単品と単品

ハンバーガーとチーズバーガーを食べたいときもある

読んだ:皇后美智子さまの御歌 = Waka poetry by Empress Michiko

皇后 [著]
割田剛雄, 小林隆 編著(2015)

 

皇后美智子さまの御歌 = Waka poetry by Empress Michiko (パイインターナショナル): 2015|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 

「皇后著」って。

 

すっごくよかった……。

短歌、たくさん読むとすごく疲れるんですが、上皇后さまの御歌は疲れない。むしろ癒される。

ご結婚にあたって和歌のお勉強をみっちりされた、ということなのだけれど、そもそも心根が素晴らしくないと出てこない歌ばかり。言葉の美しさももちろん素敵。

情景を詠みながら、詠み手の感性、心の動きがありありと伝わってくるような歌を、読めたらいいなと思いました。

 

自分の話ですが、現古辞典と古語辞典を買ったので、歌を詠む時活用したいと思います。がんばる。すてきな歌をたくさん浴びさせていただいて幸せ。元気出た。

 

読んだ:短歌の作り方、教えてください

俵万智, 一青窈 著(2010)

 

短歌の作り方、教えてください (角川学芸出版): 2010|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 

ものすごく面白かった。

  • 人が短歌をだんだん作れるようになっていく過程が追える
  • 「文通」を見せてもらえる嬉しさがある
  • 一青さんの言語センスが独特で好き
  • 思いがけず穂村弘さんが出てきたし、思いがけず本郷が舞台だった
  • 一首の中に入れられる情報量の感覚がちょっとわかった気がする(「これは2首に分けるべきかも」というフレーズを目にしたことで、その感覚の芽生え)
  • 「上の句は今はうまくできないからおいとこう、半年経って見つかるかもしれない」という「積極的放置(これは私が作っただけの言葉)」を知った*1
  • よい指摘をもらうとグッと句が良くなるんだな……

これは語り的な情報が得意な人(たぶんエクとかエミの人)向けかなと思うけれど、私にはマッチした。

 

あと、読んだあとに考えたのだけれど、私は俳句や短歌は、句会や歌会で他人に改善を提案してもらったり「ここはよくわからなかった」と言われたりしてもあんまり凹まない、どころか素直にありがたいと思ったり反省したりできる。だけれども、どうして小説ではそれが苦手なのだろうか?(正確には、そういう状況になったことが、校正をしてもらう以外ではあまりない。が、そういう状況をそもそも避けているという点では「苦手」と言っていいと思う。)

どうしてなんだろう。

俳句や短歌は、技巧を使っているというか、「私」→(加工)→「作品」であって、「加工」の部分に物を言われてもあまり傷つかないし、ただありがたい、ということなのだろうか。ワンクッションある、というか。
それに比べて小説は、「私」→「作品」とダイレクトなのかなあ。作品についてなにか言われると、私自身を批判されているような気がしてしまうのかな。

Only your business, not  your personality.*2

もっと頭を使って書いたほうがいいのか……? どうなのか……?

まあ、そもそも「上達」したいのか、という話もある……。これはちょっと私にとって深い話になってしまうなと思いました。まだ掘りきれない。でも、せっかく短歌を始めたので(ずっと始まっていた気もするが)、小説と短歌の私にとっての違いは意識していたいなと思う。

 

*1:あるいは「戦略的ペンディング」という語もよいかもしれない

*2:みたいなこと……「あなたがどうこうじゃないの、あなたの仕事の話をしているの」っていう表現を、アメリカ帰りの先生が現地で言われたと教えてくれて、印象深かったのだけれど、表現を忘れてしまった。

読んだ:音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む : プリチュワからカピチュウ、おっけーぐるぐるまで

川原繁人 著(2022)

 

音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む : プリチュワからカピチュウ、おっけーぐるぐるまで (朝日出版社): 2022|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 

これは大変面白かった。

 

私は成長過程における言語の習得とかにもともと興味があって、音声学、という立場からそれを見られたのはとても嬉しい。なにかのジャンルに非常に熱心な人が、なにかに狂喜している様は健康によい。
作中で娘さん二人のお名前が開陳されていることがちょっと気になったが……。でも家族で(特にお姉ちゃんの方が)同じものに関心をもっている様子って興味深い。

 

画像で知った、帯が一青窈さんなんだな。今読んでる短歌の本に一青さん出ているのでちょっと嬉しい。