなってきた。

今日は挙児希望の話をしようと思います。妊活の話題が苦手な方は、おいしいシュトーレンとかを食べ、暖かくして寝るなどしてくださいね*1*2

ただ、せっかく来ていただいたところに何もないのもあれなので、話題1として防寒の話をします。その後に、話題2として、挙児希望の話を書きました。ちなみに妊娠報告はありません。

※ブログのトップページから見ると、話題2は脚注下の「続きを読む」にしまわれています。ただし、Twitterからリンクを踏んだなど、記事に直接アクセスした場合、話題2まで普通に表示されています(トップページ以外では「続きを読む」機能が使えないため)。お気をつけて。

 

では話題1からどうぞ。

話題1:寒さとたたかう

九州も、冬は寒い。この間、短歌の例会で「ここも寒いんですね」と言ったら、「そりゃあ、冬は寒いよ」と呆れて笑われた。冬季の旅行をお考えの方はお気をつけください。ここは赤道直下ではない。

室内の防寒家電

仕事部屋には、エアコン・サーキュレーター・加湿器を入れている。

エアコン

普通のエアコン。
暖房って何度設定が適切なんだろう? というかそもそも、部屋に気温と湿度計を入れるべきだな*3

サーキュレーター

足元が寒いので、エアコンの温風を流し込めないかと考えて設置した。吹き込む風で寒くないか心配したけれど、案外そんなことはなかった。温風を巡らせてくれているようで、足元のすうすう感が減った気がする。
去年は足台に電気あんかを置いていた。寒さがひどくなったらまた使うかもしれない。

加湿器

エアコンで空気が乾燥することの対策にもなるし、加湿するだけでも部屋が暖かくなる。
毎日水を入れ替えるのがちょっと面倒。でも長く使いたいので、さぼらないように気をつけている。カビも心配だし。

寒くない服

暖かい服を着るのも大切である。仕事中はOLみたいな服(ぜんぜんあったかくない)を着ているので、そこにプラスするもの。

宮田織物のはんてん

めっちゃ暖かい。軽い。かわいい。寒い時期は、起きた時から寝る前まで、ずっと着ている。

ちょっと古い(2017)けど、良さはよく伝わる記事。

私が持っているのは、肘上の袖丈。着たまま、洗顔も料理もできる。
ただ、外部ミーティングの時は脱いでいる。ウェブカメラに映ると、どう見ても緩すぎるから。

ワークマンの防風レギンス

仕事の時はスカートを履いている*4。冬場はヒートテックタイツを履いて過ごしていたのだが、やはり寒いものは寒い。あと、私はしばしばタイツを破壊してしまう*5

そこで、ワークマンの防風レギンスが大活躍している。デイキャンプのために買ったのだけれど、あまりに暖かいので、買い足して毎日履いている。暖かい、というか、寒くない。地味にすごいと思うのだが、お腹から足首までが、本当に寒くない。すごい。

たぶんこれだと思う(ウェブサイトではパッケージが見えないので、やや自信がない)。室内で「防風」って意味があるのかと疑問に思わなくもないが(そして拙宅に隙間風が吹いているわけでもないのだが)、本当に暖かいし、もちろん外で履いても暖かい。おすすめである。

ワークマンのルームシューズ

足首までは防風レギンスでカバーした。では、足首以遠は? これです*6

これは「ルームブーツ」と呼ばれている。丈が長いのだ。これ、履いて2秒で暖かくなる。「寒くない」どころではない。暖かい。これまで使っていた、ふわふわしているだけの自称あったかルームシューズとはお別れだ。今までありがとう。

強いて言うなら、丈が長い分、着脱が面倒。足だけでは脱げない(行儀わろし)。

休日のゆる着

最後に、オフの日のトップスを。これもワークマン*7
びっくりするくらいあったかい。しかも裏起毛で、ふわふわが気持ちいい。
冬場のゆる着を持っていなかったので、今年は重宝しそう*8。ちなみにあったかゆるボトムスもワークマンで買った。冬の週末のゆるゆるおうちタイムが捗る。

 

話題1は以上です! あなたのおすすめ防寒術がありましたら、ぜひ教えてもらえたら嬉しいです。互いに冬を乗り切ろう。

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さて、ここから話題2に入ります。ここまでの方はごきげんよう。ご一緒くださる方はよろしくお願いします。

これは夏の終わりの海、水中の岩の透け具合のよさ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:何年ぶりかにシュトーレンを買ったのですが、シュトーレン美味しいですね……。粉糖があんなに厚くまぶされて、美味しくないわけがない(砂糖が好き)。しかも生地にナッツが入っている! パーフェクト(ナッツが好き)(糖分と脂質がおいしいということ……)。クリスマスまでに一切れずつ食べるみたいなこと、できる気がしない。それが西洋の精神修養なのだろうか。

*2:物理アドベントカレンダーは使ったことがないのだけれど、私は我慢できなくて一度に開けてしまうかもしれない。

*3:引越しで捨ててしまった。キャンプにもあった方がよさそう。

*4:在宅勤務では下半身はパジャマとかスウェットとかいう派閥がいると聞くが、私は緩い服を着ると、一気に気持ちが緩んで仕事にならなくなってしまうのだ。「家の中で妻モードと社員モードをこまめに切り替えることができない」とかに通じているのかもしれない。「今は社員」というときには、社員以外をやりたくないのだ。

*5:履く時に足の爪を引っ掛けがち。布地をちゃんとたぐってから履けばいいのだが……。

*6:またワークマン! ワークマンはあったかい。そして安い。

*7:そうだと思ったでしょう。

*8:仕事にも使うVネックニットとかを着ていた。当然寒い。

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必要十分の優秀

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第15日目の記事です*1

 

さっき図書館の話を書いたばかりなのですが、自信がない話、書けそうな気がしたので、急いで書きます! 今だ!

刀ミュの村雲江の話

突然ですが、ミュージカル刀剣乱舞の村雲江の話をする(リンク先はミュージカル刀剣乱舞のキャラクター紹介ではあるが、書いてある内容は刀剣乱舞-本丸通信-【公式】が村雲江実装時に投稿したものと同一)。

以下、東京心覚公演の内容に触れる。

村雲江は、江戸を守るために結界を張る行為のことを、「好きじゃない」と言った。「線なんて引くから、あっち側とこっち側に分かれちゃうんだ」と(うろ覚え……)*2

私は、村雲江が、自分の苦手なことを明言するのを、好ましいと思った。そして、あれ?と思ったのだった。あれ、私、変わったみたい。

うちの平野の話

そしてまた突然、平野藤四郎の話をする。実は私は自分の本丸の平野と、あまり親しくできていない。そういう話が苦手な人や*3、平野が好きな人などは、このくだりを飛ばしたほうがいいかもしれない。

向いてない仕事と、審神者

さらに飛んで、かつて私が働いていた職場の話になる。

私は本当にその職業に向いていなかった。友人に「誰もが君には向いていないと思った」とさえ言われた*4。人には、向いている仕事と向いていない仕事がある。それを学んだ数年間だった*5*6*7

私が刀剣乱舞-ONLINE-を始めたのは、その職場に勤めていたときだった*8
このくだりはご存知の方も多いと思うが*9、私はゲームを始めた当初、一軍の六振りしか育成していなかった。そのため初めての連隊戦で、新実装の髭切・膝丸を入手できなかった。その後から「顕現した子は全員カンスト」という育成方針に切り替えて、今までずっと続いている(もう7年になる)*10*11
だから、私が平野藤四郎を編成に入れ始めたのは、彼がうちの本丸に顕現してから、半年か一年経った後だったのではないかと思う。

好きじゃないことを、好きじゃないと言いながら、あるいは言わずにやること

あらゆる男士を編成に入れ、組み直してレベリングをしていたので、隊長が入れ替わり立ち替わりしていた。平野を隊長にすると、開戦時にこう言う。『戦いは好みではないけれど、それがお役目ならば』と。

私はそれが苦手だった。

今なら、その理由がわかる。当時、私自身が、向いてない仕事をやっていたからだ。だから、自分の務めを「好みではない」とハッキリ言い切ってくる平野が、気になったのだろうと思う。「私もつらいのに。でも黙ってやっているのに」と、僻むような、恨むような気持ちだったのだろうと思う。平野には申し訳ないことをした。平野は何も悪くないのに。むしろ、好きじゃない仕事をさせているのは私の方だったのに*12

できる人がやればいい

さて、現職に転職して、けっこうな年月が経った。ここでは、「できる人がやればいい」とされていることが多い。苦手なことに時間をかけるより、得意な人にサッとやってもらう方が効率的だし、互いに気持ちよく仕事ができる、みたいな価値観だと思う*13*14

私も、人に、「これは得意ではないので、助けてほしい」と言うことがある。逆に人から、「これはあなたが得意ですよね、助けてもらえますか」と声をかけられることもある。それは「なんでもうまくやれなければ」というプレッシャーが少なくて、私には心地よい。

「好きじゃない」という表明

前職はどちらかというと、「なんでもうまくやれなければ」の環境だったと思う。もちろん、互いの得意分野で助け合うこともあった。けれど基本的には、まずは何でも屋になって独り立ちしなければいけなかった(と、思う)。

そういうシチュエーションに、私の「なんとなくうまくできそうな気がする」という性質と、「本当に向いてない仕事」が掛け合わされて、「なんでかわからないが、まったくうまくできない」という状況になっていたと思われる。

それが今は、前職よりかは得意な分野にいて、しかも「苦手なことは得意な人に」という環境にいる。心地よい。だからきっと今、村雲江が何かを「好きじゃない」と表明することを、肯定的に捉えられるのだろうと思う。私自身が、しなければいけない何かを、「好きじゃない」と言えるようになったから。素直にそう言っていい環境にいられたから。

必要十分の優秀

最近、仕事をしていて思うのだけれど、どうも世の中には「必要十分の優秀」というものがある。
何につけても、その状況において必要十分な優秀さを備えていればいい、ということだ。日本一できるとか、特別に卓越している必要はない。

どんな人と一緒にいるかによって、必要十分な優秀さは変わる。新人さん相手なら、「こんな初歩的なこと」と思うようなことが、重大な価値を持つこともある。逆に、要求の高いクライアント相手なら、十分な成果を出すためにはしっかり優秀でなければならないだろう。

大事なのは、「誰が見ても完璧にできること」ではなくて、「必要なだけうまくできること」なのだな、と思うようになった。それはつまるところ、「自分が満足する(自分の)優秀さ」から、「他者を満足させられるだけの(自分の)優秀さ」に目が向いたということなのかもしれなかった*15

お前が泣くまで、褒めるのをやめない

ある時、私が担当したクライアントが、私の仕事をとても褒めてくださったことがあった。私はありがたすぎて驚き、思わず涙が出た。確かに、まあまあ平穏にまとめられたお仕事ではあったと思っていたけれど、クライアントがどのくらい満足されているかは知らなかったのだ。泣くまで褒められてやっと、私の仕事ぶりが相手を十分に満足させた*16というのが、やっと実感できた。

それは本当にありがたいエピソードだ。なのだけれど、泣くまで褒められないと自分の有用さがわからないというのは、社会人としては、ちょっとよくない気がする。自分がやったことがどれくらい相手に"刺さった"かを、適切に測れるようになりたい。相手から直接言及されなくても*17。それは自分の成長にきっと繋がるだろうし、また次のクライアントの役にもよりよく立てる力になると思う*18

 

しばらく引っかかっていた種を、やっと書いて外に出せました……! 嬉しい。荒削りだけれど出してしまう、そして明日こそはリングフィットアドベンチャーをやるのだ*19

平野、ごめんね。

 

何かあればお気軽にどうぞ。

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*1:正確には「第14日目その2」になるが、記事数とカウントを一致させることを優先しています。

*2:現在公演中の江 おん すていじ ~新編 里見八犬伝~にも触れたい。ネタバレなので、一応伏せておく。https://twitter.com/your_re/status/1605205387208437762

*3:私はあまり得意ではない。だからこのくだりをどう書こうかまだ悩んでいる。

*4:さすがに傷ついたが……

*5:他にもたくさん学びを得た職場だったが(寝たきりの人のパジャマをいかに替えるか、とか)、退職してからもしばらくは「人には向いていない仕事がある」というのが最も大きな学びだと思っていた。それは今でもそうかもしれない。

*6:これはまさに先日アドベントカレンダーに書いた、「なんとなく自分にはできると思っている」の実例ではないか。話が繋がってきた。アドベントカレンダーっぽいな。

*7:実際、「なんとなく自分にはできると思っている」新人こそ危険だ。それがわかるようになっただけ私も成長した。

*8:初期刀は加州清光、初鍛刀は秋田藤四郎、続いて愛染国俊。二番目の打刀は陸奥守吉行で、何かというと加州清光と火花を散らすのを、三番目の打刀の鳴狐(のお供の狐)がなだめるような本丸だった。

*9:ゆあれのフォロワー向け情報。

*10:レベリングしていた当時の懐かしい資料を見つけた。今はもうこのエクセルは使っておらず、長いこと更新されていない。載っている子は全員カンストしたか、極になった。

全振カンスト用資料


*11:現在は、抜丸、笹貫、七星剣(二振りめ)が連隊戦でレべリングされている。

*12:しかも2023年12月現在、まだ修行に出せてない。いちばん初めに極実装された子の一振りだったのに。ただ、実装同期の厚藤四郎も、うちでは特のままである。

*13:それで仕事が回るのは、それぞれがそれぞれの得意分野を持っていて、特定の人にひどく負担が偏ることがないためだろうと推測される。

*14:もちろん、できるようにならねばならないことは、時間や手間をかけて身につける。

*15:それと。自分で自分に満足するにあたって、数値に頼ろうとすると、いつまで経っても自信を持てないことになる。なぜなら大概の人が(私も含め)、だいたいのことにおいて、日本一みたいな優秀なスコアなんて取れないからだ。

*16:、あるいは、さらに過去のクライアントを満足させてきたかもしれない、

*17:これは労働の話でもそうだし、二次創作でもそうかもしれない。やっぱり、いいねやブクマの数より、言葉でもらえる感想がわかりやすいしありがたくて好きだし、でも、言葉がなくても、どのくらい気に入ってもらえそうか予想して出すとか、そういうことはやりうるのかもしれない。やるかどうかは別として……。

*18:二次創作もそうだ……。

*19:ここ数日アドベントカレンダーやら雑務やらを優先しており、リングフィットアドベンチャーをできていない。おかげで肩と首がガチガチになっている。仕事がつらい。いい加減筋トレがしたい。

そこで死にたいくらい好き(?)

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第14日目の記事です。

 

昨日は図書館バッグが欲しいという話をしました。継続して探していこうと思います。

今日は、初日の書きたいことリストを眺めて、図書館の話をします*1

私の本棚に並べてもいい本

私はあまり本を買わない。それは、「私の本棚に加えてもいいと思う本」と、「読んでみたい本」が違うからだと思う。読んでみたい本は多くあっても、私の本棚に加えてもいいと思う本は、その中の一握りである*2*3。時折、「読破するかはともかく私の本棚に入れたい本」も存在する。

図書館で本を借りる

そんなわけで、読みたい本は図書館で借りてきた*4

引っ越して、運転免許証を書き換えたら、まず図書館に行って利用者登録をするのが私のルーチンになった。そのことは以下の記事にも書いている。重複するところもあるが、再録だな~と思ってほしい。

note.com

(上記の記事では、「図書館に、読んだことのある本が収蔵されていていると、知り合いを見つけたみたいに嬉しい」という話を書いた。今日のアドベントカレンダーはその焼き直しでも書くかなと思っていたけれど、もったいないので、違う方向に行こうと思う。)

それが図書館でさえあれば

地域によって色々な図書館がある。小さくて古い図書館(都内で、一つの区内にいくつかの図書館があるようなところだと、そういうことがある)*5、自習室が広い図書館、地域の公民館が併設されている図書館、キッズゾーンが広く取られている図書館。どの図書館も好きだった。図書館は図書館というだけで、よいものだ。

吉本ばなな『キッチン』の主人公桜井みかげは、台所が大好きで、「どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事を作る場所であれば私はつらくない。」と言っている(吉本ばなな(1998). キッチン 角川書店. p7)。私にとってそれは図書館なのかもしれないと思う*6

地域との接点としての図書館

図書館にあるのは本だけではない。図書館には、地域の催し物や、サークルの情報が集まっている。知り合いのいない土地に越してきた私は、何らかのコミュニティに属したいと思う、図書館で情報収集をした。

結局、壁に貼ってあるビラではなくて、雑誌の棚の隅にあった地域の文学サークルの月刊誌をきっかけに、今の短歌の会に入っのだったけれど。冊子を見たのは2月で、入会したのはその約半年後。腰が重いんだよな~*7

たくさんの本が映し出すもの

図書館や大きな本屋など、大量の本の中にいると、「自分自身」が明確になると感じる。目に留まる本から、自ずと。

昔読んだ本。昔から気になっていて、まだ読んでいない本(その時に手を出すこともあれば、やっぱり出さないこともある)。知っている著者の知らない本。最近学びたい分野の本。昔から好きな分野の本。誰かがおすすめしていた本。昨日作ったカレーが美味しかったから、おうちで作るカレーの本。などなど。

目に留まる本に、過去から今までの自分が反映されている。もしかすると、未来の自分も。心にゆとりがある時に楽しむのもいいし、逆に、心に余裕がないときに図書館に行って、自分を取り戻すのもいい*8。心の中につっかえている小枝とかごみとかを取り除いて、流れをスムーズにしてやるみたいに*9。本を見に行く。私を見に行く。

行きたい!同人誌即売会

ああ、同人誌即売会に行きたくなってきた……。「目に留まる本はその時の自分のホットなところを映し出すものなのかも」、とか思ったせいで。そうなんだよな……事前にチェックしてなかったけどふらふら足が向いてしまって買った、普段は読まないカプの本が最高だったりするんだよ……。またイベントに行きたいものだ*10。 

 

絵文字・メッセージ嬉しく拝見しています! ありがとうございます!

wavebox.me

*1:今日もあんまりヘビーなことを書けなさそうなコンディションなので、ライトめなところを浚っている状況。

*2:「ずっと大事にできないかもしれないものにお金を払いたくない」という気持ちが働いている気がする。ただ、本って、安くて多くの知識が手に入るので、「一回読んで終わり」というのもありなのかもしれないなとは思うようになってきた。たしかに、学習のコスパはよいのだ。

*3:そういう考えなので、同人誌をお迎えしていただいたときの喜びもひとしおなのであった。あなたさまの本棚(か、同人誌ラックかケースかなにか)に、自著を加えてもいいと思ってくださったんですね……! まあもちろん、一読してそれまで(もしくは、お迎えしたが読めてない)ということも多々あるとは思うし、それで構わないのだが。

*4:私の愉快で聡明な友人のひとりは、「住民税がもったいないから」という理由で図書館に通っていると話した(実際、読書が好きなのだろうが)。私は感銘を受け、それからしばらく、図書館に通って朝刊を読んでいた。

*5:そうして、私が引っ越した後に改修工事に入ってしまった図書館もいくつかあった。

*6:みかげは、死ぬなら台所で死にたいらしい。私は図書館で死にたいとはあまり思わないが、以前知人に、「あなたっぽい」と言われた歴史上の人物が「図書館の階段から落ちて死んだ」人だったので、素養はあるのかもしれない。

*7:でも、引っ越して半年は、新しい土地や暮らしに慣れるので精一杯だったし、それでいいと思う。

*8:心に余裕がなさすぎると、図書館に行けなかったり、行っても書棚を見られなかったりするが。

*9:このあたりでついに、前前前居の近くの本屋さんを思い出した。考えてみれば、「近くの、かよった本屋さん」があるのは前前前居だけだった。

*10:祈るな、行け。

from me to me

これは2022年アドベントカレンダー「勝てない戦をする」第13日目の記事です。

 

今日は月曜日です。もう今週末がクリスマスです! 早い!
今年はまだ二次創作の話をろくにしていません。今年の二次創作は"勝てる戦"だったのかしら。(いえいえ、"恋の話"は割と勝てない戦でした。だけれど、その顛末はnoteにも自サイトにも充分書いたのでした。アドベントカレンダーに書くモチベーションが低いのだと思われます*1)。

前回は、やったことがないのになぜかうまくできると思っていることと、やってみると当然うまくはできなくて、でもやっているうちにだんだんできるようになっていく話をしました。それに関連して、自信がない話をしようと思ったんですが、私の中での「今だ!」という書き時を逃してしまいました*2*3*4。うーみゅ*5。でも何か書きたいので、書きます。

図書館バッグが欲しい

今年、サンタさんにクリスマスプレゼントを頼むなら、図書館に行くためのバッグが欲しい。貸出上限ぎりぎりの冊数の本を詰められる大きさ。壊れない頑丈さ。肩が痛くならない優しさ。それらを備えた、でっかいトートバッグが欲しいです。それはおもちゃではないですか? そうですか……*6

なかなかこれだというのを見つけられない。ついに刀ミュグッズの鞄に手を出す時が来ただろうか*7。実はこれまで、刀ミュのグッズ鞄を買ったことがない。あれ、でっかいし、丈夫そうだし、ありかもしれない。……と思って通販サイトを見て、壽のやつか、れっすんばっぐか……でもマチがちょっと小さいかな……あとれっすんばっぐはれっすんばっぐすぎるよな……と思っています。

壽のは斜めがけもできる。

musical-toukenranbu.jp

おんすてのも内ポケットが付いている(利用者カードを入れられるぞ)。

musical-toukenranbu.jp

自分で自分にプレゼントを贈る

誕生日などに、自分で自分にプレゼントを手配することがある。当日までできるだけ記憶をなくして、開封して喜ぶ遊びだ*8

その応用で、クリスマスプレゼントもできたらよかったんだがなあ。今年のはちょっと間に合わないだろうなあ*9

この「自分で自分に贈る」、覚えている限りでは7年くらい前にはやっていたように思う。なんでこうなったんだろうなあとちょっと考えたところ、定かではないけれど、当時交際していた人があんまりオンタイムにプレゼントを贈れない状況にあったので、貰えなくて拗ねるくらいなら自分で自分に贈ってご機嫌になろう、みたいなことだったような気がする。拗ねそうだなという予測ができること、その回避行動が取れることがえらい。自分で自分をほめる。

まあ、自分で自分になにか贈ってあげるのは、単に楽しいので、今後もなにかの折にはやっていきたいと思う。他人を思い通りにすることはできないからな。

 

眠たい記事だな~! 最後までこんな調子かもしれない。
あと、今年は24・25日がちょうど週末なので、最後の締めをオンタイムにできないかもしれない。うーみゅ(2回め)。まあ、なるようになる。

 

なにかあればお気軽に!

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*1:書くネタがなくなったり、時間がなさすぎる日があったりしたら、その話を再録してお茶を濁そうかなと今思いました。

*2:週末に睡眠を優先したため。最近寝ても寝ても眠い、怪奇現象みたい。というか、冬眠か。

*3:今朝は息が白くて、車のガラスが凍っていて、「冬だ冬だ冬だあー!」になりました。冬が来て嬉しい。冬が来て嬉しいことが嬉しい。

*4:この街に秋の記憶がまだなくて、風が吹くにつけても前居の街角を思い出していましたが、冬のパリッとした空気に触れて、ついに前前居の近くの道を思い出して、本当にびっくりした。いつの話だ……? 確かにあの川沿いの道を進んで、公園に行くのが好きだった。

*5:南雲鉄虎

*6:あんまり関係ないけど、たまたまこういう、安いアウトレットサイトを見つけた。SDGsとか言うけど、ただただ「安さ」で訴求してエコに持っていくのはスマートだなと思う。ここにもキャンバス地のトートバッグがでている。こういうのとか。

*7:都内にいた頃にはちょくちょく普段遣いしている人を見かけたものだが。

*8:この間は、作った本の記憶をできるだけ失って開封して喜ぶ遊びをしたのだが、そういうこともできる。

*9:今はこれを使っているのだが、ちょっと小さいのと、生地が薄いので持ち手が千切れそうで戦々恐々としている(戦々恐々としながら本を詰め込み、抱きかかえて移動している)。